インコ、網戸、それから猫
セキセイインコのモモが彼女と出会ったのは、ある昼下がりのことだ。
その時彼は自慢の青い羽根を整えていて、くちばしがちょうど尾羽にさしかかっていた。
モモは羽づくろいの中でも特に尾羽を整えるのが好きだ。
長くてやりにくそうだねえと飼い主は言うけれど、やりにくいからこそやる甲斐もある。
それにここをしっかりしておくと見栄えが断然に違うのだ。
彼は熟練のくちばし捌きで尾羽を丁寧に梳きはじめた。
一回、二回。しかし三回目でふと彼は顔を上げた。
きゅっとすぼまった瞳孔の先、網戸の向こう、そこに何かがうずくまっていた。
光るものが二つ。目のようだ。ぴくぴくと動く、おそらく耳。
なんだろう見たことがある。
あれはたしか……
(猫だ)
モモはそれがなんだか知っていた。
飼い主が本やテレビで見ているのを脇からのぞいたことがあった。
そしてその恐ろしさも知らないのに知っていた。
その姿を見ただけで、体に寒気が走ったのだ。
「モモちゃんが細くなってる」
飼い主たちはそう言って笑ったけど、モモは怒るどころではなかった。
これは出会ってはいけないものだと記憶した。
あと、飼い主がインコもいいけど猫も飼いたいなーと言ったことも一応記憶しておいた。
その出会ってはいけない猫に見つめられて。
モモは気づかなかったふりをすることにした。
羽の中に顔をうずめて知らんぷりを決め込んだ。
ああいう奴は羽づくろいしているうちにどこかへ行ってしまうに違いない。
両翼の先から尾羽の先まで。くまなく二周を終えても猫は帰っていなかった。
再び顔を上げてモモは困り果てて首を傾げた。
試しに少し歩いて相手を見やる。
猫の目はしっかりモモを見つめていた。
今度は逆側へ五歩。
やっぱり猫はこちらを見ていた。
モモはしばらく考えて。それから猫の方へと近づいてみた。
もしかしたら動かない猫なのかもと思ってしまったのだ。
二歩までは何ともなかった。
三歩目で猫が少し身体を起こした。
四歩を踏み出すかは少し迷った。
迷って結局踏み出した。
っしゃあん、と大きな音がした。
モモは大きく飛びあがった。
大慌てでかごに駆け寄って飛び込んで。
ぶるぶる震えて細くなった。
猫の方をなんとか振り返ると、それはまだそこにいた。
悔しそうに顔をむっとさせてモモの方を睨んでいた。
「……失敗した」
その声が雌のものだったので、雌の猫だとようやく分かった。
彼女は名残惜しそうに網戸を二三度叩くと、どこかへ姿を消してしまった。
もう来るな!
そう願いながら、モモは体を固くしたままだった。
けれど猫は次の日もやってきた。
「帰って!」
かごの奥から震え声でモモは叫んだ。
猫は動かなかった。
「帰ってよ!」
猫はやっぱり動かなかった。
ただじっとモモの方を見つめているだけだった。
と、その時、不意に猫が口を開いた。
「わたし、謝ろうと思って来たの」
「え?」
モモは首を傾げた。
「昨日は驚かせてしまったでしょう? 友達になろうと思ったのに」
「友達?」
「そう。でもあいさつの仕方がわからなくてあんなことを。ごめんなさい」
モモはもっと首を傾げた。
「わざとじゃなかったってこと?」
猫はこくりとうなずいた。
なあんだ! モモはすっかり安心した。それなら怖がることなかったね!
