阿良々木暦「ひたぎアピール」
001
かりかりと、紙の上を鉛筆が走る音が静かに部屋に流れる。
時折、何かを言いたげにちらちらとこちらを窺う阿良々木くんの視線。
いえ、阿良々木くんの言わんとしようとしている事はわかっているのだけれど、それをわざわざ指摘するのもつまらないのよね。
と言うか、今日阿良々木くんの部屋に来たのは勉強という名目はあるものの、それが本当の目的なのだ。
だから私から言い出す事はない。絶対に。
「休憩を、しましょう」
「ん、ああ……それじゃあ、ちょっとコーヒーでも淹れてくるから待ってろよ」
「どうぞお構いなく。決して決して要求している訳ではないのだけれど、阿良々木くんに勉強を現在進行形で教えている私に対する謝礼として、しいては勉強によって疲労した脳内シナプス及びニューロンへの労いとして糖分補給という建前の下にケーキがあると素晴らしいと思うし、阿良々木くんの私に対するちゃちな義理も果たせると思うのだけれど」
「……お前に礼をすることはやぶさかではないが、残念ながらケーキは今うちにはない」
「あらそう。死に値するわ」
「そこまで!?」
「ケーキがなければ死ねばいいのに」
「暴君すぎるだろ!」
「買って来なさい。コンビニので許してあげるわ」
「なんで許されなきゃいけない立場なのか僕には理解出来ないんだが」
「え? 阿良々木くんは私の下僕でしょう?」
「さも当然のように言うな!」
「だって阿良々木くんはいつも自分の一人称に『僕』を使っているじゃない」
「それはそうだけれど……それがどうやってさっきの話に繋がるんだ?」
「あれって『戦場ヶ原ひたぎ様の従順な下僕』の略語でしょう?」
「なにその斬新すぎる曲解!」
「いいから行きなさい。私の身体が求めているのよ」
「いや、買ってくるのは構わないんだけどさ……ここで待ってるのか?」
「ええ。今の私は生クリームがないと一歩も動けないのよ」
「そりゃ難儀な事だな」
言って、阿良々木くんが特大の溜息をつく。
マザーグース曰く。
女の子は砂糖とスパイスと素敵な何かで錬成されていると言われているし、あながち間違ってはいないでしょう。
「……ケーキ好きだよな、戦場ヶ原」
「女の子ですもの」
「じゃあ、そこまで言うなら戦場ヶ原ひたぎ様の従順な下僕が行ってくるよ」
「そう。苦しゅうないわ」
「なあ、ところで戦場ヶ原」
「あら、何かしら」
「……暑かったら、冷房入れてもいいからな」
顔を赤らめながら言って、彼は逃げるように扉を閉めて部屋を出て行った。
「…………」
そして取り残される私の図。
阿良々木くんの言葉の意図はわかる。
阿良々木くんは、私に上着を羽織って欲しいのだ。
そう、今の私はかなりの薄着だ。ノースリーブのタンクトップにホットパンツなんて、神原のような露出部分の方が多い服装をしている。
神原は趣味と言うよりは動きやすいから、という理由の方が大きいのだろう。
ひょっとしたら既に露出趣味というスキルも身につけているのかも知れない。
……私もあの子くらい、色々な意味でフットワークが軽くなれたらいいのだけれど。
勿論、私にこういう服の趣味がある訳ではない。
私は自分でも貞操観念の強い方だと思うし、何より異性にそういう目で見られる事に対して、吐き気を催す程に嫌悪する。
だからか、私の私服は露出の少ないものが圧倒的に多い。
それは、過去のトラウマに拠る部分が大きいのだけれど――ともかく、今日の服装は非常に私らしくないということだ。
そう、らしくない。
その証拠に、今日の阿良々木くんはどこか落ち着かない。
勉強をしていてもそわそわしており、身が入っていないように見える。
まあ、間違いなく私のせいなのだけれど。
この程度で心を乱すなんてまだまだよね。
しかし先ほどの阿良々木くんの言い回しも大概だと思う。
回りくどいというか、男らしくないというか。
素直に上着を着ろ、と言えばいいのに、言えないのが男の子というものなのかしら。
……そう考えると少し、阿良々木くんが可愛い。
これが萌えという感情なのかしら。
十代後半の、最もさかりのついた男の子に対しては少し酷かも知れないけれど、そんな事は私の知った事ではありません。
阿良々木くんが我慢すればいいだけの話なのだから。
「……我慢してくれなくても、いいのだけれど、ね」
さて。
独白はこれくらいにしておいて、阿良々木くんもいなくなったことだし本来の目的を果たすとしましょう。
002
戦場ヶ原が変だ。
いや、この言い方には語弊があると言わざるを得ない。
一般常識に当てはめて考えてみれば、変かそうでないかと言われれば、戦場ヶ原は間違いなく変な女である。
恋人の眼球を貫こうとしたり、恋人を手錠で廃屋に拘束したりする女の子を普通とは言わない。
そんな僕にとって嬉しくない意味で普通とは一線を画す戦場ヶ原なのだが、彼女だって女子高生である以上、中身は普通の女の子だ。
怪異に出会ったことで少々歪んでしまった感はあるが、本来ならば何処にでもいる優秀な女子高生に違いない。
だが、彼女らしくない。
戦場ヶ原の貞操観念はかなり強い。
年頃の男である僕としては少々寂しいことではあるものの、それを受け入れるのが恋人のつとめというものだろう。
その戦場ヶ原が、だ。
あんな、あからさまに僕を誘惑するような格好で対面に座る戦場ヶ原の意図が汲めない。
頭にドのつくサディストなガハラさんのことだ。
可能性として、動揺する僕を見て楽しんでいる、等が考えられる。
しかし僕の知る限り、戦場ヶ原は例え僕をからかう為とはいえあんな事をする女ではない。
……まさか、何かの前兆か?
