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神仏習合色の強い神社仏閣 | 不思議.net

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神仏習合色の強い神社仏閣

2015年09月03日

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コメント( 4 )

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1: 名無しさん 2014/03/25(火)12:43:13 ID:H0TDRhn5M
神仏習合色の強いとこ教えてください
そういった祭事とかの情報なども

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。

神々の信仰は本来土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。神は特定のウジ(氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。普遍宗教である仏教の伝来は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。

仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。
wiki-神仏習合-より引用






2: 名無しさん 2014/03/25(火)22:26:01 ID:SSi8MRHzK
神道で般若心経を読むところ検索するとそれっぽいの引っかかるけどどうなのか
歴史をたどれば金刀比羅宮みたいに、かつては神仏習合でやってたところも少なくはないんだろうが

7: 名無しさん 2014/03/26(水)12:47:42 ID:lzyEDCYiK
>>2
金比羅宮って、明治維新で無理矢理神道の神あてはめただけで
本来はあくまで「こんぴらさん」が祭神だかんねえ

しかも、つまりこれは、もともと薬師如来を守護する十二神将の金比羅大将とイコールで
インドの元来としては、クンベーラ、ガンジス川のワニを神格化したもの。

水神として航海安全で人気を暑め
江戸時代には「金」の字の当て字から、金運という民間信仰で人気爆発。

はっきりいって元来神道の神じゃない。
まあ全国の弁天さん祀る神社なんかもそうだが。

8: 名無しさん 2014/03/27(木)16:40:18 ID:RWwFbEqf1
>>7
こんぴらふねふね~~(´∀` )
御池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ~~(´∀` )
もともと土着の海の神様がいたんだと思ってた
完全に仏教が最初なの?

4: 名無しさん 2014/03/26(水)01:12:03 ID:zfP5qGZxw
日本の神々は般若心経をことのほか好むとされ
江戸時代までは神社でも盛んに読まれたからね
文献学の世界では、あれは最後のサンスクリットの「呪」がメインで
その意味は、この世もあの世も全てのものが
幸せでありますように、みたいな意味らしい。

寺でお神籤というはなしだけと
一方神社で御守りとか御札ってのもあれ本来寺で神道には無かったものだったりする。

5: 名無しさん 2014/03/26(水)06:13:31 ID:J5N8KeATi
鳥居がある寺院はだいたいそうでしょ。

生駒聖天や豊川稲荷。

6: 名無しさん 2014/03/26(水)12:29:48 ID:lzyEDCYiK
元々寺だった神社は、わりと仏教色残ってたりらするね
談山神社とかさ

あと天台宗、比叡山と関係深い日吉大社とか

9: 名無しさん 2014/03/27(木)19:10:42 ID:IHYi6hPGh
江戸期には、伊勢参りと双璧の人気だったかんね
漁師らの海神、金比羅、クンベーラの信仰が元だが
仏教伝来以前から海神に祈るなんてのは風習としては世の中あるだろうけど
当地で行われていた証拠はないし
やはり金比羅宮なんだから、これ自体は元来金比羅を祀ったお宮と見るべきじゃないかな?

弁財天を祀った全国のお宮が、明治維新で廃されて
瀬織津姫命として変えられたのと近い
(ただし、弁天はその後、元に戻ったとこも多く、今日弁天を祀る「神社」は数多い)

10: 名無しさん 2014/03/27(木)19:31:04 ID:RWwFbEqf1
>>9
弁財天より瀬織津姫の方が古いんだからむしろ瀬織津姫が弁財天に押されて
消えたんじゃね?

11: 名無しさん 2014/03/27(木)19:38:39 ID:IHYi6hPGh
違う。
明治維新で、全ての記紀に出てこない神々は
仏教神だけでなく、地方の地元神も含め
すべて新たに記紀の神名を当てられて消えてった。
明治政府の宗教政策です。
瀬織津姫なんてかなりマイナーな神で、信仰されてる場は全国でもごくごく小数だつもたんだよ
今全国でありふれているのは弁天を置き換えたことが大きく影響してる

15: 名無しさん 2014/03/28(金)16:46:51 ID:QIUzYngS7
>>11
>明治維新で消えた
明治なんて最近の事なんだから残ってた文献が全部消滅したり
やってた祭が全部消えるってもんじゃないだろ
それでも瀬織津姫が消えたのは明治維新のせいなのか?

