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不名誉すぎるあだ名を付けられた8人の王たち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

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不名誉すぎるあだ名を付けられた8人の王たち

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あまりに恥ずかしいあだ名の数々

リチャード獅子心王。ルイ14世太陽王。エンリケ航海王子。

世界史の教科書には、カッコいいあだ名がついた歴代のヨーロッパの王様がたくさん登場しますね。

一方で、カッコいいあだ名があれば、逆に不名誉すぎるあだ名もありました。

どういうわけか教科書には出てこないんですよね。面白いのに。

ということで今回はcracked.comより、可哀想なほど酷いあだ名を付けられた王様たちを紹介します。

下ネタもあるので一部隠します。

 

1. "不潔王" ハーラル1世(ノルウェー)

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ハーラル1世は22歳でノルウェー王国を創設した男。

伝説によると、彼は神様に願をかけて、王になるまで髪を切らなかった。

22歳ともなるともう頭はボウボウで、野獣の王のような風貌でした。

体も頭もシラミだらけで、確かに「不潔王」だったようです。

 

2. "裏切り王子" アンリ3世(フランス)

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英語では、"prince of Sodom"=「ソドムの王子」と名付けられています。

ソドムとゴモラと言えば、旧約聖書に登場する町の名前。

堕落が原因で神の怒りをかって滅ぼされており、転じて「背徳」という意味を持ちます。日本語に意訳すると「裏切り王子」とか「売国王子」とかが近いと思ったので、上にはそのように書いています。

アンリ3世は幼いころに両親に反発し、幼い兄弟たちにプロテスタントの讃歌を歌ってみせたのだそう。

これはカトリックを信奉するフランス王家からすると、とんでもない背教行為でした。

ただこれは若いころの反抗だったようで、成長すると彼は敬虔なカトリック王となったそうです。

 

3. "骨なし野郎" イヴァール(デンマーク)

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イヴァールは9世紀のデンマーク・ヴァイキングの族長。

「骨なし野郎」は、度胸がないとか、意気地なしとかいう意味ではなく、

イヴァールは現代で言うところの「骨形成不全症」だったようなのです。

普通の服を着るとブカブカだったので、威厳を出すためにいつも服の下に何か膨らむものを入れて着ていました。

あだ名は酷いですが、イングランド・アングロ=サクソン王国に侵攻し、大ヴァイキング時代を築いた偉大な王の1人です。

 

4. "童貞王" セバスチャン1世(ポルトガル)

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セバスチャン1世は3歳でポルトガル王に即位します。

虚栄心が強く、自らを偉大な王とする妄想があり、十字軍の理想によって燃えあがってしまいました。

大した準備もせずに北アフリカに侵攻してイスラム軍と戦い玉砕。24歳で戦死。

その間、妃候補をことごとく拒否しており、死ぬまで童貞だったそうです。

当然世継ぎはいなかったので、後継者争いの内紛が起こり、後に隣国のスペインに吸収されてしまいました。

彼は童貞は守りぬきましたが、故国を守ることはできなかったわけですね。

 

5. "よだれ垂らし王" アルフォンソ9世(スペイン)

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アルフォンソ9世はレオン公国の国王。

「よだれ垂らし王」という不名誉なあだ名は、彼がイライラした時に口からよだれが垂らすクセがあったことから来ています。

彼は隣国のカスティーリヤ王国と戦いますが、息子のフェルナンド3世はカスティーリヤ女王イサベラと結婚してカスティーリヤ共同国王となり、アルフォンソ9世が死亡した後はフェルナンド3世はレオン公国の王位も継承。

両国は合併し、スペイン王国となります。

 

6. "痛風野郎" ピエロ・ディ・コジモ・ディ・メディチ(イタリア)

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ピエロ・ディ・コジモ・ディ・メディチは王ではありませんが、メディチ家の当主でフィレンツェの僭主。

ロレンツォやコジモなど、偉大なメディチ家の当主たちの中ではあまり目立った存在ではありませんが、フィレンツェの文化活動を支えた男です。

その名の通り痛風を患っており、業績より痛風持ちだった、ということのほうが有名になってしまった可哀想な人です。

 

7. "イ◯ポ王" エンリケ4世(スペイン)

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カスティーリャ王エンリケ4世は、とにかく気弱な男でした。

王であるのに国内勢力に毅然と対応しきれずにぐだぐだ。

しかも、エンリケ4世は15歳で結婚しますが、結婚初夜はおろかずっと「しなかった」らしい。

周囲の者たちは狼狽し、エンリケ4世が不能者ではないのかと疑いますが、実際はそうではなかったらしく、最初の妻はエンリケ4世をその気にさせられないとして実家に送り返されてしまいました。

彼は2度目の結婚をし、妻フアナとの間に王女を設けますが、やっぱり草食なのは変わらなかったらしく、妻フアナは不満で愛人を宮廷に連れ込むようになります。

そんなこんなで大混乱に陥ったカスティーリャ王家は、エンリケ4世の死後に内紛状態に入り、勝利したイサベルは後にアラゴン公国と合併しスペイン王国を開きます。

スペインの建国の背景には、イ◯ポがあったんですね…。

 

8. "ウ◯コ野郎" コンスタンティヌス5世(東ローマ帝国)

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Worked by  Classical Numismatic Group, Inc.

考えうる限りで最低のこのあだ名は、彼の幼少期のエピソードと成人後の政策から来ています。

洗礼を受ける際に使う聖水を入れる、洗礼盤という容器があるのですが、

コンスタンティヌス5世は、幼い頃に洗礼を受ける際、ウ◯コをもらして洗礼盤を汚してしまったそうです。

帝位についてからは、父レオン3世が進めた聖像破壊運動を押し進め、反対する聖職者をことごとく弾圧。

そのため、聖職者たちから「あのウ◯コ野郎!」と陰口を叩かれるようになったのでした。

聖職者からは不評でしたが、数々の対外戦争に勝利し、民衆からは慕われた王だったようです。

 

まとめ

あだ名って恐ろしいですね。

そのあだ名からその人の業績や人となりが評価されてしまうのだから。

ウ◯コ野郎なんて、小学生レベルの悪口なのに、こうやって後世に残ってしまう。せっかくちゃんと仕事をした王様なのに、可哀想ですよね。

後世の我々からすると、覚えやすいといえば覚えやすいのですが。

 

参考・引用:

The Impotent and Lousy: History's 10 Worst Royal Nicknames