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【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ てんこもり。


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【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ

1: 病弱名無しさん ID:Dx9J0WGM

病気や怪我と闘った人の話や
病気や怪我が生み出した感動するエピソードなど
涙を拭わずにはいられないような話を聞かせてください。
他人から聞いた話でもご自分の話でもどちらでも結構です。

5: 病弱名無しさん ID:pu2ejaSO
知人の娘が3歳で亡くなった。 
ウイルスが脳に入ったかなんかの病気だったと思う。 
入院して1週間だった。 
娘が入院してる時、知人の奥さんが病院のベッドで寝ついた我が子を見て 
缶コーヒーを買いに外に出ようとしたら、 
寝ていたはずの娘が「おかーさーん」と呼んだ。 
奥さんがあわててベッドの傍に戻ったら 
「おかーさん、心配掛けてごめんね」 
と3歳の子供とは思えない言葉を消え入るような声で言って、 
小さな手で奥さんの手をきゅっと握ったらしい。 
それが最後の言葉だったとか。

7: 病弱名無しさん ID:qMMGNRHE
昔、付き合っていた彼女が精神的不安定で自傷癖や不眠症をわずらっていて、 
その彼女のストレスがいつも俺に向けられた。いつしか俺もそんな彼女と一緒にいるのが 
嫌になり、別れ話をきりだすことになった。彼女のことは好きだったけど 
俺も若かったし、もっといろんな可能性を夢みていた。 
俺が別れ話を切り出すと彼女は意外とあっけらかんとしていて「私も別れようって思ってた。」と言った。 
俺はその時ちょっと安心して彼女の家を去った。帰りの電車の中でいままでの彼女といた3年間の出来事を思い出していると涙が出た。 
彼女も同じ気持ちだろう、俺に気を使ってあんなに気丈に振舞っていたに違いないと思うと 
ほんとに彼女に申し訳ないことをしたと思った。 
今は俺も30になって結婚もしている。俺のかみさんは今はもう元気になって精神状態も安定して、 
お互い幸せに暮らしている。 
あの時電車を途中で降りて死のうとしていた彼女のもとに戻らなかったらどうなっていただろうとふと考えることがある。



8: 病弱名無しさん ID:wzhyQky+

>>7
彼女さん良かったね。
本当に良かった。
( ´Д⊂


10: 病弱名無しさん ID:378AfHCg

以前は小児がんの子どもを持つ母の手記に記されていた話。
その5歳の男の子はお母さんがとにかく大好きで、自慢だったそうです。
でももう手遅れの小児がん。

ついにその時がやってきました。
男の子は、口も利けないほど苦しい発作の最中にもかかわらず
母呼び寄せ、こう言ったそうです。
「かあちゃん、僕が死んでも悲しんでばかりいるなよ。
 ちゃんとお化粧しろよ。おばさんになっちゃ駄目だよ。」

その子の中では永遠に若くて綺麗なお母さんなんだろうな~


12: 病弱名無しさん ID:pUIWn2Ha

>>5
>>10
。・゚・(ノД`)・゚・。

その時の親の気持ちとか子供の気持ち考えると
マジ涙が・・・。

良スレの予感・・・


18: 病弱名無しさん ID:hOqjpaZH

妻が入院してる時、中学生になる姪っ子と一緒にお見舞いに行ったことがあった。
帰りの電車の中、姪っ子のふとした一言に切れてしまい、「うるせーだまってろ!」っと
怒鳴って、ひどく叱ってしまった。勿論そんな風に怒鳴ったことも今まで無かったし、姪っ子も悪気があって言ったんじゃないってことはわかっていた。
姪っ子は妻譲りの気の強い性格で、「そんなに怒んなくてもいいんじゃない」と言って次の駅で降りてしまった。
最悪の気持ちだった。
この先妻はどうなってしまうんだろうという不安や心配・ストレスを姪っ子に向けてしまったことをほんとに後悔した。
なんだか救われない気持ちと辛い気持ちでいっぱいになった。そんな時俺の隣に座っていた全く知らないおばあちゃんが俺に向かって
「さっきのお嬢さんもあなたのつらい気持ちがわかる日がくると思うわ。」っと言ってくれた。
なんだかすこしすくわれたような気がした。


19: 病弱名無しさん ID:cYwGEcQ1

祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。

病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・

握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。

祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには
私や、孫たちの絵で埋まっていました。


37: 病弱名無しさん ID:ZlQG14M7

>>19
似たような体験してました。
当時の事思い出すと、ちと泣けます・・・。
おれも成長して(現在28)両親も年取って、この先どうなるかわからない年齢だし、今の内に出来るだけの孝行を
しておこうと思います。
いくらしても、やりつくせるもんじゃないんだろうけどね・・・。


21: 病弱名無しさん ID:tAAlP/bq

ポケベルがはやっていた時、私の父親もポケベルを持っていたんだけど、私がいくら説明してもうまく操作できなかった。
父親はその時から癌におかされていて、父親が死んだ時、病室の引き出しから一枚の紙がでてきた。
おばあちゃんやお母さんはその紙を見て「なんだろね、これ?」と言って私に見せました。
その紙には数字の羅列が書いてありました。
私は一見しただけでそれがポケベルで使われる数字を使った文章だとわかりました。
涙が出てきました。
「お父さんもがんばるから、おまえたちもがんばれ」と書いてありました。


23: 病弱名無しさん ID:N+cujxVv

良スレですわ。涙で画面が見えません・・・


25: 病弱名無しさん ID:BAYtiWaJ

感動とか言うよりも、未だに思い出す度に
後悔の気持ちでいっぱいになって自分自身が泣けてくる話を一つ…。
多分と~っても長いです。
長文苦手な方は読み飛ばしてくださいね。

私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、
断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
--------------------------------------------------------------------------
やばい、また涙が出てきた。
でも、今の自分を客観的に見るためにも頑張って続きを書きます。
あと1~2レス続きます。


26: 病弱名無しさん ID:BAYtiWaJ

(~続き)
気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
(~まだ続きます)


27: 病弱名無しさん ID:BAYtiWaJ

(~続き)
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
(終わり)


28: 病弱名無しさん ID:BAYtiWaJ

こうして文章にして不特定多数の人が見る場所に晒してみて、
ちょっと気分が晴れました。
うまく表現できないけど、
もしかしたら母が見に来てくれるんじゃないかと思えるような。


29: 病弱名無しさん ID:vtA+skJK

>>28
凄いせつなくて、でも感動した。血のつながりばかりが全てではないんだね。
実の子をも殺す親もいれば、こんな風に、血のつながりがなくても、それ以上
のものを与えてくれる人もいる。
きっと今でも見守ってくれているでしょう。


30: 病弱名無しさん ID:di7mWf6A

立派やなあ。お話してくれておおきに‥(涙


46: 病弱名無しさん ID:y3Ray4aC

ガンで3年前に亡くなった主人。
看病疲れでうとうとしてしまうと、必ず
自分の布団を私にかけてくれていた。
元気な時は口うるさくて頑固で、何をしてあげても
感謝の気持ちも何も表してくれなかった。
そんな主人の最後の言葉は
「いろいろありがとう。ひとりにして申し訳ない」
でした。


47: 病弱名無しさん ID:NLFkSXte

>>46
旦那さんはきっと普段口には出さなかっただけで
本当はとても感謝してたんでしょうね。
シャイな人だったのかな?


57: 病弱名無しさん ID:dSNDGflh

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♯51901
不幸が無いと感動にならないのかなぁ
かうんたっく

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