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【歴史】みんな大好き幕末について書いてく てんこもり。


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【歴史】みんな大好き幕末について書いてく

1: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:44:25 ID:8XE
花燃ゆを見て刺激を受けたので江戸時代~幕末について物語風に書いていく
はじめに言っておくけどワイはただの幕末好きでいろんなところから得た知識を
おんj風にまとめるだけで歴史の先生みたいに詳しいわけやないんや、
だから歴史的な質問についてはあまり答えられない。それについては最後に説明しようと思う
このスレはただワイなりに歴史を語るだけ
間違ったこともあるかもしれんけど、個人見解ということで
それをふまえてみてほしい

4: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:45:24 ID:WZ2
楽しくない世を楽しく

だっけ?高杉晋作の名言

6: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:45:56 ID:8XE
>>4
おもしろき ことなき世をおもしろく だったような。。
すまん細かくはわからん

10: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:49:11 ID:8XE
じゃあ書いていくでー
とりあえずポイントに分けて
書きためたとこまで上げていくわ

11: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:50:05 ID:8XE

時代は江戸時代、、
江戸幕府成立から90年ほどたった頃幕府は困り果てていた。

5代将軍徳川綱吉(´・犬・`)
(´・犬・`)「お前ら動物殺したらアカンで、あとワイが戌年生まれやから特に大事にしろや」

('ω`)「えっ」

(´・犬・`)「ここに大きい犬小屋作るからお前ら立ち退けや」

('ω`)「えぇっ」

15: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:53:58 ID:8XE
ちょうど元禄の飢饉中に大久保・四谷に16万坪の広大な犬小屋が完成
そこで野良犬などを集めて面倒をみていた(犬の食費は年間9万8千両)
さらにそこを管理する人件費が上乗せされます。
1両=10万くらいとすると98億円くらいらしい

(´・犬・`)「魚も生き物やから食べたらアカンで」

('ω`)「…」

庶民は肉と言えるものをほとんど食べれなくなりました。



16: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:54:49 ID:8XE

生類憐みの令は経済に支障をきたして、国のお金はどんどん減っていってしまいます。
この頃は消費税もなければ所得税もなく、国の収入は農家から取り立てる年貢だけです。

(`o´)「こんなんじゃやっとれんわ田んぼなんかほっぽって江戸に行くで!」

彡(゜)(゜)「おっ、お前ら農民の出身か?ワイ商人なんやけど自分たちで米売りまくって儲けようや」


19: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:55:23 ID:8XE

この頃には消費税や所得税もなく、営業利益に課税がなく商人は大儲け。
逃げた農民を商人が雇って、使い、さらに権力を伸ばす。
飢饉の場所に米を持っていけば飛ぶように売れたのです。

年貢を納めるべき農民が逃げて都市に来て、都市が膨張しそれによって商品の需要が増え利益が上がり、
手が回らない商人は逃げてきた農民を雇って、さらに莫大な利益を上げる、、、
これに幕府は一定以上の税金をかけず、さらに農民が逃げたことで年貢は減り続ける、、

これによって江戸幕府の財政は底をつこうとしていた


20: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:56:30 ID:8XE


(´・ω・`)「 初心に返って農業中心の政治をやるべきです」

( ・`ω・´)「いやいや、これからは商人から売上の上前を撥ねるべきです」 

幕府の議論は真っ二つに分かれ、結果的にこれが交互に繰り返されることとなる


21: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:57:29 ID:8XE

まず、八代将軍吉宗は農業中心の政治を展開、享保の改革を行います。
(´・八・`)「質素倹約するやで、花火とか無駄なもんも中止や」

(´・八・`)「参覲交代はやめられへんけど、頻度を減らすからその分もっと米(税金)をよこせや」



23: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:59:12 ID:8XE
吉宗はそれまで政治の実権を握っていた新井白石をクビにして、自分で政治を行うようにしました。
足高の制という登用制度で本来石高が不足して役職に就けなかった優秀な人物も
優秀な人材確保にも務めたのです。
ちなみにあの有名な南町奉行所『大岡越前』(大岡忠相)も足高の制で、吉宗に採用された一人です。
さらに、今までは絶対に海外からの輸入というのは禁止していたのですが、
今後は「技術の本のみは輸入をして外国の技術を盗もう!」と決意します。
この頃、イギリスで産業革命が始まろうとしているわけですから、
まさに最高に丁度いい時期でした。


27: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:08:29 ID:8XE
しかし9代将軍となる徳川家重の御側御用取次に田沼意次が昇格し、
10代将軍徳川家治の時に老中になると、商人から利益を撥ねる方向で必死に頑張ります。

(・幕・)「ワイらもビジネスするでー中国さんよろしくニキー」

(・幕・)「アイヌの海産物(干物)も松前藩に頼んで貿易するでー」

彡(゜)(゜)「幕府が商売しとるやんけ...」

幕府も積極的に商売を始めてしまいます。


25: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)16:59:59 ID:k5E

ん~なんか流れが分かりづらい


26: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:05:01 ID:8XE

>>25
すまん、キリが悪かったなあ。。
すこし背景を追加するで。

ざっくりいうと関ヶ原の戦いで天下を取った江戸幕府は武家諸法度を発行し、
一国一城令や参勤交代を義務付け、さらに貿易まで独占していた。
おまけに、もう一つの勢力である天皇も武力を背景にして抑えこみ、
まるで現在の北朝鮮みたいな専制君主制による独裁政治を行っていたわけや

