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追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (1. 初期ファミコン編) - Engadget Japanese




さる7月13日、55歳の若さで逝去された任天堂・岩田聡社長。その早すぎる死を悼みつつ、「天才プログラマー・岩田聡」の残した足跡を数回にわたり、ゲームソフトともに振り返ってみます。

第一回の今回は、東工大の学生時代からアルバイトとして、卒業後に社員として参加したHAL研究所時代に手がけ、任天堂から発売された初期ファミコン作品を扱います。




さる7月13日に世界が悲しみに覆われてから、もうすぐ1か月。『ドラゴンクエスト』シリーズ最新作「XI」が次世代ゲーム機NX向けに発売決定したことが氏の最後の奮闘を伺わせますが、もうニンテンドーダイレクトで直接!ユーザーに語りかけ、誠実な人柄を世界に伝える英語のスピーチが聴けない喪失感は深まるばかりです。

任天堂の岩田聡 社長が胆管腫瘍で死去。55歳

岩田氏は元々は「天才」と冠されるプログラマー出身です。任天堂への入社前、セカンドパーティであるHAL研を経営していた頃も「社長、いいかげんプログラム打つの止めてくださいよ」と部下にボヤかれるほど第一線で戦い続け、Nintendo 64の『ポケモンスタジアム』でも大活躍して「社長にしておくにはもったいない」と惜しまれた?逸話もあります。

 そんな岩田氏にとって、プログラマーはあらゆる仕事に通じる基礎であり、「与えられた仕様書のままゲームのパーツを作る人」以上の「人と人をつなぐ」信念を賭けた生き方でもありました。

プログラマーが「できない」と言った瞬間にそのアイディアは死ぬんです。だから「できない」と言うんだったら、「ここまでならできるけど」と言えよと(出典:ユーズドゲームVOL.12)

決してノーと言わず、お客と開発現場との間に立って、夢とスリルを全世界に届け続けたプログラマー岩田聡。手がけてきたゲームソフトを遊ぶことは、故人のお客さんを喜ばせよう、自分たちも楽しんで作ろうというモノ作りの心に触れることにもなるはずです。

ピンボール (ファミコン、1984年)



岩田氏とHAL研がファミコンソフトの開発に参加し、任天堂の名義で発売された初めてのソフト。厳密には『バルーンファイト』とシステム上の共通点が多い海外ゲーム『ジャウスト』の移植が「開発」第一弾でしたが、諸事情からこちらが「発売」第一弾となりました。

ピンボール(ファミコン)

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5 枚



本作は実機のピンボールを再現したというより、デジタルピンボールの原型をゼロから確立した出発点に当たります。ビデオゲーム空間でボールの動きがどう振る舞い、フリッパーがどうボールを弾いたなら気持ちがいいか。上下2画面の切り替えや、マリオを左右に動かしてビンゴを揃える異空間にワープしたりと、物理法則に従わなくてもいいビデオゲーム空間の自由度を満喫した作りです。



第一作にして完成されたボールの挙動プログラムは、後のデジタルピンボールにとって見習うべき先輩となりました。任天堂から発売された『ポケモンピンボール』に©HAL研のクレジットが入ったのも、本質的なシステムは岩田氏が『ピンボール』で確立した基礎を受け継いでいたからです

ゴルフ (ファミコン、1984年)

ファミコン初の本格ゴルフゲーム。バックスイングの開始、ボールを打つ強さの決定、インパクトの瞬間を決定(タイミングがずれると飛ぶ方向がずれる)=「ボタンを3回押してショット」という、現代ゴルフゲームの基礎を確立した作品です。それ以前もゴルフゲームは存在しましたが、ショットパワーを決定するだけの単純なものでした。

ゴルフ (ファミコン)

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2 枚



ボールの飛び方も丁寧に計算されて臨場感があり、芝目や風向きなどの要素を早くも実装。プレイヤーが方向を変えると周囲の風景が変化するこだわりも地味にすごく、中高年にも馴染みやすいシステムも後押しとなって、約246万本ものロングセラーとなりました。

打球の落下地点の予測表示がない、どのクラブでどのぐらいの飛距離が出るか分からないといった黎明期ならではの不親切さは否めませんが、そこは後に出た『マリオゴルフ』シリーズでフォロー。後に出たWii用スポーツゲームソフト『Wii Sports』のゴルフは、実はファミコン版『ゴルフ』の18ホールの中から9ホールを厳選して3Dで蘇らせたもので、初期の功労者にリスペクトを忘れない辺りが任天堂らしさです。

バルーンファイト (ファミコン、1985年)




風船を付けて空中に浮かぶ主人公と敵が、お互いに風船を割って下に蹴落とし合うアクションゲーム。ある程度の高度差から踏みつけると風船は割れ、さらにパラシュートで降下中や、地上で風船をふくらませている時に体当りすると倒すことができます。2人同時プレイもあり、協力しながら足を引っ張り合う人間関係の破壊も可能です。




業務用のVSシステムは任天堂のセカンドパーティであるSRD、ファミコン用は岩田氏の属していたHAL研がプログラムを担当。ファミコン用の動きが業務用より滑らかだったことに驚いたSRDのプログラマーが岩田氏に教えを乞い、そのノウハウが『スーパーマリオブラザーズ』の水中ステージに活かされてマリオの動きが良くなったという、ゲッソー涙目の話あり。

障害物を避けて風船を割りながらどこまで飛べるかに挑む「バルーントリップ」は、ファミコン版オリジナルの要素として岩田氏がわずか3日で入れたモードです。2012年に収録されたゲームセンターCX特別編「社長が課長に訊く」(ニンテンドーeショップで配信)では、岩田氏自らがパッドを手に取り、「魚はつねに左右に動いていて上空にプレイヤーが来ると食いつくように作られている」など、有野課長にうれしそうに解説されていました。



今回振り返ったファミコンソフトは、いずれもWii U や 3DS などで復刻したバーチャルコンソール版が今も販売中です。

ピンボール (Wii U バーチャルコンソール版)

ゴルフ (Wii U バーチャルコンソール版)

バルーンファイト (Wii U バーチャルコンソール版)

以上、今回はファミコン初期の3本を紹介しました。次回は岩田氏が会社HAL研究所の経営も引き受けて「プログラマー社長」として手がけた円熟期のソフトを扱う予定です。

追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (1. 初期ファミコン編)

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