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・ 御朱印ツーリング(伊勢神宮編:破)行ってきたから写真うpする。
・ 御朱印ツーリング(伊勢神宮編:急)行ってきたから写真うpする。 -その1- -その2-【完結】
・ 長崎の教会群巡礼ツーリング(長崎・外海編)行ってきたから写真うpする。 -その1- -その2- -その3-
朝から曇り空。
どんより色の空と大村湾を眺めながら朝飯の準備にとりかかる。
オレのキャンツーの朝食は、パンとスープとコーヒーと決まっている。
寝ぐせを直して出発準備を整える。
降水確率60%だが、空の色的にはいつでも準備万端って感じ・・・orz
ツーリングにはなかなかのルートだな。曇ってるのが残念だが。
今日の最初の目的地は「黒崎教会」。
教会のすぐそばのグラウンドでは、少年野球チームが朝練してました。
設計は「ド・ロ神父」であろうと言われているが、「ド・ロ神父」については後述。
立派なたたずまいの教会です。
建築面積も大きな方に分類されるとのこと。
中には入ることはできるので見学してみる。
厳かな空間が広がってて、なんだか神聖な気持ちになります。
優しい表情のマリア像。
この場所からこの地区を見守ってくれているんでしょう。
教会見学時のマナーとして、これだけは守ってほしいことっていうのが冊子に載ってたから紹介しとくよ
・堂内では、帽子を脱ぎ、静かに拝観してください
・堂内にある物には、触れないでください
・柵内、内陣(祭壇域)には入らないでください
・堂内での飲食、喫煙、飲酒は厳禁です
・堂内の写真撮影は、原則として禁止です
これの「どういう理由でダメなのか?」ということに興味があるんだよね
一個人、一施設の考えで禁止ならともかく、原則的に全ての教会というからには
なにか宗教上の理由があるのではないのか? と思った次第
ほどなくして現れた看板。
「枯松神社」といって、ポルトガル船に乗っていたとされる
「サン・ジワン神父」という人を祀ってある神社らしい。
曇っていることもあって、薄暗い狭い参道を登っていく。
キリスト教徒が神社建てるのかよwwwwwwwwww
日本人すげぇなwwwwwwwwwwwww
神道的な価値観だとキリストとデウスも神の一柱やろ
それな、オレも全く同じ感想もったぞw
なんでそうなったのかは後述する。
この人里離れた山の中の岩陰で、かくれキリシタン達は親から子へと祈りの言葉を口伝え、
“オラショ(お祈り)”の練習をしていたのだそう。
さらに参道を登っていく。
ひっそりと小さな社がありました。
なんでキリシタンが神社に祀られてるのかって疑問に思うよな。
色んな説があるらしいけど、
伝道士のお墓をカモフラージュして神社にすることでお参りしても怪しまれないためにだとか、
最初はただの祠だけだったのが、そこに支那事変に出征する軍人が願掛けにきたら生きて帰ってこれたから、お礼に神社として祀ったからだとか。
キリシタンが神社の神様になっているのって全国で3ヶ所しかなくて、その一つがココだとのことでした。
上に置いてある白い石、これはお参りする時に十字架の形にして、
終わるとその形を崩して帰っていくためにおいてあるのだとか。
一説には、もともとは社も祠もなく、十字を彫った岩だけがあったとも言われているらしい。
実際に、社のそばにあった石には十字が彫られたものがありました。
もしかしたらこれのことなのかも知れないな。
ちんまりとした祠からバージョンアップさせたってことか?
なるほどサンクス
ここには世界遺産候補の構成資産である「出津教会と関連施設」があります。
「出津(しつ)教会」を見学するには事前予約が必要との案内があったから、もちろん予約してきました。
この辺りは風が強く、わざと屋根を低くしている造りになっているのだそう。
こちらの教会の設計施工も「ド・ロ神父」!
内部の写真はないけど、天井が低いのはやはり教会としては珍しい印象を受けました。
案内スタッフのおっちゃんが派遣されてたよ。
このおっちゃんが色々と教えてくれてわかりやすかったので、
ぜひ予約していくことをお勧めしますよっと。
それから、出津教会の入り口はいってすぐにあったキリストの子供の頃の像が、
ものすごく神秘的で非常に強く印象に残ったよ。
透き通る瞳が素晴らしくキレイで、その表情は穏やかさにあふれている。
正直写真に収めたくて仕方なかったが、教会堂内での撮影は御法度ということで我慢。
足を運んだら是非その像も見てほしい。
「ド・ロ神父」が私財を投じて作った授産福祉施設で、マカロニ工場や鯛網工場等があります。
「ド・ロ神父」が考案して作った壁を「ド・ロ壁」といって、
地元で採れる石や材料で強固な壁をつくる技術を考案したとのこと!
