転載元:男「賢くて強くて早口な彼女」
彼女が乗ってきた。
彼女はいつもこの電車の前から二番目の車両に乗って登校する。
男「あ、彼女さん。 おはよう」
彼女「男君、おはよう!」
男「良い天気だね」
彼女「そうだね」
僕は三、四日に一度のペースで前から二番目の車両に乗ることにしている。
それが偶然を装える、最も短い頻度だった。
男「あ、髪型変えた?」
彼女「うん! 気付いた?」
男「すっきりしたね」
彼女「可愛いでしょ!」
男「う、うん」
彼女「君が初めてだよ。 髪型変えたの気付いてくれたの」
男「いつ切ったの?」
彼女「昨日の夜」
男「その後誰かに会った?」
彼女「会ってない」
男「そりゃ俺が初めてで当たり前だね」
彼女「そうだね」
男「……あれ?」
電車が発車しない。
アナウンスが流れた。
彼女「人身事故みたいだね」
男「そうみたいだ」
彼女「歩かない?」
男「え?」
彼女「ここからだと歩いてもそんなにかからないでしょ? 歩いて行かない?」
男「え……別にいいけ」
彼女「決まり!」
僕が「別にいいけど」を言い終わらないうちに彼女は電車を降りていった。
彼女「花粉もようやく収まってきて気持ちがいいね」
男「君は花粉症持ちだっけ?」
彼女「うん。 辛かった」
男「毎年大変だね」
彼女「今年は特にね」
男「そうなの?」
彼女「うん。 長かった」
男「普通じゃない?」
彼女「いや、長かった」
男「そう」
彼女「君も気持ちよさそうだね」
男「そう?」
彼女「ニヤついてる」
男「えっ」
彼女「わかるよ。 寒くもなく、暑くもない今の季節は最高!」
男「寒いのや暑いのは嫌い?」
彼女「嫌い」
彼女は食い気味に言った。
彼女はいつでも反応が早い。
その上早口で、僕はたまについて行けなくなる。
男「僕は夏も冬も好きだよ」
彼女「私だって好きだよ」
男「寒いのや暑いのは嫌いなんだろ」
彼女「夏は涼しくて、冬は暖かければ良かったのに」
男「贅沢だなぁ」
彼女「しんどいのは嫌い」
男「誰だって嫌いだよ」
彼女「そうだね」
彼女「ね」
男「うん?」
彼女「今日学校サボっちゃわない?」
男「え!?」
彼女「だって良い天気だし」
男「うーん……」
彼女「もっと散歩したい」
男「……うーん」
彼女「君はいつも真面目だし、たまにはいいじゃん!」
男「……じゃ、サボっちゃうか」
彼女「決まり! ね、どこ行く!?」
どこかいつもより彼女のテンションが高い気がした。
内心僕も昂って仕方がないのだけれど。
彼女と今日一日一緒にいられると思うと堪らなく嬉しかった。
今日という日を大事にしようと思った。
男「どこ行こうか……そうだな……」
彼女「動物園行きたい!」
男「決断早いな!」
彼女「動物園でいい?」
男「まぁいいけど」
彼女「じゃあ出発!」
男「急かすなよ」
男「君さ」
彼女「うん?」
男「よくサボるよね」
彼女「まぁね」
男「出席日数大丈夫?」
彼女「計算してるから平気」
男「勉強の方は?」
彼女「完璧だよ。 知ってるくせに」
男「まぁね」
男「出席しなくてもあんなに出来るんだから、凄いよなぁ」
彼女「へへー!」
男「お、動物園の看板が見えた」
彼女「ねぇ」
男「んー?」
彼女「私ね」
男「うん」
彼女「君のことが好き」
男「……え?」
彼女「君のことが好き」
男「す、好きってどういう」
彼女「恋人になって欲しい」
男「え、えっ」
彼女「付き合ってください!」
男「え、えぇ!?」
男「い、いきなりだね」
彼女「いきなりじゃない」
男「これがいきなりじゃなくてなんなのさ!」
彼女「二人きりになれるときをどれだけ待ったと思う?」
男「……そういえば今まで二人きりってのは無かったかも」
彼女「無かったよ。 あったらとうの昔に告白してた」
男「……僕が先に告白するつもりだったのに」
彼女「そうなの!?」
男「僕もずっと君のことが好きだった」
彼女「本当!?」
男「……うん、俺と付き合ってください!」
彼女「喜んで!!」
男「なんて良い日なんだ……」
彼女「本当に!」
男「え、いつから好きだったの?」
彼女「30年前から!」
男「僕ら19だよね」
彼女「1年前から!」
男「僕と一緒だ」
彼女「そうだったの!?」
男「……もっと早くに告白すればよかった」
彼女「本当だね」
男「……今日からよろしくね!」
そう言いながら彼女を見た。
彼女も僕を見ていて、その目からは涙が流れていた。
男「な、泣いてるの!?」
彼女「う、嬉しくて」
男「……」
泣くほどに僕を好きでいてくれたことが嬉しくて堪らなかった。
つられて、僕も少しだけ目が潤んだ。
男「ど、動物園着いたよ」
彼女「うん!」
男「キリンの首の骨の数って人間と同じなんだって」
彼女「知ってる」
男「ゴリラって皆B型なんだって」
彼女「知ってる」
男「カバの汗ってピンク色なんだって」
彼女「知ってる」
男「むぅ」
彼女「雑学はどうでもいいよ。 それより君のことが知りたい」
男「僕のこと?」
彼女「休みの日は何してるの?」
男「えっと……本読んだりツーリングしたり」
彼女「今度バイク乗せてよ」
男「いいよ」
男「君は? 休みの日は何してる?」
彼女「散歩」
男「散歩?」
彼女「そう。 ひたすら歩いてる」
男「楽しい?」
彼女「イマイチ」
男「楽しいことしようよ」
彼女「今楽しいよ」
男「座ってて。 飲み物買ってくる」
彼女「私も行く!」
男「いいよ、疲れたろ?」
彼女「疲れてない!」
男「元気だな」
彼女「自販機見っけ!」
男「元気だな」
彼女「ねぇ!」
男「何?」
彼女「ソフトクリーム屋だ!」
男「あ、ほんとだ。 食べる?」
彼女「食べる!」
男「じゃ、座って待ってて」
彼女「私も行く!」
男「でも結構並んでるよ?」
彼女「だからこそだよ」
男「?」
彼女「君がソフト買いに行ってる間私は一人になっちゃうじゃん」
男「10分ぐらいだよ」
彼女「10分もかかるんじゃん」
男「ふむ」
彼女「私は少しでも君と一緒にいたいの!」
男「……じゃ、一緒に行こうか」
彼女「うん!」
男「うーん……」
彼女「んー」
男「……微妙」
彼女「そうだね」
男「なんか、水っぽい」
彼女「でも」
男「でも?」
彼女「いや、なんでもない」
男「?」
男「……アイス食ったら腹の具合が」
彼女「え、大丈夫?」
男「ちょっとトイレ行ってくる」
彼女「私も行く!」
男「そんなわけにいくか!」
彼女「むぅ」
男「すぐ帰ってくるから待ってて」
彼女「待ってる」
男「ただいま」
彼女「遅い」
男「5分も経ってないよ」
彼女「ねぇ、君はどうして私を好きになったの?」
男「な、なんだよいきなり」
彼女「教えてよ」
男「……一目惚れ」
彼女「へぇー」
男「電車の中で君を見かけて、可愛いなと思って、気付いたら好きになってた」
彼女「ふーん」
男「君は? どうして僕を好きになったの?」
彼女「私と目が会った君がなんとなく忘れられなくて」
男「一目惚れか」
彼女「違うもん! 私は好きになるまで時間がかかった!」
男「どれだけ?」
彼女「3日」
男「短い!」
僕たちはその後、一日中散歩をした。
お互いのことをたくさん話し、笑いあった。
特別なことは何もしなかったけれど、彼女と歩いているだけで僕の心は嬉しい緊張で満たされた。
一年間、彼女を想う度にやってくる動悸と身体の火照りは辛かったけれど、今日一日で全てチャラになったと思えるほどに幸せな日を過ごした。
男「そろそろ帰ろうか」
彼女「……うん」
男「どうかした?」
彼女「ううん。 今日はすっごく楽しかった」
男「僕もだよ」
彼女「……あのさ、今晩さ」
男「うん?」
彼女「……や、何でもない。 明日も会える?」
男「もちろん」
彼女「じゃ、また明日ね!」
男「うん、また明日!」
━━
━━━
━━━━
今日は楽しかった。
楽しすぎた。
本当に告白してよかったのだろうか。
一年間彼を想うのは本当に永くて苦しかったけど、それでも365回といくつかの夜を超えてきた。
今はどうだろう。
たった一晩を超える自信すら無い。
もしこの先彼を失うことがあれば、私は本当に駄目になってしまうかも知れない。
彼と私の想いの募り方は違う。
それはどうしようもないことだ。
彼を失うことが怖くてたまらない。
━━
━━━
━━━━
付き合ってから一週間が経った。
僕たちは可能な限り時間を共にした。
彼女と会う時間はとても短く感じられ、あっという間の一週間だった。
幸せ真っ盛りの僕に、しかし一つの懸念があった。
男「あのさ」
彼女「ん?」
男「バイトを始めようと思うんだ」
彼女「えっ!?」
男「君と付き合ってさ、正直もっとお金が欲しいと思った」
彼女「ど、どうして!!」
男「恥ずかしい話なんだけどさ、この一週間君とお茶したり映画を見に行ったりして結構お金が足りなくなってきてるんだ」
彼女「だから私も出すとあれほど!!」
男「いや僕が出したいんだ。 だからせめて週三くらいでバイトをしようと思う」
彼女「で、でもそしたら会える日が」
男「休日にはシフト組まないようにするよ。 幸いアテがあるんだ」
彼女「お金かかるデートなんてしなくていいよ! 毎日散歩するだけでいい!」
男「でも僕は君ともっといろんなことをしたい」
彼女「……」
男「君を楽しませるいろんな計画があるんだ。 その為にお金が欲しい」
彼女「……」
男「バイト、してもいい?」
彼女「……駄目なんて言えないよ」
男「決まり!」
彼女「……いつから?」
男「明日から」
彼女「早いね」
男「実はもうシフトの曜日も決まってる。 月、火、木はバイトの日になる」
彼女「月、火……」
男「その3日は会えないと思う」
彼女「……ねぇ、あのさ」
男「うん?」
彼女「その……一緒に……」
男「なに?」
彼女「……いや、なんでもない」
男「?」
彼女「バイト、頑張ってね」
男「おう!」
彼女「ね、君って奥手だよね」
男「は!?」
彼女「明日から二日間会えなくなるじゃん?」
男「ま、まぁ」
彼女「手、繋いでよ」
男「えっ!」
彼女「それで頑張れると思う」
男「お、大げさだな」
彼女「駄目?」
男「……」
僕は彼女の手を握った。
彼女「あはは! これじゃ握手じゃん!!」
男「あ、そ、そっか。 こう?」
彼女「うん」
男「……」
彼女「ありがと」
男「……うん」
彼女の手は汗ばんでいた。
軽く言っているようでそうではなかった。
━━
━━━
━━━━
今日はバイトの日だ。
そして明日も。
2日も会えない。
でもこれは普通なのだ。
どんなに好き合っていても毎日欠かさず会うなんてことは難しい。
彼との関係を続けたいならば、耐えなくては。
普通でないのは私だけなのだから。
電話がかかってきた。
他の誰にも真似できないような速さで私は電話を取った。
彼女「もしもし!」
男「もしもし。 ごめん、寝てた?」
彼女「ううん!」
男「良かった。 少し話せる?」
彼女「うん!」
男「疲れたー!」
彼女「どんなことしたの?」
男「とりあえず今日は物の場所を覚えるのと、皿洗い。 明日はオーダーするからメニュー覚えなきゃならないんだ」
彼女「イタリアンだっけ?」
男「そう」
男「何と何の何風パスタだか何野菜の何サラダに何を添えてだかわけがわからん」
彼女「なんかネーミングはフレンチっぽいね」
男「でもピザあるよ?」
彼女「フレンチのピザもあるけど……どんなお店なんだろう」
男「まかないは美味かった。 今度一緒に行こうよ」
彼女「あ、ほんと? 行く行く!」
男「……ごめんね」
彼女「何が?」
男「僕もずっと好きだったのに、君に先に言わせた」
男「僕もずっと手を繋ぎたいと思っていたのに、君に先に言わせた」
彼女「……」
男「今度は、僕から言う」
彼女「……うん!」
男「……会えない日は、電話していいかな」
彼女「……もちろん!」
男「ありがとう」
彼女「いえいえ!」
男「今日はもう寝るよ」
彼女「うん。 お疲れ」
男「おやすみ」
彼女「おやすみ」
そうか。
恋人なら、会えなくても電話が出来るんだ。
彼も友達と遊びたい日があるだろう。
実家に帰ることもあるだろう。
会えない日はこれからもたくさんやってくるだろう。
それでも、電話は出来るんだ。
普通じゃない私に、活路が見えた気がした。
━━
━━━
━━━━
付き合ってから一ヶ月が経った。
初給料が出たので、僕たちは初めての旅行をした。
日帰りだけど。
彼女「見て見てっ!! 綺麗ー!」
男「おー!」
彼女「うーむ……青い……」
男「海って何で青いか知ってる?」
彼女「光の反射と吸収の関係でしょ?」
男「空の青が反射してるからだよ」
彼女「じゃあ空はなんで青いの?」
男「海の青が反射してるからだよ」
彼女「最初の青はどこから来たんだ」
男「子供の頃こういう話を親から聞かされてね」
彼女「面白い親御さんだね」
男「でも最近知ったんだけど、海の青って空の青も少しだけ関係してるんだって」
彼女「え!」
男「お、初めて僕の雑学で君を驚かせた」
彼女「初めてだっけ?」
男「君が知らなくて僕が知ってることなんてほとんど無いと思う」
彼女「そんなことないよ」
男「君は頭が良いから」
彼女「私、今の大学ギリギリ入れたんだよ?」
男「え!?」
彼女「C判定だったもん」
男「マジか」
男「じゃあ今の君のトップクラスはどうわけなんだ」
彼女「毎日勉強してるから」
男「どれくらい?」
彼女「10分」
男「短い!」
彼女「あ、魚が跳ねた!」
男「う、見損ねた」
彼女「なんか良い匂いがする」
男「あそこで焼き牡蠣売ってるね」
彼女「むぅ」
生唾を飲む音がした。
男「買ってくるよ」
彼女「私も行く!」
男「はいはい」
彼女「二つ食べていい?」
男「いいよ。 僕も二つ」
彼女「うわっ……美味すぎ……」
男「ほんと……身がプリプリ」
彼女「こんなにグロいのにこんなにグロい美味い」
男「人も貝も見た目じゃないってことだね」
彼女「一目惚れした君が言うの?」
男「君だってそうじゃない」
彼女「私の場合は、一目惚れというには見てる時間が長すぎたかな」
男「僕だって一年間君を見てたよ」
彼女「私だってそうなんだけど」
男「一緒じゃん」
彼女「つまり一目惚れってのは好きになるきっかけのことじゃん?」
男「そうだね」
彼女「初めて見た人をジロジロと長い間観察して、『あぁこの人素敵かもしれない』と思うのは一目惚れって言うと思う?」
男「え……」
