【艦これ】三日月「甘えられない理由」
シャワーのような大雨が振る冬の夜。闇深い海から港へ向けて、荒れた波が打ち付ける。
海に相対するいっそ黒いほど鬱蒼と茂る山々も、もう輪郭すら定かではない。
そんなある遠征艦隊司令部では、暖かな執務室の窓辺で外を見つめる一人の駆逐艦娘の姿があった。
三日月(すごい雨。司令官は大丈夫でしょうか)
三日月(慌てていたみたいだけど、書類忘れとかそれに……)
三日月(……送迎車の事故とか)
三日月「…………」
三日月(考えるとそわそわしちゃう。なに考えてるのかしらわたしったら)
三日月(ホットココアでも淹れて落ち着きましょうか)
三日月(砂糖を入れないでうんと苦くすれば眠気覚ましにもなりますし)
三日月は窓辺を離れた。
応接室と繋がっているこの部屋には客に茶を出すための電気ケトルがあるからそれでお湯を沸かせるのだ。
数分もしないうちにカチリと音がして湯が沸いたら、ココア粉をたっぷり落としたマグへ中身を注ぐ。
コポポポ、と湯気が立ち上るのと控えめなノックの訪れは同時だった。
三日月「はい。司令官はまだお帰りになられていませんよ」
仕事を終えたケトルとマグを手に持ったまま、振り返った三日月はしっかりと声を張って返事を返した。
廊下に満ちる冷気を執務室に入れまいと気を使ったのか扉が半分ほど開くと、縁から顔を覗かせたのは菊月だった。
菊月「三日月……まだ寝ないのか?」
三日月「菊月。 ええ」
菊月「だが、もうここに居て一時間は経つ」
三日月「だからこそです。お疲れでしょうし、一人くらいお迎えした方が喜ばれますから」
三日月は気にしないで、と笑った。
菊月(……司令官を労わりたい、か)
三日月「先に寝ちゃってください」
菊月「……うん。おやすみ」
三日月「おやすみなさい。ああそうね、寝巻着とお風呂道具もお出ししておきましょうか」
ケトルを置いて意識を切り替えた三日月は立てた指先を口元に寄せて思案する。
優しい音で扉が閉じる間際、菊月の浮かべた呆れた風な表情に気付くことはなかった。
相も変わらず大雨の叩きつける音が反響する無人の建物。
すっかりと風呂道具と寝間着の手配に意識を持って行かれた三日月はまたしばらく提督の私室と執務室とを行き来した。
用意を終えると、執務机に置いた苦い純ココアの存在はすっかりと意識の外だ。
今あるのは大好きな人の帰りが待ち遠しいという感情ばかりで、自然とここ数時間の定位置である窓辺に立つ。
三日月(今日に出た事務書類は妖精さんと回したから、後は幾つか判を待つ物が残っているだけ)
三日月(私室も暖房をつけてお布団を敷き終えましたし)
三日月(個人浴室のお湯もとっくに張り終えています)
三日月「これで準備もみんなおしまい。ええと今は何時でしたっけ」
三日月(11時23分。確かここを出たのが早朝の四時ごろですから……)
三日月「移動と会議ばかりで相当お疲れでしょうね。お出迎えして差し上げたいですが……ぁ」
三日月「ふあ……ぁふ」
三日月(でも、わたしも限界。さすがに12時を過ぎたら寝ないと)
三日月(司令官に余計なお説教をさせるわけにいかないし)
涙の浮いた瞳でじっと窓の向こうに連なる山を見つめる。
三日月(あの山道を抜ける車があれば十中八九、それが送迎車のはず。見逃さないようにちゃんと窓の外を――)
三日月「――――!」
三日月(光が動いてる! 雨で煙っていて良く見えないけど、確かに車!)
