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モバP「ミッドナイト・ランナー」【モバマスSS】|エレファント速報:SSまとめブログ

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モバP「ミッドナイト・ランナー」【モバマスSS】

1:carP:2015/09/27(日) 21:50:18.87 ID:/tpXNcaA0

諸注意


・車を題材にしたモバマスSSです。

・劇中劇の設定になります。

・舞台は1992年頃の東京になります。丁度、漫画湾岸ミッドナイトの1~3巻辺りの世界観です。

・モチーフは、福野礼一郎著『バンザイラン』です。

・各キャラクターの搭乗する車両は、個人的な主観が多々含まれています。似合っているかどうかは、ちょっと解りません。

・この作品の演出の様な走行は、絶対に真似しないで下さい。捕まりますし、下手したら死にます。


最後に。

日本全国フェラーリ党のプロデューサーの皆様、及びヘレンさん大好きのプロデューサーの方々。お待たせいたしました。

では、お楽しみください。




2:carP:2015/09/27(日) 21:53:06.85 ID:/tpXNcaA0

モバP「ついに、試写会ですか。いやー、たのしみだなぁ」

千川ちひろ「制作会社の方から、完成品のDVDが送られてきたんですよ。だから、事務所で見られるんですよね」

今西部長「……懐かしいね。昔、首都高速トライアルというVシネマがあってだね。今の自分と同じ年齢位の車好きなら、皆知ってるんだ」

モバP「へぇ~……」

今西部長「第一作目は、俳優の大鶴義丹や的場浩司のデビュー作でもあったんだ」

千川ちひろ「そんな映画が、合ったんですね」

今西部長「まあ、昔の話だよ。では、見てみますか」

モバP「はい……タイトルは『ミッドナイト・ランナー』か……」



3:carP:2015/09/27(日) 21:54:38.52 ID:/tpXNcaA0

1.


 1992年、夏。まだ、バブル経済の余韻に浮かれていた頃。
 深夜の首都高速湾岸線、市川パーキングエリア。長距離輸送の大型トラックと、ドライブ帰りのマイカーが、数えられるほどしか停車していない中。
 パーキングの一角は、異様な雰囲気を作っていた。

 十数台のスポーツカーに占拠され、真面な神経なら間違いなく近づく気にはならない。丸で戦場の基地かと思う程、殺伐とした空気が漂う。

 毎週末の深夜。湾岸高速を舞台に、時速250kmオーバーのバトルが繰り広げられていた。遊び半分に命を賭ける、狂気の公道グランプリ。


 自動車雑誌編集部でアルバイトする向井拓海は、毎週の様に取材に訊ねていた。最初の内は、先輩編集部員に言われ渋々着いていくだけだった。

 しかし、その走り屋達と触れていく内、その熱狂、その魔力に取り憑かれていった。
 元々、地元ではワルだった拓海にしてみれば、反社会行為を犯す事に大した抵抗は無い。むしろ、その反社会行為に命を賭ける走り屋達に、尊敬の念さえも抱くようになっていた。



4:carP:2015/09/27(日) 21:56:10.91 ID:/tpXNcaA0

 毎週の様に、戦場に出向いていれば、自然と顔見知りになって行く人間も多い。

 たびたびギャラリーに出向くヘレンと言う女性も、拓海と自然と会話を交わす仲になっていた。海外出身の彼女もまた湾岸に魅せられた一人だ。
 仕事兼ギャラリーに来ていた拓海は、スチールカメラのフィルムを交換しながら、ヘレンに言葉を投げた。