彼女「つまりはそういうこと」
彼女「私とふいに目が合うって、実はあり得ないことなんだよ」
男「なんで?」
彼女「私動体視力が凄いから」
男「?」
彼女「知らない人と目が合いそうになったら、君はどうする?」
男「目を逸らす」
彼女「私だってそうする」
男「何が言いたいのさ」
彼女「私は目を逸らすことが出来たけど、そうさせなかった君は特別だって話」
男「……ふーん」
彼女「あの頃の私ってさ、感情が無かったんだ」
男「へ?」
彼女「取り戻してくれたのは君だよ」
男「ど、どういうこと?」
彼女「なんでもないよ」
男「なんでもない?」
彼女「ただの厨二病ごっこ」
男「はぁ……?」
彼女「風が強いねー!」
男「何してんの?」
彼女「TMRごっこ!」
男「HOT LIMIT?」
彼女「ナマ足魅惑のマーメイド!」
男「ちょ、脚をしまえ!!」
彼女「あはははは!!」
男「誰も見てないだろうな……」
彼女「確認してからやったから大丈夫」
男「まったく……」
彼女「ドキドキした?」
男「ん……まぁ」
彼女「へへ……」
男「今誰もいないんだな?」
彼女「うん、ここ人気無い」
男「……」
彼女「?」
男「……あの」
彼女「……何?」
男「……目、閉じて」
彼女「……ん」
僕たちはキスをした。
男「……ごめん、スマートじゃなくて」
彼女「ううん」
男「うわぁー! 俺かっこ悪い!!」
彼女「そんなことないよ。 有言実行かっこいい!」
男「あ……やっぱ覚えてた?」
彼女「うん。 嬉しい」
男「……今度はもっと上手くやるから」
彼女「今の、すごく良かったんだけどな」
男「……」
彼女「でも、次も期待してる!」
男「……よーし!」
男「そろそろ帰りの電車の時間だ」
彼女「うん」
男「どうだった?」
彼女「すっごく楽しかった! 良い所だね」
男「良かった。 楽しんでもらえて」
彼女「……私もお金出しちゃ駄目?」
男「駄目。 ごめんね、親父にそう育てられてきたから」
彼女「……私は君に何があげられる?」
男「時間と愛情」
彼女「……そんなの私も貰ってる」
男「それでトントン。 僕はお金をあげてるつもりなんかないよ」
男「損したなんてこれっぽっちも思ってない。 だからこれでトントン」
彼女「……そっか」
━━
━━━
━━━━
電車に揺られながら隣の彼のことを考えた。
どうしようもなく愛おしく、しかしまた、思いが募るほどどうしようもなく怖くなっていく。
この人はいつまで私の側にいてくれるだろうか。
もしかしたら一生を添い遂げてくれるかもしれない。
私が隠し通していられる限りは。
━━
━━━
━━━━
彼女と付き合ってから三ヶ月。
今日は僕の誕生日だ。
男「ごめん、待った?」
彼女「ものすごく待った」
男「どれくらい?」
彼女「二分」
男「短い!」
彼女「さ、行こ!」
男「うん」
男「どこ行こう?」
彼女「私ね、いろいろ考えたんだけど」
男「うん」
彼女「君の誕生日だから君が喜ぶことをしたいと思った」
男「うん」
彼女「君が喜ぶことってなんだろうってずーっと考えてた」
男「うん」
彼女「わからなかった」
男「うん?」
彼女「だってさー君何しても喜んでくれそうなんだもん」
男「まぁね」
彼女「だからノープラン!!」
男「堂々としてるなぁ」
彼女「でも何もしてあげないってわけじゃないよ!」
男「何してくれるの?」
彼女「何でも! 今日一日君の言うことを何でも聞こう!」
男「ほほう」
彼女「今日はそういう日!」
男「なるほど」
男「何でも……ね」
彼女「う、うん」
男「フッフッフ……」
彼女「な、なんか怖いよ?」
男「後悔することになるぞ……」
彼女「……」ゴクッ
男「じゃあ……」
彼女「……うん」
男「カラオケに行こう」
彼女「!」
男「前誘ったとき断ったよね。 『信じられないくらい音痴だから』って」
彼女「ちょ、ちょっと待って! 君は音痴とカラオケに言って楽しいの!?」
男「ずっと君の歌を聞いてみたいと思ってたんだー」
彼女「く……」
男「まぁ嫌なら別にいいよ。 どうする?」
彼女「……行く」
男「いいの?」
彼女「男に二言は無い!」
男「男らしい!」
男「でもほんとに嫌ならいいんだよ? 君が嫌がることを強要したいわけじゃないから」
彼女「ううん。 前は引かれるのが怖いから断っただけ」
彼女「ほんとは私もカラオケ好き」
男「そうなの? 」
彼女「高校生の頃はよく行ってたよ」
男「へぇー」
カラオケに着き、ドリンクバーで飲み物を取り、僕が一曲歌い、とうとう彼女が歌うときが来た。
彼女「君歌上手いねぇー!」
男「お世辞はいいから早く曲入れなよ」
彼女「……うん」
男「大丈夫、笑わないから」
彼女「むしろ思いっきり笑ってよね。」
彼女「……そいじゃ、行きまーす!!」
男「いよっ!」
彼女「聞いてください、スピッツで『チェリー』」
凄まじかった。
音は外れ、テンポは走り、強弱は滅茶苦茶だ。
しかし顔を可愛く歪めて気持ちよさそうに歌っている。
そんな彼女を見ていると可笑しくて愛おしくて笑いを堪えることが出来なかった。
彼女「笑うなそこ!!」
男「わ、笑っていいって、言ったじゃん」
彼女「うわぁムカつく!!」
男「つ、つ、続けて」
彼女「……あいーしてーる!!のひーびーきだーけで!!」
男「ひ、ひひ……」
凄まじかった。
音は外れ、テンポは走り、強弱は滅茶苦茶だ。
しかし顔を可愛く歪めて気持ちよさそうに歌っている。
そんな彼女を見ていると可笑しくて愛おしくて笑いを堪えることが出来なかった。
彼女「笑うなそこ!!」
男「わ、笑っていいって、言ったじゃん」
彼女「うわぁムカつく!!」
男「つ、つ、続けて」
彼女「……あいーしてーる!!のひーびーきだーけで!!」
男「ひ、ひひ……」
彼女「笑うなって言ったじゃん!」
男「言ってることが間逆だよ」
彼女「くああ……!」
男「でも、すごく可愛かった」
彼女「え」
男「カラオケ来て良かった。 もっと歌ってよ」
彼女「う……」
男「リクエストしていい?」
彼女「う……うん……」
二時間が過ぎ、退出時間になった。
男「延長!! 延長しよう!」
彼女「えっえっ」
男「いっそフリータイムに出来ないかな……」
彼女「え、君の誕生日こんなんでいいの!?」
男「最高!! もっと歌いたい!」
彼女「……よし、それなら今日はとことん君を楽しませる道化となろう!」
男「そうこなくちゃ!!」
僕たちはフリータイムを目一杯使い切ってカラオケを後にした。
男「いやー楽しかった!」
彼女「久々に思いっきり歌った!」
男「声ガラガラだ」
彼女「また行こうね!」
男「うん」
男「腹減った」
彼女「私も。 ご飯食べに行こう」
男「それなんだけどさ……」
彼女「あ」
男「ん?」
彼女「あれ」
男「……親父狩り?」
彼女「……みたい」
男「隠れて警察呼んで。 俺はちょっと行ってくる」
彼女「いいや、私が行く」
男「は?」
彼女「私強いから」
男「冗談言ってる場合じゃない」
彼女「君喧嘩強いの?」
男「したことない。 とにかく隠れてろよ」
彼女「あ、ちょっと!!」
男「何してんの?」
チンピラ「あぁ?」
男「カツアゲしようとしてない?」
チンピラ「お前に関係ねぇだろ」
彼女「馬鹿じゃないの?」
男「!?」
チンピラ「……あ?」
彼女「馬鹿だから人様を脅してお金盗るんでしょ」
彼女「馬鹿だから犯罪だって意識も無く、馬鹿だから他にお金を得る手段も見つけられない」
男「お、おい!」
彼女「あんたが盗ろうとしてる二万円を稼ぐのにどれだけの時間がかかると思ってるの?」
彼女「あんたは人様の人生を奪ってるんだ。 馬鹿はそんなことを考えもしないんでしょうね!!」
チンピラ「てめぇ……」
駄目だ。
こいつは女だろうと容赦なく殴る。
駄目だ、それ以上煽るな。
男「おい、早く逃げろ!」
彼女「時間がどれだけ重いか分かってるの!? 分かんないならあんたの時間全部捨ててとっとと死ね!!」
チンピラ「お前が死ね」
男「!」
彼女「!」
目の前に火花が散った。
視界がグラつき、膝が砕けた。
彼女が怒声を上げている。
彼女が奴に殴りかかろうとしている。
男「止せ!!」
奴は彼女目掛けて真っ直ぐに拳を繰り出した。
彼女の眉間に当たるはずの拳は、彼女をすり抜けた。
チンピラ「!?」
男「……パリング!?」
それも強烈なやつだ。
バランスを崩した奴が転ばぬよう差し出した脚の先には彼女の脚が先回りしており、奴はそのまま地面に顔を叩きつけた。
倒れた奴の頭を彼女が踏みつけようと脚を上げた。
かろうじてそれを躱した奴は、鼻を押さえながらそのまま去っていった。
彼女「おじさん、何も盗られてませんか?」
おじさん「あ、あぁ……ありがとう」
男「……」
彼女「お怪我は?」
おじさん「大丈夫だ。 な、何かお礼を……」
彼女「結構です。 私達これからデートの続きをしますので!」
おじさん「……そうか。 じゃあまた会えたらそのとき改めて礼を」
彼女「はい。 気をつけてくださいね!」
おじさん「あ、あぁ」
彼女「大丈夫?」
男「……なんて危ないことをするんだ」
彼女「……ごめん」
男「謝ってほしいわけじゃない」
彼女「……男が殴られてカッとなって」
男「その前から君は奴のことを挑発してただろ?」
彼女「挑発じゃなくて……ただただ頭に来たから……」
彼女「ごめん……私のせいで君が殴られちゃって……」
男「……」
彼女「……私なら勝てると思ったからあのおじさんを助けたいと思った」
彼女「でも、冷静になってみれば君がそんなの許すハズがないよね……」
男「……」
彼女「君が私を庇って殴られることも予想できたハズだった」
彼女「私の思慮不足でした。 ごめんなさい」
男「……僕が殴られたことはどうでもいい。 問題は君が殴られそうになったことだ」
彼女「わかってる。 ごめんなさい」
男「……はぁ」
男「……格闘技かなんかやってたの?」
彼女「ううん」
男「それにしては強すぎない?」
彼女「動体視力が凄いから」
男「……」
彼女「……」
男「……ま、何にせよ君に怪我が無くてよかった」
彼女「……ごめんね」
男「もういいよ」
男「腹減った」
彼女「そういえばご飯の話してたね」
男「それなんだけどさ」
彼女「うん」
男「今日は君が何でも言うことを聞いてくれるらしいからさ」
彼女「うん」
男「ご飯作って!」
彼女「えっ!!」
男「君の手料理が食べたい!」
彼女「え、ほんと!?」
男「駄目?」
彼女「作る作る!」
男「やった! じゃ、スーパー行こう!」
彼女「何が食べたい?」
男「んー……唐揚げ」
彼女「よし来た。 他には?」
男「ネギたっぷりの味噌汁」
彼女「うんうん」
男「あ、あとアイス食いたいな」
彼女「アイス!?」
男「無理?」
彼女「まぁ作れるけど」
男「やった!」
彼女「やった、鶏肉安い」
男「これ安いのか」
彼女「普段スーパー行かないの?」
男「コンビニ弁当食べてるからな」
彼女「身体壊すよ!」
男「まぁ改善しなきゃとは思ってる」
彼女「私がご飯作ろうか?」
男「え?」
彼女「あ、いや……」
男「え、何毎日飯作ってくれるってこと?」
彼女「……君が望むなら」
男「それってさ」
彼女「……うん」
男「弁当? それとも……」
彼女「……お好きな方で」
男「……え、まさか同棲してくれるの!?」
彼女「き……君が良ければ……」
男「……や、やったぁ! ま、マジで!?」
彼女「うん……!」
男「夢みたいだー……」
彼女「まさかこんなに早く一緒に住めるとは思わなかった……」
男「俺だって……部屋に呼ぶのも今日が初めてなのに……」
彼女「こんなに幸せでいいんだろうか……」
男「駄目ってこたーないだろう」
彼女「私さ、所謂『普通のカップル』のペースを守らなきゃと思ってたの」
男「あ、俺も」
彼女「いろんなことを『まだ早いかな』って我慢してきたんだ」
男「俺も俺も」
彼女「でもお互いそう思ってるなら、それって意味無いよね」
男「全くだ」
一人称間違えたwww
彼女「私、君で良かった」
男「うん、僕もそう思う」
彼女「こうやって君と買い出しとかずっとずっと憧れてたんだ」
男「良いよね」
彼女「したいことならまだまだ山ほどある」
男「僕も」
彼女「ちょっと欲張ってもいいかな?」
男「いいよ。 僕もいい?」
彼女「いいよ!」
抽出したらちょいちょい間違ってんな
男「ここが僕んち」
彼女「年季の入った建物だねー」
男「ここの四階。 もちろんエレベーターは無い」
彼女「一番上は気持ち良いね」
男「そう来るか」
彼女「おじゃましまーす」
男「次からは『ただいま』ね」
彼女「わぁ……」
男「どう?」
彼女「意外と片づいてる」
男「意外とってなんだ」
彼女「というより物が少ない。 本とギターしかない」
男「まぁね」
彼女「調味料使われた形跡がほとんどないんだけど」
男「そりゃ使ってないのに使われた形跡があるわけない」
彼女「そう」
彼女「ギター弾くなんて聞いてない」
男「言ってなかったっけ?」
彼女「ちょっと傷ついた」
男「僕も自分がギター弾くことを忘れてたんだよ」
彼女「なにそれ」
男「ずっと弾いてないんだ。 賃貸だと音出せないし」
彼女「なんとかならない? 聞きたい」
男「今度ヘッドホン買ってくるよ」
彼女「やった!」
彼女「じゃ、すぐ作るよ」
男「手伝うよ」
彼女「いい。 座ってて」
男「いいの?」
彼女「男子厨房に入るべからず」
男「ワンルームなんだけど」
彼女「じゃあこの辺からこっちは入っちゃ駄目」
男「トイレどうやって行くんだ」
彼女「うーむ」
男「早く作って」
彼女「はーい!」
彼女「先サラダ食べてて」
男「お、美味そう!」
彼女「あとこんなの買ってきた」
男「ビールだ!」
彼女「とうとう飲酒が合法になったね!」
男「会計したの君じゃん。 非合法」
彼女「罪に問われるのは売った方じゃなかったっけ?」
男「確か」
彼女「じゃあ私が口を割らない限り誰も罪に問われることはない」
男「まぁそうかな」
彼女「拷問されたって言わないよ」
男「味噌汁沸騰してない?」
彼女「あ、大変!!」
彼女「出来たよー!」
男「うわ、美味そー!!」
彼女「召し上がれ!」
男「いただきまーす!」
彼女「私もいただきまーす」
男「!!」
彼女「……どう?」
男「……滅茶苦茶美味い」
彼女「ほんと?」
男「今まで食った唐揚げの中で一番かもしれない」
彼女「お、大げさだな……」
