1: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:00:58 ID:EC3
ドラマとかは美化しすぎだろうけどひたすらショボかったって説もうさん臭くてもう訳わかんね
転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1433844058/
実は創作・嘘な歴史上のエピソード挙げてけ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4887516.html
合戦


2: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:01:38 ID:5hX
刀でヤァヤァ!



33: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:48:33 ID:O0E
>>2
武器は木槌だったりとにかく殴れるものなら何でも
刀持って戦ってたのは武士
当時の兵士は大半が農兵だから



3: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:01:41 ID:7B4
衝撃波が飛び交ってるよ



4: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:02:35 ID:2RL
やらせでやってたのもあるらしいよ
周りの国に攻め込まれないように、隣国と協定の上で小競り合いやって、武力を示威するとか



5: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:03:23 ID:cLO
けっこうサボってたんじゃないかな



6: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:03:28 ID:eoN
馬は日本の固有種だったからもっと小さくて走るのも余り速くなかったって話は聞いたこと有るな。



10: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:06:28 ID:nSq
まあ騎馬戦闘は無かったキリッとか刀は役立たずドヤァはさすがに無いだろうな
>>6
モンゴル馬と同じ種類なので、乗馬戦闘は問題なくこなせるよ



7: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:03:45 ID:u0v
薩摩兵は討ち取った兵隊の肝を食ってたらしい・・・



8: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:03:50 ID:XfH
お弁当食べてたんだろ?



31: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:47:27 ID:O0E
>>8
干飯(ほしいい)を水で戻して食べてた
あとは味噌を固めたものとか



9: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:04:53 ID:2RL
西洋の戦争はきっついぞ
まず鉄の鎧なんだけど、敵の血でどっろどろになるでしょ
で、どうやって洗うかだけど、周りに水が無い。だから鎧に小便とかその辺の土を入れて・・・



11: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:10:31 ID:mFP
ドラマだと桶狭間に向かう時、歩兵が走って信長に付いていくけど超人だよな



12: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:22:38 ID:2bv
戦闘よりもあいつら移動力が異常
山あり谷ありの地形で当然舗装なんて無くて
クソ重い具足着て足元もワラジなのに一日40kmとか移動するんだぜ



13: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:25:45 ID:nSq
>>12
1日40キロなんてできたのは北畠顕家だけじゃね?秀吉ですら無理だった



14: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:27:52 ID:5Un
人以上の体格で40km/hくらいのスピードで突っ込んでくるなんて恐ろしい
馬に轢かれたらどうなることやら



19: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:31:26 ID:SVA
>>14
近代以前の乗馬突撃の速度って20kmくらいやで
19世紀にヨーロッパで必死こいて品種改良してようやく30km超えたくらいや
分かりやすく言うとチャリンコ座り漕ぎと立ち漕ぎくらいの速度やな



28: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:44:17 ID:5Un
>>19
マジか

人馬ひっくるめて重武装だろうから速さを抑えてみたが、そもそもスピードが出ないのか



35: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:51:01 ID:O0E
>>28
戦国時代の騎馬武者って、乗馬した上級武士がいて
その周りに馬の世話したりする徒士が三人ついてるとかだから
騎馬武者が突っ込んで激突するのって確か創作のはず



37: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:51:52 ID:4n1
>>35
そうだね
基本エライ人と家臣の組で戦うよね
それを変えたのが信長云々



39: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)20:02:10 ID:nSq
>>35
長篠の戦いの時の史料で織田徳川軍が武田騎兵に警戒してるので無かったとは言い切れないよ
他の同時代の史料や軍記にもチラホラ騎兵の記述があったりするし
それに古代や鎌倉時代は明らかに騎兵単独での編成や戦闘が存在してたから
いくら馬上戦闘が減ったからって全く消滅することは無いんじゃないかな



15: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:28:21 ID:imB
まあ昔の人ってすげえ歩けるイメージはあるよな



16: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:29:47 ID:ZNX
医療はどうだったんだろ?
ローマ兵は簡易手術キット持ってて頭蓋骨骨折くらいならその場で麻酔なしの外科手術やってたらしいけど