三日月「傘、っとタオル。あと懐炉も持って行きましょう。玄関でお待ちしないと!」
それまでの静止が嘘のように三日月は慌ただしく部屋を飛び出した。
ぬるくなり始めたマグカップを置いて、駆け足の音が閉じられた執務室を遠ざかる。
艦隊司令部棟エントランス 車寄せの屋根下。
そこは屋内と比べ物にならない騒音と冷気の支配する場所。
三日月「滝みたいな雨ですね。台風の筈はないのに」
三日月「……くしゅん!」
三日月「あ、そういえばいつもの服のままでした」
三日月(いえ、眠気覚ましになりますしこの格好で構いませんが)
三日月「………………」
三日月(柱の陰に隠れないと地面に弾けた雨霧が煽られてきて痛いくらいに寒い……)
三日月「………………」
やがてうるさいくらいの騒音に紛れて、三日月の耳に水を跳ね上げる音とエンジンの排気が聞こえた。
三日月(――! 司令官の車、お迎えに)
足元の傘を拾って柱の陰を出た。迎えに伺おうとすると果たしてエンジン音は近づき。
三日月「ぁ……」
通り過ぎる一瞬だけ車寄せの内側を排気音で満たしながら、数秒ともなくトラックが走り去った。
三日月(こんな深夜にトラック……)
三日月(そういえば今日決裁した書類にそんなのがあった気も)
三日月(工廠の方へ向かいましたし、対応は夜勤の妖精さんがするでしょうね。わたしは……)
三日月(……あと30分でマルマルマルマル)
三日月「このまま待ちましょうか。頑張ってくださっている司令官に比べたらこれくらい」
息を新たにして笑う。
きっと姉妹が見ていたら無理をし過ぎだと見抜かれる空元気の笑みだと、三日月は自分でも解っていた。
早く会いたかった。
雨が降る。弱まるどころか強まっているんじゃないかと思わせるほどに。
大粒の滴がびちゃびちゃと落ちて、漆黒に濡れたアスファルトとエントランスの大理石の上を霧が滑っていく。
三日月「っぅ……!」
三日月(やっぱり冬の雨は堪えるなぁ。吐く息も白いし頬も冷えちゃって、それに)
三日月(脚が一番に辛い……。袖が長いから腕はいいけど、スカートだと太腿まで寒気が昇ってきて)
三日月(艤装が着いていれば波をかぶっても寒くなんてならないのに)
三日月(こんなの司令官に気づかれたら怒られちゃうし申し訳なく思われちゃう)
唯一、ポケットの中で懐炉を握る掌だけが格別に温かかった。
それは暖を取るというより、提督に心配をかけないためという意味合いが強い。
特に利き手の左手はタオルもポケットに詰めているから、一分前にここへ駆け込んできたと言っても信じられるだろう。
三日月「それはそうと時間は……あと十分」
三日月(やっぱりもう少し長く待ったほうが)
唇の震えに気づく。呼気が途切れがちだった。
三日月(いえ、体調を崩したりなんてしたら本末転倒です。司令官にも呆れられちゃう)
三日月(十二時を回ったら諦めると決めたんです。その通りにしましょう)
三日月「っ、くちゅん! うぅ、寒い」
そこで三日月は先ほどより落ち着いた排気音が近づいていることに気づいた。
柱から顔を覗かせれば、眩しい二条のライトとチカチカ点灯するウィンカーが見えて三日月は内心とても喜んだ。
三日月(きた……! 黒塗りの送迎車!)
駆けよって扉の前に着くのと、後部座席の扉が開くのは同時だった。
三日月(雨が横から吹きつけてくる。傘を開いて盾にしないと)
三日月「お疲れ様です、司令官」
提督「三日月? まだ起きていたのか。明日が出撃日で無いとはいえ」
三日月「いえ、お昼寝してしまったのでそれほど眠くはありません」
三日月「時間を持て余していたのでお風呂と寝室の用意を整えていたのですが」
三日月「先ほど車のライトが見えてお迎えに上がりました」
三日月「それよりも、ここは冷えます。お手をどうぞ」
提督「ああ、ありがとう。運転士さん、貴方もここまでありがとう」
挨拶を終え、自動でドアが閉まった。
送迎車が走り去ると二人はエントランスホールへ入り執務室へ歩き出す。
提督「手が暖かいな」
未だに繋いだままだった掌を提督が確かめるように握り返すと三日月は心の中でふんわり笑った。
三日月「ついさっきまでお部屋に居ましたから。司令官は冷えていますね」
提督「この季節にこの雨と来て、こうして濡れてしまってはな」
三日月「ああ、確かに髪の毛がだいぶ。 そうでした、タオルをどうぞ」
提督「用意が良いね。 あと車の空調が壊れていたのもあるかな。運転手もだいぶ辛そうだったよ」