事を起こすとなれば核ミサイル発射くらいの大事件を巻き起こすような女だ。
だが、今のところ心当たりはない。たぶん。
「あ、フォークは二つでお願いします」
目に見えない不安を抱えつつ、ケーキを二つ購入してコンビニを後にする。
スタンダードなイチゴのショートとモンブランだ。
ちゃんとしたケーキ屋は繁華街まで行かないとないし、戦場ヶ原にはコンビニケーキで我慢してもらおう。
「ただいまー」
家族のいない家に帰宅を告げる。
そう、何を隠そう現在、阿良々木家には僕と戦場ヶ原以外の人間は存在しないのだ。
僕の彼女が。
誰もいない僕の家に。
二人きりだ。
何とも素晴らしい響きだ。この事実だけで生きていてよかったとすら思える。
まあ戦場ヶ原のことだから期待はしない方がいいだろう、なんて半ば自棄に近い諦観と共に自室の扉を開ける。
と、
「……おい、何をしてるんだ、戦場ヶ原」
「…………」
目の前に上下左右に揺れる尻があった。
四つん這いになってベッドの下を探るのは、説明するまでもなく戦場ヶ原ひたぎさんである。
彼女は部屋に戻った僕に気付き佇まいを直すと、先程までの光景など何事もなかったかのように勉強の体制に入る。
「おかえりなさい。ご苦労様でした」
かつてチキンチキンと羽川に蔑視された僕であるが、ここまでされておいて黙っている程ではない。
恐らくは、というかほぼ確実にエロ本を探していたであろうことはわかる。
それを指摘して僕のエロス関連の台所事情を蒸し返すのも愚策だというのもわかる。
ここは華麗にスルーしておくのも一手だろう。
だが、相手が戦場ヶ原の場合、聞かないで放置しておく方が怖いのだ。
こういう事を放っておくと、後になって何倍にもなって返ってくるような女である。
「……質問に答えるんだ、戦場ヶ原」
「エロ本を、探していたのよ」
「…………」
正直な奴だった。
何でだよ、そんなもの探すな、とは言うまい。
戦場ヶ原に理由を問い質し咎めたところで口論で勝てる相手ではないことは予想済みだ。
だが残念だったな、戦場ヶ原!
お前の彼氏がそんな詰めの甘い男とお思いか!
「で……お目当てのものは見つかったのか?」
「そうね。でもおかしいのよ」
ベッドの下から数冊の本を引きずり出す戦場ヶ原。表紙に華やかな水着の女の子が載った雑誌だ。
ぱらぱらとめくりながら、戦場ヶ原が面白くなさそうに言う。
「あるにはあったのだけれど……水着のカタログのようで案外普通なのね」
「……そんなものだよ。僕の名前は阿良々木暦。どこにでもいる普通の男子高校生だ」
「そんな、神原のようなハイレベルな変態に慕われエロ帝王と崇められる特殊な性癖を持つ阿良々木くん秘蔵のエロ本がこんなグラドル雑誌だなんて考えにくいのだけれど」
「お前は僕を何だと思っているんだ!?」
神原のやつ、あることないこと戦場ヶ原に吹き込みやがったな!
