1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/06/14(日) 03:01:30.75 ID:???*.net
スピードガン表示と、打者の体感速度は違う-。花巻東(岩手)大谷翔平投手(20=現日本ハム)が160キロを出すなど、
高校生も150キロ台を連発する時代に突入。
その中で、スピードガン誕生前の作新学院(栃木)江川卓(59)こそ最速という声は根強い。
プロでは最速151キロといわれるが、高校時代はもっと速かったのか。
怪物が語る、スピードとは。球児たちのスピードの変遷に迫る。(敬称略)【前編】
毎年甲子園の季節が来るたびに、超高校級投手が現れるたびに、都市伝説のように語られることがある。
江川卓が、高校生史上最速だった-
全国デビューとなった3年春のセンバツ。1回戦の優勝候補の北陽(大阪)戦で、江川のボールが初めてバットに当たったのは5番打者への23球目だった。
かすってファウルになっただけで、超満員の甲子園がどよめいた。圧倒的な力で、19奪三振完封。
打てないどころか、バットに当たらない怪物。ノーヒットノーランは3年間で公式戦計9試合(完全試合2試合含む)。こんな高校生は、後にも先にも現れていない。
スピードガンがなかった当時、一体何キロ出ていたのか。
「『分からない』というのが正直なところです。高校野球の江川卓は、高めのボールで三振を取っていたので、
バッターの目には浮いてくるように見えた、ということは言えるんですが、何キロかって聞かれると、
『分からないです。きっと速かったとは思います』という答えになりますね」
そう言って、理論派の江川らしく、スピードガンの説明を始めた。各球場ともネット裏の、グラウンドレベルより高い位置に設置されているのが一般的だ。
「スピードガンは上から見ていますよね。(ボールに対して)対角線の角度がきつい方が、スピードは出るんです。
みなさん誤解されているのは、高めのボールの方が速いって言ってますが、低めの方が絶対にスピードガンは出るんです。ワンバウンドが一番速いんです。絶対に。理論上は」
ではなぜ、江川の高めのボールを、打者は空振りしたのか。
「ところが人間の感覚は面白いもので、バッターは、顔の近くの方が体感は速いですからね。低めは、目から遠い分、体感は速くないから振らない。
バッターが胸の辺りを空振りするのを『速い』と表現するので、スピードガンが出るのは、一般的には速くても、僕らは速いとは思わない。
我々が言う『速い』と、スピードガンが出ることは、すごく違うことなんです。それが僕の結論なんです」
だから、バットに当たらなかった高めのボールは「スピードガンは出てなかったと思う」と言う。体感速度は、スピード表示だけでは測れない。
「(ソフトバンク)松坂投手が甲子園の決勝で投げている頃を見ましたけど、高めのボールは速いなって思いました。
大谷君は(160キロを)予選で出しましたからね、見てません。彼は、指に掛かるボールと掛からないボールが、すごくばらつきがあるんですね。
大谷君のスピードが出たときも、高めじゃなくて、低めのボールです。そっちの方が絶対に出ますから」
近年は150キロを超える高校球児が多く現れているが、「だけど、空振りはしないでしょ。それは、多分スピンというか、いい回転をしてないんです」と言う。
江川自身は、ボールが浮き上がる、ホップする感覚を強く自覚していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000042-nksports-base
日刊スポーツ 6月13日(土)14時39分配信
https://www.youtube.com/watch?v=kXOVks_lm1E
1984 江川卓 8連続三振 オールスター
https://www.youtube.com/watch?v=xHUTkkffoIY
1982 江川卓 5 スピードガンとスピード感の大いなる違い
2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/06/14(日) 03:02:55.06 ID:???*.net
「浮き上がるボール」の原風景は、小学生時代を過ごした静岡・浜松市の天竜川にあった。
江川少年は、川幅約100メートルの対岸に向かって、毎日石を投げた。
「『石を風に乗せること』を自然にやったんです。本当に毎日。最初は小学校2~3年の時は川の半分しか行かないんですけど
、5年生で初めて向こう岸に届いたんですね。それは風に乗せないと、行かないんです、絶対に。
石を風に乗せる方法が、高校野球で生かされたんですね。漫画みたいな話なんですけど」
一般的に、ボールの切れとは、投手が投げたボールの回転数に関係すると言われる。
江川は石を投げながら、指先でスピンをかける感覚を養った。
「(投球時に)キャッチャーまで十何回転かするんですけど、僕の場合は4か5ぐらい多いんですよ、回転が。
だから多分空気抵抗がすごく多くなるので、沈まないで、浮いていく感じになるんだと思います」
自然の中で培った感覚が、直球の礎になった。野球人生で一番速いと自覚している時期もまた独特だ。
「プロ野球は、1年間通してやらないといけない。全力ですけど、打者の特徴とかで、コースを狙うやり方です。
だから速さで言えば、甲子園に何とか出ようと思って一生懸命投げていた、高校1年の秋から2年生の夏ぐらいまでが、一番速いんじゃないかと思います」。(つづく)【前田祐輔】
◆江川の球速 巨人に在籍した79~87年はスピードガンが完全に普及していない時代で、最速何キロという数字は出せない。
それでも節目ではいくつかのデータが残っている。法大4年の77年春、あるスカウトは、「140キロ台」と話した。
当時、プロ最速は山口高志(阪急)の145キロといわれており、プロのトップクラスに劣らぬ数字だったという。
プロ1軍デビューの79年6月2日阪神戦では、最速144キロ(打者竹之内)。
3年目の81年は自己最多の20勝を挙げ、勝利、防御率、勝率、奪三振、完封の投手5冠でリーグMVPと絶頂期だったが、この年は最速151キロだった。