男「ごめんお袋……お袋の唐揚げは二番目になってしまった……」
彼女「……嬉しい」
男「君もビール飲まない?」
彼女「未成年に飲酒を勧めるのは罪に問われるよ」
男「拷問されたって言わないんだろ」
彼女「じゃ、少しだけ」
彼女「……ほんとにこの部屋に私が来ても大丈夫?」
男「あぁ……ちょっと狭いかな」
彼女「私は全然いいんだけど」
男「僕も全然いいんだけど……そうだな」
男「……引っ越そう」
彼女「え!?」
男「少し駅から遠くなるけど、友達が住んでるアパートさ、家賃は変わらないのに少し広いんだ」
彼女「へぇー」
男「一つ部屋も増えるし」
彼女「でも引っ越すのお金かかるよ。 私はここでも平気だよ」
男「幸い荷物は少ないし、軽トラ借りれば引っ越し代はそんなにかからない」
彼女「でも新しいとこ借りるとなれば敷金礼金とかかかってくるでしょ?」
彼女「私、ほんとにここでいいんだよ。 君となら四畳半でだって苦じゃないから」
男「僕だって君となら二畳だって構わないんだけどさ」
彼女「さすがに二畳は行き過ぎだよ」
男「四畳半だって大概だよ。 まぁそれは置いといて」
男「お金の当てがあるんだよねー」
彼女「え、まさかバイト?」
男「うん」
彼女「……」
男「山小屋に泊まり込みのバイトの話が来てるんだ」
彼女「と、泊まり込み!?」
男「うん。 二週間」
彼女「に、二週間!!?」
男「行ってきちゃ駄目かな? それで広い部屋に引っ越せる」
彼女「わ、私は別に今の部屋で」
男「僕は君に不自由な生活をさせたくないんだ」
彼女「う……」
彼女「二週間……二週間……」
男「……電話も通じないみたい」
彼女「えっ!!?」
男「……」
彼女「……」
男「……」
彼女「……私も行く」
男「え!?」
彼女「私も山小屋でバイトする!!」
男「えぇ!?」
彼女「そもそも私だってずっとバイトして、デートのお金は折半したかったんだ!」
男「い、いやそれは」
彼女「親父さんの教えでしょ? そんなの知らない! それは君のエゴだよ!」
男「で、でも」
彼女「こんなに良くしてもらってるのにお金も出せない私の気持ちも考えて!!」
男「う……」
彼女「あ、いや非難してるわけじゃないの! 君のそういう所も好き! でもさ」
男「……うん、ごめん」
彼女「あ、いやあのね……」
男「……確かに他にもバイトしたい奴がいたら声かけてって言われてる」
彼女「……じゃあ!」
男「うん。 一緒に行こう」
彼女「! ……やったぁ!!」
彼女「よ、良かったぁ……」
男「なんか震えてない?」
彼女「少しクーラー強いかも」
男「あ、ごめん」
彼女「ごめんね」
彼女「……山小屋のバイトの後の話なんだけど」
男「うん」
彼女「君がバイトの日、私もバイトしていい?」
男「いや、それはして欲しくない」
彼女「……」
男「バイトして帰ったときにさ、ご飯用意して待ってて欲しいんだ」
彼女「!」
男「帰ったときに電気が付いててご飯が用意されてて、君が待ってる」
男「そんな生活が出来たらどれだけ幸せだろうと思うんだ」
彼女「む……」
男「君が居心地の悪さを感じてるのはわかった。 だから今言った生活を叶えてくれないかなって」
彼女「……そんなんでいいの?」
男「それをしてくれたら今度は僕が負い目を感じるくらい嬉しい」
彼女「……やらせていただきます!」
男「やったぁ!!」
彼女「半端な料理は絶対出さないから!」
男「……」
彼女「……」
無言の空気が流れ、僕たちは見つめ合い、どちらからともなくキスをした。
初めてした日から会う度にしてきたキスだったけれど、今回のは今までのそれとは明らかに違うものだった。
男「……いい?」
彼女「……今日はなんでも言うこと聞くって言ったじゃん」
男「……そうだったね」
彼女「あ、でも電気だけ消させてほしい……」
男「うん……」
電気を消し、僕たちは抱き合った。
暗闇の中見えるものは何もなく、聞こえるのは僕の荒い鼻息と、彼女が鼻を啜る音。
僕の肩に温かいものが落ちた。
彼女は泣いているようだった。
僕は優しく抱きしめようとしたが、彼女は強く、強く僕を抱きしめた。
━━
━━━
━━━━
男「綺麗だねー……」
彼女「ほんと、山の星空ってすごい……」
私達は山小屋にバイトに来ていた。
初めの二日は驚くほど混んでいて目まぐるしく働いたけど、3日前から雨が降り続き、客足はパッタリと途絶えていた。
することが無ければ基本的に自由らしく、私達はのびのびと散歩デートを楽しんだりした。
男「寒い?」
彼女「少し」
男「毛布出す」
彼女「うん」
私達は毛布に一緒に包まってコーヒーを飲みながら星を見た。
粉砂糖を振りかけたような星空は果てしなく壮大で、多分そんなに長くはないのだろうけど私は時間を忘れてそれを眺めた。
男「オリオンの左肩」
彼女「ベテルギウスだね」
男「もう無いかも知れないんだって」
彼女「知ってる」
男「ベテルギウスってどれくらい離れてるんだっけ?」
彼女「640光年くらい」
男「遠いねー」
彼女「見えてる恒星の中では滅茶苦茶近いらしいけどね」
男「それが爆発するかもしれない」
彼女「爆発してるかも知れない。 600年くらい前に」
男「600年くらい前に爆発しててくれれば多分生きてる内に見られるね」
彼女「見たいね」
男「640光年ってすごいよなー」
彼女「そうだね」
男「ベテルギウスから地球に光が届くまで、およそ僕らの人生八回分。 果てしないね」
彼女「……うん」
男「昼まであった雨雲もすごく遠く見えるけど、その規模で考えればもう触れてるに近い距離だ」
彼女「うん」
男「君と僕との距離なんてさらに近い。 もう0とみなしてもいい」
彼女「今日はやたら恥ずかしいことをペラペラ喋るね」
男「君はそういう気分にならない?」
彼女「……なる」
ベテルギウスから地球に光が届く時間よりも長く、君と一緒にいたい。
その時間は一人で生きるなら絶望でしかない。
でも君と生きるなら、それはとんでもなく楽しい旅となる。
その狭間にいることが、恐ろしくて堪らなかった。
━━
━━━
━━━━
彼と付き合って一年目。
今日は特別豪勢な料理でお祝いだ。
男「ただいまー」
彼女「おかえりー!」
男「腹減った!」
彼女「出来てるよー!」
男「お、美味そう!!」
彼女「ビールもあるよ!」
男「素晴らしい!」
彼女「君と付き合って一年かー……」
男「もう一年かー……」
彼女「……」
男「大好きだ」
彼女「な、なにさいきなり!」
男「改めて言っとこうと思って」
彼女「……私も、大好き」
男「へへへ」
彼女「えへへ」
男「あのさ、話がある」
彼女「……?」
男「留学の話が来ている」
彼女「え……」
男「ドイツに一年間」
彼女「い、一年?」
視界がグラついた。
彼女「い……行くの?」
男「行きたいと思っている」
視線が定まらない。
駄目だ。
倒れちゃいけない。
男「……待っててくれないか」
送り出さなくては。
彼のことを本当に思うなら、送り出さなくては。
彼女「……もちろん待ってるよ」
彼女「たった一年だもんね。 行」
胃が捩じ切れそうだ。
彼女「ん……」
男「ど、どうした?」
彼女「な、なんでもない」
まずい。
彼女「ご、ごめん!!」
男「!?」
私はトイレに駆け込み、今しがた食べたものを全て吐き出した。
胃が空っぽになってもまだ痛みと吐き気は止まらない。
男「おい、どうした!?」
男「大丈夫か!?」
どれくらいの時間が経っただろうか。
そんなに経っていないのだろうけど。
トイレから出ると、彼は電話をかけようとしていた。
男「い、今救急車呼ぶ!」
彼女「いいから」
男「いいわけないだろ!!」
彼女「大丈夫だから!!」
彼の携帯をはたき落とした。
彼女「なんでもないの!」
男「なんでもないわけあるか!! 吐いたんだぞ!!」
彼女「体調が悪かっただけ!」
男「さっきまで唐揚げ食いまくってたのにか!? 携帯を寄越せ!」
彼女「違う、違うの」
男「何が違うんだ!」
彼女「これには理由が」
男「理由……?」
彼女「……!」
しまった。
男「教えてくれ」
彼女「な、何を?」
男「何かあるんだろ?」
彼女「な、何もない」
男「何もなくて吐くか!」
彼女「ちょ、ちょっとショックを受けたから」
男「それはわかる。 俺が知りたいのはそんなになるまでショックを受けた訳だ」
彼女「だ、だって一年は長いから」
男「誤魔化すな」
男「君の振る舞いには前から違和感を覚えていた」
彼女「ど、どこが」
男「……具体的にはわからない」
彼女「だから何もないんだって!」
男「君が言うまで君から離れない。 留学も行かない」
聞いた瞬間、膝から砕けてしまった。
『言わなければ留学に行かないのだ』という考えが過って安堵してしまった。
私にとってそのプロセスを経るのは短くはなかったが、彼には一瞬だっただろう。
彼はますます確信したハズだ。
男「やっぱりおかしい。」
彼女「ち、違う……君には言えないの……」
言いながら、言ってることがおかしいことはわかってた。
私はもう観念したのだ。
男「僕には言えない? どういうこと?」
彼女「い、言ったら君は離れてしまうから……」
男「……君は僕を裏切るようなことをしてるようには見えなかった」
彼女「う、裏切るなんて!」
男「だよね。 じゃあ大丈夫だから話してくれない?」
彼女「……はい」
彼女「……あのね」
━━
━━━
━━━━
彼女「私は高3の冬、車に轢かれた」
男「……」
彼女「走馬灯ってよく言われるけど、あれみたいな現象が私を襲った」
彼女「周りがスローモーションになって、『あぁここで死ぬんだ、生きたりないな、まだ処女なのに』なんて思った」
男「……」
彼女「私を轢いた車はゆっくりと走り去った」
男「そ、それって轢き逃げじゃ」
彼女「そうだね。 でも身体はどこも痛くなかったし、何より試験に遅れるのが嫌だったから何も無かったことにして歩き出そうとした」
彼女「センター試験の日だったんだ。 普段なら即警察に連絡してただろうけど、あのときの私にその判断力は無かった」
彼女「脚が動かなかった」
男「え!?」
彼女「脚も動かなかったし、周りも動かなかった。 いや、よく見れば少しずつ少しずつ動いていた」
彼女「走馬灯のスローモーションが、治らなかったんだ」
男「……!」
彼女「必死な受験生って怖いね。 そんな状況なのに、私はセンター試験を乗り切った」
彼女「考える時間は山ほどあった。 おかげで私は発狂しそうになりながらも今までにない高得点を叩き出したよ」
彼女「帰ってからストップウォッチを見て、自分の体感時間との差を見てみた」
彼女「私が30秒数えている間に、ストップウォッチは1秒しか進まなかった」
男「……!!」
彼女「今度こそ私は発狂した。 親が駆けつけて私を取り押さえて、病院に連れて行った」
彼女「病院でも私が発狂した原因には気付けなかった。 受験のノイローゼとして処理された」
彼女「その頃私がちゃんと喋れてたらまた違ったのかも。 でも30分の1のスピードの世界で、私は喋るどころか聞き取ることも出来なかった」
彼女「でもすぐに正常に戻った。 客観的には」
彼女「皆にとっての3日は私にとっての3ヶ月だからね」
彼女「死のうとしたって、死ぬ準備に1時間かかるなら私にとっては30時間。 その間にいろいろ考えて怖くなる」
彼女「もし普通の人は一瞬の痛みで死ぬとしても、私には30倍の長さの痛みがあるんだ」
彼女「未遂ならいろいろしたけどどれも達成は出来なかった」
彼女「そのうち何も感じなくなった」
彼女「周りの人にとっては多分一週間くらい」
彼女「週間ってのは恐ろしいもので、それでもそれまでの生活は続けられた」
彼女「入試はなんなくパスして、大学にも通い始めた」
彼女「そこで、君に会った」
彼女「君がこっちを見てるのを視界の端で捉えて、なんとなく私もそっちを見た」
彼女「多分それから君が目をそらすまで3秒くらいだったと思う」
彼女「私にとっては90秒。 そんなに長い間男の人と目を合わせたのは初めてだったから、すごくドキドキした」
彼女「何も感じなくなってたハズの私がドキドキしたんだ」
彼女「それから感情が私に戻り始めた。 新生活が楽しく感じられてきた」
彼女「同時に、どうしようもなく辛かった」
彼女「90分の講義は私にとっては2700分。 45時間だ」
彼女「また発狂しそうになったけれど、君のことを考えると不思議と落ち着いた」
彼女「代わりに動悸と身体の火照りに悩まされたけど」
彼女「一年間、ずーっと君のことを見て、耐えきれなくなって告白した」
彼女「そこから先は君も知ってる通り」
男「……」
なんてことだ。
付き合ったとき、彼女が泣くのも当たり前だ。
30年の想いが届いたのだから。
僕がバイトをするのも嫌がったのも当然だ。
彼女にとっては毎週合計3ヶ月間孤独な時間を過ごすことになるのだから。
山小屋のバイトの二週間は60週間、一年以上。
彼女「不思議なもので、君と付き合ってない30年間を耐えきったのに、君と付き合ってからは一晩耐えるのさえ辛かった」
一晩。
12時間としても、15日間。
彼女「……嘘みたいでしょ」
嘘だなんて有り得ない。
彼女に対して抱いた全ての違和感に合点がいった。
そして、僕がしてきたことの残酷さに気付いた。
男「僕は……なんてことを……」
彼女「……君は絶対そう考えると思った」
男「……」
彼女「……君は優しいから」
優しいだなんてとんでもない。
僕が切り出した留学は一年間。
つまり30年間。
男「……留学は、しない」
彼女「……君ならそう言うと思った」
男「……」
彼女「……行ってきて。 まともじゃない私の為に人生を我慢することない」
君はどうなんだ。
普通の恋人を演じる為に、いったいどれだけの我慢をしてきたんだ。
男「……しないったらしない」
彼女「……男」
彼女「……私と別れて」
男「……絶対に別れない」
彼女「……優しい君には、私は重すぎる」
彼女「君は私の時間に合わせようとする。 一日会わないなんてことはこの先絶対しないでしょう」
そうとも。
絶対にしない。
彼女「君は優しいから、この先全ての時間を私と過ごそうとする」
彼女「今も私の為に留学をやめようとしている」
彼女「君の人生を台無しにしてしまう」
違う。
男「違う!!」
男「僕の人生を君が決めるな!!」
男「僕が一番したいことは留学なんかじゃない!」
男「君と一生を添い遂げることだ!!」