まさかド・ロ壁と泥壁をかけたダジャレとは
いやいや、ダジャレではないぞ
このド・ロ壁は、地元で取れる石を用いて、
さらにアマカワという接着剤と、砂を混ぜて作るとあるからな。泥ではない。
貴族であった親からは莫大な遺産を相続させてもらって、
金銭的余裕をもって日本へ渡ってこられたとのこと。
あまりにこの地方の農民の貧しい暮らしに心をいため、
その親から譲り受けた莫大な私財と、自分の生涯を村人たちの福祉向上のために捧げて、
ついに故郷に帰ることなくこの地に骨をうずめた神父。
外海の人々は今日も“ド・ロさま”と呼んでその徳を慕っているのだとか。
建築学や医学等を学んできていたため、教会の建設方法に生かしたり、薬局等をつくったり、
そうめんやマカロニといった特産物を作り出す術を教え、女子供の生活の糧としたりと、
いわば日本における社会福祉の先駆けの人と言ってもの過言ではない、
とにかく頭が下がる偉人です。
wikipediaにも詳しく載ってるので参照してください。
教科書に載っててもいいレベル
このガラスは当時の物そのままで、もう百何十年も前のものとのこと。
大きな置時計は、ド・ロ神父がフランスから取り寄せた物で今も動いているとのこと。
15分おきに奏でられる鐘の音が心地よく響いていました。
これも「ド・ロ神父」がフランスから取り寄せたもので、ミサで使用されていたとのこと。
鍵盤全体をガタッと動かすことができて、
調?というのか?音程?を変えられるギミック満載のオルガンだった!
このオルガンにも秘話があり、一度壊れてしまったのだが、
直そうにも年代物のためにかなりの額が必要となったらしい。
それを聞いた地元の「十八銀行」が必要額を寄付してくれたとのこと。
なんでも十八銀行が創業し始めたころにド・ロ神父が莫大な資産を預けていて、
創業時の大変な時にその預金のおかげで助かったので恩返しの意味であったらしい。
粋だねぇ、「十八銀行」!!
見とれているとシスターが「マリア像をおいてるのはカトリックだけよ」
と教えてくれたけど・・・はじめて知ったw
カトリックとかプロテスタントとか関係なく、
キリスト教の教会にはマリア像があるものと思ってたよ・・・orz
この写真は、「ベルナデッタ」という女性の遺体で、
死後130年以上経過していると教えてくれたものの、
にわかには信じがたいってのが率直な感想だった・・・。
だって普通はそう感じるしかないもの。
そのあと“ルルドの泉”のことや“聖母マリアの出現”
といったことを簡単に説明してくれて勉強させてもらいました。
現在ではカトリック教徒の最大の聖地のひとつになっているルルドと、
「ベルナデッタ」が眠るフランスの修道院。
非常に興味を抱かせる『奇跡』のはなし、
いつかフランス旅行に行ったときには、ぜひ訪れてみたいものです。
wikipedia見たら
「露出部には蝋製のマスクが被せられている。」
だまされたわ
もうちょっと調べたら
防腐処理してないのに死体は腐らなかったけど
綺麗に見せるために蝋を塗ったってことみたいね
と自己レス
それは前回の(下五島編)での船長とのやりとりでのこと。
前回の船長との話の中で、すごく気になった部分として「世界遺産への登録は、
地元の人の皆がみんな歓迎しているわけではない」ということ。
このやりとりを率直に話して、世界遺産に登録されることを
教会側の意見や思いはどうなのかという質問をしてみた。
シスターの口からぱっと出た回答は「どっちもです」だった。
前回の話を見て凄く考えさせられたんだ。
現地の人も色んな思いを抱えてるんだね。
今後ここ以外でも、同じ様な問題が多かれ少なかれ出そう。なかなか難しい問題だね。
うん、難しい問題だと思うよ。
現地の人の気持ちもよく分かるし、国とか県とか、
はたまた教会側の考える意義も分からないじゃないしね。。。
「どちらもです。確かにその方がおっしゃる静かな環境が変わってしまうことや、維持管理の面と地元の方々の苦労も懸念事項のひとつでしょう。
その他にも、祈っているときや儀式中に騒がれたら困りますし、神は私たちにとっては親、神の家である教会、そういう大事なところで写真を無断で撮影したり騒いだりされるのも困ます」
オレ
「じゃあ逆の意見は?」
シスター
「いろんな人が来てくれて、キリスト教自体に興味を持ってくれる人が出てくることは嬉しいと思います。
様々なメディアを通じて多くの人たちに、私達の歴史や活動を知ってもらうためにもプラスだとも思います。
そしてそれは、私たちの仲間が増えるチャンスなのかもしれませんから。
現にあなたはすごく興味を持って私の話を聞いてくださいましたね。これは非常にうれしいことなんですよ」
神がそこにいると考えてるからダメだったのか
なるほど、いままでずっと思ってた疑問が氷解したわ
それと共にその考えに全く至らなかった自分の信仰心のなさが浮き彫りに
信徒が増えるかもしれないことは非常に大切なことだろうから、
まさに「どっちも」なんだろうなと思ったよ。
と同時に、船長の話も当事者としての困惑として当然の反応なんだとふり返れたよ。
世界遺産登録候補となったことで、
実際にオレは長崎の教会群とキリスト教やキリシタン迫害の歴史について関心を持った。
ただこれだけでも、その価値はあったのかもしれないと思いたいね。
あ、それからシスターの話はオレが伝聞したものだから、
書いたこととその真意が100%イコールであるとは思わないでくれよな!