17: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:31:01 ID:PwY
>>16
ションベンかけたり馬の糞を患部に塗ったりしてた



21: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:35:03 ID:ZNX
>>17
消毒しかせんのか
失血死多そうだなぁ



22: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:35:30 ID:0Gg
>>21
破傷風とかのが厄介



27: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:44:06 ID:PwY
>>21
昔はどちらかというと膿ませて傷を膿と一緒に出して治そうという考え方だったからね。
さらに馬は戦場で物凄い速さで動き回ってたから馬には凄い生命力があるから馬から出される馬糞を塗ることでその生命力が受け継がれると考えられてたりもした
失血死に関しては患部に直接馬糞塗ってやったりしてたからそれでなんとかなったんじゃないかな



18: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:31:10 ID:bUw
やぁやぁ我こそは~みたいなのって割りと初期に馬鹿らしくなって廃れたらしい



23: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:35:59 ID:nSq
>>18
そもそも敵に名乗って1騎ずつ前へーってのは物語に僅かに登場するだけなので最初からまともな戦争ではやってない
戦闘中の味方との位置確認や戦果確認時の証人を作るために名乗ったりするのは戦国末期までやってた とのこと



20: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:33:38 ID:0Gg
厄介なのは糞塗りつけた矢



25: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:41:13 ID:EC3
戦国時代の携帯食料が結構美味そうに見えてしまう
梅肉の玉とか兵糧丸とか 
兵糧



30: 吉衛門マークⅡ◆CnB9oCVY0H36 2015/06/09(火)19:44:41 ID:jfv
盾は使わないイメージだけど、加工した木の板や竹束のように「置く」タイプの盾は普通にあるよなぁ
まぁ設置した盾が小型ならそのまま持ち上げて突撃、も出来そうだが



34: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:50:01 ID:nSq
片手で持てる程度の盾って防御力には限界があるし長物が使いにくくなっちゃうからな
防御は身につけた鎧と置盾や地形に任せて腕は攻撃に特化させたほうが効率良かったんだろうな



38: 吉衛門マークⅡ◆CnB9oCVY0H36 2015/06/09(火)19:56:12 ID:jfv
>>34
あー、そのあたり割り切ったほうが効率がいいか
流れ矢レベルなら普通の鎧で十分対処できそうだし



36: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)19:51:03 ID:vck
石とかガンガン投げてそう



42: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:08:21 ID:Obw
>>36
実際の戦闘で一番多かった死傷率は石や弓後半では鉄砲など次に槍
実際の戦闘でもあまり馬は使われなかった
ほとんど遠距離武器のチキンレース 刀は首狩りにしか使われない
接近戦でも槍が主流
後戦国最強は島津じゃぁー



43: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:14:23 ID:O0E
>>42
いくさで実際に使われた槍は、とても長い槍で、騎乗から遠心力を利用して敵の雑兵の脳天にバコンと一撃食らわせて
脳震盪起こさせてから、顎に槍の先の方を引っ掛けて、遠心力で遠くへ吹き飛ばす、という使い方だったらしいね
騎馬武者や徒士の武士が槍で相手を突き殺す、といった方法ではなかったんだとか
だから槍使いは膂力が全てだったとか
死因も脳をぶん殴られた事によるものだったはず



44: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:17:32 ID:Obw
>>43
これは自論だが 一度刺し貫いてしまったら騎乗で死体を抜くのが大変でそれどころじゃないと思う



45: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:19:59 ID:VAT
>>44
そもそも騎馬って騎乗戦闘してヒャッハーするものじゃなくて移動手段だからね。
戦地まで馬で移動して、ある程度のところで降りて、後は隊列整えて走って戦ったといわれてる。
ようするにバイク的な扱い方をしていた。



47: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:22:13 ID:O0E
>>44
そういう事だろうね
それに騎乗してるから敵を斬りまくって刃がやられても取り換える余裕がないし
実際のいくさの時って、刀が使えなくなったら死んでる武士のを奪って使うとか
そんなような世界だったとかって話を聞いた事がある



