モバP「街路樹に銀杏色が視える頃」
9月の初旬と言えばまだまだ暑いというイメージが強い。学生の頃はこんな時期に運動会や体育祭をやる学校を恨めしいと思った物だ。
あるいは太陽を見上げて、世間的には秋になるというのだから少しは落ち着けと呪詛を吐いていたような記憶もある。
それが大人になってみれば、過ぎ去った熱風に聞こえなくなった蜩に想いを馳せる物だから、人間というのは自分勝手な物だ。
簡素な支度だけ済ませて、事務所へ向かう。
所属アイドルはたったの4名。所属プロデューサーは俺1人。少数精鋭と言うにもさすがに無理があると思われそうな規模の事務所は、建物もそれ相応の造りになっている。
ビル、というよりは、ボロアパートと称した方が良いような物件。雑誌の取材などで外の人を呼ぶといつも驚かれてしまうので、そういった時には近所のファミレスを使うようにしている。
お陰でそのファミレスはアイドル御用達のという箔がついて、客足が少しだけ伸びたらしい。
察して頂けたかもしれないが、うちの事務所のアイドル達のランクは、明らかに事務所の規模と似合っていない。
最近、自分から営業をかけることが少なくなった、と言えば、もっと分かりやすいだろうか。
蝶番が壊れかけている扉を開ける。外見の古臭さに反して、室内は今日もピカピカに綺麗だった。
「おはよう」
おはようございまーす、と柔らかな声が遠くから聞こえる。スーツをかけて鞄を置いている間に、1人の少女がぱたぱたと駆け寄ってきて、はいっ、と茶飲みを差し出してくれた。
「おはようございます、モバP(以下「P」)さん♪」
「おはよう。いつもお茶をありがとな、藍子」
「いえっ。最近はPさんがいつ頃いらっしゃるか、分かるようになってきて……でも、たまに冷たいお茶を飲む羽目にもなっちゃうんですけどね」
「……藍子からのお茶なら、氷漬けでも飲むよ」
「それは私が嫌です。だって、美味しいお茶をお出ししたいんですから」
高森藍子。事務員ではない。アイドルだ。
春夏秋冬、いつでも心地よい暖かさを感じる笑顔に癒やされる。疲れた時にはコーヒーを淹れてくれて、時にはアイドル達のお茶会にも誘ってくれる。
他の面々が面白おかしいお土産を披露する中、藍子はいつも食べているお菓子を持ってきてくれるのだ。
面白いお土産も見てて楽しいけれど、やっぱりこう、藍子がいるだけで安定感がぜんぜん違う。
いい子、という言葉以外が見つからない。さっき渡してくれたお茶も、明らかに淹れたてだし。
「あの、もしかして、今日はお茶という気分ではありませんでしたか……?」
しばし茶飲みを片手に固まっていると、藍子が不安げに瞳を揺らした。そんなことないよ、と返して一気に煽る。
これがまた程よい温度で、喉を通ると同時に全身にエネルギーが漲る。今日も仕事を頑張ろう、例えどれだけの人を相手に頭を下げることになっても絶対に、と気合を入れられる。
「ぷはっ」
「あはっ。そんなに美味しく飲んでもらえたら、私も嬉しいですっ♪」
「いやいや、こっちこそ。藍子あっての活力だよ」
「お茶飲み、持って行ってきますね」
そこまでやらなくても、と思う。けれど藍子は躊躇う俺の右手から茶飲みを奪ってしまい、鼻歌を歌いながら給湯室の方へと消えていった。
頭をぼりぼりと掻きながら、さて、今日はどこから手をつけた物かと考える。
とはいえ今日の為のスケジュールはだいたい整っているし、アイドル達に指示を出す、送迎をする、あとは何かあるようなら話を聞くくらいで――。
……。
…………ああ、今日に限っては、もう1つあったか。
「藍子」
「はいっ。お仕事のお話ですか?」
「いや……それはちょっと後だ。今日は確か、LIVEの打ち合わせだったな」
「そうですね。午後からですので、午前中はのんびりとお散歩に行くつもりです」
「気をつけてな。……それで」
「はいっ」
「…………」
百円均一で購入した壁掛けカレンダー。紙の切れ端がいくつも積み重なっている。
最初に来た人が日めくりをすることになっている。今日は藍子が、今日という日付を伝えたのだろう。そうしてきっと、彼女はそこの日付を見て、小さく微笑んだに違いない。
ただ、その微笑みを向ける相手が。
「加蓮は?」
途端に、藍子が眉をハの字にして、あはは、と乾いた笑みを浮かべた。
「……それが、そのぉ…………やっぱりそうなりますよね……?」
「……? 当たり前だろ。確か昨日は藍子の家に泊まったんだよな。去年みたいに、1日中かけて探す羽目にならないように」
「うぅ、はい」
「昨日は一緒に寝るって報告してくれたのは見たが、一緒には来ていないのか? まだ寝てるのかなアイツ……」
「それが、……逃げられちゃいました」
「は?」
逃げられた?