彼女「!?」
男「留学したいのは一流の仕事をしたいからだ。 一流の仕事をしたいのは、良い人生を送りたいからだ」
男「でも、どんな仕事をしたって君がいなければ良い人生なんて有り得ない」
彼女「……!」
男「逆に、君がいれば何をしたって良い人生になり得るんだ!」
彼女「……そ、それなら」
彼女「わ、私、待つよ。 一年間」
彼女「良い仕事人になって、尚かつ私が居れば最高なんでしょ?」
男「一年じゃないだろ、30年だ」
彼女「う……」
男「30年も君を放っといたら、僕は幸せになれない」
彼女「……」
男「僕の20年は軽くない。 だから、30年の重みもわかる」
男「そんな時間恋人をほっとくのは男じゃないって親父に育てられたもので」
彼女「……そんなピンポイントな教育があるかい」
男「もっと早くに言って欲しかった」
彼女「……ごめん」
男「……もっと早くに気づけばよかった」
彼女「……無理だよ」
男「こうして重い話をしている時間も、君には途方もない時間なんだろう」
彼女「……」
男「だから、僕は今この瞬間から一生君を楽しませることに全力を尽くす」
彼女「!?」
男「それは、ひいては僕が一生を全力で楽しむことに繋がる」
男「もう君を待たせない」
男「結婚して欲しい!!」
彼女「えっ……」
男「聞こえなかった?」
彼女「聞こえた聞こえた!!」
男「……返事は?」
彼女「……学生結婚かぁ」
男「いいでしょ?」
彼女「……嬉しいっ…………!!」
男「あ、あぁ泣いた!」
彼女「な、涙がとまらない」
男「……好きなだけ泣きなよ」
男「寿命まであと60年くらいかな」
彼女「そうだね」
男「じゃ、あと1800年よろしく!」
彼女「あと60年よろしく!」
男「大好きだ」
彼女「私も」
僕たちは、同じ時間を生きてゆく。
fin
30年前から好きってのはジョークじゃなかったんだ
面白かったよ
昔襲われたとかじゃなくてよかった。けど体感時間がずっと長いのはヘビーだな
面白かった。後日談読みたいなあ
ふと思ったが初体験の痛みも人よりも30倍続くんだから強く強く抱きしめたって書くのは納得だわ
・SS深夜VIPに投稿されたスレッドの紹介でした
男「賢くて強くて早口な彼女」
・カテゴリー男「」女「」のSS一覧
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・凛「何でアンタ私の服着てるのよ!」アーチャー「誤解だ、凛!」
・ライオン「俺は百獣の王だ」ダイヤモンド「私は絶対砕けない」
・渋谷凛「プロデューサーってさ、ロリコンだよね」
・睦月「提督と吹雪ちゃんの性事情がおかしい」
1: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:06:54 ID:YT4gzHCs
彼女が乗ってきた。
彼女はいつもこの電車の前から二番目の車両に乗って登校する。
男「あ、彼女さん。 おはよう」
彼女「男君、おはよう!」
男「良い天気だね」
彼女「そうだね」
僕は三、四日に一度のペースで前から二番目の車両に乗ることにしている。
それが偶然を装える、最も短い頻度だった。
2: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:12:42 ID:YT4gzHCs
男「あ、髪型変えた?」
彼女「うん! 気付いた?」
男「すっきりしたね」
彼女「可愛いでしょ!」
男「う、うん」
彼女「君が初めてだよ。 髪型変えたの気付いてくれたの」
男「いつ切ったの?」
彼女「昨日の夜」
男「その後誰かに会った?」
彼女「会ってない」
男「そりゃ俺が初めてで当たり前だね」
彼女「そうだね」
3: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:21:22 ID:YT4gzHCs
男「……あれ?」
電車が発車しない。
アナウンスが流れた。
彼女「人身事故みたいだね」
男「そうみたいだ」
彼女「歩かない?」
男「え?」
彼女「ここからだと歩いてもそんなにかからないでしょ? 歩いて行かない?」
男「え……別にいいけ」
彼女「決まり!」
僕が「別にいいけど」を言い終わらないうちに彼女は電車を降りていった。
4: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:28:33 ID:YT4gzHCs
彼女「花粉もようやく収まってきて気持ちがいいね」
男「君は花粉症持ちだっけ?」
彼女「うん。 辛かった」
男「毎年大変だね」
彼女「今年は特にね」
男「そうなの?」
彼女「うん。 長かった」
男「普通じゃない?」
彼女「いや、長かった」
男「そう」
5: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:35:23 ID:YT4gzHCs
彼女「君も気持ちよさそうだね」
男「そう?」
彼女「ニヤついてる」
男「えっ」
彼女「わかるよ。 寒くもなく、暑くもない今の季節は最高!」
男「寒いのや暑いのは嫌い?」
彼女「嫌い」
彼女は食い気味に言った。
彼女はいつでも反応が早い。
その上早口で、僕はたまについて行けなくなる。
6: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:41:18 ID:YT4gzHCs
男「僕は夏も冬も好きだよ」
彼女「私だって好きだよ」
男「寒いのや暑いのは嫌いなんだろ」
彼女「夏は涼しくて、冬は暖かければ良かったのに」
男「贅沢だなぁ」
彼女「しんどいのは嫌い」
男「誰だって嫌いだよ」
彼女「そうだね」
7: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 22:54:47 ID:YT4gzHCs
彼女「ね」
男「うん?」
彼女「今日学校サボっちゃわない?」
男「え!?」
彼女「だって良い天気だし」
男「うーん……」
彼女「もっと散歩したい」
男「……うーん」
彼女「君はいつも真面目だし、たまにはいいじゃん!」
男「……じゃ、サボっちゃうか」
彼女「決まり! ね、どこ行く!?」
どこかいつもより彼女のテンションが高い気がした。
内心僕も昂って仕方がないのだけれど。
彼女と今日一日一緒にいられると思うと堪らなく嬉しかった。
今日という日を大事にしようと思った。
8: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:01:29 ID:YT4gzHCs
男「どこ行こうか……そうだな……」
彼女「動物園行きたい!」
男「決断早いな!」
彼女「動物園でいい?」
男「まぁいいけど」
彼女「じゃあ出発!」
男「急かすなよ」
9: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:11:53 ID:YT4gzHCs
男「君さ」
彼女「うん?」
男「よくサボるよね」
彼女「まぁね」
男「出席日数大丈夫?」
彼女「計算してるから平気」
男「勉強の方は?」
彼女「完璧だよ。 知ってるくせに」
男「まぁね」
男「出席しなくてもあんなに出来るんだから、凄いよなぁ」
彼女「へへー!」
10: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:19:25 ID:YT4gzHCs
男「お、動物園の看板が見えた」
彼女「ねぇ」
男「んー?」
彼女「私ね」
男「うん」
彼女「君のことが好き」
男「……え?」
彼女「君のことが好き」
男「す、好きってどういう」
彼女「恋人になって欲しい」
男「え、えっ」
彼女「付き合ってください!」
男「え、えぇ!?」
11: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:25:27 ID:YT4gzHCs
男「い、いきなりだね」
彼女「いきなりじゃない」
男「これがいきなりじゃなくてなんなのさ!」
彼女「二人きりになれるときをどれだけ待ったと思う?」
男「……そういえば今まで二人きりってのは無かったかも」
彼女「無かったよ。 あったらとうの昔に告白してた」
男「……僕が先に告白するつもりだったのに」
彼女「そうなの!?」
男「僕もずっと君のことが好きだった」
彼女「本当!?」
男「……うん、俺と付き合ってください!」
彼女「喜んで!!」
12: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:31:06 ID:YT4gzHCs
男「なんて良い日なんだ……」
彼女「本当に!」
男「え、いつから好きだったの?」
彼女「30年前から!」
男「僕ら19だよね」
彼女「1年前から!」
男「僕と一緒だ」
彼女「そうだったの!?」
男「……もっと早くに告白すればよかった」
彼女「本当だね」
13: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/29(金) 23:45:23 ID:YT4gzHCs
男「……今日からよろしくね!」
そう言いながら彼女を見た。
彼女も僕を見ていて、その目からは涙が流れていた。
男「な、泣いてるの!?」
彼女「う、嬉しくて」
男「……」
泣くほどに僕を好きでいてくれたことが嬉しくて堪らなかった。
つられて、僕も少しだけ目が潤んだ。
男「ど、動物園着いたよ」
彼女「うん!」
15: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 00:45:25 ID:pt0bHJmo
男「キリンの首の骨の数って人間と同じなんだって」
彼女「知ってる」
男「ゴリラって皆B型なんだって」
彼女「知ってる」
男「カバの汗ってピンク色なんだって」
彼女「知ってる」
男「むぅ」
彼女「雑学はどうでもいいよ。 それより君のことが知りたい」
男「僕のこと?」
16: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 00:54:07 ID:pt0bHJmo
彼女「休みの日は何してるの?」
男「えっと……本読んだりツーリングしたり」
彼女「今度バイク乗せてよ」
男「いいよ」
男「君は? 休みの日は何してる?」
彼女「散歩」
男「散歩?」
彼女「そう。 ひたすら歩いてる」
男「楽しい?」
彼女「イマイチ」
男「楽しいことしようよ」
彼女「今楽しいよ」
17: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:00:36 ID:pt0bHJmo
男「座ってて。 飲み物買ってくる」
彼女「私も行く!」
男「いいよ、疲れたろ?」
彼女「疲れてない!」
男「元気だな」
彼女「自販機見っけ!」
男「元気だな」
18: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:02:58 ID:pt0bHJmo
彼女「ねぇ!」
男「何?」
彼女「ソフトクリーム屋だ!」
男「あ、ほんとだ。 食べる?」
彼女「食べる!」
男「じゃ、座って待ってて」
彼女「私も行く!」
男「でも結構並んでるよ?」
彼女「だからこそだよ」
男「?」
19: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:07:29 ID:pt0bHJmo
彼女「君がソフト買いに行ってる間私は一人になっちゃうじゃん」
男「10分ぐらいだよ」
彼女「10分もかかるんじゃん」
男「ふむ」
彼女「私は少しでも君と一緒にいたいの!」
男「……じゃ、一緒に行こうか」
彼女「うん!」
20: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:13:59 ID:pt0bHJmo
男「うーん……」
彼女「んー」
男「……微妙」
彼女「そうだね」
男「なんか、水っぽい」
彼女「でも」
男「でも?」
彼女「いや、なんでもない」
男「?」
21: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:15:50 ID:pt0bHJmo
男「……アイス食ったら腹の具合が」
彼女「え、大丈夫?」
男「ちょっとトイレ行ってくる」
彼女「私も行く!」
男「そんなわけにいくか!」
彼女「むぅ」
男「すぐ帰ってくるから待ってて」
彼女「待ってる」
22: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:25:42 ID:pt0bHJmo
男「ただいま」
彼女「遅い」
男「5分も経ってないよ」
彼女「ねぇ、君はどうして私を好きになったの?」
男「な、なんだよいきなり」
彼女「教えてよ」
男「……一目惚れ」
彼女「へぇー」
男「電車の中で君を見かけて、可愛いなと思って、気付いたら好きになってた」
彼女「ふーん」
23: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:28:27 ID:pt0bHJmo
男「君は? どうして僕を好きになったの?」
彼女「私と目が会った君がなんとなく忘れられなくて」
男「一目惚れか」
彼女「違うもん! 私は好きになるまで時間がかかった!」
男「どれだけ?」
彼女「3日」
男「短い!」
24: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:55:21 ID:pt0bHJmo
僕たちはその後、一日中散歩をした。
お互いのことをたくさん話し、笑いあった。
特別なことは何もしなかったけれど、彼女と歩いているだけで僕の心は嬉しい緊張で満たされた。
一年間、彼女を想う度にやってくる動悸と身体の火照りは辛かったけれど、今日一日で全てチャラになったと思えるほどに幸せな日を過ごした。
25: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 01:58:58 ID:pt0bHJmo