46: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:20:25 ID:k8V
前田慶次みたいに一騎駆けみたいなのは無かったんかなぁ…

なんか寂しい…
刑事



57: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:34:28 ID:dKS
なんだかんだで名のある武将クラス以外は
それほどの死闘を繰り広げていたわけじゃないんだろうなって思う



64: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:44:10 ID:O0E
>>57
首を取ると褒美が出るって事で、本気で戦ってる連中もいた
討ち取った敵の首を入れておく籠を背負ってたんだっけ?
いくさが終わるとその首を川に行くかして綺麗に洗って
首実検で幾つ敵を倒したからって事で褒美を貰ってたんだとか
現代人の感覚だと想像のつかない世界だよ



65: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:46:05 ID:Obw
>>64
戦の後で首を切り落としたと思う 
かごで首を運んでるのは足軽



59: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:37:04 ID:dKS
耕作シーズンには戦の人手が足りず一時休戦とかだったらしいし



60: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:37:27 ID:jRD
鉄砲隊の三列射撃も後世に創られた逸話



63: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:40:46 ID:Obw
>>59
そこをいち早く変えたのは織田信長大量の金銭で傭兵をかき集めそれにより
長期の籠城戦などの戦もできるようになった
>>60
実際は一列目に射撃がうまい人を並べそれより後ろは弾込め要員でうまく回していたらしい



70: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:51:13 ID:ZaP
小汚さはタ○ムスクープハンターのイメージ
>>60
二段打ちや交代で打つ発想はみんなあったらしいから、似たり寄ったりな話はあるんじゃね



75: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:55:06 ID:VAT
>>70
長篠が多段打ちの代名詞になってるのは、信長がアホみたいな数の鉄砲を持っていて
それを一か所でアホみたいな運用したから。

交替打ちとかはそれ以前も見受けられたけど、小規模なもの。
皆これを大規模に運用したら強いことはわかってたろうけど、これが出来たのは
鉄砲キチで大金持ちの信長だけだった。

要するに「その発想はあった」けど実行できなかった。それを実行したのが長篠。



78: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:57:45 ID:ZaP
>>75
なるほどな
ノブはガンガン鉄砲つくるとこ押さえてるしな
二段打ちまでは雑賀がやってるらしいし、みんなそれなりに分かってたんだな



62: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:40:40 ID:O0E
ちなみに武田の騎馬武者が乗ってた馬は木曽馬だって言われてる

http://www.kis.janis.or.jp/~kiso_uma/RC/rctokuchou.html
http://www.kiso.ne.jp/~ponystable.kt/histry/kisopony.htm
中型馬に属し体高は雌で平均133cmです。
1180年木曽義仲の挙兵のころには、木曽馬は優れた馬として名声が高まり、各国の武将は競って木曽に名馬を求めたといわれています。
以降、幾度かの移り変わりはあっても徳川時代を通じて木曽馬は武士の象徴であり、交通運輸の担い手として日本文化の発展に貢献してきました。
木曽



66: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:47:54 ID:dKS
ドラマだと軍によって雑兵の武装がみんなお揃いだけど
実際は何千人ぶんの具足が支給されるわけないから
わりとみんな思い思いの武装だったんだろうな



68: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:49:45 ID:Obw
>>66
趣味や威厳を気にして一式を赤備えにする武田家家臣もいた



67: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:48:58 ID:VAT
ていうか家に代々伝わる武器や鎧を各自持ってきて戦ったりした。
これに関しては日本も、欧米も、大体こんな感じだった。



69: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:50:42 ID:EC3
騎兵のまともな運用が無かったってのは極論すぎないか?
戦国時代より軍制が未熟だったであろう鎌倉時代ですら普通に騎兵だけの突撃やってるんだから
戦国時代でも雇い主の武将に関係なく兵科ごとに部隊を編成してる例が確認できる
一応ガチ戦争なのに騎兵一人が歩兵数人を引き連れるなんて非効率な戦い方は続けないだろう
山がちな土地っつっても数十や百程度なら騎兵部隊が必要とされる場面は確実にある



