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淡々と画像を貼るスレ オーパーツ・ロストテクノロジー編 | 不思議.net

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淡々と画像を貼るスレ オーパーツ・ロストテクノロジー編

2015年09月02日

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コメント( 5 )

1: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:03:30 ID:V88
ハラデイ

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2: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:07:15 ID:V88
オーパーツ(OOPARTS)

「発見された場所や時代とは全くそぐわないと考えられる物」を指す言葉。
英語の「out of place artifacts」を略して「o o p arts」とした造語で、「場違いな工芸品」という意味を持つ。
これは、世界的に有名な動物学者・超常現象研究家の「アイヴァン・サンダーソン」が提案したとされる言葉で、
アメリカの作家レニ・ノーバーゲンの著書を通じて広まった。
日本では「時代錯誤遺物」と訳されることもある。
「オーバーテクノロジー」(over technology)という言葉もあるが、これは主に創作の世界で使われる。

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4: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:08:38 ID:kNG
淡々ニキやんけ!

5: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:08:44 ID:V88
ロストテクノロジー(Lost Technology)

何らかの理由により現代では失われてしまった、過去に開発されながら後世に伝えられず絶えた技術体系を指す。
ロストテクノロジーが発生する要因は様々あるが、主な理由として、
「後継者が途絶え、技術が失われる」
「環境の変化により、技術が育まれる基盤が消失する」
「別のテクノロジーの発展により、衰退する」といったものが挙げられる。
大小含まれば世界中で様々な技術が途絶え、または新しいものに取って代わられているので、全てを網羅する事は難しい。

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6: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:10:22 ID:V88
カテゴリ/ジャンル分け

[1]オーパーツ
[2]オーパーツ(工芸品以外)
[3]ロストテクノロジー
[4]文書・文字・暗号
[5]その他

※このスレにはオーパーツ/ロストテクノロジー以外ものが含まれています

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7: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:15:18 ID:V88
コスタリカの真球(Stone spheres of Costa Rica)

1930年代、コスタリカの密林で発見された真球に近い石の球体。
現在までに200個以上発見されている。
素材は花崗閃緑岩が使われており、貝殻石灰岩の石球も少数存在する。
直径1m~2mで、重さ15t~25tほどの石球がよく取り上げられるが、2cm程度の小さなものある。
作成年代・作成目的は不明だが、周辺にあった遺構の年代から、西暦300~800年のディキス石器文化が有力視されている。
肝心の「精度」は、部分によって5cm以上異なる球体もあれば、ミリ単位以下の制度で作られているものもある。
石球の配置には「規則性」があり、星座など天体を模しているという説もあったが、持ち出されたり破壊された事で調査不可能となった。

加工技術としては、加熱と冷却を繰り返して表面を崩していき、叩いて形を整え、最後に磨き上げたと考えられている。
テレビ番組「特命リサーチ200X」では日本の石材加工業者が当時のやり方と思われる方法で作成し、時間さえかければ真球に近い石球を手作業で作れることを実証した。

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64: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:06:37 ID:OpA
>>7
技術的には可能やったんやろうけど
なんでこんな手間かかるモンを大量に作ったんやろな

あとこの石球って真球に近いのは少なくて
ほとんどのは結構ゆがんどるらしいな

68: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:14:54 ID:V88
>>64
天体の位置説、石職人の練習台説が有名やね
画像検索だと市街に移動された石球が多いけど、森林の中にあるのも多い。あと、記号が刻まれた石球もある。

9: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:17:25 ID:V88
→モエラキ・ボルダー(Moeraki boulders)※自然現象

ニュージーランド南島南東部のモエラキ海岸にある奇岩群。
直径1~2メートル程度の球形の岩が多数点在している。
これは、新生代暁新世頃の「ノジュール」(炭酸カルシウムが形成された塊)が、波の浸食作用によって長い年月をかけて露出したものと考えられている。 

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10: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:23:56 ID:XOC
どっかの砂漠の勝手に動く岩って解明されたんやっけ?

13: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:25:47 ID:V88
>>10
セーリング・ストーンズは自然現象やね。解明されてるよ
デスバレー(死の谷)で人知れず移動する「さまよう岩」現象の謎がついに解明される
http://world-fusigi.net/archives/7486929.html

130705DV02

49: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:59:48 ID:XOC
>>13
サンキューやでイッチ
頑張ってな~

11: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:24:40 ID:V88
カブレラ・ストーン(Cabrera Stones)

「Ica Stones」(イカの石)とも呼ばれる、
南米・ペルーに住む内科医のハビエル・カブレラが所有する1万5000点以上にわたる石のコレクション。
地元ペルーで川の氾濫が起きた時、半ば砂に埋まっていたのを農民によって発見されたのがカブレラによる収集のきっかけだといわれる。
石には「恐竜と人類が共存するような絵」、「天体観測」や「医学」などの様子が掘られており、
過去に高度な文明が存在していたことを示すとして話題になった。
アンビリバボーで紹介された時は「考古学の常識を根底から覆す大発見」と言われ、
この石が考古学会に認められないのは「自分たちが今まで教えてきたことが根底から覆されることを恐れ、その事実を認めないせいである」とされた。

この石について、発見者の農民バジリオ・ウチュヤは1977年の取材において「自分と妻で作った贋作だ」と告白している。
当然「この告白こそが嘘だ」という反論も出たが、その後の調査で絵の下書きに使われたと思われる鉛筆の跡など、比較的最近に作られたという鑑定結果が出ている。

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恐竜?
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ナスカの地上絵に描かれたサルとコンドルもあった
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15: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:29:39 ID:V88
クラークスドープの金属球(Klerksdorp sphere)/南アフリカの金属球

南アフリカの西、トランスヴァール州にある葉蝋石の鉱脈で見つかった金属球。
直径4cmほどで用途不明。これまでに鉱脈の各地で複数個発見されている。
内部が空洞のものと、繊維状のガラスのような物質が詰まったものの2種類があり、外側には球体の中心に平行に走る3本の溝がある。
同国の地質調査によると、この鉱脈が形成されたのは約28億年前という結果が出ており、
そのため「28億年前の金属球」と呼ばれることもある。
しかし、そのまま鉱脈にあったのか、ある時代に紛れこんだのかは不明。
また、この球体は「年に1~2回自転している」事でも知られる。
金属球を展示している博物館の館長によれば、ガラスケースの中にある金属球が近くにある鉱山からの振動によって少しずつ傾くせいだという。

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17: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:36:00 ID:V88
ピーリー・レイースの地図(Piri Reis map)

「ピリ・レイスの地図」とも呼ばれる、1929年にトルコで発見された地図。
オスマン帝国の海軍提督ピーリー・レイースが作成した現存する2つの世界地図のうち、1513年に描かれた方を指す。
ベストセラー書籍「神々の指紋」でも取り上げられており、知名度が高いオーパーツの1つ。
地図の南側には当時未発見だったはずの「南極大陸の海岸線」のようなものが書き込まれている。
定説では、南極大陸の発見は1820年頃とされているので、その通りならこの地図は時代錯誤遺物となる。
現在の有力説は、「地図は貴重な羊皮紙を使用していたため、紙の中に収めるために南アメリカ大陸の海岸線を曲げて描いた」というもの。

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→Francesco Rosselli map(1508年)
→Johannes Mauritius map(1590年)

16世紀に描かれたこれらの地図にも南極大陸のようなものが確認出来る。
しかし、実際は「Terra Australis」(南方の大陸)という記述があり、
先人たちが想像していた南にある未知の大陸はオーストラリアだった事が分かる。
そして、「南方の」を指す「オーストラリス」という言葉はオーストラリアの語源となった。

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19: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:41:55 ID:V88
ヘレフォードの地図(Hereford Mappa Mundi)

1300年頃に作成された、中世ヨーロッパの思想を反映した世界地図。
「マッパ・ムンディ」と呼ばれる中世ヨーロッパで製作された地図で、その中でも現存する最大のもの。
製作年代は14世紀前半で、「ホルディンガムとラフォードのリチャード」という人物の作とされる。
大きさは縦1m60cm×横1m30cm、上質な皮の紙にインクを用いて描かれている。
この地図は3つある祭壇画の中央部分で、左のパネルには大天使ガブリエル、右のパネルには受胎告知があったとされるが現存しはしていない。

地図は東が上になっており、ヨーロッパとアフリカの表示は何故かひっくり返っている。
また、頂点付近の日本にあたるところには「HEAVEN」(天国)と記されているそうだ。
そして、東の果てでは楽園エデンからの追放、最後の審判が描かれている。

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65: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:09:25 ID:OpA
>>17,19
こういうクォリティ高い地図系は凄いと思うと同時に
何か少し恐い感じがするんや

21: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:50:46 ID:V88
石の世界地図(Ecuador stone map)

南米・エクアドルのラマナで1984年に発見された地図が石に描かれた遺物。
大きさは縦60cm、横40cm、奥行き30cm程度で、どの文明のものかは不明。
この石には南北の回帰線を境とする世界地図が描かれており、
南北アメリカの大陸、ヨーロッパの大陸、アジアの大陸の一部のほかに、3つの未知の陸地の輪郭が刻まれている。
地図が描かれた年代は数千年前~1万年前と見られており、地球を上空から見て描いたような地図になっている。
また、石には目に似た印が2つ嵌め込まれており、
1つは中東・バビロンの辺りに、もう1つは石のあるエクアドルに埋め込まれ、白線で結ばれている。
そのため、古代メソポタミア(中東)とエクアドル(南米)の間に文化的接触があったという推測が存在する。
写真を見ると、比較的新しい石に描かれた落書きのようにも見えるけど…。

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メソポタミアと石の目が一致するらしい
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22: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)16:58:48 ID:V88
聖徳太子の地球儀

兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わる小さな地球儀。
斑鳩(いかるが)寺は、606年に聖徳太子が推古天皇に法華経を講義した縁で当地に建てられたとされている。
また、江戸時代に目録「常什物帳」が作成され、その中の「地中石」と記載されているものがこの地球儀だといわれており、
少なくともその頃から存在していたと考えられている。
地球儀の表面には南北アメリカ大陸やユーラシア大陸などがレリーフのように描かれていて、
1800年代に発見された南極大陸に相当する大陸や、ムー大陸に相当する部分(フィリピン・インドネシア説あり)にも大陸が描かれている。
科学的な分析の結果、材質は石灰や海藻糊で、漆喰の技法で造られた可能性が高いという結果が出た。

このほか、地球儀の表面には「墨瓦臘泥加」(メガラニカ)という文字が書かれていることも判明した。
メガラニカとは南半球に存在すると考えられていた想像上の大陸であり、 主にマゼランによって有名になったが、
日本では1602年の「坤輿万国全図」がメガラニカを示した最初の地図とされている。
メガラニカの名称が使われていることから、この地球儀は聖徳太子の時代ではなく1602年以降の製作である可能性が高い。
「特命リサーチ200X」では江戸時代の医師・寺島良安が製作したという仮説を紹介している。

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23: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:05:27 ID:V88
バシキールの立体地図(Bashkir's Dashkin kamen)

ロシアのバシキール共和国にあるチャンダール村で1999年に発見された石版。
地表から約1m地下にあり、高さ1m50cm、幅1m、重さは約1tだった。
石版は3層の特殊なセメントから生み出されており、3番目の層は白色の磁器だったという。
製造年代は1億2000万年前といわれている(調査方法は不明)。
また、科学的な調査の結果、石版はバシキール地域の立体地図(3D MAP)であることがわかり、
そこには現存しない1万2000mにもおよぶダムのようなものが描かれていた。
バシキール国立大学の教授は、石版の上にあるレリーフが、手作業ではなく機械的に削られたという事も指摘している。
しかし、1億年前となれば機械的作業はおろか、人類の誕生(ヒトの歴史は約200万年)すら迎えておらず、地球外生命体によるものという説も挙げられている。

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24: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:11:05 ID:V88
中国の衛星撮影地図

正式には「長沙国南部図」と呼ばれているもので、
中国・湖南省の博物館に収蔵されている縮尺約18万分の1の地図。
2100年前の「馬王堆漢墓」(利蒼と妻子を葬ったといわれる墓)から発見されたといわれる。
馬王堆漢墓は1972年から発掘が開始されたので、発見されたのはその頃と思われる。
地図は長沙国南部を描いたものとされ、幅50cmの帛を2枚つなぎ合わせた約1mの正方形で、縮尺は17~19万分の1。
描写の中心となる部分は非常に精度が高く(河川の屈曲がほぼ現在のものと一致するなど)、
現在の測量技術はもとより、衛星写真で撮影された地図と寸部違わぬ精度で描かれている。
同地図を保管している王世平教授は、この地図の現本は数千年前にあった人口衛星から撮影した写真を元に作成されたと主張している。

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25: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:19:11 ID:V88
ブラック・ナイト・サテライト(Black Knight Satellite)

およそ1万3000年前から地球軌道を移動している巨大な衛星(とされるもの)。
「ブラック・ナイト・サテライト」(黒騎士の衛星)と名付けられている。
名付け親は不明。NASAもその存在を認めているそうだ。
ソースとされる記事の1つでは、
「1960年に発見された不可解な起源不明の人工衛星で、スプートニク(Sputnik)を影で覆ったとされ、
天文学者のダンカン・ルナンが解析した短波パターンでは『エプシロン・ボーティス』『或いは1万3000年前の星系』が起源である事を示していた。」と書かれている。
さらに、「アマチュア無線家達が奇妙な暗号化されたメッセージを受信し始め、それが星図と一致しており、星図は13000年前の地球からの描写だった」とされている。
つまり、宇宙的な存在によってもたらされたものである、と語られている(年代測定も旋回周期ではなく別の調査)。
見たところ、冷戦時代の打上げ実験(極秘含む)の残骸とも思えるが、デブリが長い期間地球に程近い空間を漂うことはあるのだろうか。

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29: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:33:24 ID:zEY
>>25
やっぱりソ連かアメリカの打ち上げ実験の残骸なんかな?
ロマンは感じるがちょっとこわE

59: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:55:06 ID:I31
>>25
ゴルゴ13に出てきそう

27: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:26:46 ID:V88
バグダッド電池(Baghdad Battery)

イラク・バグダード近郊で1932年頃に発掘された土器の壺。
出土したのは民家遺構の中で、呪文が書かれた3つの鉢と共に置かれていた。
高さ約10cm、直径約3cm程度で、粘土を焼いて作った素焼きの土器の中に固定された銅の筒が入っており、
さらにアスファルトで塞がれたシリンダーの中に鉄製の棒が差し込まれている。
また、底には何らかの液体が入っていた痕跡があった。
1938年に「電池の一種ではないか」とする論文が発表され、その後1978年に「電池と推定される器具」と展示されたことで世界中に紹介された。

電解液として酢や葡萄酒を用いた結果、電圧0.9~2ボルト程度で発電される事が分かったが、
発見時と同じくアスファルトで口を閉鎖した場合はすぐに電流が止まってしまう事も確認されている。
また、壷の様式はサーサーン朝様式で、同様の構造の壷が他にも多数発見されている事、それらからパピルスの繊維が確認されている事から、
この壷は宗教的な祈祷文を入れて埋める壷であり、金属棒は巻物の芯棒だったという説もある。

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電気を見つける事と、電気を扱う事は別の問題とも言われるが…
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28: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:30:20 ID:Ksh
オーパーツでてくる漫画とか小説映画あったら教えてほしいンゴねぇ…
スプリガンは読んだけど

33: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:37:53 ID:V88
>>28
映画だとインディ・ジョーンズ、ゲームならアンチャーテッドとか?

