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「ヒトラー政権下でナチス・ドイツの市民として過ごしたけど、何か聞きたいことはある?」95歳の女性が質問に答える:らばQ
2015年06月01日 12:49
 

ナチス市民の女性00
第二次世界大戦をリアルタイムで知る世代も少なくなってきました。

ヒトラー率いるナチス政権下のドイツで、市民として当時を過ごしたという95歳の老齢の女性が、孫の力を借りて海外掲示板で質問を受け付けていました。

興味深いQAをご覧ください。

95歳の祖母に、ナチスの市民として過ごしたのはどういうことだったのか、どんな状況だったのかを、掲示板を通して質問を受け付け、回答してもらったそうです。

女性は1920年に生まれ、戦時中(1939年〜1945年)はオーナーの妻とのその兄弟がユダヤ人のハーフという会社に勤めていました。村で収容されなかったユダヤ人は彼らだけだったそうです。

会社が兵士の制服などを作っていたため、戦争にとても重要だったからとのことです。

当時の彼女の写真。 ナチス市民の女性01
ナチス市民の女性02
ナチス市民の女性03

現在の彼女と、そのお孫さん。
ナチス市民の女性04

Q: あなたの長い人生の中で、人類が成し遂げた中で一番だと思うことは何ですか? また、あなた個人の成就した一番のことは何ですか?
A: テクノロジーです。洗濯機とかテレビとか……。自分のことでは仕事が一番の誇りです。

Q: 当時、どんな仕事をしていましたか?
A: 秘書でした。タイプライターを使って彼らが指示する手紙を書いていました。速記術も覚えてメモを取っていました。自分専用のデスクとタイプライターがありました。

Q: 戦争の終わりをどうやって知りましたか? あなたのいた場所ではどんなリアクションがありましたか?
A: 自分がどこにいたか覚えていません。ですが、婚約者が帰ってくるのでとてもうれしかったことは覚えています。最初、彼がイギリスの刑務所に収容されていると思っていました。ロシア人と違い、イギリス人は兵士を早く解放しましたが、それでも彼は帰ってきませんでした。彼を7年待ちました。

Q: 婚約者の彼は、どうなってしまったのですか?
A: 彼はアイフェル(ドイツ西部)で亡くなりました。12月24日にイギリスの勢力がドイツに不意打ちで攻撃したのです。クリスマスに攻撃したことにとても憤りを感じました。戦争が終わるちょっと前で、彼は仲間を救出したので家に休暇で帰っていたのです。
アイフェル - Wikipedia

Q: あなたの村が占領されたとき、恐怖の中で生活していましたか? それとも状況を受け入れるような空気が漂っていましたか?
A: 最初に彼らが来ると聞いたときは、森の中に逃げ込みました。その時は恐怖で何が起こるかわかりませんでした。しかしながら家に戻るように言われ、家に戻って待ちました。どうなるか全くわかりませんでしたが、モロッコの兵士があちこちにやってきて、彼らは宝石や食糧を探していただけで何もしませんでした。
それでかなり安心しました。その後、フランスの兵士が入ってきました。そしてそれぞれの家に滞在しました。うちに滞在した若いフランス兵士はとても礼儀正しく、良い人でした。寝るところを汚さないようにと新聞を敷いて寝ていました。

Q: 働く環境にいた女性として、専業主婦として家にいる女性をどのように見ていましたか?
A: 働くことは戦争中は珍しいことではなく、ほぼみんな働いていました。戦後になってから家にいるようになりましましたが、誰も当時は専業主婦になるように言う人はいませんでした。

Q: ドイツの外へ旅行したことはありますか? 収容所の実態を知って驚きましたか?
A: 若い時にオーストリアを訪問したことがあります。イギリスやフランスはありません。婚約者が亡くなったことでイギリス人に対してはかなり怒りを感じていました。
収容所は父親からいくつか話を聞きましたが、それは噂と言う感じで彼の言うことを信じませんでした。その後、それが真実でもっとひどいかったことを知ってショックを受けました。父親が帰ってきたとき、それがどんなひどいものだったか信じられなかったと言ってました。