71: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:51:40 ID:VAT
>>69
平野部ではそれはもう強かった。



74: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:53:24 ID:yKe
西洋の鎧よりは遥かに動きやすい
1回体験してみれば分かるけど
日本の鎧はああ見えて凄く動きやすい
体全体で動くと言う感じ



76: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:56:30 ID:Obw
>>74
と言うより西洋の鎧が異常なだけでは 日本は結構バランスいいと思う



77: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)21:57:11 ID:dKS
当時の火縄銃の有効射程距離って何mくらいかな



85: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:00:27 ID:nSq
>>77
腕のいい射手なら100m以内ならまあまあ当たる、程度
実戦にどのくらい使われたかは分からないが銃眼専用のバカ長い狙撃銃なら
200mとかでも効果を期待できる射撃ができたといわれてる



87: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:01:51 ID:dKS
>>85
和田竜の時代小説に
超凄腕スナイパーの少年が活躍する作品があったなあ



90: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:02:45 ID:VAT
>>87
あれくっそ好きやった。クライマックスのやべえよやべえよ感凄かった。



95: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:04:16 ID:ZaP
実際火縄銃って雑兵がちょっと訓練して打ったくらいだと結構外れたりしちゃうんだろうか…
甲冑のスペックに寄っては案外平気なのと大ダメージなのがあるらしいんだが



97: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:05:33 ID:Obw
>>95
確か伊達あたりが火縄銃にも耐えれる鎧を作ってた気がする
だけどめちゃくちゃ重くて運用できない



103: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:08:32 ID:ZaP
>>97
なるほど
なんか昔、雑兵の鎧とちょっと偉い人の鎧(当時の実物、胴体部分)を打ち比べ?してて、防御力違いすぎて泣けるレベルって聞いたんだけど
やっぱり火縄銃対策はどこでも考えてたんだろうな



102: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:07:49 ID:k8V
>>95
信長は鎧は貫通したけど硬い餅で弾防げたとか
あったな。



105: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:10:23 ID:ZaP
>>102
マジか…南蛮鎧が流行ったのは曲線で弾丸の威力が死ぬからじゃないのか…
餅ってハンベみたいだな



108: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:13:20 ID:k8V
>>105
威力は落ちたから懐に入れてた餅で止まったのかと。



96: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:05:08 ID:EC3
鎧を貫通するだけなら弓でも出来るけど貫通した後のえぐりっぷりは段違いだろうな



107: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:12:11 ID:Obw
銃の運用で言えば島津は鉄砲を足軽じゃなくて武士に持たしていたから
精度が上がったらしい



110: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:13:40 ID:dKS
>>107
普通に考えたら
刃物よりも銃のほうが習熟が必要だよなあ



111: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:13:42 ID:ZaP
>>107
そういや三発打ってみんな外したら切腹だか死罪だったな…島津軍法怖い



112: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:16:19 ID:dKS
>>111
マジキチ



117: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:27:42 ID:fgV
宣教師の報告によれば勝ち戦の後の軍隊は
勝馬に乗る奴が多くて戦の前より増えてる事もあった

これ豆な



119: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:30:28 ID:O0E
>>117
敗軍の雑兵が勝った側の軍に紛れ込んで安全に逃走を図ろうとしてるのかな?



121: 名無しさん@おーぷん 2015/06/09(火)22:35:10 ID:EC3
>>119
日和見してた戦地近くの住人や流れ者が落ち武者狩りとか略奪目当てに参加してくるんじゃね



129: 名無しさん@おーぷん 2015/06/10(水)05:19:59 ID:5yl
一番槍は褒賞が出たって聞くけど生還率どれくらいだったんだろう




これ伏線だったの?!っての教えて

ケロケロケロッピって何で消えたの?


「正直ここは泣いてしまった」ってアニメのシーン

自衛隊の良い話

坂が多い街並みってワクワクするよね。長崎とか。住みたくはないけど