30: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:34:05 ID:VEs
ワクワクするぅ             

31: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:35:48 ID:V88
氷河時代の金属容器(Metallic Vase)

この遺物(?)は載せるべきか迷ったが、一応記載しておく。
アメリカ・マサチューセッツ州で1850年頃に発見された金属の容器。
ドーチェスターにある岩山で建設工事が行われた際、作業の一環で爆破工事を行ったところ、
岩の破片の中から2つに割れた金属が発見されたという。
2つの金属はぴったりと合い、鐘状で高さ12cm程度の容器である事が分かった。
材質は銀を多く含んだ合金で、外側には花柄模様が銀細工で装飾されていた。
金属容器が埋まっていたのは地下5mの礫岩層の部分で、そこは数万年~200万年以上前(氷河時代)の地層だという。
銅の精錬は紀元前5500年ごろにペルシャで始まったと言われているので、氷河時代のものなら明らかに時代錯誤遺物となる。

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36: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:46:14 ID:V88
西晋のアルミニウム合金製ベルトバックル(Aluminum alloy belt buckles of Western Jin)

3世紀~4世紀に建てられた古代中国の王朝「西晋」の遺物。
1956年、中国江蘇省にある西晋時代の将軍・周処の墳墓から、一体のミイラと共に金属製の帯留めが発見された。
調査の結果、金属の組成はアルミニウム85%、銅10%、マンガン5%の合金であることが判明した。
アルミニウムは極めて酸化しやすい(錆びやすい)物質で、通常は他の物質と結合して存在しているため、
この帯留めを作るには、他の物質からアルミニウムだけを分離・抽出しなければならない。
また、アルミニウムが単体として分離されたのは19世紀になってからというのが化学史の定説とされている。

ここまではよくあるオーパーツの話で終わるのだが、実は周処の墳墓からは17個に及ぶ金属製帯留めが発掘されており、
また、鑑定に使われたのは帯留めではなく墳墓で見つかった小さな金属片だった。
その後帯留め自体を鑑定したところ「銀製」であり、金属片は20世紀以降の盗掘によるものと調査されている。

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37: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)17:52:52 ID:V88
コソの点火プラグ(Coso artifact)

「コソ加工物」とも呼ばれる、アメリカ・カリフォルニア州のコソ山脈で発見された点火プラグ。
晶洞石(ジオード)の中から発見されたという話や、
プラグを覆っていた化石化した土は地質学者の調査で50万年前のものという鑑定結果が出た、という話がある。
セラミック製と思われる直径19mmほどの機械の一部が出土し、それは木の筒に包まれ、真ん中には直径2mmほどの金属製の軸が通っていた。
2000年に、「アメリカ点火プラグコレクター協会」から全米を代表する4人の点火プラグコレクターたちがコソ加工物のX線写真をもとに鑑定を行っており、
その結果「1920年代にアメリカのチャンピオン社によって造られた点火プラグに間違いない」という、メーカー名まで一致した鑑定結果が出されている。
50万年前のものという話については、鑑定した地質学者とされる人物が実在するかも分からず、学術的な調査は一度もされていない。
スミソニアン博物館などがこの遺物の引き取りを検討していたが、所有者が2万5000ドル出さなければ手放さないと主張したため、引き取られることはなかった。
その後現物は行方不明となっており、写真しか現存していない。

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38: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:02:10 ID:V88
トゥーラの戦士像(Tula warrior statues)

メキシコ・イダルゴ州にある遺跡「トゥーラ=シココティトラン」の戦士像。
この遺跡にある「ピラミッドB」と呼ばれる建物は、構造などがチェチェン・イツァの建物と酷似しており、
どちらが先の技術なのか論争が繰り返された過去がある。
そのピラミッドBの上に立つ戦士像は、腰にホルスターに入った銃のようなものを携えているという話がある。
写真を見たところそのようにも見えなくもないが、何かの工具のようにも見える。
セント・クラウド州立大学のアイヴァン・ ワトキンズ教授は、
トゥーラ以外の遺跡でも多くの切り石が未知の技術によって切断・加工されており、太陽光を利用した熱放射装置のような技術があったのではないかと主張している。

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下の写真は、装置で火を扱う戦士が彫られているという説がある
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40: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:16:21 ID:V88
秦のクロムメッキ剣(Chrome-plated swords of Qin)

中国・陝西省にある「秦の始皇帝陵墓」周辺に埋納された遺跡「兵馬俑坑」から出土した剣。
兵馬俑坑は考古学史における20世紀最大の発見の1つとされ、8000体の武士俑などが出土している。
兵たちの特徴は、「どれ一つとして同じ顔をしたものはなく」「様々な民族で混成されており」、そしてオーパーツと呼ばれる剣を腰に差していた。
長さ90cmの青銅の長剣はクロムメッキ加工が施され、製作から2200年以上が経過した現在でも光沢があり、重ねた新聞紙を切るだけの切れ味を持つ。

西欧におけるクロムメッキ技術は1937年にドイツで発明された近代のメッキ技術で、
鉄とクロム化合物を密閉容器に閉じ込め、水素ガス/アルゴンガスを吹き込み、1000度に熱してメッキを施すというものだった。
秦の時代にこの技術が存在したという記録はなく、150年後の漢の時代に作られた銅剣は、どれも原形をとどめないほど腐食している。
なぜテクノロジーが継承されなかったのか、どのような技術が使われたのかは現在も不明とされる。

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41: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:18:11 ID:HCx
こういうのテンション上がるわ

42: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:20:06 ID:Q3V
淡々ニキほんとすき

43: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:24:38 ID:V88
越王の剣

「越王勾践剣」は、中国春秋時代後期の越の王「勾践」が保有していた8本の名剣。
長らく伝説の剣とされていたが、1965年にそのうちの1本が湖北省で出土した。
剣の長さは柄の8.4cmを含めて55.7cm、幅4.6cm、重量875g。
両面に菱形の連続パターンが施され、ターコイズと青水晶とブラックダイヤモンドで象嵌されている。
越王の剣は「秦のクロムメッキ剣」と同じように、2千年以上経過したにも関わらず腐食する様子も無く、今でも鋭さを保っている。

近代的な手法蛍光X線で解析を行った結果、剣本体は銅で作られており、
刃の鋭さを維持し硬くするため錫が多く含まれ、表面の模様には硫黄が多く含まれ変色を抑えていることが判明した。
研究が進むと、剣全体が薄いクロムの層に覆われている事が発見された。
これは秦のクロムメッキ剣と同様の処理によるものと考えられている。

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44: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:31:29 ID:V88
デリーの鉄柱(Iron pillar of Delhi)

「チャンドラヴァルマンの柱」とも呼ばれる、インド・デリー市郊外にある鉄柱。
「アショーカ・ピラー」(アショーカ王の柱)という呼称もあるが、
アショーカ王の建てたものではなく、それより700年近く後のものとされている。
99.72%という高純度な鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれ、頂上には装飾的なチャクラがあしらわている。
この柱は「1500年間錆びない鉄柱」という話で有名になり、よくオーパーツとして取り上げられた。

鉄柱が純度の高い鉄製だから錆びないというのは誤りらしく、
純度が高い鉄でも50年も放置すれば錆びるそうで、この鉄柱が錆びないのはむしろ不純物の存在が鍵だという話がある。
1つの説として、表面に押し出されたリンが鉄と結合してリン酸鉄を作り(インドの鉄がリンの含有量が多い)、
それが表面をコーティングして錆を防いでいたというものがある。
また、観光客たちが不思議な力にあやかろうと柱を触ったために錆が落ちたという話もあるが、1997年以降は柵囲いが設けられている。

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69: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:18:53 ID:OpA
>>44
こっちは有名やね。今も錆びてないんかな?

45: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:39:34 ID:V88
コッテンフォルストの鉄柱(Iron pillar of Kottenforst-Ville)

ドイツのコッテンフォルストにも錆びない鉄柱といわれるものが存在する。
地元では「Eiserner Mann」(英語訳でIron Man=鉄の男)と呼ばれている。
しかし、デリーの鉄柱の方が圧倒的に有名になってしまったため、写真や記述は少ない。
地上に1.4m、地中に2.7mの深さまで埋められた鉄柱で、600年以上の間錆びていない部分があるそうだ。
鉄は酸素を取り込み、鉄鉱石などは酸化鉄の状態で安定し、精錬した鉄も同様に酸化するため、過程で生じる酸化鉄は錆となる。
デリーの鉄柱はインド特有のリンという不純物や観光客が触れた事などが原因として挙げられているが、
ドイツの鉄柱はsandbed pouring techniqueという技術が使われたと考えられている。

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69: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:18:53 ID:OpA
>>45
こんなのもあったんや。他の国にも、こういう地味なのありそうやね

46: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:47:38 ID:V88
Baigong Pipes

中国・青海省にあるBaigong山の山頂には三角形の入り口を持つ3つの洞窟がある。
ここには数百本のパイプのような構造物が点在している。
パイプは山の奥深くにもあり、また、いくつかは近くの塩水湖にも存在するそうだ。
製作者は不明。自然発生的なものという説もある。
大きいもので直径40cmあり、意図的に配置されているという話も噂されている。
分析では、30%酸化鉄と、大量のシリカ(ケイ酸/酸化シリコン)、酸化カルシウムで構成され、8%は不明となっている。
用途としては、古代の天文学実験室という推論が挙られている。
また、2007年の調査でパイプの一部は高レベルの放射性を持つことが確認された。

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人工物…?
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47: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:52:28 ID:V88
アユードのアルミ楔(Aluminum Wedge of Aiud)

1974年、ルーマニア・アユードの東1.2マイルにあるムレシュ川河岸で楔型の物体が発見された。
地中約10mのところから、2体のマストドンの骨とともに掘り起こされたという。
ハンマーの頭の部分のように見えるこの物体は、薄い酸化物の層に覆われたアルミ合金でできていた。
アルミが発見されたのは1808年で、量産されるようになったのは1885年以降とされている。
この楔はマストドンの骨と同じ地層から発掘されているため、少なくと1万1000年前のものであると考えられているそうだ。
最も、そんなロマン溢れる話に水を差すような説も存在する。
それは、「発掘の際、掘削機の歯の1つがマストドンの骨の近くに壊れ落ちた。それを機械に疎い人間が誤って古代のものだと認識した」という説である。

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48: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)18:58:40 ID:V88
水晶髑髏(Crystal Skull)

水晶で作られた人間の頭蓋骨模型。現在十数個が確認されている。
そのほとんどがマヤ文明やアステカ文明、インカ帝国といった中南米の考古遺物とされているが、出土品かどうかについては懐疑的な意見もある。
一般に水晶髑髏といえば、イギリス人のミッチェル・ヘッジスが1927年にベリーズのルバアントゥン遺跡で発見したとされる「ヘッジス・スカル」を指すことが多い。
ヘッジス・スカルはミッチェルの養女アンナの17歳の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して私蔵したため、様々な憶測を呼んだ。
1970年代の分析によると、加工痕がなく、水晶の石目を無視して掘られているという結果が出たそうだ。
その後2008年に精密調査が行われた結果、電子顕微鏡によって水晶髑髏の表面にダイヤモンド研磨剤による切断跡が確認され、19世紀末以降に製作されたことが判明した。
水晶は加工の難しい物質だが、人力では300年以上かかるとする見解もある一方で、手作業で半年ほどで制作してしまうグループもいるという。

また、水晶髑髏には光を1点に溜めるもの、様々な色に光るものがあるという主張もあるが、
学術的な研究や検証は行われておらず、効果とされるもののうちの幾つかは生理現象や物性による説明も可能とされる。

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56: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:47:30 ID:riG
>>48
きれい

50: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:04:33 ID:V88
→ブリティッシュ・スカル(British Crystal Skull)

アステカの遺跡から発見されたという水晶髑髏。大英博物館所蔵。
円盤型の回転工具による加工痕があり、ヨーロッパで19世紀後半に製作されたものであることが判明した。
研磨はダイヤモンドを混ぜた鉄製工具で行われたと見られている。
また、含有物の調査によって水晶はマダガスカル産であることも確認された。
この髑髏はパリで骨董品店を経営していた古物商ユージン・ボバンが所有していた物で、
3500フランで展示されたが買い手がつかず、ニューヨークの宝石商ティファニーに950ドルで販売されたという。

他にも
「パリス・スカル」「マックス・スカル」「シャ・ナ・ラー・スカル」「マヤ・スカル」
「アメジスト・スカル」「ローズ・スカル」「カース・スカル」「ETスカル」などの水晶髑髏が存在する。
オカルト的な話では、「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」という俗説がある。

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漫画「スプリガン」でも有名
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51: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:14:47 ID:V88
アッシリアの水晶レンズ(Nimrud lens)

「ニムルドレンズ」とも呼ばれる、約3000年前にあった世界最古の水晶レンズといわれるもの。
ニムルドにある紀元前7世紀の古代アッシリアの墓から1853年に発見された水晶製の小片で、
調査したレンズの専門家がレンズと結論づけたことからこの名で呼ばれている。
水晶は長さ4.2cm、幅3.45cm、中心部の厚さが0.64cmで、平凸レンズの形状をしている。焦点距離は12cm。
発見者のオースティン・ヘンリー・レヤードは「この小片は多くの不透明な青いガラス片の下から出土した。
それらのガラスは朽ち果てた木製や象牙製の何かを覆っていた象嵌材の破片と考えられる」と報告している。
実際に、これは象嵌に使用されたものであり、レンズとしての効果は偶然の産物であるという見解が有力とされている。

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53: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:19:35 ID:V88
アンティキティラ島の機械(Antikythera mechanism)

天体運行を計算するために作られた古代ギリシアの歯車式機械。
この機械は1901年にアンティキティラの沈没船から回収されたが、その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがなかった。
長期間に及ぶ機械の洗浄の後、1951年頃から本格的な調査が行われた。
製作時期は紀元前150年~100年と考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品はその後1000年間現れることはなかった。
装置は現在の天文学から見ても非常に正確に出来ていて、デザインも美しく、歴史的に見てモナ・リザよりも価値があると言われる事もある。
縮小化と部品の複雑さは18世紀の時計と比較しても遜色ない仕上がりになっている。

クランクを回転させると機構が太陽、月やその他の天体の位置を計算する。
また、暦ダイヤルを4年に1回1日分戻すことにより実際の1年(約365.2422日)との誤差を補正することができる。
1つの仮説として、月の運行の計算技術に天文学者ヒッパルコスの理論が用いられているため、
おそらく古代ストア哲学者のポセイドニオスかヒッパルコスが製作に関わったとみられている。

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54: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:31:05 ID:V88
ピラミッド・アイ・タブレット(Pyramid with the eye in Ecuador)

エクアドルのラ・マナで発見されたといわれる石造のピラミッド型工芸品。
1980年代に金の採掘主任ギレルモ・ソトマヨーアによって、深さ10mの廃坑から300余りの遺物が発見された。
その後、これらの遺物はソトマヨーアの知人にまとめて譲渡され、保管されていた。
1999年、遺物の中に「プロビデンスの目」に似た模様があるピラミッド・アイ・タブレットが眠っていたのが発見され、
その後ウィーンで開かれた「未解明の謎展」で大きく取り上げられた。

高さは27cmで、表面は三角形状になっており、頂点部分に一つの目が象嵌されている。
目の下部には13の水平な段が刻まれていて、底面には黄金の埋め込み細工で、オリオン座の配置が描かれている。
その下には絵文字が刻まれており、クルト・シルトマン教授の解読によると、先サンスクリット文字で「創造主の息子がやってくる」と書かれているそうだ。
2005年時点で、この遺物について学術的な調査は行われていない。