男「そろそろ帰ろうか」
彼女「……うん」
男「どうかした?」
彼女「ううん。 今日はすっごく楽しかった」
男「僕もだよ」
彼女「……あのさ、今晩さ」
男「うん?」
彼女「……や、何でもない。 明日も会える?」
男「もちろん」
彼女「じゃ、また明日ね!」
男「うん、また明日!」
26: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 02:12:03 ID:pt0bHJmo
━━
━━━
━━━━
今日は楽しかった。
楽しすぎた。
本当に告白してよかったのだろうか。
一年間彼を想うのは本当に永くて苦しかったけど、それでも365回といくつかの夜を超えてきた。
今はどうだろう。
たった一晩を超える自信すら無い。
もしこの先彼を失うことがあれば、私は本当に駄目になってしまうかも知れない。
彼と私の想いの募り方は違う。
それはどうしようもないことだ。
彼を失うことが怖くてたまらない。
28: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 22:55:40 ID:xpwMrPLI
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━━━
━━━━
付き合ってから一週間が経った。
僕たちは可能な限り時間を共にした。
彼女と会う時間はとても短く感じられ、あっという間の一週間だった。
幸せ真っ盛りの僕に、しかし一つの懸念があった。
男「あのさ」
彼女「ん?」
男「バイトを始めようと思うんだ」
彼女「えっ!?」
男「君と付き合ってさ、正直もっとお金が欲しいと思った」
彼女「ど、どうして!!」
29: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:04:54 ID:xpwMrPLI
男「恥ずかしい話なんだけどさ、この一週間君とお茶したり映画を見に行ったりして結構お金が足りなくなってきてるんだ」
彼女「だから私も出すとあれほど!!」
男「いや僕が出したいんだ。 だからせめて週三くらいでバイトをしようと思う」
彼女「で、でもそしたら会える日が」
男「休日にはシフト組まないようにするよ。 幸いアテがあるんだ」
彼女「お金かかるデートなんてしなくていいよ! 毎日散歩するだけでいい!」
男「でも僕は君ともっといろんなことをしたい」
彼女「……」
30: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:12:57 ID:xpwMrPLI
男「君を楽しませるいろんな計画があるんだ。 その為にお金が欲しい」
彼女「……」
男「バイト、してもいい?」
彼女「……駄目なんて言えないよ」
男「決まり!」
彼女「……いつから?」
男「明日から」
彼女「早いね」
男「実はもうシフトの曜日も決まってる。 月、火、木はバイトの日になる」
彼女「月、火……」
男「その3日は会えないと思う」
31: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:18:28 ID:xpwMrPLI
彼女「……ねぇ、あのさ」
男「うん?」
彼女「その……一緒に……」
男「なに?」
彼女「……いや、なんでもない」
男「?」
彼女「バイト、頑張ってね」
男「おう!」
32: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:26:14 ID:xpwMrPLI
彼女「ね、君って奥手だよね」
男「は!?」
彼女「明日から二日間会えなくなるじゃん?」
男「ま、まぁ」
彼女「手、繋いでよ」
男「えっ!」
彼女「それで頑張れると思う」
男「お、大げさだな」
彼女「駄目?」
33: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:35:33 ID:xpwMrPLI
男「……」
僕は彼女の手を握った。
彼女「あはは! これじゃ握手じゃん!!」
男「あ、そ、そっか。 こう?」
彼女「うん」
男「……」
彼女「ありがと」
男「……うん」
彼女の手は汗ばんでいた。
軽く言っているようでそうではなかった。
34: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:38:27 ID:xpwMrPLI
━━
━━━
━━━━
今日はバイトの日だ。
そして明日も。
2日も会えない。
でもこれは普通なのだ。
どんなに好き合っていても毎日欠かさず会うなんてことは難しい。
彼との関係を続けたいならば、耐えなくては。
普通でないのは私だけなのだから。
35: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:48:24 ID:xpwMrPLI
電話がかかってきた。
他の誰にも真似できないような速さで私は電話を取った。
彼女「もしもし!」
男「もしもし。 ごめん、寝てた?」
彼女「ううん!」
男「良かった。 少し話せる?」
彼女「うん!」
男「疲れたー!」
彼女「どんなことしたの?」
男「とりあえず今日は物の場所を覚えるのと、皿洗い。 明日はオーダーするからメニュー覚えなきゃならないんだ」
彼女「イタリアンだっけ?」
男「そう」
36: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/05/31(日) 23:59:26 ID:xpwMrPLI
男「何と何の何風パスタだか何野菜の何サラダに何を添えてだかわけがわからん」
彼女「なんかネーミングはフレンチっぽいね」
男「でもピザあるよ?」
彼女「フレンチのピザもあるけど……どんなお店なんだろう」
男「まかないは美味かった。 今度一緒に行こうよ」
彼女「あ、ほんと? 行く行く!」
37: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:14:39 ID:3xxAYamw
男「……ごめんね」
彼女「何が?」
男「僕もずっと好きだったのに、君に先に言わせた」
男「僕もずっと手を繋ぎたいと思っていたのに、君に先に言わせた」
彼女「……」
男「今度は、僕から言う」
彼女「……うん!」
男「……会えない日は、電話していいかな」
彼女「……もちろん!」
男「ありがとう」
彼女「いえいえ!」
38: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:21:12 ID:3xxAYamw
男「今日はもう寝るよ」
彼女「うん。 お疲れ」
男「おやすみ」
彼女「おやすみ」
そうか。
恋人なら、会えなくても電話が出来るんだ。
彼も友達と遊びたい日があるだろう。
実家に帰ることもあるだろう。
会えない日はこれからもたくさんやってくるだろう。
それでも、電話は出来るんだ。
普通じゃない私に、活路が見えた気がした。
39: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:43:01 ID:3xxAYamw
━━
━━━
━━━━
付き合ってから一ヶ月が経った。
初給料が出たので、僕たちは初めての旅行をした。
日帰りだけど。
彼女「見て見てっ!! 綺麗ー!」
男「おー!」
彼女「うーむ……青い……」
男「海って何で青いか知ってる?」
彼女「光の反射と吸収の関係でしょ?」
男「空の青が反射してるからだよ」
彼女「じゃあ空はなんで青いの?」
男「海の青が反射してるからだよ」
彼女「最初の青はどこから来たんだ」
40: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:50:32 ID:3xxAYamw
男「子供の頃こういう話を親から聞かされてね」
彼女「面白い親御さんだね」
男「でも最近知ったんだけど、海の青って空の青も少しだけ関係してるんだって」
彼女「え!」
男「お、初めて僕の雑学で君を驚かせた」
彼女「初めてだっけ?」
41: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:54:55 ID:3xxAYamw
男「君が知らなくて僕が知ってることなんてほとんど無いと思う」
彼女「そんなことないよ」
男「君は頭が良いから」
彼女「私、今の大学ギリギリ入れたんだよ?」
男「え!?」
彼女「C判定だったもん」
男「マジか」
42: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 00:58:18 ID:3xxAYamw
男「じゃあ今の君のトップクラスはどうわけなんだ」
彼女「毎日勉強してるから」
男「どれくらい?」
彼女「10分」
男「短い!」
彼女「あ、魚が跳ねた!」
男「う、見損ねた」
43: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 22:39:51 ID:/S29QbVw
彼女「なんか良い匂いがする」
男「あそこで焼き牡蠣売ってるね」
彼女「むぅ」
生唾を飲む音がした。
男「買ってくるよ」
彼女「私も行く!」
男「はいはい」
44: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 22:45:57 ID:/S29QbVw
彼女「二つ食べていい?」
男「いいよ。 僕も二つ」
彼女「うわっ……美味すぎ……」
男「ほんと……身がプリプリ」
彼女「こんなにグロいのにこんなにグロい美味い」
男「人も貝も見た目じゃないってことだね」
彼女「一目惚れした君が言うの?」
男「君だってそうじゃない」
45: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 22:56:42 ID:/S29QbVw
彼女「私の場合は、一目惚れというには見てる時間が長すぎたかな」
男「僕だって一年間君を見てたよ」
彼女「私だってそうなんだけど」
男「一緒じゃん」
彼女「つまり一目惚れってのは好きになるきっかけのことじゃん?」
男「そうだね」
彼女「初めて見た人をジロジロと長い間観察して、『あぁこの人素敵かもしれない』と思うのは一目惚れって言うと思う?」
男「え……」
彼女「つまりはそういうこと」
46: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:00:33 ID:/S29QbVw
彼女「私とふいに目が合うって、実はあり得ないことなんだよ」
男「なんで?」
彼女「私動体視力が凄いから」
男「?」
彼女「知らない人と目が合いそうになったら、君はどうする?」
男「目を逸らす」
彼女「私だってそうする」
男「何が言いたいのさ」
彼女「私は目を逸らすことが出来たけど、そうさせなかった君は特別だって話」
男「……ふーん」
47: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:07:54 ID:/S29QbVw
彼女「あの頃の私ってさ、感情が無かったんだ」
男「へ?」
彼女「取り戻してくれたのは君だよ」
男「ど、どういうこと?」
彼女「なんでもないよ」
男「なんでもない?」
彼女「ただの厨二病ごっこ」
男「はぁ……?」
48: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:10:52 ID:/S29QbVw
彼女「風が強いねー!」
男「何してんの?」
彼女「TMRごっこ!」
男「HOT LIMIT?」
彼女「ナマ足魅惑のマーメイド!」
男「ちょ、脚をしまえ!!」
彼女「あはははは!!」
49: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:13:29 ID:/S29QbVw
男「誰も見てないだろうな……」
彼女「確認してからやったから大丈夫」
男「まったく……」
彼女「ドキドキした?」
男「ん……まぁ」
彼女「へへ……」
50: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:18:57 ID:/S29QbVw
男「今誰もいないんだな?」
彼女「うん、ここ人気無い」
男「……」
彼女「?」
男「……あの」
彼女「……何?」
男「……目、閉じて」
彼女「……ん」
僕たちはキスをした。
51: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:26:27 ID:/S29QbVw
男「……ごめん、スマートじゃなくて」
彼女「ううん」
男「うわぁー! 俺かっこ悪い!!」
彼女「そんなことないよ。 有言実行かっこいい!」
男「あ……やっぱ覚えてた?」
彼女「うん。 嬉しい」
男「……今度はもっと上手くやるから」
彼女「今の、すごく良かったんだけどな」
男「……」
彼女「でも、次も期待してる!」
男「……よーし!」
52: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:42:05 ID:/S29QbVw
男「そろそろ帰りの電車の時間だ」
彼女「うん」
男「どうだった?」
彼女「すっごく楽しかった! 良い所だね」
男「良かった。 楽しんでもらえて」
彼女「……私もお金出しちゃ駄目?」
男「駄目。 ごめんね、親父にそう育てられてきたから」
彼女「……私は君に何があげられる?」
男「時間と愛情」
彼女「……そんなの私も貰ってる」
男「それでトントン。 僕はお金をあげてるつもりなんかないよ」
男「損したなんてこれっぽっちも思ってない。 だからこれでトントン」
彼女「……そっか」
53: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/01(月) 23:53:37 ID:/S29QbVw
━━
━━━
━━━━
電車に揺られながら隣の彼のことを考えた。