お礼と言ってはなんだけどとオルガンを弾いてくださいました。
とても120年以上前のオルガンとは思えないほど、幻想的な音色を響かせていました。
「ド・ロ神父」のこと、キリスト教全般のこと、
それから何も知らないオレの素朴な疑問にも丁寧に答えてくれて、本当にありがとうございました!!
ここでやっと『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』の構成資産に指定されている教会等を周るって目的をようやくひとつ達成!
ついにスレタイ回収(゜∀゜)キター!!!!
はい、やっと世界遺産登録候補の教会はこの旅1ヵ所目ですw
しかし長崎の教会はどこも世界遺産級だと思います!
いわずもがな、遠藤周作著の小説『沈黙』の碑。この辺りがそのモデルとなった地域らしい。
石碑には『沈黙』のロドリゴの言葉が刻まれている。
「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」と。
出津教会にいた案内係のおっちゃん、この文学館落成の日のことをよく覚えているって言ってたな。
なんでも当日は土砂降りで、式典が終わったらカラッと晴れ渡ったらしい。
遺族から遺品等を寄贈していただき平成12年に開館したとのこと。
遠藤周作の著書は『沈黙』くらいしか読んだことないんだけど、
このツーリングしてると他の著書も読んでみたくなってくる。
簡単なあらすじと、美しい版画のさし絵をみて、次に読みたい遠藤作品が決まってしまったよ!
文学館から見える外海の海。
取材にもよく来ていたらしいし、この海を見ながら作品を書き残していったんだろうな。
「ド・ロさまそうめん」が売ってた!
ド・ロ神父の残した産物が、そのまま特産になってるなんて素晴らしい!
手作りの押しずしを購入し、地元のお茶と一緒に食す。うまいぞこれ!
出身は東京だっけ?
なんでも取材で度々長崎を訪れていて、長崎のことを「心の故郷」と呼び愛していたんだって!
ここから山道に入っていくのだが、その途中、小さな橋の向こうに大きなキリシタン墓地が見えた。
あとで調べたら、どうやらここにド・ロ神父も眠っていらっしゃるらしかった・・・お参りしておきたかったな。
民家がポツポツとある山道を登っていく。
空は曇ったままで、いつ降ってきてもおかしくない色をしとるな・・・。
この「バスチャン」は日本人の伝道士なんだが、
枯松神社に祀ってあった「サン・ジワン神父」の弟子らしい。
この「バスチャン」が「サン・ジワン神父」から教わって残した、
“バスチャン暦”が潜伏キリシタンにとって重要なものとなっていたとのこと。
あと、“4つの予言”というのも残したそうで、
これも潜伏キリシタンたちの希望と勇気になっていたんだって。
小川を越えて進むと、小さな小屋が見えてきた!
多いのは多いと思うけど、実数としてはどうなんだろうね。同じく気になるわ。
海からの行き来でしかこれないような土地だったらしい。
海岸部は切り立った断崖も多く、ほとんど陸の孤島状態だったとのこと。
そんな場所だったからこそ、かくれキリシタンが潜伏したんだろうけど、
そういう地形であっても、こんなさらに山深いところに潜伏していなきゃ見つかってしまうほど禁教下の監視は厳しいものだったんだな。
「バスチャン」が残した4つの予言の中のひとつに、
「七代耐え忍べば、再びローマからパードレ(司祭)がやってくる」というものがあったそうだが、
250年の歳月を経て起きた奇跡“信徒発見”をもって、
その予言が現実のものとなったと言い伝えられているとのこと。すげぇ・・・。
予言が現実のものになるのはすごいな・・・
次に見学した史跡は「大平作業所跡」。
「ド・ロ神父」が地域住民の生活向上のために、
この辺りの原野を買い求めて開拓し、お茶や小麦を栽培していた場所。
なんかゲームの『The Elder Scrolls オブリビオン』にそのまま出てきそうな雰囲気だな。
「ド・ロ神父」が実践した農業振興活動を伝える遺構として価値が高いそうです。
ここで外海の人たちが「ド・ロ神父」の指導の下で産物を作って生活の糧にしていたと思うと、なんかこう感謝の念が沸き立ってくるな。
作りが全然日本っぽくないな
こりゃ急いだ方がいいかな・・・とか思いながらも、
木立のトンネルがいい感じだったのでシャッターを切る。
山道をそのまま直進していくと、目の前が開けて海が見えてくる。
この教会堂は世界遺産候補の構成資産となっており、国の重要文化財!