記紀に載ってない神々が消えたのは仏教に押されて元々の祭神がなんだったか忘れたり
祀ってた神主たちの血筋が途絶えたせいじゃね

16: 名無しさん 2014/03/29(土)10:58:37 ID:XOiiYhLjR
>>15
史実なんだからしょーがない
「明治なんて最近」だからその変更の記録がきちっと残ってて検証できてる
正式に政府命令として、全国の寺社を調べ、記紀神として定義するようやってるんよ。
近代の宗教政策史をもうちょっと押さえておくべき。

じゃね?とか想像でどうこういう部類の話しでなく
明治初期の変遷は記録上確認できるので疑念の入り込む余地はないよ。

瀬織津姫は、江戸まではそんメジャーな神ではなく
全国そこかしこ、ここまで祀られるものではなく、
一方弁天は江戸時代にはもてはやされ、津々浦々に祀られていた。
したそれら弁天宮や神社の弁天祠は、瀬織津姫と定義し直されたのです。
結果そこかしこで見られることに。

18: 名無しさん 2014/03/29(土)22:47:11 ID:vezTAz8IJ
>>16
吉田兼倶の吉田神道とかね
あとさらに後代には伊勢の外宮界隈の伊勢神道、
奈良、桜井の大神神社の三輪流神道とか。

これらは仏優位の両部神道の影響を受けつつ、カウンターとしてあるんで
当然両部神道はそれに先行する

19: 名無しさん 2014/03/29(土)22:54:01 ID:NJvemwn3J
>>16
明治で神仏分離やってんのは分かってんのよ
その前に既に祭神の由来は消えてたんじゃないの?って話
明治までしっかり古代からの由来が残ってたところの方が少ないんじゃね
神仏習合のせいで

22: 名無しさん 2014/04/01(火)09:59:31 ID:kuKyJDkuJ
>>19

神仏習合のせいではなく、時間がたったからだろうな。

12: 名無しさん 2014/03/27(木)20:09:05 ID:AdiO2dIh4
現在、 天之御中主神を祀る神社のほとんどが、江戸期まで
北極星を神格化した妙見菩薩を祀った神社、妙見宮だったとかね。

明治政府って宗教を国家管理したかっただけで(大教院を見よ)
決して神道を信奉してたわけではない。
伯家や吉田の神道勢力をも潰し、
仏教神だけでなく、地方地方で祀られてた土着神も廃されてったのを見ると分かるが。

そういう明治初期の時代背景を踏まえると、
金比羅や弁天、妙見などが置き換えられてった様が理解できると思う

13: 名無しさん 2014/03/28(金)09:32:15 ID:LAFlFjFa2
金刀比羅はややこしいんだよね
七百年程前、元々は松尾寺金光院と言って金毘羅大権現を祀った場所だった
明治になって廃仏毀釈によって金刀比羅宮に変更され、祭神も大物主神と崇徳天皇に変わった

金毘羅大権現はあらゆる祈願を成就すると言われてるし
薬師如来の十二神将の宮毘羅神将だけでなく、般若十六善神の却毘羅夜叉ともされている
単純に海神と見ると見誤るかもしれない

20: 名無しさん 2014/03/30(日)17:47:22 ID:ShDGe4BSw
瀬織津姫が広まってるのは弁財天から置き換わったというが
瀬織津姫が広まってるのって、天照や祓戸大神の関係から一緒に祀られてるのが主な理由なんじゃないの
廃仏毀釈で弁財天を置きかえるのにマイナーな瀬織津姫より
宗像三女神で弁財天と習合していた市杵島姫命に置き換える方が普通じゃない?

21: 名無しさん 2014/03/31(月)18:00:07 ID:IY2ezG1KW
元から瀬織津姫がきちんと祀られてたから弁財天になったんだと思う
集合されたのは人気があった神様だからだろう

特に瀬織津姫は祓給い清め給え~って事あるごとに出てくる神だし
記紀には出てこないが当時からマイナーな神だったって言うのは無理

24: 名無しさん 2014/04/01(火)12:42:56 ID:XRhXn7pje
あと、弁天が置き換えられた例としては、瀬織津姫より
宗像三神のほうが多いと思います。

なんにせよ、明治政府の宗教政策によって、弁天は廃された神。
全国の弁天社は廃されたものが非常に多く、一部祭神を記紀の女神に置き換えることで
神社化して生き残ったというのが歴然たる事実。

25: 名無しさん 2014/04/02(水)08:51:46 ID:A4cl9FMXp
>>24

聖天寺院は維新後も寺院のままだが
弁天寺院は維新後に神社になったところが多い。

31: 名無しさん@おーぷん 2014/05/02(金)20:29:58 ID:GyalXTSfK
>>25
聖天を置き換える日本の神はさすがになかったのだろうね
象面の神だもの…