「わたしと友達になってくれる?」
「いいよ!」
モモはかごを飛び出して、急いで網戸に走り寄った。
「友達になろう!」
そして網戸まであと少し、というところで思い出したのだった。
テレビでは猫が鳥を襲っていたことを。
ぴたり、とモモが足を止めると、猫が不思議そうに聞いてきた。
「どうしたの?」
「ごめん、やっぱり猫は怖いや」
モモの答えに猫は大声を上げた。
「なんで! もう少しだったのに!」
そして再びの網戸を叩く音。
っしゃあん、がしゃん、がっしゃあん。
モモはもちろんかごに逃げ帰って、もう猫なんて絶対に信じるものかと決めた。
次の日も猫は来た。
けれどモモはかごの奥でそっぽを向いてやっていたので猫は手を出せなかった。
次の日も猫は来た。
かごの奥に隠れていなければならないのはつらいが、怖いよりはましだった。
その次の日も猫は来た。
飼い主が網戸の外に出て、少し撫でてやっていた。
どことなく猫が勝ち誇った顔をしていたので、威嚇で羽を膨らませてみた。
猫が来る頻度が多くなって、飼い主が彼女をかわいがる風景も多くなった。
「あんたがうちに来てくれたらいいのねー……だって」
猫が得意げに言った。
「そのうちあんたを食ってわたしがこの家のペットになろうと思うの」
「あっそ」
むすっとしながらモモは答えた。もちろん網戸からは距離を取って。
「ねえ、どう思う?」
「無理じゃない?」
ムキになってモモは言った。
「ご主人様はなんだかんだ言ってぼくの方を取るよ。だってぼくの方がかわいいもん」
「それならわたしが勝つんじゃないかな」
「なんで?」
「わたしの方がかわいいから」
その日は自分がどれだけかわいいかを延々と競い合った。
それで結局はというと。勝負はモモの勝ちだった。
飼い主が網戸を開ける時の隙を突いて室内に忍び込んだ猫は、こっぴどく叱られて外に放り出されたのだ。
「ねえ、どんな気分?」
モモの問いに、網戸の外でふて腐れる彼女は答えなかった。
モモが笑った時だけ彼女はモモの方をにらんだ。
その後、二三日猫はやってこなかった。
モモはせいせいしたなーと思いながらも、網戸の外を折に触れて確認した。
次にやってきたとき、猫は少し満足げに見えた。
余裕のあるゆっくりとした足取りで網戸の前まで来ると、優雅にそこに座った。
「……何かあった?」
「聞きたい?」
訪ねると猫はにやりと笑った。
モモはとりあえずうなずいておいた。
猫が語るにはこういうことらしい。
ここ二三日雨が続いた。
雨はすこぶる嫌いなので雨宿り先を探していたところ、一軒の家の軒先がちょうどいい感じだった。
そこで丸まっていたところ、天から恵みが降ってきたのだった。
「恵み? 雨のこと?」
「違う。家の人がごはんくれたの」
自分の家で雨宿りしている猫を見つけた人間が、食事をくれたということのようだった。
そういう人間というのは再び訪れれば躊躇わず食べ物を差し出すのだという。
「これで食事には困らないよ。搾り取れるだけ搾り取ってやる」
「それはよくないんじゃないかなあ」
「なんで。あんたもやってることじゃない」
モモは小さな頭で考えた。
考えて考えて、結局分からないということが分かった。
「でもよくないよ」
「生きるためには仕方ないのー。あんたに何がわかるのさ」
明らかに面倒になった様子で、耳の後ろを掻きながら猫が言った。
モモは、よくないと思うけどなあともう一度だけつぶやいた。
ある夕べ、モモは網戸から空を見上げていた。
そのはるかな高みでは何羽もの鳥が行き交い、遠く鳴き声を響かせていた。
「どうしたの?」
いつの間にか網戸の向こうにいた猫にモモは答えた。
「別に」
猫はふーん、と言ってその場でごろりと横になった。
「もううちには来なくていいんじゃないの?」
「面白そうなものがあると来ちゃうんだよね」
「……ぼくのこと?」
「そういうこと」
複雑な気分でモモは彼女を見つめた。
「ぼくなんか面白いかな」
「面白いよ?」
「ろくに飛べないのに?」
「え、そうなの?」
猫は片目を開けてこちらに向けた
「うん。体、あんまり強くないから」
惨めな気分でモモは自分の足元を見下ろした。
血色の悪い脚がそこにある。
それから小柄な体。
「ご主人様もよく言うんだ。モモちゃんはもうちょっと丈夫だったらよかったのにねって」
猫は相変わらず片目片耳だけで話を聞いていた。
が、体を半回転させて腹ばいになると、前足に顎を乗せて微笑んだ。
「それくらい問題ないんじゃない?」
「それくらいって……」
ぼくは本気で落ち込んでいるのに。
ますます気分を暗くするモモに猫は言った。
「あんたがどんだけ虚弱だろうと、猫を面白がらせるのには十分だよ。わたしはあんたを見てると狩りたくて狩りたくて仕方がないよ」
「そんなの何の慰めにもならないよ!」
モモは跳びあがって怒った。猫のおもちゃとしての価値なんてどうでもいい!
それでも猫はひるまなかった。
「それならさ、あんたはわたしよりはかわいいんだ。それははっきりしたじゃない? 誇ってもいいんじゃないかなあ」
モモは言葉を失った。
静かになったので鳥たちの声がよく聞こえた。
「……カラスが飛んでるねえ」
モモはようやくそれだけをつぶやいた。
「そうだね」
猫は静かにうなずいた。
「ぼく、カラスも嫌いなんだ。大きくて黒いから怖い。夜に似てるよね」
「ふうん」
「夕方になって空を飛んでるのを見るとこっちに来たらどうしようって思っちゃう」
「ならわたしが追い払ったげるよ」
驚いて視線を下ろすと、猫が立ち上がったところだった。
ふわあと大きなあくびを一つ。彼女はこちらに背を向けた。
「まあカラスはあんたなんか相手にしないだろうし、あとわたしの気が
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悲しい切ない感情も沸くんだけど、
なんだか心が温まったよ