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神の目、或いは神そのものを意味する「プロビデンスの目」(中世でよく使われた)
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55: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:41:16 ID:V88
プレ・インカの白色染料(White dye of Pre-Inca period)

プレ・インカは、南米・インカ帝国以前のアンデス文明の諸文化で、未だ謎の多い文明。
紀元前1000年頃から発生したと考えられている。
プレ・インカの織物に使われた染料はオーパーツと言われており、織物には鮮やかな「白色」に染め上げられた部分があるという。
現代の染色技術界には「白色顔料」はあるが、「白色染料」は存在しないそうで、
理由としては、染めなくても漂泊という比較的安価な方法があるためといわれる。
ものを白く染めるにはムラが目立ち易いため、大量の染料が必要且つ光に強い構造にするには高価になり過ぎるそうだ。
また、漂白・白抜き・顔料などの方法はどれも長持ちしないとされるが、プレ・インカの白色染料は1000年後も白色を保つといわれている。

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72: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:23:20 ID:OpA
>>55
インカは色々技術高いイメージや

57: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:49:52 ID:V88
コロンビアの黄金ジェット(Quimbaya artifacts)

コロンビアの遺跡から発掘された、飛行機やシャトルを思わせる黄金細工。
「黄金スペースシャトル」とも呼ばれ、英語では「Quimbaya artifacts」(キンバヤ遺物)と呼ばれる。
シヌー文化(西暦500年~800年)時代のものという説と、もっと古いプレ・インカ文明のものという説がある。
動物学者であり、世界的に有名な超常現象研究家のアイヴァン・サンダーソンが、
「三角翼と垂直尾翼があり、ジェット機やスペースシャトルにも見える」と考えた事で有名なオーパーツの1つとなった。

大きさは幅5cm、高さ1cmほどで、実はこれ以外にも鳥や昆虫・魚を模したと思われる大量の類似品が見つかっているが、
オカルト本などでは大抵の場合この黄金ジェットだけが紹介されている。
魚や鳥がモデルであれば流体力学的に理にかなった形状を持っていても不思議ではなく、
中でもモデルとして有力視されている生物に、同じ南米に生息するナマズの「プレコ」が挙げられている。
発見場所のコロンビアとナスカの地上絵のあるペルーが場所的に近いことや、
黄金ジェットとナスカの地上絵の造られた年代が一致することから、なんらかの関わりがあるのではないかとも言われている。

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右上のプロペラ機みたいな物の方が不気味
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ナマズの一種「プレコ」
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60: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)19:55:32 ID:V88
遮光器土偶

遮光器(しゃこうき)土偶は、縄文時代につくられた土偶の一種。
一般に「土偶」といえばこの型のものが連想されるほど有名な型で、
目にあたる部分が、イヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する「遮光器」のような形をしていることから呼称がつけられた。
遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。
胴部には紋様が施され、朱などで着色された痕跡があるものが主なタイプ。

人間の形を逸脱したようにも見える極めて特徴的な形態から、
一部では「宇宙服を着用した人(或いは宇宙人)の姿を模ったもの」という説が提唱されている。
その他にも、古代シュメールの女神イシュタルと似通っているという話がある。

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61: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:00:46 ID:V88
サラマンカ大聖堂の宇宙飛行士(The astronaut of Salamanca Cathedral)

スペインのサマランカ旧市街に位置するサラマンカ大聖堂には、宇宙飛行士を模したレリーフがあるという。
大聖堂を作り始めたのは1102年で、竣工は1300年~1400年頃とされている。
その後、1600年~1800年の間に新大聖堂が建てられた。
問題はこの新大聖堂で、建物の北口には豪華な彫刻で飾られたヒサシが備え付けられているが、その中に奇妙な人物が彫られている。
特徴的な服やヘルメット、酸素を供給するパイプ、生命維持装置などは、完全に近代的な宇宙飛行士を思わせる。

実は、この彫刻は17世紀に彫られたものではなく、そのずっと後、1992年の修復工事で付け加えられたものだそうだ。
これはミゲル・ロメロという石工によって付け足された物であり、
20世紀の象徴として宇宙飛行士のデザインを選んだと言われている。
また、装飾の中にはアイスクリームを食べる化け物なども紛れ込んでいる。

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62: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:04:45 ID:V88
キエフの宇宙飛行士(The astronaut of Kiev)

キエフは、東欧・ウクライナの首都。
この地で紀元前800年頃から繁栄した「スキタイ文明」は、遊牧民の文明だった。
その遊牧民の1つ、カヤポ族の遺物とされるものがオーパーツと呼ばれている。
アルタイと呼ばれる地域の凍った墓の中から見つかったのもで、材質・大きさは不明。
紀元前700年前のものと推測されているが、紀元前2000年頃という説もある。
「宇宙飛行士」または「ロボット」にも見えるとして、海外のページでも多く紹介されている。

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67: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:11:32 ID:V88
エル=バウル記念碑27号(El Baul monument No.27)

エル=バウルは中米・グアテマラの南部高地、太平洋岸近くに位置する400年ごろの遺跡。
ここには「コツマルワパ様式」と呼ばれる、
この地で盛行したと考えられるナワ族風、メキシコ風の図像に特徴づけられる石彫群がある。
コツマルワパの石彫の特徴は、「骸骨や人体模型」のようなレリーフ、「球戯や球戯者」に関連する図像などとされる。

中でも、「球戯者の石碑」と名付けられた「エル=バウル記念碑27号」は、
顔は猿に似た動物で、体は人間、目の周囲が窓のようになっており、ヘルメットを装着しているように見え、
さらにそのヘルメットからはチューブが出て背中のタンク状の装置に連結している。
口に当たる部分からは炎らしきものが吹き出している(これは象徴化された水という説が有力)。
奇妙な石彫のため、一部では「マヤの人々が人間ではない何かを描いたものではないか」という説が挙げられている。

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70: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:20:16 ID:V88
パレンケの石棺の浮き彫り(Tomb of K'inich Janaab' Pakal)

パレンケは、中米・メキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡。
7世紀に最盛期を迎えた宮殿を中心とする建物群を密林の中に配置している。
18世紀の半ば頃、スペイン人に発見され、1948年から本格的な調査が始まった。
1952年に肖像画やマヤ文字、石棺、そして615年~683年に在位した「パカル王」の遺体が発見された。

パカル王の石棺の浮き彫りは、横から見るとロケットに乗った宇宙飛行士のように見えるため、
マヤ文明が宇宙人によって作られたと述べるUFO研究家の間で広く知られている。
この説は、1968年にスイスのエーリッヒ・デニケンが著した「未来の記憶」によって広く伝わった。
確かに横に見ればロケットのようにも見えるが、
この石棺の図柄は縦に見て「生命樹の下に寝そべる王」を表現したものであるという説が一般的な解釈とされている。

ロケット説では横に見て
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生命樹説では縦に見ます
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73: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:30:27 ID:V88
ヴィマーナ(Vimana)

古代インド最古の古典「リグ・ヴェーダ」の叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」に登場する、自在に空を飛ぶ乗り物。
現代の航空機のようにさまざまな形式があり、多くは英雄たちによって戦争などに使用されている。
大気圏または、大気圏外への航行が可能なヴィマナもあったとされ、この故事から現代のインドでも航空機はヴィマーナと呼ばれている。

また、紀元前10世紀頃に書かれた「ヴァイマーニカ・シャストラ」にはヴィマーナの製造方法や操縦法が書かれている。
ヴィマナの構造や材質、飛行能力の各種別やパイロットの訓練といった運用面に至るまで、
100ページ以上を割いて細部に渡る記述が見られる。
ただし、この書物は一種のチャネリング(霊的・神的交信)によって20世紀初頭に口述・作成されたという話もあるので、
紀元前10世紀に航空機の詳細な情報が伝えられていたという説には懐疑的な意見も挙げられている。

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こんな感じで飛びます
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74: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:34:23 ID:V88
有翼円盤(Symbolism of Shamash)

アッシリアを始めとするメソポタミアの古都遺跡には、円盤(或いは円環)に翼が生えた「有翼円盤」と呼ばれる彫刻がある。
この翼を鳥とみなすと、大きく広げた翼の真ん中(鳥の胴体に当たる部分)に円盤(円環)があり、
その円盤からは王冠らしきものをかぶった横向きの人物が現れて、左手に輪のようなものを持ち、右手を軽く挙げている。
このような奇妙な描写から、有翼円盤は「古代におけるUFOの描写」で、
古代人は大きな翼を用いてそれを表現し、円盤から出ている人物は、王たるもの=宇宙を統べる者ではないか、という説がある。

定説では、この有翼円盤は「神を象徴するもの」とされ、それはメソポタミアの太陽神シャマシュを指すと考えられている。
また、鳥の翼をつけた円盤というイメージは古代エジプトが起源で、鷹の羽根をつけた日輪は天空神ホルスの象徴といわれている。

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75: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:40:45 ID:V88
マヤの飛行艇(Flying boat of Mayan civilization)

マヤ文明の大規模な都市遺跡は紀元前400年頃から築かれはじめ、
メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどのいわゆる「マヤ地域」を中心として栄えた。
年代は不明だが、メキシコのヴェラクルスにあるメヒコ神を祀った遺跡からオーパーツとされる遺物が出土している。
遺物を見てみると、機体の両側には翼とみられる穴のあいた半円状の構造物、尾部には2対のパイプがある。
ヘルメットをかぶり、肩にパットを付けたような人物が座り、操縦桿のような装置が後ろに付いている。
これは「飛行艇」を模したものではないかという説があり、構造的に見て、両翼の穴にはタービンがあり、
ホバークラフトのような機体を連想させる。
勿論航空機の技術は近年になって確立したものだが、
世界各地の遺跡から航空機を模した遺物が出土しており、古代には高度に発達した航空技術があったという推論もある。

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77: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:45:14 ID:V88
古代トルコのロケット(The rocket of Ancient Tukey)

トルコの東方にあたる古代ウラルトゥ王国から出土した奇妙な彫像。
(トルコ・イスタンブールのトゥスパ遺跡から発掘という記述もあり)
遺跡の年代から約3000年前のものと推定されており、長さは23cm程度。
円錐形の機体の左右に短い水平翼があり、中央にあるコップピットのような場所には、
首の欠けてしまったパイロットが宇宙服のような服を着て、ひざを抱えるようにして座っている。
また、後方にはジェット噴射ノズルのようなものが3本付いている。

紀元前に空を飛ぶ乗り物の存在は確認されていないが、トルコ近辺、メソポタミアには非常に発展した文明があった。
そのため、一部では「宇宙人がシュメール人を作った」
「(王位が1万年という謎の記録がある事から)シュメール人は地球人ではなかった」などという噂が囁かれている。

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79: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:51:25 ID:V88
スク寺院のロケットのレリーフ

インドネシア・ジャワ島のスク寺院にあるピラミッド型の建物屋上には、
高さ2mのファロストーンのレリーフが佇んでいる。
上部には太陽と月が浮かび、下部にはロケットにそっくりな先の尖った物体が彫られている。
ロケットには叡智の象徴である蛇も描かれているという。
寺院の建立は15世紀頃とされており、当然その時代にロケットは存在しないが、このレリーフ自体がいつ頃の物なのかは不明。
インドネシアでは仏教・イスラム教が伝来する前はアニミズム(地霊・精霊信仰)が盛んであり、
このロケットは「リンガ」と呼ばれる、シヴァ神を象徴する男性器の形をした彫像の一種ではないかという話もある。

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エジプトのクシュ遺跡にあるレリーフにも似たようなものが彫られている
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81: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)20:56:34 ID:V88
エジプトのはずみ車(Egyptian flywheel)

カイロにあるエジプト博物館でひっそりと展示されている遺物。
1937年に、カイロ郊外のサッカラ(ギザの大ピラミッドの南)の第一王朝皇太子サブーの墓から発見された。
製作年代は紀元前3100年頃で、直径70cm、厚さ10cmほどの、加工の難しい片岩(シスト)でできた遺物。
対象的にデザインされた規則正しい曲線からなる。
この奇妙なデザインは古代遺跡の発掘物のなかで類を見ないタイプであり、当時の時代感覚からすると、何かを模倣して作られた可能性があるそうだ。
また、米国ロッキード社の技術者は、「自分たちが近年、宇宙船や機関車の新型エンジン用に試作した『弾み車』にそっくりの形態だ」と述べている。
そのため、この遺物は一部で古代のジェット機の動力部分に使われていた物を複製したオーパーツではないかという扱いを受けており、「フライホイール」の名で呼ばれている。

エジプトの弾み車
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現代の弾み車
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82: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:01:34 ID:V88
ファラオのタービン(Pharaoh's turbine)

1997年に考古学者のペルドリゼットがブバスティスから発掘した遺物。
現在はカイロ博物館に貯蔵されている。
外形は花瓶のように見えるが、両端が開いているので違う用途と考えられる。
内部の筒型の空間には波形の筋が刻まれていて、タービン或いはスクリューを連想させる構造になっている。
解釈はさまざまだが、何らかの動力に関連する物と言う見解が大半といわれる。
ネット上に写真が少なく、タービンらしきものの素材も写真からは判断しにくい。

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83: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:08:40 ID:V88
古代エジプトのグライダー(Saqqara Bird)

有名なオーパーツの1つなので載せておく。
紀元前200年前後のプトレマイオス朝時代(時代区分から言えば「古代エジプト」ではない)の墳墓から発掘された、15cmほどの木製品。
カリル・メシハという医学博士がこれを飛行機だと主張し、同様の模型を作成して飛ばしたところ、かなりの距離を滑空することが判明したという。
軽量のいちじくの木で作られていることから、模型を小型飛行機の大きさに拡大しても十分に飛行が可能だそうで、
そのためオーパーツであるという説も挙げられている。

遺物には目とくちばしが付いており、「小鳥を模した木製模型」であることは写真を見れば一目瞭然だが、
過去に出回った「グライダーに見える」と称された写真の多くは目や嘴の写らない角度から撮影したものとなっている。

このような角度で紹介される事もあるが…
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完全に鳥
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97: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:05:39 ID:OpA
>>83
普通に鳥やね

84: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:10:44 ID:LkC
オーパーツってやっぱ前に栄えた文明の名残なんやろか

85: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:14:26 ID:V88
黄金ブルドーザー(Gold Dozer of Panama)

1940年に、パナマ南部のコクル地方で発見された遺物。
そこでは西暦500年~800年頃に作られた複数の黄金細工が見つかり、そのほとんどが動物をモチーフにしていたが、中には判別が出来ないものもあった。
この遺物は全長12cmほどで、背中にエメラルドが埋め込まれていた。
初めはジャガーかワニがモデルになっていると考えられたが、
尻尾に歯車があり、背中が平らで、胴が短く、また、足の関節が全て逆に付いているという謎が残った。
さらに、動物学者・超常現象研究家のアイヴァン・サンダーソンによって、
「これは古代の採掘機(ブルドーザー)ではないか」という仮説が挙がった。
尻尾に見えたのは掘削用のアームであり、先端にあるのは歯車動輪付きの鋤(すき)で、逆になった関節は車体を支える緩衝装置だという。

歴史家クセノフォンの記述には「クレーンのような物を使った」と言う記述があり、
古代ピラミッド等の遺跡が人力以外のもので作られたという仮説は未だ根強いので、古代に機械が使われていたという話によく取り上げられる。

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98: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:14:50 ID:OpA
>>85
この黄金ジェットといい、ブルドーザーといい
ええデザインやなあ

86: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:20:59 ID:V88
古代の鉄製ハンマー(London Hammer)