8連続奪三振をマークした84年球宴では、最速147キロ(打者クルーズ)。
◆江川語録
▼究極の目標 「予選で27奪三振を狙ったことはあるんですけど、取ったことはない。当時は警戒してバントが始まってしまう。だから難しいんですね」
▼ひねくれ者? 「甲子園に着いた時の第一声は『ちっちゃいですね』でした。本当はすごくでっかくて、びっくりしたんですけど。
新聞に載ると思ったので『大したことないですね』って言ったんです」
▼練習 「練習嫌いって言われますけど、ちゃんとやってました。長距離やダッシュ100本とか、水も飲めないですし。僕は嫌いなんですよ
やっているところ見せるの。照れ屋なんで。遠投が多かったです。ウエートは、筋肉が硬くなる感じがして嫌いでした」
▼気になる球児 「(早実)清宮君が『3本ヒット打ってもしょうがない』と発言してましたけど、すごく面白いですよね。
バッターはホームラン。ピッチャーは空振りが取れる、バットに当たらない恐怖感を与えられる。
野球の絶対的な魅力を、これからの高校生が目指していけたらいいと思います」
3: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/06/14(日) 03:07:52.25 ID:???*.net
理論忘れ信じる1球/江川卓「怪物」直球語る 後編
スピードガン表示と、打者の体感速度は違う-。花巻東(岩手)大谷翔平投手(20=現日本ハム)が160キロを出すなど、高校生も150キロ台を連発する時代に突入。
その中で、スピードガン誕生前の作新学院(栃木)江川卓(59)こそ最速という声は根強い。
プロでは最速151キロといわれるが、高校時代はもっと速かったのか。怪物が語る、スピードとは。(敬称略)【後編】
高校3年の夏も、江川は怪物であり続けた。栃木大会で5試合中3試合ノーヒットノーランで、最後の甲子園に乗り込む。
1回戦柳川商(福岡)戦で延長15回23奪三振完投すると、2回戦は銚子商(千葉)と対戦する。
8回から降り出した雨は、次第に強くなった。0-0の延長12回。1死満塁のピンチを招き、カウントは3ボール2ストライク。
ここで初めて自らタイムをかけて、ナインをマウンドに集めた。個性派集団だった作新学院は、仲がいいチームではなかった。
誰が活躍しても、江川だけが注目を集める状況に、不協和音が生まれていたという。
心身共に疲れ果てていた状況で、最後の1球を投げる前に、初めて仲間に問い掛けた。
「自分の、速いボールを投げたい」
「当時の状況考えると、『ふざけんじゃない』っていう言葉が返ってくると思っていたんですよ。
まだ試合やっているんだから、ちゃんと投げろって言われると思ったんですよ」
仲間から出たのは、予想外の言葉だった。「お前がいたから、春夏両方甲子園に来られたんだから、いいから好きに投げろ」。
高校生活最後のボールは、高めに外れる直球だった。押し出し四球でサヨナラ負け。
怪物は、雨に散った。ただこの瞬間を、最高の思い出と語る。
「なんだかすごくさわやかな気分で投げたんです。僕の中で、甲子園や予選含めて、一番速いボールはどれですかって聞かれたら、そのボールなんです。
高めに外れましたけど、初めて、一番速いボールを投げようと思って投げたボールですから」
雨の中、疲労がピークだった延長12回の最後の1球。きっと一番速いはずはない。
それでも理論派の江川が、理論を忘れて信じるボールがある。仲間に背中を押された、忘れられない1球。
これも高校野球の魅力。スピードガンがなかった時代のロマンなのかもしれない。(おわり)【前田祐輔】
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◆対戦者が語る「怪物」江川
中日達川光男チーフバッテリーコーチ(59=広島商3年センバツ準決勝で対戦し小技で江川攻略)
「やっぱりもう驚きじゃ。高校生どころか大人でもあんな大きい野球選手いなかった。
江川見てからこれじゃ打てないって自分に1日500スイングのノルマを課した。
『打倒江川』ってノートに書いた。わしらは江川世代。プロに行けたのも彼のおかげ」
国際武道大・岩井美樹監督(60=銚子商3年夏に江川擁する作新学院から勝利するなど、通算2勝6敗)
「(大学日本代表監督を務めるなど東海大を含め監督歴35年目)江川より速いピッチャーを長いこと探しましたけど、江川が1番。
150キロ台後半は出てました。けた違い。江川のボールはホップするから、ボールの下を振る。今の子はだいたいボールの上を振りますから」
中日石井昭男スカウト(59=東海大相模時代に練習試合で対戦)「高校時代が一番速かった。
初速は速くないけど、途中で1度止まって、ボールがだんだん大きくなって向かって来る感じ。
打つとか打たないじゃなくて、当たるか当たらないか。スピードガンは150キロぐらいかもしれないが、見た目は160キロは出てました」
◆スピードガンはスカウトやマスコミが79年春には甲子園球場に持ち込んでいた。
ただ、79年春はスカウトの一部が器材を十分に使いこなせず、手元がおぼつかなかったという。
本格的に普及したのは80年以降という区切り方が定着している。甲子園で150キロ以上を出したのは今年のセンバツの高橋(県岐阜商)まで20人。
今でこそ150キロは珍しくないが、本格的に計測が始まった80年を起点にすると、98年春に松坂(横浜)が初めて150キロに到達するまで18年かかった。
150キロに1キロ届かなかったのが80年夏の高山(秋田商=現オリックス投手コーチ)。
田川戦の1回に、本紙の計測で149キロを出した(巨人のスピードガンは147キロ)。
球速は公式記録ではないため報道機関によって1、2キロの違いはあるものの、松坂が登場するまで高山を超える者は出なかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000043-nksports-base
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大谷の「ストレート」は結構打たれてるよ