どうしようもなく愛おしく、しかしまた、思いが募るほどどうしようもなく怖くなっていく。
この人はいつまで私の側にいてくれるだろうか。
もしかしたら一生を添い遂げてくれるかもしれない。
私が隠し通していられる限りは。
55: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 22:44:13 ID:uuCAsa26
━━
━━━
━━━━
彼女と付き合ってから三ヶ月。
今日は僕の誕生日だ。
男「ごめん、待った?」
彼女「ものすごく待った」
男「どれくらい?」
彼女「二分」
男「短い!」
彼女「さ、行こ!」
男「うん」
56: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 22:50:20 ID:uuCAsa26
男「どこ行こう?」
彼女「私ね、いろいろ考えたんだけど」
男「うん」
彼女「君の誕生日だから君が喜ぶことをしたいと思った」
男「うん」
彼女「君が喜ぶことってなんだろうってずーっと考えてた」
男「うん」
彼女「わからなかった」
男「うん?」
57: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 22:55:19 ID:uuCAsa26
彼女「だってさー君何しても喜んでくれそうなんだもん」
男「まぁね」
彼女「だからノープラン!!」
男「堂々としてるなぁ」
彼女「でも何もしてあげないってわけじゃないよ!」
男「何してくれるの?」
彼女「何でも! 今日一日君の言うことを何でも聞こう!」
男「ほほう」
彼女「今日はそういう日!」
男「なるほど」
58: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 22:57:25 ID:uuCAsa26
男「何でも……ね」
彼女「う、うん」
男「フッフッフ……」
彼女「な、なんか怖いよ?」
男「後悔することになるぞ……」
彼女「……」ゴクッ
男「じゃあ……」
彼女「……うん」
59: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:02:53 ID:uuCAsa26
男「カラオケに行こう」
彼女「!」
男「前誘ったとき断ったよね。 『信じられないくらい音痴だから』って」
彼女「ちょ、ちょっと待って! 君は音痴とカラオケに言って楽しいの!?」
男「ずっと君の歌を聞いてみたいと思ってたんだー」
彼女「く……」
男「まぁ嫌なら別にいいよ。 どうする?」
彼女「……行く」
男「いいの?」
彼女「男に二言は無い!」
男「男らしい!」
60: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:06:01 ID:uuCAsa26
男「でもほんとに嫌ならいいんだよ? 君が嫌がることを強要したいわけじゃないから」
彼女「ううん。 前は引かれるのが怖いから断っただけ」
彼女「ほんとは私もカラオケ好き」
男「そうなの? 」
彼女「高校生の頃はよく行ってたよ」
男「へぇー」
61: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:12:00 ID:uuCAsa26
カラオケに着き、ドリンクバーで飲み物を取り、僕が一曲歌い、とうとう彼女が歌うときが来た。
彼女「君歌上手いねぇー!」
男「お世辞はいいから早く曲入れなよ」
彼女「……うん」
男「大丈夫、笑わないから」
彼女「むしろ思いっきり笑ってよね。」
彼女「……そいじゃ、行きまーす!!」
男「いよっ!」
彼女「聞いてください、スピッツで『チェリー』」
62: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:24:25 ID:uuCAsa26
凄まじかった。
音は外れ、テンポは走り、強弱は滅茶苦茶だ。
しかし顔を可愛く歪めて気持ちよさそうに歌っている。
そんな彼女を見ていると可笑しくて愛おしくて笑いを堪えることが出来なかった。
彼女「笑うなそこ!!」
男「わ、笑っていいって、言ったじゃん」
彼女「うわぁムカつく!!」
男「つ、つ、続けて」
彼女「……あいーしてーる!!のひーびーきだーけで!!」
男「ひ、ひひ……」
63: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:24:58 ID:uuCAsa26
凄まじかった。
音は外れ、テンポは走り、強弱は滅茶苦茶だ。
しかし顔を可愛く歪めて気持ちよさそうに歌っている。
そんな彼女を見ていると可笑しくて愛おしくて笑いを堪えることが出来なかった。
彼女「笑うなそこ!!」
男「わ、笑っていいって、言ったじゃん」
彼女「うわぁムカつく!!」
男「つ、つ、続けて」
彼女「……あいーしてーる!!のひーびーきだーけで!!」
男「ひ、ひひ……」
64: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:28:55 ID:uuCAsa26
彼女「笑うなって言ったじゃん!」
男「言ってることが間逆だよ」
彼女「くああ……!」
男「でも、すごく可愛かった」
彼女「え」
男「カラオケ来て良かった。 もっと歌ってよ」
彼女「う……」
男「リクエストしていい?」
彼女「う……うん……」
65: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:35:26 ID:uuCAsa26
二時間が過ぎ、退出時間になった。
男「延長!! 延長しよう!」
彼女「えっえっ」
男「いっそフリータイムに出来ないかな……」
彼女「え、君の誕生日こんなんでいいの!?」
男「最高!! もっと歌いたい!」
彼女「……よし、それなら今日はとことん君を楽しませる道化となろう!」
男「そうこなくちゃ!!」
66: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:45:09 ID:uuCAsa26
僕たちはフリータイムを目一杯使い切ってカラオケを後にした。
男「いやー楽しかった!」
彼女「久々に思いっきり歌った!」
男「声ガラガラだ」
彼女「また行こうね!」
男「うん」
67: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/02(火) 23:49:26 ID:uuCAsa26
男「腹減った」
彼女「私も。 ご飯食べに行こう」
男「それなんだけどさ……」
彼女「あ」
男「ん?」
彼女「あれ」
男「……親父狩り?」
彼女「……みたい」
68: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:00:41 ID:GWNMkR9c
男「隠れて警察呼んで。 俺はちょっと行ってくる」
彼女「いいや、私が行く」
男「は?」
彼女「私強いから」
男「冗談言ってる場合じゃない」
彼女「君喧嘩強いの?」
男「したことない。 とにかく隠れてろよ」
彼女「あ、ちょっと!!」
69: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:11:04 ID:GWNMkR9c
男「何してんの?」
チンピラ「あぁ?」
男「カツアゲしようとしてない?」
チンピラ「お前に関係ねぇだろ」
彼女「馬鹿じゃないの?」
男「!?」
チンピラ「……あ?」
彼女「馬鹿だから人様を脅してお金盗るんでしょ」
彼女「馬鹿だから犯罪だって意識も無く、馬鹿だから他にお金を得る手段も見つけられない」
男「お、おい!」
彼女「あんたが盗ろうとしてる二万円を稼ぐのにどれだけの時間がかかると思ってるの?」
彼女「あんたは人様の人生を奪ってるんだ。 馬鹿はそんなことを考えもしないんでしょうね!!」
チンピラ「てめぇ……」
70: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:17:11 ID:GWNMkR9c
駄目だ。
こいつは女だろうと容赦なく殴る。
駄目だ、それ以上煽るな。
男「おい、早く逃げろ!」
彼女「時間がどれだけ重いか分かってるの!? 分かんないならあんたの時間全部捨ててとっとと死ね!!」
チンピラ「お前が死ね」
男「!」
彼女「!」
71: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:30:06 ID:GWNMkR9c
目の前に火花が散った。
視界がグラつき、膝が砕けた。
彼女が怒声を上げている。
彼女が奴に殴りかかろうとしている。
男「止せ!!」
奴は彼女目掛けて真っ直ぐに拳を繰り出した。
彼女の眉間に当たるはずの拳は、彼女をすり抜けた。
チンピラ「!?」
男「……パリング!?」
それも強烈なやつだ。
バランスを崩した奴が転ばぬよう差し出した脚の先には彼女の脚が先回りしており、奴はそのまま地面に顔を叩きつけた。
72: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:37:45 ID:GWNMkR9c
倒れた奴の頭を彼女が踏みつけようと脚を上げた。
かろうじてそれを躱した奴は、鼻を押さえながらそのまま去っていった。
彼女「おじさん、何も盗られてませんか?」
おじさん「あ、あぁ……ありがとう」
男「……」
彼女「お怪我は?」
おじさん「大丈夫だ。 な、何かお礼を……」
彼女「結構です。 私達これからデートの続きをしますので!」
おじさん「……そうか。 じゃあまた会えたらそのとき改めて礼を」
彼女「はい。 気をつけてくださいね!」
おじさん「あ、あぁ」
73: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:44:29 ID:GWNMkR9c
彼女「大丈夫?」
男「……なんて危ないことをするんだ」
彼女「……ごめん」
男「謝ってほしいわけじゃない」
彼女「……男が殴られてカッとなって」
男「その前から君は奴のことを挑発してただろ?」
彼女「挑発じゃなくて……ただただ頭に来たから……」
彼女「ごめん……私のせいで君が殴られちゃって……」
男「……」
74: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:49:29 ID:GWNMkR9c
彼女「……私なら勝てると思ったからあのおじさんを助けたいと思った」
彼女「でも、冷静になってみれば君がそんなの許すハズがないよね……」
男「……」
彼女「君が私を庇って殴られることも予想できたハズだった」
彼女「私の思慮不足でした。 ごめんなさい」
男「……僕が殴られたことはどうでもいい。 問題は君が殴られそうになったことだ」
彼女「わかってる。 ごめんなさい」
男「……はぁ」
75: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 00:51:58 ID:GWNMkR9c
男「……格闘技かなんかやってたの?」
彼女「ううん」
男「それにしては強すぎない?」
彼女「動体視力が凄いから」
男「……」
彼女「……」
男「……ま、何にせよ君に怪我が無くてよかった」
彼女「……ごめんね」
男「もういいよ」
77: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 22:51:33 ID:GWNMkR9c
男「腹減った」
彼女「そういえばご飯の話してたね」
男「それなんだけどさ」
彼女「うん」
男「今日は君が何でも言うことを聞いてくれるらしいからさ」
彼女「うん」
男「ご飯作って!」
彼女「えっ!!」
男「君の手料理が食べたい!」
彼女「え、ほんと!?」
78: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 22:54:24 ID:GWNMkR9c
男「駄目?」
彼女「作る作る!」
男「やった! じゃ、スーパー行こう!」
彼女「何が食べたい?」
男「んー……唐揚げ」
彼女「よし来た。 他には?」
男「ネギたっぷりの味噌汁」
彼女「うんうん」
男「あ、あとアイス食いたいな」
彼女「アイス!?」
男「無理?」
彼女「まぁ作れるけど」
男「やった!」
79: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 22:57:45 ID:GWNMkR9c
彼女「やった、鶏肉安い」
男「これ安いのか」
彼女「普段スーパー行かないの?」
男「コンビニ弁当食べてるからな」
彼女「身体壊すよ!」
男「まぁ改善しなきゃとは思ってる」
彼女「私がご飯作ろうか?」
男「え?」
彼女「あ、いや……」
男「え、何毎日飯作ってくれるってこと?」
彼女「……君が望むなら」
80: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:04:34 ID:GWNMkR9c
男「それってさ」
彼女「……うん」
男「弁当? それとも……」
彼女「……お好きな方で」
男「……え、まさか同棲してくれるの!?」
彼女「き……君が良ければ……」
男「……や、やったぁ! ま、マジで!?」
彼女「うん……!」
男「夢みたいだー……」
81: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:14:29 ID:GWNMkR9c
彼女「まさかこんなに早く一緒に住めるとは思わなかった……」
男「俺だって……部屋に呼ぶのも今日が初めてなのに……」
彼女「こんなに幸せでいいんだろうか……」
男「駄目ってこたーないだろう」
彼女「私さ、所謂『普通のカップル』のペースを守らなきゃと思ってたの」
男「あ、俺も」
彼女「いろんなことを『まだ早いかな』って我慢してきたんだ」
男「俺も俺も」
彼女「でもお互いそう思ってるなら、それって意味無いよね」
男「全くだ」
82: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:18:48 ID:GWNMkR9c