1934年にアメリカ・テキサス州ロンドンで発見されたハンマーの化石と言われるもの。
付近を散策していた夫妻が風化した岩の塊を発見し、その岩から木製の柄のようなものが出ている事に気づいたという。
1989年にハンマーの頭にある鋳鉄の成分をX線断層検査したところ、
鉄96.6%、塩素2.6%、硫黄0.74%、珪素0.06%という測定結果が出た。
鉄の純度が高いのは「錆びない鉄柱」などとも似ているが、現代の技術では塩素を含んだ合金が作れない事で疑問を呼んだ。
また、ハンマーの柄の部分は化石化しており、これは例えば労働者が置き忘れたハンマーが泥と土の中で固まった、という考えを退けるものとされる。

製造年代については、出土した地層から判断すると1億4000万年~1億6000万年前のものだという。
ただし、X線断層撮影で内部の元素分析を行うことは最新の理化学機器を以っても不可能である上、
表面の分析では付着した塩化物(人体由来など)の影響も考えられ、分析精度自体が疑わしいとも言われている。

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87: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:24:04 ID:muO
現代の機械や美術品かなんかも時が経てばオーパーツになるんやろか…。
経年劣化の様子をシミュレーションする方法はないんやろか

88: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:29:13 ID:V88
>>87
人類が姿を消した都市の衰退をシミュレートする「Life after People」っていう試みがあるね

https://www.youtube.com/watch?v=O3_eOdlTJHo


89: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:36:07 ID:V88
カンブリア紀の金属ボルト(The metal bolt of Cambrian)

1997年にロシア・ブリャンスクで発見された、石の中に埋まっていたボルトのようなもの。
モスクワ地質研究所が石の年代を調べたところ、およそ15億年前という結果が出た。
石の大きさは20cm程度で、後のX線検査で石の中には同様のボルトが10個ほどあるのが確認された。

当時、15億年前はカンブリア紀と知られていた事からこの名称が付いたと思われるが、
現在の地球年表を見てみるとカンブリア爆発が起きたのは5億7000万年前で、15億年前には大陸移動による超大陸の誕生が起きており、
多細胞生物の出現は10億年~6億年前とされている。
また、ヒトの歴史は約200万年~300万年、猿人の誕生を含めても600万年~700万年なので、当然このボルトができた時代にはカケラも存在していない。
モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は「15億年前に地球にやってきた宇宙船が何らかの原因で故障・爆発し、飛び散った部品の一部」と主張している。

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90: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:37:05 ID:Yxl
ロマンやなあ
みてて楽しいわ

91: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:42:01 ID:V88
→三億年前のネジ

1990年代にロシアの岩石の中から3億年前のものとされるネジが見つかったという記述もあった。
これは上述の「カンブリア紀のボルト」と同じものだろうか?
「発見以来、世界中から大きな注目を集め、正体を巡って激論が交わされてきた」といわれ、
「ロシアの科学者は、高度な発展を遂げたが滅亡した人類の失われた文明か、あるいは異星人の手によるものと主張する」と記述されている。

このネジは一方で海洋生物の化石だとする専門家も存在し、太古の海に生息していたウミユリの仲間の化石という説が挙げられている。
ネジ状の形はウミユリが分解する前に周囲に岩が形成されたことによるものだという。
物体を発見したのは「コスモポイスク」というロシアの超常現象研究機関で、隕石の衝突跡地を調査していた際に偶然発見したそうだ。

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ウミユリの化石
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ステム(茎)の部分
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92: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:46:31 ID:V88
更新世のスプリング(Prehistoric Hi-Tech Nanospirals)

1991年頃に、ロシア・ウラル山脈東部の川で金採掘をしていた人々が発見したらせん状の極小部品。
これらのスプリングはロシア科学アカデミーとヘルシンキの技術研究所により分析され、
製造年代は推定2万年前~30万年前という結果が出た。
更新世はほとんどが氷河時代だったが、ネアンデルタール人や北京原人といったヒトも活動している。
発掘された金属類は銅製のコイルやネジのようなもので、加工に数千度の温度が必要なタングステン製のものもあった。
注目すべきはそのサイズであり、最小のものは0.003mmで、ほぼ完璧に成形された輪のついたネジまで発掘された。
また、検査を行ったロシア科学アカデミーはロシア国内で有数の権威を持つ機関であり、世界中の科学者がこのニュースに耳を傾けた。

しかしその後、出土品以外にも同じ場所で同じようなスプリングが数千個発見される事になる。
これは幾らオーパーツでも数が多すぎるとして、この土地の歴史を調査した結果、旧ソ連の時代に工業プラントがここで稼働していた事が判明。
さらに、そのプラントが閉鎖される際に出た産業廃棄物の処理に困り、この土地を掘り返して埋めてしまったという事が発覚した。

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93: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:50:05 ID:V88
ネブラ・ディスク(Nebra sky disk)

ドイツ中央部の街・ネブラ近くにあるミッテルベルク先史時代保護区で1999年に発見されたといわれる青銅の円盤。
直径約32cm、重さ約2050gの青銅製で、大小幾つかの金が張られている。
元々の円盤には、37個の金のインレー(象嵌)があり、円盤の縁は前面から38個の穴が互いから決まった位置に開けられていた。

2005年、ドイツの研究チームはこの円盤を「約3600年前に作られた人類最古の天文盤である」と結論付けた。
また、ネブラの天文盤は前期青銅器時代の極めて裕福な王侯の墳墓と密接に関係しており、
先史中央ヨーロッパの初期に強い社会的な格差があったことの証と考えられている。

写真奥の円盤
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95: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)21:58:02 ID:V88
ドロパ族の石円盤(Dropa Stones)

1938年に中国とチベットの境界に住む「ドロパ族」の地、青海省にあるインハル山脈(バインバル山麓という記述もあり)の洞窟から発見された石円盤。
ディスクは全部で716枚あり、花崗岩で作られ、内部に電気回路のようなものがあったとされる。
ロシアの検査によると、コバルトを含む金属物質が確認されたという。
製造年代は約1万2000年前~2万年前とされている。
また、ディスクの横からは正体不明の遺骨が数体発見された。
遺骨は幼児と思われ、身長が低く、頭が異常に大きいのが特徴だそうだ。
(もっと大きく120cm程度で、洞窟には宇宙の星々が描かれていたという記述あり)
写真を見ると眼窩が大きく、奇形の水頭症などとは違うようにも見える。
学者による調査の結果「適切な変換機があれば、ディスクに収められている電気信号を再生する事は可能だろう」ということだったが、再生機器はいつしか失われたという。

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遺骨
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96: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:01:47 ID:V88
発生学円盤(Ancient disc of embryology)

「遺伝子のディスク」とも呼ばれる、南米・コロンビアから出土した円形の石の円盤。
炭分を含む「スレート石」という花崗岩と同程度の硬い石で作られており、直径22cm~27cm、重さは約2kg。
円盤は手で磨き込まれており、ボゴタ大学の地学者による調査では6000年以上前に作られたものと分析されている。
表面には男性の精子から胎児にいたるまでの成長過程、
裏面には細胞分裂の様子や生物の成長過程を思わせるものが段階を分けて描かれており、子供の絵、男女の区別などが見られる。
これらは顕微鏡のない時代に生物の発生・進化の過程が知られていたことを示唆するため、オーパーツという説が挙げられている。
この場合最も疑われるのは製造年代の偽装だが、最近の調べでその可能性は否定されているそうだ。

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99: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:15:06 ID:V88
アステカのカレンダー(Aztec calendar stone)

アステカは、1428年頃~1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。
アステカの遺跡はスペイン人の侵略によって破壊され、わずかに残っているだけだが、
その中でも特に重要な遺物として、1790年に発掘されて以来「科学への桃戦」と呼ばれた太陽の石「アステカのカレンダー」が挙げられる。

円盤の中心にある現在の太陽がさし示す舌、針となる黒曜石のナイフが、
宇宙を形作る4つの運動(ナウイオリン)と一致する時が「第5の太陽の滅亡」といわれ、それは人類の終末を示すとも言われている。
カレンダーによればこれまでに人類は4度滅亡しており、5番目にあたる現在の人類滅亡の日は2012年12月23日(書籍によっては21日~24日)と一部で解釈されていた。

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100: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:17:49 ID:V88
→マヤの予言/マヤ暦の終わり(Mayan Prophecy/Mayan Doomsday)

ニューエイジ(新世界主義・霊性復興運動)関連の書物では、
マヤの長期暦(187万2000日を周期とする暦)は2012年の冬至付近で終わるとされ、
その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する(2012年人類滅亡説)といわれている。
しかし、マヤの暦は現サイクルが終了しても新しいサイクルに入るだけで永遠に終わらないという見方もあり、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している。
また、2010年~2011年にグアテマラで9世紀頃の遺跡から「マヤ最古のカレンダー」が発見され、
その結果2012年の終末を窺うものは見つからなかったと米科学誌サイエンスで発表された。

しかし、マヤ文明の暦を研究しているロバート・ワナメーカーは「マヤ暦にうるう年の計算が入っていなかった為に誤った情報が流れた」と言及し、
うるう年を考慮した完全な滅亡の予言は「2015年9月3日」であると発表した。
さらに、2015年9月3日滅亡説の信憑性を高める証拠として、
古代エジプトのイシス神殿に祀られている「1465体の神の加護が1年ずつ失われる時、世界が水没がする」という予言があり、
イシス神殿が西暦550年に閉鎖したので1465年後の2015年がXデーだという話、
ジョン・タイターの「2015年に核戦争が起こる」予言、
世界三大予言者の1人ジーン・ディクソンの「2015年に混乱がピークを迎える」予言などが挙げられている。

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102: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:24:51 ID:V88
アビドス神殿の壁画(Ancient Egyptian Unknown Hieroglyphics)

エジプトの古代都市遺跡アビドスには幾つかの遺跡があるが、
一般的に「アビドス神殿」といえばラムセス2世の父親・セティ1世の葬祭殿を指す。
この遺跡は紀元前1300年頃ものだが、1997年に見学に来ていた研究家が、葬祭殿の一角に奇妙なものを発見した。
そこには、まるで現代のヘリコプターや飛行船、潜水艦のような物体が描かれていたという。
研究家によって撮影された写真は、テレビやインターネットを通して世界中に広まった。
これらの文字はオーパーツとして広く知られ、現在でもアビドス神殿は多くのファンによって注目を浴びている。
この文字に関しては、下記のサイトが詳しく分析しているので一見の価値あり。
http://www.moonover.jp/bekkan/ooparts/4.htm

結論から言うと、この文字は神殿に王名を彫り込んだヒエログリフだった。
ヒエログリフに馴染みのない人間は「文字としての認識」が出来ないが、読める者にとってはただの文字列に見えるそうだ。
また、この神殿以外で似たような文字が見られないのは、
当時、王が代わると王をたたえる神殿の文字なども掘り直す必要があったためで、掘り直しによって一部の文字がくっついてしまったせいだという。
後になって彫られた文字は「九つの外国を打ち倒す」=「(古代エジプトで九は"全て"を表すため)諸外国全てを打ち倒し平定した」という意味になるそうだ。

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105: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:37:21 ID:V88
ハトホル神殿の壁画/デンデラの電球(Dendera light)

エジプト・デンデラの南東約2.5kmにはデンデラ神殿複合体と呼ばれる遺跡がある。
複合体には主神殿のハトホル神殿や、イシス神殿などがある。
ハトホル神殿にあるレリーフには細長い電球を思わせる絵が描かれており、「デンデラの電球」というオーパーツとしても知られている。
エジプトの学者の見解では、レリーフは神話の描写であり、
「ジェド柱」と、「ヘビ」を内側に産む「ハスの花」のエジプト神話の様相を表しているという。
ジェド柱はオシリス神の背骨としても解される"安定"の象徴だそうだ。

この解釈とは対照的に、それは古代のエジプトの電球の描写であると主張する境界科学(フリンジ・サイエンス)の提言がある。
その仮説では、よく似た現代の装置(例えば「ガイスラー管」「クルックス管」「アーク灯」など)との比較に基づき、
これらのレリーフは古代エジプトの電気技術を描写したものとされている。

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106: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:42:39 ID:V88
ホンス・メスのパピルス(Khonsu-mes Papyrus)

古代エジプトのホンス神殿に由来すると思われる絵図。
「細胞分裂」を描写している部分があるといわれ、オーパーツの1つとして知られている。
細胞は17~18世紀に顕微鏡によって初めて確認され、細胞分裂が観察・報告されたのは1842年なので、
古代エジプトで細胞分裂が知られていたのなら歴史的発見である。

この遺物については、いくつか解説があったので参考に記述していく。
まず、パピルスは右から左にむけて読む。
両手を上に広げているのは「百万」=古代エジプトで「無限」を意味するヘフ神。
ヘフ神が手に「アンク」=「生命」を意味する文字をかけている=「永遠の命」を意味する。
太陽(ラー)と死後の復活を意味する儀式を行うマアト女神がいる。
赤い矢印で示したのは冥界の神で、冥界で裁かれる描写になっている。
青い矢印で示した細胞分裂の上に「アケト」=「地平線の絵文字」が書かれている。
細胞壁に見える部分は両側から二人の女神が水を注ぎ、次に白い服を着た故人がイチジクの樹の女神から乳を飲むシーンがある。

これらの描写から、死者の書の「太陽(ラー)とともに蘇らん」の呪文の部分と推測されている。

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107: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:47:47 ID:V88
ポンペイ遺跡の恐竜狩り壁画(Dinosaur art of Pompeii)

ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。ローマ人の余暇地として繁栄した。
西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれ去ったことで有名。
この都市は1748年に再発見・発掘が開始され、断続的に発掘が行われた。

そんなポンペイにある「医師の館」とよばれる邸宅跡で奇妙な壁画が発見されている。
壁画にはナイル川と、赤道直下の狩猟民族であるピグミー達が狩りをしている様子が描かれている。
しかし同時に、約2億5000年前に生息していた恐竜ディメトロドンのような生物と、
カバのような体にワニのような顔を持つ巨大な生物が描かれている。
未だ壁画の正体は不明だが、カバやワニがカリカチュア化(誇張)して描かれたものだという説もある。

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石膏で復元された遺体(ポンペイ遺跡)
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110: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:53:14 ID:V88
パレストリーナのナイル・モザイク(Nile mosaic of Palestrina)

ポンペイと同じくイタリアにある都市、パレストリーナでも奇妙な壁画が見つかっている。
ローマの東に位置し、紀元前8世紀頃から続く都市で、「フォルトゥナの神殿」があったことでも有名。
ここでは古代ローマ時代の紀元前1世紀に建てられた遺跡があり、「ナイル・モザイク」と呼ばれる奇妙なモザイク画が発見されている。
この絵画はナイル川の氾濫の様子を表現したものだが、そこにはイグアノドンに似た恐竜やサーベルタイガーのような動物が描かれ、
さらに地球には存在しない奇怪な生物たちの姿が描かれていた。
その後議論が重なり、近年ではプトレマイオス2世のエチオピア探査、
或いはイシスとオシリスの儀式を描いたものという説が挙げられているが、正体は分かっていない。

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111: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)22:56:54 ID:V88
虚舟の蛮女(うつろふねのばんじょ)

虚舟は、茨城県大洗町沖の太平洋に突如現れたとされる、江戸時代における伝説の舟。
1825年の奇談・怪談本「兎園小説」で、作者の曲亭馬琴が「虚舟の蛮女」という題で図版とともに収録しているほか、
兎園会の会員だった屋代弘賢の「弘賢随筆」にも図版がある。
船の形は香の入れ物やお釜のような感じの円形で、直径は三間(約6m)ほど。
松ヤニか何かを用いて隙間なく固めてあり、底は鉄板を連ねて張ってあり、岩に衝突しても壊れないような頑丈な造りであった。
舟の上部には窓があり、漁民達には中の様子がよく見えた。 皆が覗き込むと、中には女が1人乗っていた。
若者が話しかけてみたがまったく言葉が通じないようで、女は二尺(約60cm)四方の大きさの箱をずっと抱えていた。
この女を役所に届けると負担が大きいので、漁民達は相談したうえで、女を元のとおりに舟に乗せ、再び沖に引き出して流してしまった。