時々反乱が起こっていたりしたが幕府が力を押さえ込んでいたからことなきを得ていた
しかし、いろいろなところでキナ臭い感じがたちこめていた、、
という感じやろか


28: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:09:45 ID:8XE

幕府が巨大な商社になってしまったわけです。
これによって、当時の江戸幕府は空前の好景気に湧いたそうです。
徳川家治は政治には全く興味が無く、
好きな将棋や趣味に没頭して、政治は田沼意次に任せていました。

そうなると次に起こるのは政治家による汚職でした。
もう田沼意次ってのはその名の通り、田や沼みたいにドロドロな政治家で
汚職政治家といえば田沼って方程式まであったぐらいなんです。
そして、そんな汚職をしていれば当然景気は落ち、ついでにそこに天明の大飢饉もあわせて起き
結局、田沼意次は失脚することに。


29: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:10:22 ID:8XE

次に出てきたのは松平定信でした。
白河藩出身の彼はその文字の通り、白河のように潔癖で汚職なんて許さない、
田沼とは違ってとんでもなく綺麗な水にしてしまいます。
”田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水”なんて文言ができる程に

(´・松・`) 「水清ければ魚住まず?何言うてんねん、清い水に住めない魚など絶滅してしまえ」


31: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:12:31 ID:8XE
清らかすぎる定信が行ったのが寛政の改革です。
当時、御家人(武士)というのは、とにかくお金がなく、
身分階級の最下層である商人から借金をしないと生きて行けず
その為、武士は商人によって支配されてしまっていたのです。
しかし、この松平定信は寛政の改革でなにをしたかというと、、


32: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:12:54 ID:8XE

(´・松・`) 「よっしゃ武士の借金は帳消しや!法律で決めたで!」

彡(゜)(゜)「ファッ!?」

( ・`武・´)「よっしゃああああぁぁぁぁ」

彡(* )(* )「あああああ!!(ブリブリュリュリュリュ!!! )」

33: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:14:38 ID:8XE
しかし、時代は商業の時代、いきなり莫大な借金を帳消しにされたら商人が疲弊します。
結果、都市が疲弊してしまうのです。
結局、松平定信の行った寛政の改革は商人の疲弊による都市の疲弊という幕府がより貧乏になる形で集結したのでした。
>>29にあった歌が”白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”
なんて文言すら言われるようになりました、、
 

34: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:15:35 ID:8XE

次に台頭するのは、11代将軍、徳川家斉です。
この人はどんな人かと言いますとビッグダディのように子供を作りまくります。
というのも、在位が長かったのです。
10歳という若さにして将軍となった彼は、その後50年間将軍を務めます。
そしてその間、もう好き勝手に贅沢しまくります。
特定されているだけで16人、、一説には40人もの妻を持ち、
生まれた子供は男子26人・女子27人とか、、、
当然、将軍が遊んでできた子供なので、正式な子供とは認められず、
しかもその大勢の子どものせいで養育費は莫大にかさみ幕府の財政はついに底を尽きる勢いに、、


35: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:16:24 ID:8XE

これが江戸幕府の決定的な転機となります・・・
彼が遊ばなければ、きっと江戸幕府はもう少し長生きできたかもしれません
で、お金が無くなり、さらに天保の大飢饉が訪れると
彼はまたムチャクチャなことを言います。
(・´з`・)「米が無いやと?ならもってこいや、アレや、大阪の蔵屋敷にようけあるやろ?アレ持って来い」と
説明しましょう、これがどれだけの問題発言なのかを、、、


36: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:17:09 ID:WZ2

大塩さんがアレを起こすんやな


37: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)17:17:13 ID:8XE

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♯52488
何やコレ、内容ガバガバやん
・コメの生産は家綱時代に余剰米を出して値下がりが始まった。元禄は米に変わる商品作物が無いのにも関わらず、市場経済が発展し幕府財政が悪化している
・田沼時代は景気が明らかに回復し綱吉以来最高の余剰財産を生み出している。赤字転落の契機が天明の飢饉であり政権崩壊の原因にもなった
・家斉の子供で一番お金が掛かったのが、養子縁組と嫁入り費用。大名の養子に押し付ける時、莫大な持参金(場合よっては石高加増も)で黙らせたので(姫も同様)幕府財政が傾く原因になった。家斉の贅沢よりこちらの支出の方が大きかったって試算もある
・小判の葺き替えは綱吉時代からやっている幕府の常套手段。当たり前だが市場流通貨幣が増えるので元禄期もそうだが、文化文政の長期成長時代が到来する。今の時代から見る江戸文化の殆どがこの時代の産まれであり、かなりの好景気だったのが見て取れる。
・お茶が日本からとか何処の情報だか。イギリスが最初飲んでいたのは烏龍茶。帆船時代には日時がかかるので茶葉が移送中発酵してしまい紅茶になってしまったのが始まり。日本茶は抹茶も煎茶も発酵を止めているから紅茶にはなりえない。
・長崎海軍伝習所は幕府と各藩のエリートを集めた施設。坂本龍馬のような白札郷士階級は入学すら不可。
・講武所も幕府のエリート養成機関。旗本に使える人材が少なく御家人にも門戸を広げたが、間違っても武州の農民や水戸の浪士崩れは入っていない。
・ハリスとの関税交渉は水野忠徳が担当。金銀交換レートとともに高い知識で常識的なレートを申し出たが、武力を持って押し付けられたもの。嘘言うな。
・公武合体は孝明天皇が特に推し進めたもの。孝明天皇は最後まで尊王派を嫌っていた
話の本筋に関わる所だけでこんだけ間違いがあり細かいところはこの3倍ぐらいある。最後まで書いている自分と違って読ませる努力もしているが、歴史小説以下の適当さ。
かうんたっく

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