一人称間違えたwww
彼女「私、君で良かった」
男「うん、僕もそう思う」
彼女「こうやって君と買い出しとかずっとずっと憧れてたんだ」
男「良いよね」
彼女「したいことならまだまだ山ほどある」
男「僕も」
彼女「ちょっと欲張ってもいいかな?」
男「いいよ。 僕もいい?」
彼女「いいよ!」
83: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:23:53 ID:GWNMkR9c
抽出したらちょいちょい間違ってんな
男「ここが僕んち」
彼女「年季の入った建物だねー」
男「ここの四階。 もちろんエレベーターは無い」
彼女「一番上は気持ち良いね」
男「そう来るか」
84: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:32:17 ID:GWNMkR9c
彼女「おじゃましまーす」
男「次からは『ただいま』ね」
彼女「わぁ……」
男「どう?」
彼女「意外と片づいてる」
男「意外とってなんだ」
彼女「というより物が少ない。 本とギターしかない」
男「まぁね」
彼女「調味料使われた形跡がほとんどないんだけど」
男「そりゃ使ってないのに使われた形跡があるわけない」
彼女「そう」
85: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:35:13 ID:GWNMkR9c
彼女「ギター弾くなんて聞いてない」
男「言ってなかったっけ?」
彼女「ちょっと傷ついた」
男「僕も自分がギター弾くことを忘れてたんだよ」
彼女「なにそれ」
男「ずっと弾いてないんだ。 賃貸だと音出せないし」
彼女「なんとかならない? 聞きたい」
男「今度ヘッドホン買ってくるよ」
彼女「やった!」
86: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:38:59 ID:GWNMkR9c
彼女「じゃ、すぐ作るよ」
男「手伝うよ」
彼女「いい。 座ってて」
男「いいの?」
彼女「男子厨房に入るべからず」
男「ワンルームなんだけど」
彼女「じゃあこの辺からこっちは入っちゃ駄目」
男「トイレどうやって行くんだ」
彼女「うーむ」
男「早く作って」
彼女「はーい!」
87: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:45:18 ID:GWNMkR9c
彼女「先サラダ食べてて」
男「お、美味そう!」
彼女「あとこんなの買ってきた」
男「ビールだ!」
彼女「とうとう飲酒が合法になったね!」
男「会計したの君じゃん。 非合法」
彼女「罪に問われるのは売った方じゃなかったっけ?」
男「確か」
彼女「じゃあ私が口を割らない限り誰も罪に問われることはない」
男「まぁそうかな」
彼女「拷問されたって言わないよ」
男「味噌汁沸騰してない?」
彼女「あ、大変!!」
88: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:51:24 ID:GWNMkR9c
彼女「出来たよー!」
男「うわ、美味そー!!」
彼女「召し上がれ!」
男「いただきまーす!」
彼女「私もいただきまーす」
男「!!」
彼女「……どう?」
男「……滅茶苦茶美味い」
彼女「ほんと?」
男「今まで食った唐揚げの中で一番かもしれない」
彼女「お、大げさだな……」
男「ごめんお袋……お袋の唐揚げは二番目になってしまった……」
彼女「……嬉しい」
89: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/03(水) 23:55:39 ID:GWNMkR9c
男「君もビール飲まない?」
彼女「未成年に飲酒を勧めるのは罪に問われるよ」
男「拷問されたって言わないんだろ」
彼女「じゃ、少しだけ」
彼女「……ほんとにこの部屋に私が来ても大丈夫?」
男「あぁ……ちょっと狭いかな」
彼女「私は全然いいんだけど」
男「僕も全然いいんだけど……そうだな」
90: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:02:03 ID:PD2aNdPo
男「……引っ越そう」
彼女「え!?」
男「少し駅から遠くなるけど、友達が住んでるアパートさ、家賃は変わらないのに少し広いんだ」
彼女「へぇー」
男「一つ部屋も増えるし」
彼女「でも引っ越すのお金かかるよ。 私はここでも平気だよ」
男「幸い荷物は少ないし、軽トラ借りれば引っ越し代はそんなにかからない」
彼女「でも新しいとこ借りるとなれば敷金礼金とかかかってくるでしょ?」
91: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:06:37 ID:PD2aNdPo
彼女「私、ほんとにここでいいんだよ。 君となら四畳半でだって苦じゃないから」
男「僕だって君となら二畳だって構わないんだけどさ」
彼女「さすがに二畳は行き過ぎだよ」
男「四畳半だって大概だよ。 まぁそれは置いといて」
男「お金の当てがあるんだよねー」
彼女「え、まさかバイト?」
男「うん」
92: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:16:13 ID:PD2aNdPo
彼女「……」
男「山小屋に泊まり込みのバイトの話が来てるんだ」
彼女「と、泊まり込み!?」
男「うん。 二週間」
彼女「に、二週間!!?」
男「行ってきちゃ駄目かな? それで広い部屋に引っ越せる」
彼女「わ、私は別に今の部屋で」
男「僕は君に不自由な生活をさせたくないんだ」
彼女「う……」
93: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:19:56 ID:PD2aNdPo
彼女「二週間……二週間……」
男「……電話も通じないみたい」
彼女「えっ!!?」
男「……」
彼女「……」
男「……」
彼女「……私も行く」
男「え!?」
彼女「私も山小屋でバイトする!!」
男「えぇ!?」
94: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:26:57 ID:PD2aNdPo
彼女「そもそも私だってずっとバイトして、デートのお金は折半したかったんだ!」
男「い、いやそれは」
彼女「親父さんの教えでしょ? そんなの知らない! それは君のエゴだよ!」
男「で、でも」
彼女「こんなに良くしてもらってるのにお金も出せない私の気持ちも考えて!!」
男「う……」
彼女「あ、いや非難してるわけじゃないの! 君のそういう所も好き! でもさ」
男「……うん、ごめん」
彼女「あ、いやあのね……」
男「……確かに他にもバイトしたい奴がいたら声かけてって言われてる」
彼女「……じゃあ!」
男「うん。 一緒に行こう」
彼女「! ……やったぁ!!」
95: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:30:26 ID:PD2aNdPo
彼女「よ、良かったぁ……」
男「なんか震えてない?」
彼女「少しクーラー強いかも」
男「あ、ごめん」
彼女「ごめんね」
彼女「……山小屋のバイトの後の話なんだけど」
男「うん」
彼女「君がバイトの日、私もバイトしていい?」
男「いや、それはして欲しくない」
彼女「……」
96: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:36:02 ID:PD2aNdPo
男「バイトして帰ったときにさ、ご飯用意して待ってて欲しいんだ」
彼女「!」
男「帰ったときに電気が付いててご飯が用意されてて、君が待ってる」
男「そんな生活が出来たらどれだけ幸せだろうと思うんだ」
彼女「む……」
男「君が居心地の悪さを感じてるのはわかった。 だから今言った生活を叶えてくれないかなって」
彼女「……そんなんでいいの?」
男「それをしてくれたら今度は僕が負い目を感じるくらい嬉しい」
彼女「……やらせていただきます!」
男「やったぁ!!」
彼女「半端な料理は絶対出さないから!」
97: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:46:18 ID:PD2aNdPo
男「……」
彼女「……」
無言の空気が流れ、僕たちは見つめ合い、どちらからともなくキスをした。
初めてした日から会う度にしてきたキスだったけれど、今回のは今までのそれとは明らかに違うものだった。
男「……いい?」
彼女「……今日はなんでも言うこと聞くって言ったじゃん」
男「……そうだったね」
彼女「あ、でも電気だけ消させてほしい……」
男「うん……」
98: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:50:20 ID:PD2aNdPo
電気を消し、僕たちは抱き合った。
暗闇の中見えるものは何もなく、聞こえるのは僕の荒い鼻息と、彼女が鼻を啜る音。
僕の肩に温かいものが落ちた。
彼女は泣いているようだった。
僕は優しく抱きしめようとしたが、彼女は強く、強く僕を抱きしめた。
99: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 00:55:26 ID:PD2aNdPo
━━
━━━
━━━━
男「綺麗だねー……」
彼女「ほんと、山の星空ってすごい……」
私達は山小屋にバイトに来ていた。
初めの二日は驚くほど混んでいて目まぐるしく働いたけど、3日前から雨が降り続き、客足はパッタリと途絶えていた。
することが無ければ基本的に自由らしく、私達はのびのびと散歩デートを楽しんだりした。
101: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:01:48 ID:PD2aNdPo
男「寒い?」
彼女「少し」
男「毛布出す」
彼女「うん」
私達は毛布に一緒に包まってコーヒーを飲みながら星を見た。
粉砂糖を振りかけたような星空は果てしなく壮大で、多分そんなに長くはないのだろうけど私は時間を忘れてそれを眺めた。
男「オリオンの左肩」
彼女「ベテルギウスだね」
男「もう無いかも知れないんだって」
彼女「知ってる」
102: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:05:08 ID:PD2aNdPo
男「ベテルギウスってどれくらい離れてるんだっけ?」
彼女「640光年くらい」
男「遠いねー」
彼女「見えてる恒星の中では滅茶苦茶近いらしいけどね」
男「それが爆発するかもしれない」
彼女「爆発してるかも知れない。 600年くらい前に」
男「600年くらい前に爆発しててくれれば多分生きてる内に見られるね」
彼女「見たいね」
103: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:17:30 ID:PD2aNdPo
男「640光年ってすごいよなー」
彼女「そうだね」
男「ベテルギウスから地球に光が届くまで、およそ僕らの人生八回分。 果てしないね」
彼女「……うん」
男「昼まであった雨雲もすごく遠く見えるけど、その規模で考えればもう触れてるに近い距離だ」
彼女「うん」
男「君と僕との距離なんてさらに近い。 もう0とみなしてもいい」
彼女「今日はやたら恥ずかしいことをペラペラ喋るね」
男「君はそういう気分にならない?」
彼女「……なる」
104: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:22:36 ID:PD2aNdPo
ベテルギウスから地球に光が届く時間よりも長く、君と一緒にいたい。
その時間は一人で生きるなら絶望でしかない。
でも君と生きるなら、それはとんでもなく楽しい旅となる。
その狭間にいることが、恐ろしくて堪らなかった。
105: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:25:12 ID:PD2aNdPo
━━
━━━
━━━━
彼と付き合って一年目。
今日は特別豪勢な料理でお祝いだ。
男「ただいまー」
彼女「おかえりー!」
男「腹減った!」
彼女「出来てるよー!」
男「お、美味そう!!」
彼女「ビールもあるよ!」
男「素晴らしい!」
106: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:28:11 ID:PD2aNdPo
彼女「君と付き合って一年かー……」
男「もう一年かー……」
彼女「……」
男「大好きだ」
彼女「な、なにさいきなり!」
男「改めて言っとこうと思って」
彼女「……私も、大好き」
男「へへへ」
彼女「えへへ」
107: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:34:45 ID:PD2aNdPo
男「あのさ、話がある」
彼女「……?」
男「留学の話が来ている」
彼女「え……」
男「ドイツに一年間」
彼女「い、一年?」
視界がグラついた。
彼女「い……行くの?」
男「行きたいと思っている」
視線が定まらない。
駄目だ。
倒れちゃいけない。
108: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:38:56 ID:PD2aNdPo
男「……待っててくれないか」
送り出さなくては。
彼のことを本当に思うなら、送り出さなくては。
彼女「……もちろん待ってるよ」
彼女「たった一年だもんね。 行」
胃が捩じ切れそうだ。
彼女「ん……」
男「ど、どうした?」
彼女「な、なんでもない」
109: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:42:55 ID:PD2aNdPo