虚舟はUFOの江戸時代的表現ではないかとも言われているが、虚舟が動力を持っていた、もしくは空を飛んだ等と読み取れる資料は存在しない。
他にも「潜水艇説」「神の乗り物説」「ただの創作説」などが挙げられているが、その証左となる資料は出ていない。

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113: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:02:32 ID:V88
浮世絵に描かれた東京スカイツリー

浮世絵は江戸時代(1603年~)に成立した絵画のジャンルで、一般的に多色摺りの木版画錦絵のことを指す。
浮世という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画とされる。
歌川国芳は江戸末期の浮世絵師であり、奇抜なアイデアと確かな画力で武士絵、妖怪絵など多数の作品を残している。

そんな国芳の浮世絵に「東都三ツ又の図」という作品がある。
これは天保2年(1831年)頃の作とされているが、
絵の左奥、隅田川の向こう側に他の建物を圧するような細長い構造物が2つ描かれている。
これは「東京スカイツリー」を予見して描いたものではないかという事で、オーパーツのような扱いを受ける事になった。
左側の低い建造物は当時存在した火の見櫓(やぐら)といわれているが、右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという。
1つの説として、(形態は諸説あるが)櫓を誇張して描いたという説が有力視されているが、結論は出ていない。

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彼の作品「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」
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114: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:06:29 ID:V88
浮世絵に描かれたハンバーガー

浮世絵に描かれた女性の足元にハンバーガーのようなものが落ちている。
黄色い物体が飛び出している事から、紙に包まれたチーズバーガーのように見える。
この絵は注視すると下書きのような線があり、版画にそのようなものは残らないため、現代に描かれたものだという意見がある。
また、日本画と違い、ハンバーガーそのものの描き方が西洋風であるとも指摘されており、
当時の浮世絵ではないという説が有力とされている。

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あからさまだが、浮世絵で描かれたマリオ
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115: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:10:50 ID:V88
ノモリ像

西アフリカの国、シエラレオネのメンデ地方で発見された花崗岩の石像。
モチーフは人間や架空動物などで、立ち姿や跳び跳ねている格好をしている。
大きさは物によるが10~40cmで、地上から20m~50m地下で発掘された。
その場所で有機物を採取して年代測定を行なった結果、2500年前、古いものは1万7000年前という結果が出たそうだ。
石像の中には、現代になって精製が可能になったクロームの金属球が入っており、
どの石像にも地表面には存在しないイリジウムが含まれているという。
この地方には「有史以前に石の彫刻と化して地上に落ちてきた天使族」の伝承が伝わっており、それと関連のある遺物ではないかという説もある。

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右下
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117: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:18:01 ID:V88
アカンバロの恐竜土偶(Acambaro figures)

メキシコのアカンバロで発見されたといわれる土偶。
1945年、ドイツ人実業家のワルデマール・ユルスルートがアカンバロの町外れにある山の麓で奇妙な土偶を発見した。
土偶は7年間の発掘でおよそ32,000体見つかり、中には恐竜に似たものもあった。
ユルスルートの友人の地質学者が年代の調査を依頼し、ベータ線計数法で測定したところ、紀元前1000年~紀元前4000年のものという結果が出たそうだ。

恐竜は6500万年前に絶滅しており、人類と共存した時期はない。
そのため恐竜を模した土偶がどのようにして作られたのかが議論の対象となっており、
恐竜の化石や爬虫類を観察して作ったという説、人類と恐竜が共存した時代があったという説などが挙げられている。
また、土偶の造形の中には、現在では間違いとされている恐竜観に基づいたもの
(例えば、ティラノサウルス・レックスが直立しているもの)があるので、懐疑的な見方を持つ者も少なくない。
他にも半人半獣のゾウ人間、ワニ人間や翼を持つ竜など、空想の産物のようなものが多数存在している。

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118: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:20:45 ID:V88
トリンギット族のラトル(Shaman's rattle)

トリンギットはインディアン部族の1つで、アラスカ、カナダの先住民族。
「ラトル」は振って音を出す打楽器で、メキシコのマラカスのような種類が有名だが、
トリンギットのラトルは「海竜」をモデルにしたような姿をしている事からオーパーツと呼ばれている。
現在は、このラトルに描かれているのは海竜ではなく、
トリンギット族の間に伝わる伝説の鳥「サンダーバード」であるという説が有力とされている。
サンダーバードはUMA(未確認生物)としても知られるが、神話や伝説から抜けだしたものという認識が強い。
どちらにしても、このラトルはその時代には存在していないであろうものが象られている。

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119: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:27:47 ID:V88
タ・プロームの恐竜レリーフ(Dinosaur relief of Ta Prohm )

東南アジアのカンボジアにあるアンコール遺跡群の中に、タ・プロームという寺院がある。
12世紀末に仏教寺院として建立されたこの寺院は、15世紀におけるクメール帝国の崩壊後、他のアンコール遺跡とともに放棄、無視されることになる。
映画「トゥーム・レイダー」の撮影に使われたことでも有名。
浅浮き彫り彫刻などで寺院の壁に刻まれたレリーフの中心には、多くの神話上の人物や神々、動物などさまざまな種類が描かれている。

その彫刻群の中に、「ステゴサウルスに似ている」とされるレリーフがある。
レリーフに刻まれた動物は全て彫刻者の時代に生きていたものと考えられているが、
恐竜は既に絶滅している筈でモチーフになる事はあり得ないため、オーパーツと呼ばれている。
一方で、ステゴサウルスにしては細かな部分が違うという意見や、サイやカメレオンを模したものではないかという説も挙げられている。

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120: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:33:16 ID:V88
700年前のミッキーマウス壁画(Mickey Mouse in Ancient fresco)

オーストリアのマルタ村にある教会で発見されたミッ○ーマウスに似ているというフレスコ画。
製作時期は700年前とされているが、検証方法は不明。ひび割れや風化具合から古いもののようにも見える。
この壁画が何をモチーフに描かれたものかは不明だが、地域住民や多くの観光客からはミッ○ーマウス壁画として認知されている。
ネット上にはフレスコ画の全体像がほぼ無く、ミッキーに見えるものだけがクローズアップされている。
壁画は現在も研究が進められているが、700年前に描かれたという事以外は分かっていないそうだ。

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121: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:39:34 ID:V88
褐炭の頭蓋骨/フライベルグ・スカル(Freiberg lignite skull)

19世紀初頭、鉱山で栄えたドイツのフライベルグで発見された頭蓋骨型の遺物。
1500万年前に形成された中央ヨーロッパの褐鉄鉱石の地層から見つかった。
大きさは不明。褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成されている。
当初の研究では、炭素素材量が人間の頭骨の内部に蓄積し出来たものであると判断されている。

その後何度も分析が行われ、無名の一般人が作った贋作という見解が一般的だったが、
1998年にCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明したという。
贋作だとすれば、高熱の素材(褐炭の融点が110度~360度であるため)の薄膜を1枚ずつ重ねて作り上げたことになり、
また、当時そのような手法で制作された工芸品は存在しないことから、模造品の可能性は低いとする主張がある。

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122: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:44:00 ID:V88
トリノの聖骸布(Shroud of Turin)

聖骸布(Holy Shroud)は、キリスト教でいう「聖遺物の」1つで、
イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。
イエスの風貌を写したという布には、「聖ヴェロニカの聖骸布」「自印聖像」など複数が主張されているが、
現存するのはイタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノの聖骸布」のみとなっている。
この聖骸布は1353年、伝存の経緯は不明だが、フランス・リレのシャルニー家が所有しているところを発見された。

本体は縦4m、横1.1mの亜麻布(リンネル)で、布の上に痩せた男性の全身像がネガ状に転写されているように見える。
裏には当て布があてられ、はがすと血の染みが見られる。
布上に残された全身像の痕跡から、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部、手首、足、脇腹部分には血痕が残っている。
信憑性については、本物か捏造かでかなり支持派・懐疑派が分かれている。
2010年には修復後初めて一般公開され、2015年にも一般公開が予定されている。

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123: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:47:30 ID:V88
黄金のデスマスク(Funerary mask from Pre-Inca)

アンデスで紀元前1000年頃に栄えたプレ・インカ文明の墓地から発見されたミイラが着けていた仮面。
「デスマスク」は本来、石膏や蝋で死者の顔の型を取ったものを指すが、この仮面はその名で呼ばれている。
仮面は金で作られ、涙を表現したと考えられる7つのエメラルドが両方の目に数珠つなぎに垂れ下がっている。
このエメラルドには極小の穴があけられ、糸が通されているが、
加工の難しいエメラルドにどうやって極小の穴を開けたかが不明であり、オーパーツの扱いを受けている。
鉱物の硬度基準でいえばダイヤモンドやルビーが10、エメラルドは7.5となっており、非常に硬く、そのうえ縦の衝撃には脆く割れやすい。

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125: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:51:01 ID:V88
青い貝殻の首飾り(Blue seashell necklace)

黄金のデスマスクと同じくプレ・インカ文明の遺物で、墓から出土した首飾りのようなビーズ。
このビーズはスポンディルスという青い貝の貝殻を使った工芸品で、
ビーズはそれぞれ円筒形に加工され、1個の直径はわずか1mmとされる。
そして、それぞれのビーズには直径0.3mmの極小の穴があけられ、糸が通されている。
貝殻という脆い材質に極小の穴をあけるということは現代でも容易なことではない。
写真では新しく別の糸が通されて保管されているが、発見された時は0.3mmという穴に極細の糸が6本も通されていたそうだ。

no title

127: 名無しさん@おーぷん 2015/08/31(月)23:56:14 ID:V88
バールベックの巨石(Trilithon and Stone of the South)

中東・西アジアのレバノンにはバールベックと呼ばれる古代都市遺跡がある。
ここには「トリリトン」と呼ばれる3つの巨大な組み石と、「南方の石」と呼ばれる巨大な切石があり、
どちらも人力では到底移動出来ないためオーパーツといわれる。
「トリリトン」はジュピター神殿の土台に使われており、三石の長さは約18m、重さは650t~970tで、
建築物に使われた切石としては世界最大とされる。
一方、建築物に使われていない切石として世界最大を誇るのが「南方の石」で、長さは約21.5m、重さは2,000tもある。
BBC放送で行われた実験では、丸太を使い、1トンの切石を1日1マイル運搬するのに16人が必要という試算が出ている。
この試算に基づけば、トリリトンは1万5000人以上の人員が必要となり、南方の石は3万2000人も必要となってしまう。
しかもこれだけの規模になるとロープの強度の問題や、多くの人間の力を集中させることが難しく、現実には運搬不可能といえる。

トリリトン
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南方の石
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128: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:01:17 ID:uCU
バールベックの巨石 その2

実際には、南方の石がある場所は元々石切り場として使用されていた。
また、石の下の部分は土に埋もれており、この石が確かに動かされた形跡というのは発見されていない。
南方の石は自然にあった巨石を加工したものの、その後(恐らくは巨大さ故に)放置されたと考えられている。
しかし、トリリトンの3石は実際に神殿の土台に使われており、石切り場から1km離れた場所に存在している。
970tの石を運ぶのは運搬不可能だとされているが、実は過去にトリリトンよりも重い石が運ばれた実例が見つかっている。
それは230年前、ロシアでピョートル1世の騎馬像土台に使われた石で、1,250tもある巨石を約6km、木製のソリにのせて人力で運んだ。
そのため、トリリトン級の巨石でも運搬方法は存在すると考えられる。

→重量の限界
このような古代の運搬技術への疑問は、オーパーツを扱う書籍に書かれた、
「NASAがロケットの移動に使用している最新技術のクレーンでも700t(古い本だと500t)が限度」という話からきているとされる。
しかし、現代の機械はそれを超える重量に対応しており、
無限軌道クレーンの「CC8800-1 Twin-kit」は、最大3,200tまで吊り上げ可能であり、
日本のクレーン船「海翔」は最大吊り上げ重量限度が4,100トンとされているそうだ。
陸上での運搬では「ユニットドーリー」というトレーラーが、最大3,226tの重さまで運搬可能だという。

CC8800-1 Twin-kit
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no title


牛根大橋を運搬する海翔
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130: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:03:11 ID:hiq
こういうの見ると過去の人達は未来人か宇宙人と仲良くしてたんやないかって妄想祭り始まってまうわ

135: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:20:34 ID:Jmm
>>130
ワイは自転がすっげえ速くて重力が小さかったんじゃないかと妄想してる
だから赤道付近は文明の痕跡があって、両極にはなかったのかと

131: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:08:45 ID:uCU
サクサイワマンの逆さ岩(Upside down stairs of Saksaywaman)

サクサイワマンは南米・ペルー、インカ帝国の遺跡で、ナンコ・カパック二世がスペイン軍と戦った要塞とされる(現在は諸説あり)。
「逆さ岩」は、砦から100mほど離れた場所にある、4階建てのビルに相当するほどの巨大な岩石。重さは推定20,000t。
中が削られたり、くり抜かれたりしており、人の手によって加工された様相を呈する。
岩の内部には階段や廊下、らせん状の模様やソファのようなものが作られているが、
それらの家具は奇妙なことに天地が逆さまの状態になっている。
岩をくり抜いて家のように使っていたとも考えられるが、
家具全てが天井につけられているというのは不自然であり、違う目的で作られたという説もある。
また、この大岩を逆さまに返すほどの自然現象が起こったならその痕跡が辺りで見つかる筈だが、その様子もないそうだ。
正確な加工時期は分かっておらず、推定5000年前程度のものとされている。

no title

no title

132: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:12:42 ID:uCU
オリャンタイタンボの屏風岩(The walls of Ollantaytambo)

「逆さ岩」と同じく南米ペルー、インカ帝国の遺跡にある構造物。
南米大陸周辺に興ったプレ・インカ文明の1つであるクスコ王国を1200年頃にケチュア族が建国し、
その文化を受け継ぎ興ったのがインカ帝国とされている。

この遺跡には6枚岩が連なる屏風岩があり、1枚平均の高さは4m、重さは50t~80t。
屏風岩が建てられているのは高さ150mほどの丘の上だが、材料を切り出したと思われる場所は、
丘の下を流れるウルバンバ川の向こう岸の山の中、高さ330mの地点にある。
インカ帝国には巨石を使った遺跡が数多く残されており、加工技術も謎のままで、表面が非常になめらかに加工されているものが多い。
また、合計300tの石を人力で切り出し、運び、並べて建てるのは不可能に近いため、その面でもオーパーツに挙げられている。
(重さ自体は人力で運搬可能と思われるが、山の斜面では木のコロが使えないと言われる)

no title

133: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:16:55 ID:uCU
イースター島のモアイ(Moai)

チリ領のイースター島には、モアイと呼ばれる人面を模した石造彫刻がある。
多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を囲むように多数建てられている。
大きさは3.5m、重量20t程度のものが多いが、最大級のものは20m、重量は90tに達する。
島で産出される凝灰岩でできており、建造中に放置されたものも含め約900体ある。
モアイの様式は造られた時代によって変化している。