「……なあ、ヘレン。今日は、何時に無く楽しそうじゃねぇか」

「フフ……。やはりあなたには解るのね」

 もったいぶるヘレンに、拓海は思わず呆れる。

「お前さぁ……。顔に出てるの、自分でわからねぇのか?」

「…………来週なれば解るわ。世界レベルにふさわしいマシンが拝めるわ」

 自信有り気にヘレンは断言した。



5:carP:2015/09/27(日) 22:00:10.12 ID:/tpXNcaA0

 その翌週。
 今週はプライベートで拓海が市川パーキングに顔を出すと、度肝を抜かれた。

「……お前……マジか?」

「……ええ。この私にふさわしいマシンでしょう」

 ピニン・ファリーナがデザインした、深紅に染まるグラマラスなボディ。それほど身長の無いヘレンでも、肘をかけられる低いシルエット。

 アイドリングだけでも響く咆哮は、今宵のパーキングで一番目立っていた。そのマシンの周囲を、走り屋達が興味深々で見つめる。無論、拓海もその一人。


9_1


 フェラーリ・テスタロッサ。これが、ヘレンの言う世界レベルのアンサーだった。

「……どう?」

 得意顔のヘレンは、拓海に回答を求める。

「どうもこうも……答えようがねぇぞ」

 拓海は、開いた口がふさがらないと言った様子だ。

「拓海。一つだけ相談があるのよ。私の横に乗ってくれないかしら?」

「……別にかまわねぇよ。今日は、仕事じゃねぇし」

 二つ返事で了承した。



6:carP:2015/09/27(日) 22:02:18.74 ID:/tpXNcaA0

 時刻は1時を少し回った時。

 パーキング内に、数台のマシンのエキゾーストノートが響き出した。
 直6ターボにV6ツインターボ。ロータリーにフラット6ツインターボ。そして、バンク角180度の水平対向12気筒。鋼の野獣達が、雄叫びを上げる。

 テスタロッサの周囲をグルリと一周してから、拓海は助手席に滑り込んだ。

 横長のコクピットは、革張りの内装でイタリアらしく気品に溢れる。しかし、室内になだれ込むアイドリングの音は、対極的にけたたましい。
 ヘレンの右足が、小刻みにアクセルペダルを煽る。リズミカルにフリッピングすると、敏感なほどタコメーターが反応し、ケーニッヒ製のエキゾーストから快音が奏でられる。

 丸いシフトノブを握りしめ、フェラーリ独特のゲート式シフトをファーストギアに入れる。カチン、と金属音が鳴り、鼓動が高ぶる。

 丁寧にクラッチを繋ぎ、はやる気持ちを抑える様にゆっくりと。馬鹿でかい跳ね馬は動き出した。



7:carP:2015/09/27(日) 22:05:09.79 ID:/tpXNcaA0

 テスタロッサは、2番目に腰を据える。前を行くポルシェのテールランプを拝む。

(……最強のイエローバードね)


7_1


 先陣は、ポルシェだがポルシェに非ず。その名を世界中に轟かす、ルーフCTR。イエローバードの異名を持つマシンだ。

(……こりゃ、言葉もねぇな。すげえ迫力だ……)

 右側のナビシートから、拓海は圧倒された。前方に広がる、だだっ広いアスファルトに。そして、迫りくる後ろからのプレッシャーの津波に。



8:carP:2015/09/27(日) 22:06:40.79 ID:/tpXNcaA0

 CTRがジワリと加速を始めると、ヘレンもそれに倣う。

 3速に入れてヘレンはアクセルを踏み込む。

 タコメーターは7000rpmを指した。ミュージックと称される、テスタロッサのエキゾーストノートが脳天からつま先までの細胞を刺激する。

(この音、たまんねぇわ……)

 拓海は、酔いしれていた。


 5リッターのNAエンジンは、甲高い咆哮を放ちながら、1600キロオーバーの巨体をグイグイと引っ張り上げる。メーターは220キロを超えた。

 しかしだ。

「どうなってるのよ……」

 ヘレンは思わず言葉を溢した。

「……」

 拓海は何も答えない。

 何せ、テスタロッサを嘲笑うかの様に、後続のマシンたちは次々に追い抜いて行く。
 時速は230キロ。スピードメーターはぐんぐん上昇していく。しかし、先行するテールランプの群れはあっという間に離れていく。他のマシンに置いて行かれる跳ね馬。

「……遊ばれてるのかしらね」

「先頭のルーフだけならまだしも……国産チューニングカーにここまでコケにされるとはな……」

 二人の口ぶりは、嘆きに近いものだった。

「……このままじゃ終わらないわ」

 ヘレンは、そう呟いた。



10:carP:2015/09/27(日) 22:13:09.86 ID:/tpXNcaA0

2.