しかし、戦場ヶ原も流石に鋭い。
そう、あのグラドル雑誌は言わばカモフラージュだ。
妹や神原という僕のエロ本を探すことに情熱を注ぐ外敵がいる僕の部屋において、危機管理は必要不可欠なのである。
そこでグラドル雑誌をわかりやすいベッドの下に置き「なんだ、この程度か。阿良々木暦も大した事ないな」と思わせることを目的としているのだ。
僕だけかも知れないが、個々の性癖というものはかなりの割合で隠さねばならない事項だと思う。
そんなものを外部に向けて大っぴらに公表する事になんのメリットもない。
それに戦場ヶ原が来るとわかっていてそんな簡単に見つかる場所に置くわけがないだろう、バカめ!
エロ本を隠す事に躍起になっている時点でバカめはどう考えても僕な気がして来たが、何はともあれ僕の特殊な性癖を世間様に流布する訳には行かないのである。
そんな事をされては僕の人生はおしまいだ。
相手が戦場ヶ原ならば尚更、冗談抜きで絶命の危険性がある。
ちなみに本当のお宝は床を改造して作った床下スペースの更に奥の二重底に隠してあるのだった。
そのスペースでさえ作った僕にしかわからないくらい周りの床と溶け込んでいるため、見つけるのにも一苦労な代物である。
「まあ、大人しそうな奴がドン引きするような性癖を持っていたり、普段下ネタばかり言う奴に限って純情だったりするじゃないか。それと一緒で僕もファッション変態を嗜むこともあるが、その実は普通に異性が好きな年頃の男だよ。普通最高」
やれやれだぜ、と学帽の似合う高校生とは思えない貫禄の高校生を気取って対面に座る。
よし、このまま女子に有効なケーキという課金アイテムを使用し、休憩しようという名目の下、エロ本の流れを断ち切ってしまおう。
「さ、これで僕がいかに普通かわかってくれたところで、休憩もかねてケーキ食おうぜ」
「そう。ブルマや猫耳って普通の性癖だったのね。知らなかったわ」
「ぶっ!?」
「あまつさえ縄で縛ったりスクール水着やメイド服を着せていやらしい事をするのは普通だったのね。世の中には私の知らない事がまだまだたくさんあるわ」
「戦場ヶ原さん!?」
ピンポイントで僕の持っているお宝の内容だった。
「これ、なーんだ」
「――――」
嫌な汗が止まらない。
心臓は今にも口から飛び出しそうだ。
呼吸の仕方を上手く思い出せない。
そう。
戦場ヶ原が服の下から取り出したそれは紛うことなく、僕が床下に隠した筈の数冊のエロ本だった。
003
表紙からしていかがわしい空気を放つそれは、僕が毎晩のようにお世話になっている本そのものだ。
中身は――いや、深くは語るまい。
男子の夢が詰まっている、とだけ言っておこう。
「ど……どこで、それを……」
過呼吸気味の息遣いを何とか整え、やっと喉から絞り出されたのは、そんな益体もない台詞。
「なんだか床の下から瘴気を感じて、調べてみたら床が外れたのよ」
「瘴気!?」
まさか僕の溢れ出んばかりの愛が思念となり、そんな逆効果を産んでしまったのか!?
無表情のまま、僕秘蔵の本を速読していくガハラさん。
次の瞬間、その口からどんな罵倒の言葉が飛び出すのか気が気ではない。
何この罰ゲーム!
僕、ここまでされるほど悪い事したっけ!?
「あ、あの、戦場ヶ原?」
「あら、阿良々木くんはスパッツが好きなのかしら。この子、どことなく神原に似てるわね」
スパッツ。
絶滅したブルマに代わるスポーティな女子に似合う運動着。
構造的には長さが腿まであるブルマのようなものだが、僕としてはスパッツの方が腿やお尻のぴっちり感が強調されていて好きだ。
ブルマと違って、隠さない女子が多いのも好印象である。
エロスは露出が多ければいいというものではない、とスパッツは僕に大切な事を教えてくれた。
「これは……三つ編みで巨乳の女の子が眼鏡を……あらやだ、ちょっと前の羽川さんみたいじゃない」
眼鏡、巨乳、三つ編み。
草薙の剣、八咫の鏡、八尺瓊の勾玉に並ぶ日本の三種の神器と言っても過言ではないだろう。
眼鏡も三つ編みも優等生を体現するものと言ってもいい。
眼鏡は勉強のしすぎで目を悪くしたという印象があり、三つ編みは古くから伝わる普遍的な十代女子の髪型だ。
出
コメント一覧
-
- 2015年07月17日 22:52
- そこはもっと続こうぜ
-
- 2015年07月17日 23:48
- 良かったよ
-
- 2015年07月17日 23:48
- おもしろかった!
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