初期のモアイとされるものは3m程度と小型のものが多いが、時代が進むにつれ大型化していき、顔も後期には細長くなっていった。
一部のモアイには「胴体」があり、後期の特に大きなモアイは「赤い石」を頭上に乗せ、一部のモアイには「目」があった。
モアイという言葉の語源と意味は諸説あり特定に至っていないが、それ以上の謎は建造目的だった。
近年の調査で台座から人骨が多数発見され、「モアイは墓碑だった」という説が有力になりつつある。
独特の形状についても起源は未解明で、像の運搬手段とともに特定には至っていない。

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目のあるモアイ(復元されたレプリカ)
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胴体のあるモアイ
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136: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:26:39 ID:uCU
<オーパーツ(工芸品以外)>

ストーンヘンジ(Stonehenge)

イギリス・ロンドンから西に約200kmのソールズベリー周辺に位置する環状列石(ストーンサークル)。
アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時には既に存在していたといわれる。
ストーンヘンジは、円陣状に並んで直立した巨石と、それを囲む土塁からなる。
考古学者はこの巨石が紀元前2500年~紀元前2000年の間に立てられたと考えているが、それを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
遺跡の目的は、「太陽崇拝の祭祀場」「古代の天文台」「ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂」など様々な説が唱えられているが、未だ結論はでていない。

また、建設技術についても謎が多く、
「巨石の運び方」(丸太と縄で運ぶ/水に浮かべて運ぶなど)、
「石の組み方」(巨石を立てる技術はあったと思われるが、石の上に石を寝かせる技術)、
「労働力」(何百日~何十年かかる年数、労働者、組織力などの謎)など、完全に判明していない部分も多くある。
この地では巨石のモニュメント以前にも数々の古代建造物が造られており、
それらから当時の生活、文化、思想を紐解くことが重要な鍵とされている。

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復元イメージ
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137: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:36:37 ID:uCU
大湯環状列石

大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の配石遺跡。
「日本のストーンヘンジ」とも呼ばれる。
昭和6年(1931年)に発見され、約130mの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。
山岳丘陵の末端にのびる台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石が二重の環になって配置されている。
外輪と内輪の中間帯には一本の立石を中心に細長い石が放射状に並び、
その形から「日時計」といわれており、万座・野中両方の遺跡にある。
大湯環状列石が作られた目的に関しては諸説あるが、近くに構造が似ている遺跡があり、
これは墓であることが明らかになっているため、大規模な共同墓地ではないかという説が有力視されている。

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138: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:39:05 ID:uCU
→石舞台古墳

奈良県明日香村にある7世紀頃に作られた古墳。
元々は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土は失われ、現在は巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。
埋葬者は蘇我馬子が有力視されており、「蘇我馬子の墓」と呼ばれる事もある。
施設は両袖式の横穴式石室で、30数個の石が積まれ、総重量は2,300tに達すると推定されている。
特に天井石は約77tとかなりの重量であり、古墳の製作工程は様々な仮説が挙げられているが、
中には当時の技術的に不可能であるといった説も存在する。

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→王位石

王位石(おえいし)は、長崎県野崎島の沖ノ神島神社にある巨石。
野崎島は長崎県五島列島の北東部に位置する島で、住民表が1人分だけ置かれているほぼ無人の島。
旧石器時代から戦国時代にかけての遺跡や遺物が多数出土している事から、太古より人が住んでいたとされる。
沖の神島神社は飛鳥時代にあたる704年に建てられた社で、五島で最も古い神社といわれている。
王位石は頂上までの高さ24m、両柱の幅12m、頂上の巨石は5m×3mという大きな石の構造物で、
この奇妙な石の配置は自然の産物か、人の手によるものかは不明とされている。

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139: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:45:36 ID:uCU
ナスカの地上絵(Nazca Lines)

南米・ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に描かれた幾何学図形や動植物の絵。
動植物の地上絵は1939年に考古学者のポール・コソックが発見。
その後ドイツの数学者マリア・ライヒェが終生この地に住み、彼女を中心として地上絵の解明作業と保護が行われるようになった。
あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの絵の全体像の把握が難しい。
描き方もそうだが、なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎となっている。
巨大な絵を描く方法としては、
「十分な大きさの原画を描き上げた上で適当な中心点を取り、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大する」
という「拡大法」で描かれたという説が挙げられている。
成層圏ほどの高度しか見えないものもあるため、その方法で本当に出来るのかと指摘されたこともあるが、
地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などを考えると拡大説が妥当と考えられている。

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ハチドリ(hummingbird)
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141: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:48:34 ID:uCU
ナスカの地上絵 その2

日本では小学校の算数の総合学習として、
児童による画鋲2個と糸1本のみを使ったナスカの地上絵の再現(実物大再現を含む)を、グラウンドや体育館で20回以上実践。
児童15名~160名により、いずれも開始後150分以内で再現に成功した。
このような研究結果から、日本の小学校程度の算数知識があれば地上絵の描画は充分可能であることが証明されている。
地上絵の性格については様々な仮説が提唱されており、
「暦と関連する説」「貧民への報酬のための公共事業説」「雨乞い儀式利用説」などが挙げられている。
動物を描いた地上絵は、46mのクモ、96mのハチドリ、55mのサル、65mのシャチ、180mのイグアナ、135mのコンドルが挙げられる。
現時点で最大のものは、ペリカンかサギ、もしくはフラミンゴを描いたと推測される285mの鳥類の絵。
花や木々、装身具や織物のような日常生活の道具を描いたものや、
宇宙飛行士と呼ばれているもの、片手が4本指の手など、不可思議な図柄もある。
2015年7月には、山形大学から新たにリャマなど24点の地上絵を発見したと発表があった。

サル
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宇宙飛行士
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143: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:51:57 ID:uCU
中東の地上絵(Wheel stone structure in Middle East)

地上絵といえば「ナスカの地上絵」が有名だが、
中東のシリア・ヨルダン・サウジアラビアなどの国でも大規模な地上絵が発見されている。
これらの地上絵は衛星による航空写真技術で発見され、描かれているのはストーンホイール(石の車輪)と考えられている。
作られた時期は2000年前と推定されており、ナスカの地上絵より古い可能性も指摘されている。

絵の存在は1927年にイギリス空軍のパイロットが発見していたといわれるが、
当時は報告のみが学誌に掲載されただけで、長らくその存在が忘れられていた。
また、地元の遊牧民ベドウィン族の話では、これらの遺跡を「老人の仕事」と呼ぶそうで、地域の人々は地上絵に気づいていた可能性もある。
絵は直径は25m~70mほどあるそうで、構造物にはカイト形(動物を追い詰めるための構造)、
ペンダント形(墓から続いている石塚の列)、詳細不明の何百フィートにも渡って蛇行する壁などがある。

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145: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:55:50 ID:uCU
眠い…
あと半分は明日に回します では

146: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)00:56:23 ID:v1g
>>145

明日はリアルタイムで見れそうにないンゴねぇ・・・

148: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)01:10:47 ID:iH2
ワイ、気になるし勉強になる

151: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)05:05:09 ID:alL
楽しみやで

152: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)05:09:56 ID:jjd
淡々ニキすき

154: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:26:19 ID:uCU
ミステリー・サークル(Crop Circle)

イギリスを中心に世界中で報告されている、穀物が円形(サークル形)に倒される現象、あるいは、その倒された跡。
「円」が複数組み合わされた形状や、さらに複雑な形状のものもある。
日本では「ミステリー・サークル」と呼ばれているが、
海外では「Crop Circle」(クロップ・サークル=穀物の円)と呼ぶのが一般的。

1980年代に謎の現象として世界的に注目され、宇宙人やUFOの仕業とする説など、さまざまな仮説が示された。
また、90年代に入ってからは製作者による告白や懐疑派による検証が進み、人為的なものという考えが主流となっている。
しかし、現在でも説明のつかない多くのミステリー・サークルが発見されており、中には本物が紛れ込んでいるという説も存在する。
ミステリー・サークルについては、かなり詳しい調査が行われている↓
http://www.nazotoki.com/crop_circle.html

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159: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:47:00 ID:jht
>>154
下部の考察サイトがええな

155: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:31:37 ID:uCU
ミステリー・サークル その2

1991年、イギリスに住むダグ・バウワー、デイヴ・チョーリーという2人の老人が、
「自分たちがミステリー・サークルを作った」と告白した。
2人によれば、彼らは1978年頃からミステリー・サークル作りを行うようになったそうだ。
最初は年に1つ~2つ程度だったが、1982年頃から話題になり始めると作る個数を増やし、最終的に250個以上作ったと見られる。
しかし深夜での作業の上、高齢による体力の低下や、ダグの深夜の外出に疑いを抱いた妻のアイリーンが難詰したため、妻に作業を告白。
途中から彼女も加えた3人での作品作りになり、ミステリー・サークル信者に混じりアイリーンも「作品」の出来ばえを喜んでいたという。
彼らが自分たちの仕業だと告白した理由は、
「クロップ・サークルを宇宙人や超常現象と結びつける人があまりに増えすぎたせいで、
国家を始めさまざまな公共機関でこの現象が議論され始め、自分たちのせいで税金が無駄にされると考えたから」である。
また、その後2人の老人は簡単な道具と人力によって立派なミステリー・サークルが比較的短時間で作れることを実演してみせた。

ダグとデイヴ
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156: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:31:51 ID:2gl
おかえりやで
よくもまあこんなに集めたもんやな

158: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:44:38 ID:uCU
>>156
ただいまやで~ 

157: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:43:10 ID:uCU
ミステリー・サークル その3

現在においても、ミステリー・サークルは超自然的・或いは宇宙人によるものという話題が度々挙がる。
その根拠となる仮説(A)と異論(B)の一部を、記事サイトを参考に箇条書きしておく。

[A]サークル周辺には人の足跡がない
[B]重機の通り道を使う方法、棒を使った軽い高跳びの方法、
円と円を結ぶ細い線を作り、できてしまった足跡を倒した草で隠すなどの方法が告白されている。

[A]「本物」のサークルにある作物は折れずに曲がっている
[B]本物とされたサークルでも実際は茎が折れている部分があり、人が作る場合、踏み板で圧力が分散して茎が折れないことも多い

[A]「本物」のサークルでは、作物の内部で細胞レベルの変化が起きている
[B]この話ではW. C.レーベングッドによる実験がよく挙げられる。
しかしこの実験は二重盲検法が用いられておらず、相関関係と因果関係を混ぜていたりと初歩的な間違いが多いとされる

[A]「本物」のサークルでは、倒れた作物が三つ編み状に織り込まれている。
[B]ダグとデイブが作ったサークルでも、
板を踏む(板を回転するのがコツ)だけで自然に作物が三つ編み状に織り込まれていくことが確認されている。

[A]白い発光体がミステリーサークルを作成する瞬間がビデオで撮影されている
[B]これは「オリバーキャッスルビデオ」と呼ばれるもので、後の調査によりCGを使った合成であることが判明した
など

現在では円形にとどまらず、難易度の高いサークルが作られている
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ダグとデイヴ以外にも、彼らに影響されて発足したチームが多く存在するそうだ
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160: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:55:32 ID:uCU
ピラミッド(Pyramid)

エジプトや、中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称。
特に「ギザの大ピラミッド」(クフ王のピラミッド)は、
古代ギリシアの数学者・フィロンが選んだ「世界の七不思議」の建造物の1つであり、現存する唯一の建物として有名。
ピラミッドは未だ多くの謎に包まれた、世界有数のミステリーの1つである。
ピラミッドの雑学は以下の記事で挙げられている↓
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52182015.html

古代エジプトのピラミッドは巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した。
一般的に奴隷の築いた王墓とされてきたが、現在では建設現場に居住する専属の労働者がいたことが判明している。
農業ができない間、農民を労働力として使う「救済土木事業説」もあるが、それに関する論文などは存在しない。
ピラミッドが「いつ」「誰が」「どうやって」作られたかという点についてはおおむね解明されていくものの、
「なぜ」作られたかについては定説が無い。

最も有名な「王墓説」は王家の墓が別に発見されることから否定される傾向にあり、
「日時計説」「穀物の倉庫説」「宗教儀式神殿説」「天体観測の施設説」も後の研究や物証によって有力説になりにくい現状がある。
また、仮説は実証を伴わないアイデアに留まる傾向が多く、
そのため一周回ってやはりピラミッドは「王墓」であるという説明が続けられていることが多い。

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161: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)15:59:33 ID:uCU
ピラミッド その2

ピラミッドの建設方法については、これまでいくつか仮説が立てられた。
約2500年前にギリシャの歴史家ヘロドトスがこの地を訪れた時にピラミッドの建設法を書き残しているが、
彼がここを訪れたのは建設2000年後のことで、「建設には10万人が20年かかった」という記録は疑問が持たれている。
従来、石材を積み上げるにあたっては、「作業用の傾斜路が作られ、その斜面を運び上げられた」と考えられてきた。
また、「長大な一本道が使われていた」という説もあった。
しかし、どちらにしても数トンの石をただの傾斜路で引き上げることができるという説明にはなっていないとされる。

他の仮説として、
「木の杭を使って石を切り出す→イカダと石を縛りつけてナイル川を下り、陸地では丸太を敷いてその上を転がして運ぶ。
最初に一番下の段を作り、その横に砂を盛り上げて斜面を作り、その上を引いて二段目三段目…と積み上げていき、それに伴い斜面もどんどん高くしていく。
そして最後に頂上に石を置いて砂をどければ完成する」というものがある。
一見、この方法で作れそうにも思えるが、実際には不可能であることが判明している。
また、ピラミッドの地中に隠れた基礎部分は四角柱の構造物だが、
地底何十メートルあるいは何百メートルに渡ってその建造が続いているのかは未だ確認されていない。

※画像はイメージです
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162: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:05:07 ID:uCU
→三大ピラミッドの配置(Placement of Great Pyramids)

三大ピラミッドは、エジプト・ギザの砂漠にある3基のピラミッドの総称。
隣接するスフィンクスとともに、エジプトを象徴するイメージとなっている。
造営時期は紀元前2500年頃とされており、
「クフ王のピラミッド」(ギザの大ピラミッド)、「カフラー王のピラミッド」、「メンカウラー王のピラミッド」の3つから成る。

これらのピラミッドの配置には、オリオン座の三ツ星を表したものであるとする「オリオン説」がある。
実際にナイル川を天の川に見立てると、三大ピラミッドの位置がオリオン座の三ツ星の位置とほぼ重なり、
さらに三ツ星と三大ピラミッドを重ねるとその配置が一致するという。
しかし、学会では否定的な意見も多い。
また、火星に三大ピラミッドと配置が全く同じの構造物があるという話もあるが、こちらの正確性は不明。

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確かにオリオン座にある三つ星と似ているが…
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火星の構造物
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163: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:07:20 ID:uCU
→古代エジプト人も「最近の若いもんは・・・」と言っていた

古代エジプト人が「最近の若者はけしからんと言った」というのは有名な話として出回っているが、
これは民俗学者・柳田國男の書籍「木綿以前の事」にある記述と、
アナトリア博物館にある「ヒッタイトから古代エジプトに送られた粘土板」の俗説を混同した誤解だという説がある。
かなり詳しく調査してくれている記事↓
http://55096962.at.webry.info/201410/article_17.html

似たような話に「プラトンも若者を批判していた」というものがあり、彼は「国家」第8巻でそれとも読める事を記述しているが、
「最近の若い者は…」とは言っておらず、同時に老人に対しての批判もおこなっているそうだ。

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164: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:12:47 ID:uCU
ギザの大スフィンクス(Great Sphinx of Giza)

スフィンクスは、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、
ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在、あるいは怪物。
「ギザの大スフィンクス」は三大ピラミッドのそばにある巨大な石像で、スフィンクスといえばこれをイメージする事が多い。