まずい。
彼女「ご、ごめん!!」
男「!?」
私はトイレに駆け込み、今しがた食べたものを全て吐き出した。
胃が空っぽになってもまだ痛みと吐き気は止まらない。
男「おい、どうした!?」
男「大丈夫か!?」
110: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:48:02 ID:PD2aNdPo
どれくらいの時間が経っただろうか。
そんなに経っていないのだろうけど。
トイレから出ると、彼は電話をかけようとしていた。
男「い、今救急車呼ぶ!」
彼女「いいから」
男「いいわけないだろ!!」
彼女「大丈夫だから!!」
彼の携帯をはたき落とした。
111: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:51:45 ID:PD2aNdPo
彼女「なんでもないの!」
男「なんでもないわけあるか!! 吐いたんだぞ!!」
彼女「体調が悪かっただけ!」
男「さっきまで唐揚げ食いまくってたのにか!? 携帯を寄越せ!」
彼女「違う、違うの」
男「何が違うんだ!」
彼女「これには理由が」
男「理由……?」
彼女「……!」
しまった。
112: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 01:55:15 ID:PD2aNdPo
男「教えてくれ」
彼女「な、何を?」
男「何かあるんだろ?」
彼女「な、何もない」
男「何もなくて吐くか!」
彼女「ちょ、ちょっとショックを受けたから」
男「それはわかる。 俺が知りたいのはそんなになるまでショックを受けた訳だ」
彼女「だ、だって一年は長いから」
男「誤魔化すな」
113: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:08:21 ID:PD2aNdPo
男「君の振る舞いには前から違和感を覚えていた」
彼女「ど、どこが」
男「……具体的にはわからない」
彼女「だから何もないんだって!」
男「君が言うまで君から離れない。 留学も行かない」
聞いた瞬間、膝から砕けてしまった。
『言わなければ留学に行かないのだ』という考えが過って安堵してしまった。
私にとってそのプロセスを経るのは短くはなかったが、彼には一瞬だっただろう。
彼はますます確信したハズだ。
男「やっぱりおかしい。」
114: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:13:14 ID:PD2aNdPo
彼女「ち、違う……君には言えないの……」
言いながら、言ってることがおかしいことはわかってた。
私はもう観念したのだ。
男「僕には言えない? どういうこと?」
彼女「い、言ったら君は離れてしまうから……」
男「……君は僕を裏切るようなことをしてるようには見えなかった」
彼女「う、裏切るなんて!」
男「だよね。 じゃあ大丈夫だから話してくれない?」
彼女「……はい」
彼女「……あのね」
115: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:19:37 ID:PD2aNdPo
━━
━━━
━━━━
彼女「私は高3の冬、車に轢かれた」
男「……」
彼女「走馬灯ってよく言われるけど、あれみたいな現象が私を襲った」
彼女「周りがスローモーションになって、『あぁここで死ぬんだ、生きたりないな、まだ処女なのに』なんて思った」
男「……」
彼女「私を轢いた車はゆっくりと走り去った」
男「そ、それって轢き逃げじゃ」
彼女「そうだね。 でも身体はどこも痛くなかったし、何より試験に遅れるのが嫌だったから何も無かったことにして歩き出そうとした」
116: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:24:49 ID:PD2aNdPo
彼女「センター試験の日だったんだ。 普段なら即警察に連絡してただろうけど、あのときの私にその判断力は無かった」
彼女「脚が動かなかった」
男「え!?」
彼女「脚も動かなかったし、周りも動かなかった。 いや、よく見れば少しずつ少しずつ動いていた」
彼女「走馬灯のスローモーションが、治らなかったんだ」
男「……!」
117: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:32:31 ID:PD2aNdPo
彼女「必死な受験生って怖いね。 そんな状況なのに、私はセンター試験を乗り切った」
彼女「考える時間は山ほどあった。 おかげで私は発狂しそうになりながらも今までにない高得点を叩き出したよ」
彼女「帰ってからストップウォッチを見て、自分の体感時間との差を見てみた」
彼女「私が30秒数えている間に、ストップウォッチは1秒しか進まなかった」
男「……!!」
118: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:39:23 ID:PD2aNdPo
彼女「今度こそ私は発狂した。 親が駆けつけて私を取り押さえて、病院に連れて行った」
彼女「病院でも私が発狂した原因には気付けなかった。 受験のノイローゼとして処理された」
彼女「その頃私がちゃんと喋れてたらまた違ったのかも。 でも30分の1のスピードの世界で、私は喋るどころか聞き取ることも出来なかった」
119: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:47:55 ID:PD2aNdPo
彼女「でもすぐに正常に戻った。 客観的には」
彼女「皆にとっての3日は私にとっての3ヶ月だからね」
彼女「死のうとしたって、死ぬ準備に1時間かかるなら私にとっては30時間。 その間にいろいろ考えて怖くなる」
彼女「もし普通の人は一瞬の痛みで死ぬとしても、私には30倍の長さの痛みがあるんだ」
彼女「未遂ならいろいろしたけどどれも達成は出来なかった」
120: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:53:20 ID:PD2aNdPo
彼女「そのうち何も感じなくなった」
彼女「周りの人にとっては多分一週間くらい」
彼女「週間ってのは恐ろしいもので、それでもそれまでの生活は続けられた」
彼女「入試はなんなくパスして、大学にも通い始めた」
彼女「そこで、君に会った」
121: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 02:57:58 ID:PD2aNdPo
彼女「君がこっちを見てるのを視界の端で捉えて、なんとなく私もそっちを見た」
彼女「多分それから君が目をそらすまで3秒くらいだったと思う」
彼女「私にとっては90秒。 そんなに長い間男の人と目を合わせたのは初めてだったから、すごくドキドキした」
彼女「何も感じなくなってたハズの私がドキドキしたんだ」
彼女「それから感情が私に戻り始めた。 新生活が楽しく感じられてきた」
彼女「同時に、どうしようもなく辛かった」
122: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:01:53 ID:PD2aNdPo
彼女「90分の講義は私にとっては2700分。 45時間だ」
彼女「また発狂しそうになったけれど、君のことを考えると不思議と落ち着いた」
彼女「代わりに動悸と身体の火照りに悩まされたけど」
彼女「一年間、ずーっと君のことを見て、耐えきれなくなって告白した」
彼女「そこから先は君も知ってる通り」
男「……」
125: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:15:48 ID:PD2aNdPo
なんてことだ。
付き合ったとき、彼女が泣くのも当たり前だ。
30年の想いが届いたのだから。
僕がバイトをするのも嫌がったのも当然だ。
彼女にとっては毎週合計3ヶ月間孤独な時間を過ごすことになるのだから。
山小屋のバイトの二週間は60週間、一年以上。
彼女「不思議なもので、君と付き合ってない30年間を耐えきったのに、君と付き合ってからは一晩耐えるのさえ辛かった」
一晩。
12時間としても、15日間。
126: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:19:44 ID:PD2aNdPo
彼女「……嘘みたいでしょ」
嘘だなんて有り得ない。
彼女に対して抱いた全ての違和感に合点がいった。
そして、僕がしてきたことの残酷さに気付いた。
男「僕は……なんてことを……」
彼女「……君は絶対そう考えると思った」
男「……」
彼女「……君は優しいから」
優しいだなんてとんでもない。
僕が切り出した留学は一年間。
つまり30年間。
127: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:22:09 ID:PD2aNdPo
男「……留学は、しない」
彼女「……君ならそう言うと思った」
男「……」
彼女「……行ってきて。 まともじゃない私の為に人生を我慢することない」
君はどうなんだ。
普通の恋人を演じる為に、いったいどれだけの我慢をしてきたんだ。
男「……しないったらしない」
彼女「……男」
128: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:26:33 ID:PD2aNdPo
彼女「……私と別れて」
男「……絶対に別れない」
彼女「……優しい君には、私は重すぎる」
彼女「君は私の時間に合わせようとする。 一日会わないなんてことはこの先絶対しないでしょう」
そうとも。
絶対にしない。
彼女「君は優しいから、この先全ての時間を私と過ごそうとする」
彼女「今も私の為に留学をやめようとしている」
彼女「君の人生を台無しにしてしまう」
違う。
129: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:37:50 ID:PD2aNdPo
男「違う!!」
男「僕の人生を君が決めるな!!」
男「僕が一番したいことは留学なんかじゃない!」
男「君と一生を添い遂げることだ!!」
彼女「!?」
男「留学したいのは一流の仕事をしたいからだ。 一流の仕事をしたいのは、良い人生を送りたいからだ」
男「でも、どんな仕事をしたって君がいなければ良い人生なんて有り得ない」
彼女「……!」
男「逆に、君がいれば何をしたって良い人生になり得るんだ!」
彼女「……そ、それなら」
130: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:43:13 ID:PD2aNdPo
彼女「わ、私、待つよ。 一年間」
彼女「良い仕事人になって、尚かつ私が居れば最高なんでしょ?」
男「一年じゃないだろ、30年だ」
彼女「う……」
男「30年も君を放っといたら、僕は幸せになれない」
彼女「……」
男「僕の20年は軽くない。 だから、30年の重みもわかる」
男「そんな時間恋人をほっとくのは男じゃないって親父に育てられたもので」
彼女「……そんなピンポイントな教育があるかい」
131: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:46:55 ID:PD2aNdPo
男「もっと早くに言って欲しかった」
彼女「……ごめん」
男「……もっと早くに気づけばよかった」
彼女「……無理だよ」
男「こうして重い話をしている時間も、君には途方もない時間なんだろう」
彼女「……」
132: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:50:32 ID:PD2aNdPo
男「だから、僕は今この瞬間から一生君を楽しませることに全力を尽くす」
彼女「!?」
男「それは、ひいては僕が一生を全力で楽しむことに繋がる」
男「もう君を待たせない」
男「結婚して欲しい!!」
彼女「えっ……」
男「聞こえなかった?」
彼女「聞こえた聞こえた!!」
133: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:52:46 ID:PD2aNdPo
男「……返事は?」
彼女「……学生結婚かぁ」
男「いいでしょ?」
彼女「……嬉しいっ…………!!」
男「あ、あぁ泣いた!」
彼女「な、涙がとまらない」
男「……好きなだけ泣きなよ」
134: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 03:59:10 ID:PD2aNdPo
男「寿命まであと60年くらいかな」
彼女「そうだね」
男「じゃ、あと1800年よろしく!」
彼女「あと60年よろしく!」
男「大好きだ」
彼女「私も」
僕たちは、同じ時間を生きてゆく。
fin
135: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 06:36:01 ID:wevyJ7ss
30年前から好きってのはジョークじゃなかったんだ
面白かったよ
136: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 07:40:20 ID:G9ihElnI
昔襲われたとかじゃなくてよかった。けど体感時間がずっと長いのはヘビーだな
面白かった。後日談読みたいなあ
137: 以下、名無しが深夜にお送りします 2015/06/04(木) 07:45:18 ID:G9ihElnI
ふと思ったが初体験の痛みも人よりも30倍続くんだから強く強く抱きしめたって書くのは納得だわ
・SS深夜VIPに投稿されたスレッドの紹介でした
男「賢くて強くて早口な彼女」
・カテゴリー男「」女「」のSS一覧
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