本降りになってきた雨の中、カメラを濡らさぬよう教会へ向かいます。
この教会でも白亜のマリア様が雨の中、出迎えてくれました。
マリア様のすぐ前に「大野教会堂」が建っています。
なんとこちらの教会堂も「ド・ロ神父」の設計施工であり、
壁にはもちろん「ド・ロ壁」の技法が施されている!
出津で見た「ド・ロ壁」は温石という石だったのに対し、
こちらはこの辺りで採れる玄武岩を使用しているとのこと。
ずーっとこの地で、信徒の幸せを祈ってくださっていたのでしょうね。
雨にぬれる屋根瓦。
十字の装飾が施されていました。
長崎県としても教会群への観光客の迎え入れ準備を着々と進めているんだな。
工事の人のカブ。
ご当地ナンバー、出島やんかw
まんま出島でワロタw
出島があったところって今は埋め立てで市街地の中にあるんだっけ?
>>66で紹介したとこが出島跡ってことになるんだろうな
周りを見渡しても、どう見ても海だったとは思えない状況だったよw
・・・次の雨雲さんがくる前にキャンプ場を目指さねば><
西彼杵(にしそのぎ)半島の山間部は非常に険しく、ナビがなければ迷子必至www
契約解除したiPhoneに入れてる『ツーリングマップルと使うナビ』
というアプリを使用してキャンプ場を目指す。
ナビって、GPS機能だけ使えれば使えるんだな。知らんかったわw
その道中、左後方に見える小さな白い案内看板を見逃さなかったぜ!!
キリシタン史跡のひとつ、「次兵衛岩洞窟」の入り口の案内看板。
差していた刀の鍔が金色だったことから、「金鍔次兵衛」とも呼ばれていた人物。
その拠点の洞穴がこの先にあるらしい!これは是非行ってみたい!!
・・・(´・ω・`)やっぱいいです。。
おい
え?長崎県としては世界遺産登録推進課あるし大々的にやってるぞ。そりゃ道の整備もするだろうよ。
次兵衛岩洞窟への道の整備もやってやれよと・・・
ロケーション最高のキャンプ場だぞココ!
テント設営し始めたのが4時半頃。
で、設営完了が5時50分頃・・・実は、とある実験をしておってな。
タープとテントの組み合わせ方法に挑戦してみたんだが、、、
何度やってもテントの天井部分とタープの高さが干渉して手間取ってしまったんだぜ・・・(;´Д`)
ま、どうにか見れるくらいには張れたから良しとする。
小川張りてのもいいな、なんか秘密基地感でててすごくイイ!真似したい!
いいぞーこれ
雨、なんとか降らずに持ちこたえてくれたからよかったよ!
汗だくの身体を清めに風呂へGO!!
近くに町の社協かな?が運営してる共同浴場あったんで突撃。300円だったかな。
ホント、このキャンプ場の眺めは素晴らしいものがあるな!オススメだぜ!!
といっても、セブンイレブンで買ってきたヤツ温めるだけなんだがなw
おでん (゚д゚)ウマー
もしかして、“キャンプでおでん”って最強じゃね?
フムフム、なるほど、こうか。
たこさん (゚д゚)ウマー
山崎ロック片手に焚き火とか最高の贅沢っすなぁ且⊂(゚∀゚*)
こんだけ広く前室取れるのはやっぱエエな!
パチパチと音をたてる焚き火を、ぼけ~っと眺めながら眠くなったら就寝・・・zzz
焚き火いいね
俺も焚き火台購入しようかな
焚火台あるとキャンプの楽しみが大幅アップするよ!
薪だね。今回は家から少量持参。
キャンプ場によっては管理棟で売ってるとこもあるから、バイクなら現地調達が楽かもね。
これで二日目も終了だ。見てくれた人ありがとう。
もう眠くなってきたから寝るわ。
三日目の様子は明日の夜にでもうpします。
では、 ノシ
続き : -その3-
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