けれど、廃仏で聖天寺院も多くが荒廃し、無住になったり
境内地を売り払ったり、ひどい被害を受けている例多数ですね

27: 名無しさん 2014/04/06(日)23:41:43 ID:pryDyArV9
逆に神仏習合に全く関わらなかった神社仏閣はどんなの

28: 名無しさん 2014/04/08(火)19:44:48 ID:a6KXPZ903
明治の時の廃仏毀釈で無茶やったんだなあ

29: 名無しさん 2014/04/09(水)07:44:31 ID:7ZpayXbGp
記紀神話の頃から自分の都合で他宗教の神を潰してきたからね
人に向かってないだけで諸外国の宗教(主にキリスト教)と然程変わらないんだよな

30: 名無しさん@おーぷん 2014/05/02(金)13:49:23 ID:GyalXTSfK
神仏分離令で、全国の弁天社は、厳島神に置き換え、由来を書面にして提出すること、と支持が出てる。
神社内にあった梵鐘や仏具などもすべて処分するよう指示されてる。

つまり、いちど弁天社はすべて全国で消えてる。

今いくつか弁天を祀る神社はあるけど、あくまで厳島神を本地としたうえで
弁天として再び信仰してる例なんだろうねえ。
神仏分離令で滅びたのち、復活した稀有な例だと思う。
それだけ信仰が根強かったのだろう。

一方で、八坂の牛頭天王はほぼ消えたまま

35: 名無しさん@おーぷん 2014/07/27(日)21:20:03 ID:0MSxjWY8y
>>30
牛頭天皇、権現、明神なんかも失われてしまったが、
江戸時代の地誌なんて見ればわかると思うけど
まず地方だとほとんど記紀の神々なんて祀られてないことがわかる
神社なんて名称で呼ばれてないしね
大抵『~明神』『~権現』とかばかり牛頭さんは『天王社』とかだね

で、お近くの神社には大抵、天照やら素戔嗚やら記紀の神々が祀られているだろうけど
そこは本来、竈の神だったり、蛇だったり、山だったり正体不明の神々だったということはザラだったりする

明治時代、無理やり祭神から引きずりおろされた神々は数知れず
本当の意味での八百万の神々の信仰は消滅し
国家神道の弊害を引きずったまま、さも古来からの伝統を継承しているかのように吹聴している神社は多い

神社のサイトとかみても神仏分離における祭神の変更を丁寧に書いている神社なんていかほどあろうか
すべては黒歴史としてなかったことになってはいないか

俺たちの先祖が手を合わせたのは、祭をしていたのは、本当にその神だったのか
たとえば金毘羅さんでいえばあそこは元々寺だ。
天地開闢の神々のおわす、とされている旭社はもともと金堂だった
その他も魔改造され破壊され、もはや往時の信仰もなければ金毘羅大権現もいない

32: 名無しさん@おーぷん 2014/05/05(月)02:10:11 ID:fn9N3uERE
このスレ勉強になる

33: 名無しさん@おーぷん 2014/05/07(水)23:04:45 ID:6WCwUOqBe
っていうか民衆は廃仏希釈に一揆をおこさなかったの?
神も頼りにならぬ幕末の荒廃した風潮ですっかり信仰心もなくなっていたのかな

34: 名無しさん@おーぷん 2014/05/09(金)16:37:28 ID:1FWxMrPj9
逆に民衆が誇大解釈して地域の神社の仏像を破壊して燃やして回ったなんて事例もある。

もちろんきちんと保護して守ったなんて例も幾多もある

そうやって田舎の無教養な農民が知ったかして地域の神社の
地蔵やなんやを破壊して回ったけど
その後待ち受けてたのは、国からの指令で地域の祭りや神名を消せと言われ
しまいには神社の全国的な統廃合で、村の小さな神社はみなお取りつぶしで
大きな神社に合祀されて無くなってしまったってオチとか、ありがちなはなし。

仏を潰して回ってたら、自分らのとこの鎮守の神様まで無くなってしまったとさ。

35: 名無しさん@おーぷん 2014/07/27(日)21:20:03 ID:0MSxjWY8y
そして>>34さんの言うように廃仏毀釈には色々なパターンがあった。
お上が主導して破壊されたところもあればそうではない場所もある
イラク戦争後のイラク民衆ように理性のたがの外れて暴徒化した民衆もいれば
信仰や寺院、仏具を守り抜こうとした民衆もいる
すべてを一括りにはできない

36: 名無しさん@おーぷん 2015/01/21(水)20:09:40 ID:7R5
金刀比羅宮の神仏分離の際の対応等については、『黎明期の金刀比羅宮と琴陵宥常』に詳しい
「金比羅大権現は天竺より飛来の垂迹にて日本一社の神なり」と訴えるも、聞き入れてもらえなかった事等が書いてある

40: 名無しさん@おーぷん 2015/04/20(月)21:00:13 ID:Dr5
>>36に補足
琴陵宥常は神仏習合時代の金刀比羅宮第十九代別当で、金比羅信仰を損ねることなく神仏分離に対応し成功させた。
明治維新と神仏分離という変革の中で金刀比羅宮を守り抜いた、金刀比羅宮中興の祖ともいうべき偉人