「ごっ、ごめんなさいPさん! 私がもっと早く起きていれば――」
「いや、いや。早くって今はまだ8時じゃないか、もっとのんびりしてくれてもいいのに……」
「いえいえっ。お休みの日は、事務所のお掃除がしたいので……」
「早起きはいいことだけど……やっぱ清掃員でも募集すっかなぁ」
「嫌ですよ。私達の手で、綺麗にしてあげたいんです」
俺たちが未だにボロ事務所を使用しているのも似たような理由だ。過去に何度も引っ越しの提案はしたのだが、その度に所属アイドル全員から反対されている。
自分たちにとってはもう第2の家のような場所で、違う建物なんて考えられない、と。
共感できてしまうから強く言い返せない。壁掛けカレンダーもだし、立てかけられたほうきにちりとり、安物の目覚まし時計、どれだけこすっても汚れが落ちないキッチンスペース。時に寝泊まりしたこともあったけれど、自宅と同じくらいの心地よさがある。
ひとまず頭の中で思い描いた清掃員募集の張り紙はビリビリに破くとして、さて、今はあの厄介娘の話だ。
「分かった。それより加蓮だ。逃げた、っていうのは?」
「あ、はい。昨日の晩までは、確かに私のお部屋で眠っていたんです。おやすみなさい、って言って、加蓮ちゃんの寝息を聞いたのも、ちゃんと確認しました」
「が、起きたらいなかったと」
「……その……窓が、開いていて」
「はぁ?」
「あと、トタン屋根の一部がヘコんでいたから……たぶん、そのぉ……」
「……アイツはいつからスタントマン志望になったんだ?」
藍子の私室は2階にあるらしい。つまり奴は、窓から飛び降りいずこかへ逃亡した?
「加蓮ちゃん、最近はダンスレッスンにはまっているみたいでしたから……」
「そういう問題か……? アレはアレだ、ビジュアルとボーカルは極めたから後はダンスだよね! とか宣ったからだよ。アイツの体力で何ができるってんだ……」
「でも加蓮ちゃん、体力の使い方がすごく上手いですよね。どうやったら倒れないようにするか、って」
「ああ。で、ダンスを極めた結果が2階からの逃亡か……ハァ…………」
「……ごめんなさい、Pさん。私が、ちゃんと見ておけば」
「いやいや、藍子のせいじゃないよ」
何を思って2階から飛び降りたのかは分からない。普通に玄関から出たら藍子に気付かれると思ったのだろうか。
いずれにせよ、まさか一緒の屋根の下で眠った相手が翌日になって窓からどっか行くなんて、普通は想像できないだろう。首を横に振ってみせてもなお落ち込む藍子に、お前のせいじゃないから、と繰り返し告げる。
今は、責任問題や再発防止ではない。現状への対応だ。
どうせ対策なんて考えても適用されるのが1年後なのだから。
「…………」
作業机の上に置いたスマホから呼び出しをかけてみる。
ソファに囲まれたセンターテーブルの上で、けたましい音が鳴り響いた。
「……アイツ、スマホ置きっぱだったのか」
「そういえば昨日の加蓮ちゃん、スマートフォンは取り出していなかったような……」
ノーヒント。早速の手詰まりだ。
もしくはこれはメッセージなのかもしれない。ヒントも抜け道も用意していないから自分で探しに来い、と。
アイツはたまに俺を試すような口調になる。もし自分が倒れたら、自分が無理をしていたら、自分が弱音を吐いたら――常に正答を導き出せるほどの優秀プロデューサーを自負するつもりはないけれど、今もちゃんと人間関係が続いているのだから、致命的な欠点はついていないのだろう。そうだと信じたい。
