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これは衝撃…信長には「アフリカ人の家来」がいた - NAVER まとめ
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これは衝撃…信長には「アフリカ人の家来」がいた

弥助っていう名前だったらしい。。色んなエピソードが残ってる…!

更新日: 2015年09月15日

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信長さん、マジっすか…!

織田信長の家臣の一人に、弥助というアフリカ出身の黒人男性がいた イタリア人の宣教師に奴隷として日本に連れてこられた アフリカンの持ち前の力強さで、信長に気に入られたらしい

「外国から黒人がやってきた。年齢は26~27歳と見える。全身は黒い牛のようである。壮健であり、その力は10人分より優れている」

初めて黒い肌の外国人を見た信長は、「肌に墨を塗っているのでは?」と疑い、着物を脱がせて体を洗わせたそうです。

肌が黒いことに納得した信長は彼の身柄を譲り受けた。そして「弥助」と名付け、正式な武士の身分にして身近に置くことにした。

あの「事件」も経験していた

フランシスコ・カリオンという宣教師は、弥介が刀をとって明智勢と戦ったという報告を残している。

弥助って信長に使えたバテレンの黒人で本能寺の変でめちゃくちゃ明智兵斬った奴やろ?

光秀により「動物で何も知らず日本人でもない」との差別的な理由で処刑は免れイエズス会の南蛮寺教会堂に送られたらしい。その後の記録は一切残っていないので消息はいまだに不明である。

いまだに謎が多いみたい。

そもそもどうして弥助は日本にやってきたのか?

西アフリカへラム酒・武器を運び、交換で得た奴隷を積み込み、西インド諸島やブラジルへと向かい、奴隷と交換で砂糖を得た

ちなみに弥助はアフリカのモザンビークの出身だったとのこと。

戦国時代の日本に渡来した黒人奴隷で、戦国大名・織田信長への献上品とされたが、信長に気に入られ、その家臣に召し抱えられた

ウィキペディアでモザンビークのページ読んでたら、有名人の項に「弥助 織田信長の家臣」て書いててびっくりした。全然しらなかったけど、戦国時代に黒人がけっこう日本に来ていたんだね。ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5…

弥助のように日本に連れられた黒人は他にもいた

戦国時代には宣教師の奴隷や従者として日本へ来た黒人の方たちがいた

豊臣秀吉も黒人の芸を見て楽しんでたとか。

豊臣秀吉が「カフル人」の踊りを見て褒美を与えたなど、さまざまな記録にアフリカの人々の姿が残されています。

出島に定住するようになった黒人も(奴隷・従者として)。

オランダ人の身の回りの世話をする黒人の下僕や日本人の地役人、さらにはオランダ船の荷役に関わる日雇い労働者達がいた。

日本の楽器を演奏する黒人も(画像右上)

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kahukahukahukaさん



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