提督「手がかじかんでうまくハンドルが切れないなどと溢された時にはとても不安だったし、ははは」
三日月「もうっ、冗談ではすみませんよ!」
執務室。
三日月「中へどうぞ」
提督「おお、暖かい。ありがとう三日月」
言って提督が湿った礼服を脱いでいくと三日月は当然のように手を伸ばして上着やネクタイを受け取っていく。
三日月「はい。それでですね、至急、判が必要な書類が三枚あります」
提督「さっそくとりかかろうじゃないか」
三日月が礼服のしわを丁寧に伸ばす他所、促されるまま白いYシャツ姿の提督は机へと向かった。
提督「これか。 んん? ほとんど記入済みだな。楽でいいけど」
三日月「妖精さんに手伝ってもらいました」
気付かれない程度に背伸びしてクリーニング行きラックに掛けていく。
三日月「早朝になれば速達するそうなので、わたしが寮へ戻るついでに投函しておきます」
上着を掛け終えると飼い主に駆け寄る犬のように提督の隣へ。
そして書類の中身を確認している提督の真面目な横顔を見つめ、密かにシャッターを切る。脳裏に焼き付けるのだ。
提督「ふむ。いずれも不備なし。スタンプぽん、ぽん、ぽんっと。よし、頼んだ」
三日月「お任せください、司令官」
提督「さて、後は寝るだけだが……風呂道具も寝間着着も出てるね。用意が良い」
三日月「頑張りました」 微笑む。
提督「さすがにこういう気配りでは敵わないなぁ。ん? このマグは?」
三日月「ホットココアです。 ね……」
提督「……ん? 今何か言いかけなかった?」
三日月(眠気覚ましなんて言ったら嘘ついたって解っちゃうのにわたしのバカ!)
三日月「いえ、少し呼吸が喉に絡まりまして。わたしのものです。飲み忘れてしまってました」
提督「そう?」
提督「んー。じゃあね、せっかく用意してもらってなんだけどお風呂はやめておこう」
提督「疲れが抜けるのは確かだけど、眠りこけて溺れたなんて起きそうだ」
わたしがお風呂の傍でお声かけしましょうか。なんて提案を三日月は呑み込んだ。
提督「……このココアもらっていい? 甘い飲み物なら疲れが取れる」
三日月「えっ」
提督「うん? 見たところ口をつけていないようだけど」
三日月(――――! あんなに思い切り苦くしたもの、絶対に眠気覚まし用だって解っちゃう!)
提督「三日月?」
三日月「……お、お昼寝の前に作ったものですので、お腹を壊しちゃうかもしれなくて、ええと」
提督「飲み忘れって言ってたねえ。でももったいないし。夏でもないから大丈夫じゃないかな」
三日月「いえそれにカフェインをとったら眠れなくなっちゃうと思うし暖かい方が司令官にもいいでしょうし」
提督「ああ、確かにそれもそうだね。 分かった。少し惜しいけど諦めるよ」
三日月「……よろしければ、ホットミルクを新しく淹れますが」
提督「頼めるなら。 もう私室へ向かうからそっちへ持ってきてくれるか。手間がないよう紙コップが良い」
三日月「では少しお待ちください」
……
…………
………………
提督の私室前。
三日月(捨てる前に一口だけ飲んだけど、やっぱりすごく苦かったです。ほっぺの裏にまだ残ってる感じがする)
ノック三回。
三日月「司令官、三日月です」
帰ってくるの雨音だけ。
しばらく待ってもう三回ノックするが返事は変わらない。
三日月「司令官? すみません、失礼します」
提督「くー……かー……」
三日月(お布団の上に正座したまま寝てる)
胸を撫で下ろす。
ありえないことだが何かあったかもしれないと心配したのだ。今思えば何があるというのか。
提督「ひゅー……すー……」
三日月(倒れた拍子に頭でもぶつけたら大変。寝かせてあげないと)
私室のテーブルに一度ホットミルク入りの紙コップを置いて、正座している提督に腕を回す。
三日月「慎重に、優しく。う、重い」
三日月「ふぅ、後は掛布団を掛けて差し上げればいいでしょう」
三日月「っ、ふわぁ……ぁぅ」
三日月(わたしも眠気が…
コメント一覧
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- 2015年09月20日 23:32
- 三日月ちゃんもかわいいフミねぇ・・・
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- 2015年09月20日 23:39
- 駆逐艦は甘える位がちょうどいいのに…
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