「逃げたって分かったら連絡をくれよ……そしたらこんなにのんびり来ることもなかったのに」
「……朝早くだったのと……それに、その……」
「……?」
「い、いえっ、なんでもないです」
「はぁ。……まあ、とにかくあの馬鹿だ。よし、藍子。探しに行くぞ」
「あっ……いえ、私はここで待っていることにします」
「え、いやいや手伝ってくれよ。去年のこと忘れたのか? あの時だって、最後に見つけたの藍子だったろ」
それに去年は、俺よりも藍子の方が必死になって探しまわっていた印象がある。
今、藍子がこうして(少し困りながらも)穏やかに話しているのが、少し不自然なくらいだ。
加蓮が心配とか、今ごろマズイことになってるんじゃないかとか、考えないのだろうか。
少しだけ咎める気持ちを目に込めたら、いえいえ、と藍子は首を横に振った。
「なんとなく……今年は、少し違う気がするんです」
「違うって?」
「去年は、ほら……5日になる前に、誕生日のお話をしたら、加蓮ちゃん、すごく嫌そうな顔をして。だから、誕生日って言葉は出さないようにしていたんですけれど」
「今年は違う、と」
「はい。昨日の夜だって、明日のこと……加蓮ちゃんの誕生日のことで、少し、お話をしていましたから。加蓮ちゃん、あまり嫌そうにはしていなかったから」
だからなんで逃げちゃったのか分からないんですけれどね、と藍子は苦笑した。
「私は……加蓮ちゃんを、待っていたいなって。だから、加蓮ちゃんを探すのは、Pさんがやってあげてください。加蓮ちゃんだって、きっとPさんに見つけて欲しいと思っている筈ですから。去年は私が見つけちゃったから、なおさらに」
「でもなぁ、」
「もし加蓮ちゃんを見つけた時、Pさんの隣に私がいたら、加蓮ちゃん、きっと拗ねちゃいます」
「……………………それは、どういう」
「私に言わせるんですか?」
あはっ、と藍子は笑った。
黒色成分が含まれた笑みに、北条加蓮という小悪魔の影響を懸念してしまう。
やめてくれ。藍子の存在は俺の癒やしなんだ。天使が堕天する展開なんて誰得だよ。天使は天使のままがいいのだ。
「そういうんじゃねえよ。俺とアイツは、プロデューサーとアイドルだ」
「でも、加蓮ちゃんの想いには、ちゃんと応えてあげてくださいね?」
「知るかっ。……じゃあまあ、行ってくるわ。ああそうだ、悪い、後の2人が来たら藍子から指示をやってくれ。スケジュールならホワイトボードの通り
コメント一覧
-
- 2015年09月05日 20:42
- いちこめ
-
- 2015年09月05日 20:47
- 後の二人が歌鈴と肇な気がするな。
-
- 2015年09月05日 21:50
- 普通の、9月5日の過去バナ?
-
- 2015年09月05日 22:06
- 加蓮はすぐ火照る!
-
- 2015年09月05日 22:24
- タイトルといい、文章といいくさすぎる
-
- 2015年09月05日 22:39
- ※5
お前本当暇なんだな。面白いSSでも書いてくれよ
-
- 2015年09月05日 22:50
- 臭いアイドルが出るSSだって!?
スポンサードリンク
ウイークリーランキング
最新記事
アンテナサイト
新着コメント
QRコード
スポンサードリンク