定説では紀元前2500年頃、第四王朝カフラーの命により第2ピラミッドと共に作られたとされる。
根拠としては、発掘された碑文の最後に「Khaf」の文字があった事、スフィンクスの顔がカフラーに似ている事などが挙げられる。
一方で、碑文にはカルトゥーシュ(王の名を囲む円)がないので王の名かどうかは疑問であり、
現存するカフラー像とスフィンクスはあまり顔が似ていないという反論がある。
また、体に比べて顔の大きさのバランスが悪いとして、顔だけ後になって彫りなおされたという主張もある。

考古学者以外では、自然科学のロバート・ショックが、スフィンクス本体や周囲の囲いに降雨による水の浸食が認められる事と、
かつてエジプトで長い期間に大量の降雨があった時代から、紀元前7000年頃(ピラミッドより前)に建造されたという推測を出している。

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165: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:16:19 ID:uCU
→スフィンクスと侍の写った写真

1998年に河田家で発見された写真。
幕末期、交渉のためヨーロッパを訪問した外交奉行・池田筑後守長発たちの一行が、
途中エジプトを経由し、その際ギザのピラミッドを訪れている。
この時、スフィンクスを背景に記念写真が撮影された。
写真には24人ほどの和服姿の日本人が写っている。また、スフィンクスに登ろうとした侍もいたとみられる。

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幕末とほど近い1838年に描かれた絵。写真と同様に、胴体のほとんどが埋没している事が分かる。
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167: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:22:00 ID:uCU
ボスニアのピラミッド(Bosnian Pyramid)

世界最古のピラミッドは、
紀元前2700年に建てられた古代エジプト第3王朝時代の「ジェセル王のピラミッド」(サッカラのピラミッド)とされている。
しかし、東欧のボスニア・ヘルツェゴビナから、紀元前1万年前に建てられたピラミッドが見つかったという。
2006年にNational Geographicがこのニュースを取り上げた事で有名になった。

地元のアマチュア考古学者であるSemir Osmanagic氏が同国の町、ヴィスコにある小さな丘をピラミッドであると主張しており、
それは全部で5基が確認されているという。
外観はただの山のようだが、地下には計10マイル以上の複雑なトンネルが存在しており、これが根拠の1つとなっているそうだ。
また、建設時期は1万2000年前と推定されており、これが証明されれば世界最古の記録を大幅に更新することになる。
この主張について、考古学者たちは異論を唱えている。
英語版Wikiでは、
Osmanagic wishes to excavate in order to "break a cloud of negative energy, allowing the Earth to receive cosmic energy from the centre of the galaxy"
などの(違う意味で)ヤバそうな記述が見られる。

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168: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:26:45 ID:uCU
南極のピラミッド(Pyramids in Antarctica)

米国の研究者らが中心となって構成されている国際チームから、
「南極大陸で氷に覆われた古代のピラミッドを3つ発見した」という発表があった。
これは2012年の情報らしく、Youtube上に「Ancient Pyramids Found In Antarctica?」というタイトルで写真が載せられている。
詳細は一切不明だそうで(この機関の詳細も不明)、3枚の画像が公開されるのみとなっている。

調査はアメリカとヨーロッパにある8つの探検隊が合同で行ったものであるとされており、
発見された3つのピラミッドのうち2つは、海岸から内陸に16㎞入った場所にあり、もう1つは海岸線に非常に近い場所にあったという。
一般的に南極大陸は1000~2000mの厚い氷の層となった氷雪(氷床)に覆われているとされているので、
その上にピラミッドがあるとすれば近年に作られたもの、または氷床から外れた部分に建てられたという事になる。

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169: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:33:14 ID:uCU
サクサイワマン遺跡の石壁(Stone walls of Saksaywaman)

サクサイワマンは、南米にあるインカの遺跡の1つ。(上述の「逆さ岩」も参照)
この地帯の石壁は、インカ帝国の9代皇帝パチャクティの命によって1438年以降に建設が開始されたといわれている。
「サクサイワマン城砦」とも呼ばれ、砦として作られたという説もあるが、
宗教施設という説や、双方を兼ねた建造物などの諸説があり、確定はしていない。

遺跡は巨石を惜しみなく用いたインカ文明特有の堅固な石組みが階段状に3段ずつ、
幅数百メートルの平地を挟んだ南北の丘に築かれている。
大きな石組みは200t~250tといわれ、それぞれの石がカミソリ1枚も入らないほど隙間なく、精巧且つ頑丈に組み合わせられている。
鋭利な切断面を持たせるように石を加工しなければこのような壁は作れず、
石を打ち付けての成形では限度があり、人力での加工は不可能という説がある。

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196: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:09:43 ID:HZJ
>>169
岩盤の中を通る狭い水路とかも、ここやったっけか?
ああいうのもどうやって造ったのか全然解らんらしいけど

198: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:13:09 ID:uCU
>>196
それはクンベ・マヨやね 同じペルーだけど

170: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:47:38 ID:uCU
珊瑚の城(Coral Castle)

アメリカ・フロリダ州マイアミから最南端のキーウエストヘ向かう途中にある、珊瑚で作られた城。
この城を作り上げたのはラトビア出身のEdward Leedskalninという男性。
1900年代初め、彼は当時16歳の婚約者Agnes Skuvstに、結婚式の前日に婚約を破棄されてしまう。
傷ついた彼は生まれ故郷を離れ、各地を転々としながらフロリダに辿り着き、
この地で彼女との結婚生活を夢見て30年に及ぶ珊瑚の城の建造に没頭した。

Leedskalninは平均30tと言われる珊瑚岩を、誰の手も借りず、木片と鉄くずから作成した工具で作り上げたと言われている。
工法も彼独自のもので、例えば表玄関の回転扉は約9tの珊瑚岩から作られているが、回転軸が精密に計算されていて軽く押すだけで開く。
城に使われた珊瑚の総重量は1,100tとされており、小柄な男性だった彼がどうやって運搬・加工を行ったのかは未だ謎が多い。
また、Leedskalninは質問に答える形で「インカ人や古代エジプトのピラミッド建設者が知っていた石細工とテコの秘密を再発見した」と述べている。
彼は奇人変人という扱いも受けており、語られた製造過程もどこまでが真実なのかは分からない。
車のエンジンを改良した道具を使ったなどの仮説もあるが、未だ解明には至っていない。

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悲恋の男 Edward Leedskalnin
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建造に使用された三叉と、頂点にある謎のボックス
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171: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:55:30 ID:2gl
>>170
オーストリアだったかに、小石で似たようなことやったのがおるよな

174: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:10:51 ID:uCU
>>171
おお、サンガツ
オーストリアかは分からないけど、フランスに1人で作られた石造りの建物があるみたいやね

→「シュヴァルの理想宮」(Palais ideal of Cheval)
フランスの郵便配達員、フェルディナン・シュヴァルが33年の月日をかけ、1人で完成させた建造物。
現在、フランス政府により国の重要建造物に指定されている。
石の運び方や建造方法は判明しているが、彼は素人であり、独学とイメージ、そして飽くなき情熱でこの理想宮を完成させた。

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178: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:36:19 ID:2gl
>>174
おおこれやこれ
こういう人はきっと幸福なんやろなあ

172: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)16:56:23 ID:uCU
ニューグレンジ(Newgrange)

アイルランド・ミース州のブルー・ナ・ボーニャ遺跡群にある羨道墳の1つ。
1699年に発見された世界的に有名な先史時代の遺跡の1つであり、アイルランド島で最も有名な遺跡とされる。
紀元前3100年~紀元前2900年の間に作られた。

1年で最も日が短い冬至の明け方、
太陽光が長い羨道(玄室に続く通路)に真っ直ぐ入射し、部屋の床を短時間だけ照らすように建設されている。
現在は日の出から4分後に日光が射し込むようになっているが、
地球の歳差に基づいて計算すると、5000年前には日の出と同時に日光が射し込んでいた。
太陽光は、このために考案されたと思われる「ルーフボックス」と名付けられた入り口すぐ上の開口部から射し込む。
考古学界ではニューグレンジは墓だとする説が優勢だが、天文学や工学、宗教的な施設という説も挙げられており、目的は不明。

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173: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:02:26 ID:I5x
>>172
天文学的なタイミングの良さが絡んでくると興奮してきちゃうヤバいヤバい
やっぱ季節に対する感覚が鋭敏なんすねぇ

175: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:19:18 ID:uCU
モヘンジョ=ダロ近くのガラスになった町(Destroyed City by Atomic Bomb nearby Mohenjo-daro)

モヘンジョ=ダロは、南アジア・パキスタンにあるインダス文明最大級の都市遺跡。
紀元前2500年~紀元前1800年にかけ繁栄した。
古代核戦争の研究者デビッド・ダヴェンポートは、遺跡から5kmほど離れた場所で、
現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所を訪れたと報告している。

そこは黒いガラス質の石が800m四方をびっしり覆っている場所で、石はテクタイト(或いはトリニタイト)とされている。
付近では溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかったそうだ。
このように広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では確認されておらず、
今のところ地表で核実験が行われた場所(砂漠)でしか見つかっていないという。
また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱を極めて短時間に受けることを想定しない限り考えにくい。

ダヴェンポートはモヘンジョ=ダロで発見された遺物の分析を依頼した結果、
1000度~1500度の高温で短時間に加熱されたという結果が出たと報告している。
これらの研究結果から、
「有史以前の地球に近代人の知らない超古代文明が栄えていたが、核戦争により滅亡した」とする「古代核戦争説」(Ancient Nuclear Warfare)が提唱された。

モヘンジョ=ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味する。
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176: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:26:40 ID:uCU
上述の研究結果に対しては異論も唱えられている。一部を箇条書きしておく

・モヘンジョ=ダロが核攻撃されたのであれば、
攻撃した側の文明に核兵器を製造する高度な技術がある筈なので、この地に超古代文明を求めるのは無意味である、という意見がある。

・核爆発の後遺症があまりにも局所的で、一部のレンガのガラス化では核爆発の後遺症を完全に説明できない。

・ダヴェンポートは「ガラスになった町」について、地元でタブーとされている場所として正確な場所を明らかにせず、第三者は確認していない。

・インダス文明を研究する考古学者の近藤英夫教授は、NHKの取材でガラスになった町について
「モヘンジョダロは何度も訪れたが、見たことも現地で話を聞いたこともない」とコメントしている。
もし「ガラスになった町」が実在しないのであれば、そこから発見されたとされる遺物の信憑性も失われることになる。

・数十体の遺体が見つかっているが、モヘンジョ=ダロはインダス文明期以降も洪水や火災が原因で興亡を繰り返していたことが判明しており、
さらに一時期はスラムと化していたこともあったので、放置された死体が見つかってもおかしくはない。

このほか、古代核戦争を想起させるものとして、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」「リグ・ヴェーダ」が挙げられており、
ここには想像だけで書かれたものとは思えない、核爆弾が被弾した状況によく似たシーンが描かれているといわれる。

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177: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:32:12 ID:uCU
融解した土器(Melted Earthenware)

モヘンジョ=ダロで発掘された、融解した土器とされるもの。
1000度~1500度以上の高温と冷却が短期間に起こり、火ぶくれがそのまま固まって気泡となっているそうだ。
モヘンジョ=ダロは、高温の蔵焼きレンガを使って建物を建設していたが、それでは急激な温度変化の説明がつかないとされる。
また、土器が高温によりガラス質化した写真もある。穴があいているのは、高温で気化してしまったからのようだ。

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→核爆発を受けた容器の例

日本には、実際に核爆発で融解・加熱された容器が多々存在する。
広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様、
半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。

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→古事記にある核爆発の描写

話半分で聞くべき内容だが、面白かったので載せておく。
古事記の上巻、くに譲りの段の一節に、
 「建御雷男(タケミカヅチノオ)神、十掬ノ剣ヲ浪ノ穂ニ逆ニ刺シ立テソノ先ニクミ坐テ」という記述がある。
ある書籍でこれを著者のイメージとして描いたところ、核爆発のように見えるとして話が広まった。

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179: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:40:24 ID:uCU
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)

南米・ペルーの山の尾根、標高2,430mにある15世紀のインカ帝国の都市遺跡。
アンデス文明は文字を持たないため、この遺跡が何のために作られたのか、首都との関係など、その理由は分かっていない。
山裾から遺跡の存在が確認できないことから、しばしば「空中都市」などと称される。
また、マチュ・ピチュはケチュア語で「老いた峰」を意味する言葉で、本当の都市名ではない。

遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。石の建物の総数は約200戸。
建造方法は、石垣をぴったりと重ねて積む方法は石で石を叩いたり、削ったりしたと考えられている。
しかし、マチュ・ピチュの場合は傾斜路を造る余地がないため、どうやって5-10tもある巨石を運んだかは未だ謎であるとされている。
以前は「突然人が消えた文明都市」という扱いもあったが、この都市は通常の都市ではなく、
王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や田舎の別荘といった種類のもので、住人は最大でも750名しかおらず、
雨季や王族が不在の時は、ほんの一握りの住人がいたのみと判明している(少数の男女の遺体も見つかっている)。

最大の謎として、「なぜこのような急峻な山の上に造ったのか」というものがあるが、
今のところ宗教的な理由(太陽が近いなど)が推測されているに過ぎず、解明には至っていない。

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180: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)17:52:29 ID:uCU
沖縄県与那国島の海底遺跡/与那国島海底地形

沖縄県八重山諸島にある与那国島南部の海底で発見された構造物。
1986年に、ダイバーが海底に巨大な一枚岩を発見したのが最初と言われている。
一枚岩は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、階段状になった部分、人が歩けるほどの通路らしき部分が存在することが判明した。
1992年以来、琉球大学理学部教授(現:琉球大学名誉教授)の木村政昭を中心として調査が行われ、
1998年には沖縄県文化局に「遺跡発見届け」が提出されている。
沖縄県側では、人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で遺跡としては認定していない。
観光的には「遺跡ポイント」として売り出しており、遺跡であるかどうかはさておき、与那国島の貴重な観光資源となっている。

この地形については、「人工的な構造物である」とする立場と、「自然地形である」とする立場からいくつかの説がある。
しかし、遺跡説が考古学や地質学関連の学会で提示されていないこともあって、
両者の議論は沖縄県内の学者によるものにとどまっており、関連学会においては学術的な検討の余地にも入っていない。
人工的な構造物説を国内の学会において発表しているのは木村教授のグループのみであり、その学会も考古学や地質学を専門とするものではない。
また、木村教授に対しては、考古学的・地質学的調査が未実施、論文発表がない、精確なデータを提出していない等の批判がある。

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181: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:00:38 ID:uCU
沖縄県与那国島の海底遺跡/与那国島海底地形 その2

発見者のダイバー、新嵩喜八郎氏は「古代文明遺跡説」も提唱している。
この地形が遺跡であれば、水没したのは(動植物の分布や鍾乳石等から)前回の氷河期が終わって海面が上昇した時期である、
という説があり、これが事実ならばこの遺跡は「1万年以上前の世界最古の古代遺跡」ということになる。
また、新嵩喜八郎氏主催の与那国海底遺跡博物館のウェブサイトでも、
約1万年前の海面上昇により水没したことがはっきりしてきたと記述されている↓
http://www.yonaguni.jp/yum.htm

もう1つ、興味深い噂として、周辺の「サンニヌ台」「軍艦島」(軍艦岩?)「立神岩」「海底遺跡」が、
グーグルアース上で見ると一直線上に存在し、これら全てが連続した石切り場であるという話がある。

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182: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:10:06 ID:uCU
バルト海の海底に沈む物体(Baltic Sea anomaly)