41: 名無しさん@おーぷん 2015/07/10(金)10:42:13 ID:pIG
地方の神社はほとんどその土地を神格化した神を祭ってた。
地霊=産土神=鎮守様。
中世に有力な大神社が御師を全国に派遣して、祭神を勧請させて
旧来の(土地神を祭ってた)神社に祭神をかぶせたんだよ。
それで神社のフランチャイズみたいのが全国規模で広がった。
別に明治維新を待たずとも全国に
お稲荷さんや八幡様や天神様やお伊勢さんやエビス様やその他
あふれてたぞ。明治になって急に、なんてのは嘘だろ。

42: 名無しさん@おーぷん 2015/07/10(金)11:13:49 ID:pIG
金比羅って文字がただの当て字だってのは江戸庶民も知ってた。
漢字は中国の文字で、インドの文字は梵字ってことも
寺子屋も先生も知ってるし、長屋の物知り爺さんもいたろうし、
檀家になってる寺の坊さんと会うことも現代人よりはるかに多い。
教養にふれる機会はいくらでもある。
金の字だからってのはあくまで冗談で、もともと天竺でも財福神だったって
まめ知識ひけらかす町人もさぞかし多かったろうし
あくまで物見遊山な参詣旅行が目的だから本当の意味はさほど重要でない。
あと迷信やうわさ話に尾ひれがついて、それを面白がって庶民がくいつく
流行神という現象がおこったりするわけで
江戸時代の庶民の信仰は娯楽要素が大きいんだよ。
逆にいえば中世や古代と比べると信仰心は薄れてきていた。
そして江戸後期には徐々に庶民にも儒学や国学などの
合理主義的な教養が流行、浸透してきていた。
(儒学者や国学者は仏教を迷信扱いして庶民を啓蒙してた)
一方、寺は江戸幕府の寺請制度の特権にあぐらかいて
庶民から絞ってたところが多いから坊さんは大抵は憎まれてた。
政府が命じたのは神仏判然令(神仏分離)であって廃仏毀釈ではない。
廃仏毀釈は庶民の自発的な暴動。
だから、ごくまれにいた立派な尊敬されてた坊さんのいた寺では
被害を受けていないんだよ。
一部の寺社で政府に抵抗してどうのこうのって話は一概にいえない。
単に旧来の社家や社僧が利権を守ろうとしても
庶民がついてないケースでは政府から
派遣されてきた新任の宮司が強行に出れるし、
庶民の声が大きいケースでは新任宮司の対応の個人差がかなりあった。
生真面目な若い新任宮司だと、現地人と話が進まないので強硬策として
廃仏毀釈やっちゃった例もあるが、わずかな例外。
神仏分離が現在のように全国ですすんだのは政府の強行じゃなくて
庶民が政府命令をなんとも思わず(または当然のように同意して)
受け入れたからだよ。
わずかに神仏習合そのまま残ってる寺社は、そこの社家や社僧が
現地の人に慕われ、尊敬されてたから。

39: 名無しさん@おーぷん 2015/03/31(火)18:05:10 ID:sne
宗教ってのはその時々の政治や時代の流れで変化していくものだからな
神仏習合も神仏分離も長い日本の信仰の歴史の変化のひとつ
そういった変化を経て今の神社仏閣がある
俺たちが大切にすべきは目の前にある今の神社仏閣のあり方で、それ等が今後どのように変化していくのかはずっと先の未来の話だな

引用元: 神仏習合色の強い神社仏閣



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コメント

1  不思議な名無しさん :2015年09月03日 22:33 ID:u8lLXkd70*この発言に返信
日本の昔からの姿を考えれば神仏習合の状態が最も自然。というか、日本人的にはそっちの方が受け入れやすかった
それなのに、明治政府が国家神道なんてわけのわからんもの作っちまったから、歪みが発生した。まあ、国家の起源とか、精神性をはっきりさせたかったんだろうが
2  不思議な名無しさん :2015年09月03日 22:50 ID:3VbGsIjN0*この発言に返信
山形県庄内地方の出羽三山信仰みたいなものか。
この地域は仏様はいずれ月山に登り神となるか人として生まれ変わるって言われてる。
だから仏壇の真上に神棚を配置するのが普通
3  不思議な名無しさん :2015年09月03日 23:10 ID:aY.x0rlb0*この発言に返信
壊れてしまったものは仕方がない
おかげで日本人の宗教観が無茶苦茶になってしまったけど
取り返せないものは諦めるしかない
4  不思議な名無しさん :2015年09月03日 23:30 ID:eiSASmpV0*この発言に返信
カルトとか見てると国家神道でイイ気がする

 
 

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