Q: 21歳の僕にどんなアドバイスができますか?
A: 理解することはとても困難なので、政治的に中立でいるのがいいと思います、信心深さは自分を助けました。それから仕事には几帳面、正直、誠実に。それらが自分を幸せにしました。

Q: 当時の世間は、戦争に対してどんな意見でしたか? 戦争に反対する動きを見ましたか?
A: 私の周りの人々は戦争は必要はないと言ってました。そして戦争を始めたのが我々ではなくイギリス人だとも。だけどもう止められず、ヒトラーは世界征服の深みに足を踏み入れていました。

Q: 当時のナチスに対する意見、戦争に対する意見はどうでしたか? 現代の意見と比べてどうですか?
A: ヒトラーがしていることを国はあまり欲していないとは思っていました。しかしながら思っているよりことが早く進んだのです。ほとんどのことは、当時そこまで間違っているとは思っていませんでした。
我々は戦争は怖かったのです。しかし今ではヒトラーが何をしようとしていたかはわかっています。そしてそれはひどいものでした。父はいつもひどいと言ってましたが、私は信じていませんでした。世代によっても違いがありました。我々のような若者は好んで支持していたのです。
ですが多くの両親たちは支持をせず、ひどいことであると伝えていました。戦争が終わってから父親が正しかったことを知りました。極端に悪い気持ちになりました。

Q: あなたのコミュニティでは、どれくらい収容所のことが知られていましたか?
A: 全く知りませんでした。父親が戦場に行かなければいけないときには、ユダヤ人の収容所が東にあるという噂はありました。
それがそんなに悪いものだとは信じておらず、父の友人が帰ってきたときにユダヤ人を見てどんなひどい状態であるかを話しました。飢えた子供たちの話などです。彼はユダヤ人の子供らに食事を与えました。ところがそうしたら撃たれると脅されたのです。
戦争中はいろんな話を聞きました。でもどれくらいひどいかを聞かなかったのです。どんなにひどいかを初めて聞いたのは戦争が終わってからのことでした。うちにいたフランス兵が言いました。我々ドイツ人がどんな恐ろしいことをしたかを、もっと聞くようになると。

Q: ヒトラー時代のドイツの暮らしは実際はそんな悪くはなかったと聞いています。彼は国をつぶれるような不景気から変えたと言います。そのことについて話していただけますか?
A: ヒトラーはそんな風にして、私たちをうまく取り込んだのです。生活はよくなりました。食事や仕事で問題はありませんでした。それまでは毎日のように物乞いが家に来ていました。ヒトラーの時代になって、みんなに仕事ができました。湖までのフリーウェイに満足もしていました。ヒトラーは他の国には手を出さなかったらよかったのだと思います。それが彼のミスだったと思います。彼は権力を欲してました。

Q: あなたが住んでいた村では、実際に誰かがユダヤ人を嫌っていましたか?
A: ユダヤ人についてはいくつかの意見はありました。多くの偏見もありました。うちの村ではユダヤ人のことをあまり好ましく思っていませんでした。しかしながら村にはハーフのユダヤ人が2人いるだけで、彼らは重要な会社のオーナーだったので、誰も何も言いませんでした。一般的なユダヤ人に対する意見は、いつもビジネスや金銭中心で信心深さはないというものでした。

Q: ドイツ人の愛国心についての意見を聞いてもいいですか? バイエルンにいたとき、ドイツの友人たちは国の誇りを見せるべき場面で迷っていたように思ったので。これは一般的な考え方でしょうか? あるいはアメリカ人の前なので礼儀正しいだけだったのでしょうか?
A: 私たちに誇りはありません。歴史が誇りを奪っていったのです。現在ゆっくりとオープンにはなってきています。

Q: 95歳として、一番お気に入りの発明は何ですか?
A: 最も重要な発明は洗濯機です。ほかのどのテクノロジーも2番以下です。


市民として当時を知る立場だからこその、意見をうかがい知ることができます。

戦前からの主婦にとって、最大の発明は洗濯機なのですね。

IamA 95 year old german women from a village in the Black Forest, and experienced Nazi Germany as a civilian.

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