2011年、北ヨーロッパに位置する地中海のバルト海で、
難破船やヴィンテージのシャンパンなどを探す発掘チーム「オーシャンX」が海中をソナースキャンしている最中、
円形の奇妙なオブジェクトを発見したと発表した。
海面から87m下に、60mの直線、及び円形のコックピットの様な物体が見つかっており、
その後ろには何かが海に墜落し、ひきずったようなラインが300m続く。
このことから一部では物体がUFOではないか、もしくは旧ドイツ軍が廃棄した兵器ではないかという憶測が飛び交った。

イスラエルの研究者の発表によると、構造物にはリモナイトやゲータイトなどの金属も見つかっており、人工物の可能性があるという。
また、物体は花崗岩に覆われており、ストックホルム大学の海洋地質学者の話によると、
そこから得られた情報によって14,000年前のものではないかと推測されている。
ネットユーザーからは映画「スターウォーズ」に登場する宇宙船「ミレニアムファルコン号」に似ているという小ネタも投稿された。
現在まで正体は明らかになっていないが、肝心の発見者「オーシャンX」が調査を停滞させているといった話もある。

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イメージ?
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ミレニアム・ファルコン号
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183: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:35:08 ID:uCU
サントリーニ島のアクロティリ遺跡(Acroteri on Santorini Island)

サントリーニ島はエーゲ海南部に位置するギリシャ領の島で、断崖の上にある白い建物群などは有名な観光地となっている
島内の南部ではヨーロッパで最も古い文明の1つといわれるミノア文明の大規模な港湾都市遺跡「アクロティリ遺跡」が発見・発掘されており、
その高度さから、古代ギリシャの哲学者プラトンが伝える「一夜で沈んだ高度な文明社会」という「アトランティス大陸伝説」のモデルではないかとして有名になった。

本島であるティーラ島(サントリーニ島)は紀元前1628年頃、海底火山の爆発的噴火(ミノア噴火)によって島の半分が吹き飛んだともいわれる惨状にみまわれた。
この爆発的噴火はエーゲ海一帯に惨禍をもたらし、プラトンが提唱したアトランティス伝説の内容に大きな影響を与えたといわれている。
また、幻の大陸アトランティスのもう1つの有力なモデルが、南にある「クレタ島」で、ここでも本島と共にミノア文明(クレタ文明とも呼ぶ)が栄えていた。
ミノア文明の背景を明らかにするには「線文字A」(別項目参照)の解読や、宮殿の情報の整理、聖域などについての更なる発見が必要とされており、今も研究が続いている。

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サントリーニ島。女子の方がよく知ってるかも
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184: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:38:13 ID:yZw
レイラインやなぁ

185: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:38:59 ID:EC4
追い付いたで~いつも楽しませてもらってますわ

186: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:42:12 ID:uCU
いつも読んでくれてサンガツ

187: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)18:48:07 ID:uCU
→アトランティス(Atlantis)

古代ギリシアの哲学者プラトンが、著書「ティマイオス」「クリティアス」の中で記述した、
紀元前10,000年頃に存在した大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国。
強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。
両作品は、プラトンの師匠ソクラテス、数学の教師ティマイオス、曾祖父クリティアス、政治家・軍人ヘルモクラテスの4名の対談の形式で執筆されている。

1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ドネリーが著書「アトランティス - 大洪水前の世界」を発表したことにより、
アトランティスは謎の大陸伝説として一大ブームとなり、更にオカルトと結びつくことで多くの派生を生んだ。
近年の研究では、火山噴火が影響して紀元前1400年ごろに突然滅んだサントリーニ島の「ミノア王国」がアトランティス伝説のもとになったとする説が提唱されている。
また、「ヘラクレスの柱」(一般にはジブラルタル海峡)をダーダネルス海峡であるとし、古代トロイア文明と重ねる説もある。
しかし、大西洋のどこかにアトランティスがあると信じる人間も未だ存在する。

NHKの番組「幻解!超常ファイル」では、「人が堕落すると国が滅びる」というプラトンの思想と、
当時プラトンの祖国アテナイは戦争に走り、国民は法を守らなくなるという状態になりつつあったため、
それに対する警告の意味でこの伝説を書いたという説を紹介している。

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188: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:04:36 ID:uCU
ナン・マトール遺跡(Nan Madol)

ナン・マトール遺跡は、オーストラリア近く、ミクロネシア連邦のポンペイ島にある13世紀~15世紀の遺跡群。
Nan Madolは「天と地の間に広がる空間」を意味する。
1931年に「失われたムー大陸」を著したジェームズ・チャーチワードが、ナン・マトールこそが太平洋上に位置し、
高度な技術と権力があったムー大陸(Mu)の聖都であると述べた。
ムー大陸は1万2000年前に突如太平洋の海中に水没した大陸と言われている。

この発言でナン・マトールは世界的に知られることになり、現在でも観光客が訪れる遺跡名所となっている。
ナン・マトールの巨石群が建造されたのはシャウテロール王朝時代であり、
この海域で約1000年かけて完成させたとも、不思議な力により一夜にしてできたとも伝説が残っている。
この海上都市(複数の島々に渡る)の玄武岩巨石群をどこからどのように運び、どのようにして緻密に積み上げたのかは解明されていない。
観光ガイドには外敵からの要塞の目的でこの都市が造られたとも書かれているが、都市が建造された目的は未だ分かっていない。

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189: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:11:10 ID:uCU
ケニア・エンゲディ遺跡(Ruins of Gedi)

東アフリカのケニア、マリンディ奥深くの森林地帯にある遺跡。
未だに多くの謎が残る失われた都市として、ジャングルの中にひっそりと佇んでいる。
一部の城壁、柱と土台のみを残し、3000人のコミュニティーが存在していたと推定され、当時としてはかなり高度な文化があった。
1948年に発見されて以後10年間にわたり発掘調査が行われた結果、
ヴェネツィアのものと思われる遺物、スペイン製の遺物も発掘されており、ヨーロッパと貿易をしていたことが判明している。
さらに、中国の明王朝時代の硬貨や花瓶、インド製のランプも発掘された。アラブ圏のイスラム系のモスクも存在していたという。
このような高度な文明を持つ都市がなぜ消失したのかという原因に関しては、考古学者たちの間で論争が行われている。

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204: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:35:59 ID:HZJ
>>189
こんな場所にも凄い文明あったんやね

190: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:20:56 ID:uCU
オレゴン・ヴォーテックス(Oregon Vortex)

アメリカ・オレゴン州ゴールドヒルにあるミステリースポット、娯楽施設、観光名所。
入場料は12.5ドル(約1500円)。
施設の所有者は超自然現象の起こる地だと主張しているが、人間の錯視を利用したものという懐疑的な見方もある。
物体の重さが変わったり、光が屈折したり、磁気が乱れたり、箒が自立したりと様々な現象が確認されている。
一部トリックアートを用いて誇張した宣伝もされアミューズメント化しているが、
実際に解明できない現象も起き続けているという。

人間は「建物の壁は垂直で、床は水平だ」と無意識のうちに思いこんでいるが、その前提が崩れていると感覚的な混乱をきたす。
オレゴン・ヴォーテックス内にある多くの建物には、このような錯覚を起こさせるための様々な仕掛けが施されている。
同じような施設として、岐阜県の「養老天命反転地」、ペンシルベニア州の「ローレル・ケイバーン」などが挙げられる。

名物:傾いた建物
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箒の自立
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立つ位置によって身長が変わる柱。錯視によって互いが直線上で向き合っているように見える(動画参照)
https://www.youtube.com/watch?t=17&v=743oy55RqX4



養老天命反転地(日本/岐阜県養老町)
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191: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:29:01 ID:uCU
弾丸が貫通した頭蓋骨の化石(Rhodesian Man With Bullet Hole In The Head)

1921年、アフリカ南部・ローデシア(現:ザンビア)のブロークンヒル鉱山で働いていた労働者が、人間の骨の化石を発掘した。
化石となった人物の頭蓋骨には、弾丸のようなものが貫通した痕跡が残っていた。
化石は分析の結果ネアンデルタール人と同じ種類と判断され、やがてアフリカを代表する化石人類「ローデシア人」と名付けられた。

穴は綺麗でなめらかな状態で、、矢じりや石器などの原始的な武器でつけられた傷、獣に襲われた傷とは考えにくいものだった。
しかし、ローデシア人の化石が埋まっていたのは地下18m、地層は推定10万年前のもので、当然銃火器は開発されていない。
素人考えでは、例えば何らかの自然現象によって高速で飛んできた石ころが頭蓋骨を貫いた…という仮説が思いつくが、定かではない。
ベルリンの法医学者が調査したところ、高速で発射された物体が貫通した痕という結論が出たという話や、
穴には治癒した痕があるため外傷性のものとは考えにくい、といった話も挙げられている。

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192: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:37:59 ID:uCU
白亜紀の人間の指(Cretaceous Finger)

チャールズ・ダーウィンは1859年に「種の起源」を発表した。
進化論は時代と共に支持されていき、
人類をはじめとする動物は環境に応じてその能力や形態を変化させながら現在まで生き延びてきた、という説が現代では浸透している。
そんな進化論を揺るがしかねないオーパーツが存在するといわれる。

1980年代、アメリカ・テキサス州グレンローズから数km離れた場所で、奇妙な化石が出土した。
化石は5cmほどの大きさで、人間の指先の様な形をしていた。
同じ泥灰土層からは絶滅した鱗木類の化石も出土しており、人間の指らしき化石と同年代のものであると判明した。
鱗木類の化石も指のような化石も白亜紀時代のものと鑑定されている。
しかし、「第一関節が見当たらず、人間の指ではない」「円筒状の穴に堆積した砂によって形成されたもの」という説もある。
また、CTスキャンで調査したところ、成人女性の指先ではないかという結果が出たという話も一部で記述されていた。

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X-Ray
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193: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:43:19 ID:uCU
人間と恐竜の足跡/デルト・トラック(Paluxy River Dinosaur & Man Track)

「白亜紀の人間の指」でもおなじみのアメリカ・テキサス州グレンローズ。
この地域を流れるパラクシー川の白亜紀の石灰岩層で、人間の足跡の化石とされるものが見つかっている。
1910年頃に発見されたようで、川床に恐竜と人間の足跡が同時に存在し、人間の足跡は35cm~40cmあり、身長は2m以上と推測された。
1980年代から本格的な調査が始まり、考古学者のカール・E・ボウは川沿いに博物館を建て、
創造論における「人類と恐竜の共存」を証明するべく発掘プロジェクトを開始した。

削岩機などで石灰岩層をはがす1982年の実験では恐竜の足跡が40個以上、人間の足跡が10個以上も出てきた。
そのうち1つの人間の足跡はかかと部分が踏みつぶされるような形状で、恐竜の足跡と重なっていた。
これには地元メディアも騒ぎだし、恐竜時代に人間がいた証拠として大きく報道した。
また、発見された人の足跡と現代人の足跡の類似度を算出すると、90%近く相似していた結果が出たという。
その後、時期は不明だが、小型恐竜の足跡を人間の足跡に見えるよう細工している現場が押さえられたそうだ。

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194: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:47:00 ID:uCU
踏まれた三葉虫の化石(A Fossilized Human Footprint and Trilobite)

1968年、アメリカ・ユタ州でアマチュア化石収集家が奇妙な化石を発掘した。
それはカンブリア紀の5億7000万年以上前の地層から掘り出された三葉虫の化石だったが、
化石を調査していく段階で、三葉虫を踏みつけている靴のような足型が共に化石になっている事が判明した。。
くつ跡の長さは約25cmで、かかとの厚さは約1cmあった。そして、履き古したように外側部分が浅くなっていた。
足型の中には3匹の三葉虫が確認できるが、大きな石などで潰されたようには見えず、綺麗に踏まれているそうだ。
「単に重なり合ってそう見えるだけ」「靴跡に見える化石自体が巨大な三葉虫」などの推論・反論もある。

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三葉虫の一種
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195: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)19:55:28 ID:uCU
アレキサンダー大王時代の墓(The tomb of Alexander the Great's relatives)※未知の遺物ではない

「アレクサンドロス3世」は、紀元前336年~紀元前323年まで在位した、アルゲアス朝マケドニア王国の王。
英語読みでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とも呼ばれる。
旧約聖書やコーラン、シャー・ナーメ、ゾロアスター教など多様な民族の教典にも登場する英雄だが、彼の墓は未だに見つかっていない。
遺体はバビロンから王都ペラへ移送途中にプトレマイオスに強奪され、ミイラとしてエジプトに埋葬されたといわれている。

そんなアレクサンダー大王時代の墓が2014年11月、ギリシャのアンフィポリス遺跡内にあるカスタ・ヒルの墳墓で見つかった。
墓から見つかった人骨は、妻のロクサーヌ、或いは母のオリンピアスともいわれている女性のもの。
この墳墓ではこれまでに美しいスフィンクスや複雑なモザイク画も見つかっており、墓の主は非常に位の高い人物だったという説が有力視されている。
ただ、墓がアレクサンダー大王自身のものである可能性は低いとみられている。

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197: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:11:32 ID:uCU
ノアの方舟(Noah's Ark)

旧約聖書の冒頭に書かれた「創世記」に登場する、主人公ノアと家族、多種の動物を乗せた方舟。
創世記の内容は、「神が7日間で世界を創り、男女が蛇の誘惑で楽園を追放」(1~3)、
「最初の殺人:カインとアベル」(4:1~16)、「ノアの方舟」(6:5~9:17)、「バベルの塔」(11:1~9)などが続いていく。
また、旧約聖書の洪水伝説は、古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」の洪水伝説の影響を受けているという説がある(描写が似ている為)。

ギルガメシュ叙事詩の内容を簡単に書くと、
「ウルクの王ギルガメシュと、神が彼の競争相手として創ったエンキド(エンキドゥ)は力比べをするが決着つかず、
やがて2人は親友となり、さまざまな冒険を繰り広げる。
しかし、冒険の果てに神の怒りを買ったエンキドは死んでしまい、ギルガメシュも死を恐れて永遠の命を求める旅に出る。
その後、ギルガメシュは神(風と嵐の神エンリル?)が起こした大洪水から『方舟』を作って逃げることで永遠の命を手に入れたウトナピシュティムに出会う」
といった物語になっている。

ノアの方舟物語の内容を簡単に書くと、
「神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと『神と共に歩んだ正しい人』であったノアに告げ、方舟の建設を命じる。
ノアは方舟を完成させると、妻と三人の息子とそれぞれの妻、すべての動物のつがいを方舟に乗せた。
大洪水は『40日40夜』続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。
その後、箱舟はアララト山の上にとまった」
といった物語になっている。

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200: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:21:06 ID:uCU
ノアの方舟 その2

旧約聖書内の記述から、方舟は古来より多くの学者や冒険家たちによって捜索されてきた。
現在までに、アララト山に漂着したとされる「方舟発見」(と主張される痕跡)の報告が何例か挙がっている。

・1世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスは「ユダヤ古代誌」の中で残骸を見たと記述している

・1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき古い木材建造物が一部露出。
トルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念。

・1880年~1910年頃、帝政ロシアが大規模な捜索隊でノアの箱舟の残骸を捜索、かなりの成果を収めたらしいが、ロシア革命で資料が遺失。

・1960年代、駐トルコのアメリカ空軍によって、船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も確認された。
これらはアララト山北東斜面「北緯39°26′4″、東経44°15′3″、海抜1870m」付近のものが有力とされる。

・2010年、アララト山の山頂付近(標高約4000m地点)で、方舟の木片を発見したと、
トルコと中国の「キリスト教福音派」の考古学者ら15人からなる探検チームが発表。
炭素年代測定では、方舟伝説にある4800年前と同時期のものと判明したそうだ。

よく貼られている地形画像。方舟がとまった跡地…?