 湾岸線で走り屋達が最高速を競い合う様になったのは、ごく自然な成り行きだった。

 70年代から80年代初頭にかけて。東名高速を舞台にして、走り屋達が最高速を競い合っていたと言うルーツが有る。現在では東名レースと呼ばれる、違法競争行為だ。

 当時はポルシェターボやパンテーラ等のスーパーカー。トランザムやコルベット等のアメリカンスポーツ。そして、SA22型RX-7やS130型フェアレディZを改造した国産チューニングカー達がしのぎを削っていた。

 80年代に入り、チューニングカーを取り扱う雑誌の企画で、最高速トライアルと言う物が有った。茨城県谷田部の自動車性能試験所において、チューニングされたマシンでの最高速に挑戦するという企画だ。

 日本のチューナー達は、夢の大台である300キロを目指した。
 特にターボチャージャーの搭載がポピュラーとなってから、最高速はとどまる事無く跳ねあがって行った。

 いつしか最高速300キロを超える様になってから、国産車のチューニングカーは凄まじい勢いで進化を続けていく。

 伝統の日産L28、トヨタの主力戦艦7M、唯一無二のマツダ13B等。チューナー達は、得意のエンジンを極限までチューンナップしていった。

 この頃になると、高価な外国産スポーツカーと国産チューニングカーの立場は逆転していた。



11:carP:2015/09/27(日) 22:14:16.79 ID:/tpXNcaA0

 その谷田部への試験場として、長い直線と広い道を持つ首都高速湾岸線は、格好の舞台だった。
 夜な夜な、チューニングカーを仕上げる為に湾岸をぶっ飛ばす。

 気が付けば、湾岸を走る為に皆チューニングカーを仕上げる様になっていた……。


 そして、1989年の秋。BNR32スカイラインGT-Rの登場。
 グループAレースで勝つ為に生まれたこのマシンは、チューナーにとっても走り屋にとっても、大きな衝撃をもたらしていた。

 軽くいじれば、400馬力を絞り出す強靭なRB26DETT。これまでの常識を覆すトルクスプリット4WDシステム、アテーサET-S。

 それまで首都高で優位を保ってきた、フェアレディZ、スープラ、RX-7を過去の物へしてしまった……。



12:carP:2015/09/27(日) 22:16:27.94 ID:/tpXNcaA0

 拓海は、湾岸を時折突っ走る程度だ。本気でやっている連中とタメを張れるような根性も金も無い。

 愛車のMZ20ソアラで、ベストは精々220キロ程度。競争ごっこで、後ろから眺めるのが関の山。

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 ただ、遅くとも湾岸ランナーの端くれになった事は、拓海にとっては大きな一歩だった。


 湾岸に通っていく内に、ギャラリーに訪れるヘレンとは、妙にウマが合った。

 ヘレン曰く、一番古い記憶で覚えているのは、横須賀ベース(横須賀米軍基地)の中だったそうだ。何を隠そう、拓海も横須賀で若気を至っていた。些細な事から、ヘレンとは奇妙な連帯感が生まれた。


 時々、湾岸ランナー達のケツ持ち代わりでソアラを走らす時は、ヘレンが隣に乗るようになった。

 ラリーの様にコ・ドライバーの役目は果たさない。ヘレンが「全開で走りなさい!!」と捲し立てれば、拓海は「とっくに全開だバカ!!」と罵る。

 強いて言えば、喋る重しが乗っかっている様な物。それを差し引いても、殆どノーマルの7M-GTUで、着いていける訳が無いのだが。

 ともかく、二人はスピードの持つ魔力に魅せられていった。



13:carP:2015/09/27(日) 22:18:43.76 ID:/tpXNcaA0

「ヘレンは、車買わないのか?」

 拓海はたびたびヘレンに聞く。

「いずれ買うわ。世界レベルにふさわしいマシンをね」

 そう返すのが、ヘレンの口癖だった。何を根拠に世界レベルと口走るのか、拓海
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