凛「島村卯月の憂鬱」
ようやく春が来る。
長い冬が終わる、そう思った。
けれど私の周囲には冷え冷えとした空気がまだ纏わり付いていて、
季節と時間だけが私たちを素通りしていくのだった。
私と、私が傷つけてしまった友人の時間は、あのクリスマスライブから止まったままだ。
○ ○ ○
未央「……そういうわけで、来週に舞台始まるからさ。良かったら観に来てよ」
凛「うん」
未央「友達割引にしといてあげるから、よろしくっ」
凛「……うん」
未央「……トライアドの方はどう? みんなと上手くやれてる?」
未央は私に気を使ってくれている。
私にはそれが痛いほど分かっていた。
凛「私の方は大丈夫」
そうやって答える私自身の言葉を、私は信じられないような気がした。
卯月もきっと、こんな気持ちだったんだろうか。
そう思うとやりきれなかった。
未央は困ったような笑顔を浮かべて、そして卯月の話をしだした。
未央「このあいだね、しまむーと一緒に買い物に行ったんだ」
凛「どこまで行ったの?」
未央「近所のスーパーまで」
凛「そう……」
私がいちいち重い沈黙で遮ろうとするのを、未央は優しげに為すがままにさせていた。
私と卯月を繋いでいるのは今は未央だけだった。
何かあるたびに未央が卯月の様子を報告して、私はそれを聞いて、
そうすることで直接会わずに済んでいる私の、醜い、厭な安堵が
次第に強い自責の思いに変わっていくのだ。
私には段々それが耐えられなくなっていた。
私は卯月が怖かった。
私が会いに行くことで、また卯月を傷つけてしまうかもしれないと思った。
そして、彼女から逃げているのだと自覚した頃にはもう、
彼女は取り返しのつかないところまで落ちてしまっていたのだ。
凛「学校には……?」
未央「まだ行けてないみたい。新学期も始まって結構経ったから尚更……ね」
私は何も言えなかった。
未央「もう遅いし、帰ろっか」
未央はそう言って、けれど中々席を立とうとしなかった。
凛「あ、あのさ」
未央「なに?」
私は言おうかどうか迷って、
凛「……たまには346に顔出しなよ。みんな喜ぶからさ」
未央「あはは……気が向いたらね」
未央は笑ってごまかして、その日は別れた。……
○ ○ ○
――数ヶ月前、クリスマスライブの日、結局、卯月は来なかった。
そのためNGはライブには出演せず、次の日、プロデューサーからNGの無期限活動休止が告げられた。
実質的な解散だ。
私たちは納得できないと言って卯月に会いに行こうとしたけれど、プロデューサーに止められた。
医者にかかっているから、しばらくは会えないと。
私と未央はまるで冷や水を浴びせられたように一瞬固まって、そしてお互いに何かよく分からない言葉を口にしたあと、
同じように言うべき台詞を見失って苦しそうなプロデューサーを見て、
そこで私は、少なくとも私は、絶望を味わった。
……未央はどう思っていたんだろう。
そのあとの事はよく覚えていない。
私がシンデレラプロジェクトを抜けて活動をトライアドプリムスに完全に移行したのと、
未央が346のアイドルを辞めたのはどっちが先だったか忘れてしまった。
当時の私の頭のなかにはいつも卯月のからっぽの存在だけが渦巻いていて、毎日が空虚だった。
私は私自身を責めることもあったけれど、それと同時に、卯月に会って謝らなければいけないと思っていた。
そんな風に悩んでいたせいか、トライアドの仕事にも身が入らず、奈緒や加蓮にも迷惑をかけていた。
私は卯月のためだけでなく、自分のためにも行動を起こさなくちゃいけないと思い、焦った。
一方の未央は、346のアイドルを辞めてから舞台女優の道へ進んでいた。
何度か連絡を取ることもあって、たまに会って稽古の話なんかを聞くと、
アイドルよりよっぽど厳しい世界にいるように思えた。
けれど未央は私のように卯月のことで悩みを引きずったりしている様子は無かった。
私にはそれが羨ましく、少し薄情だと思ったりもした。
けれども未央とそうやって話しているうちに、私が思わず口にしてしまった些細な弱音を
未央は意外なほど沈痛に受け止めることがった。
そんなことが続くと、次第に未央も、こんな私の弱音につられて
自分の責任と後悔をもらすようになった。
未央も私と同じように心に大きなしこりを残したまま、ごまかしながら過ごしてきたのだと知った。
私は未央と一緒に、卯月に会いに行くことを決めた。
NG解散から半月ほど経った日のことだった。
プロデューサーと相談し、それから卯月の両親に連絡を取ると、
今はもうだいぶ落ち着いているから来てもらっても大丈夫だと、驚くほどあっけなく承諾してくれた。
私と未央は卯月の家を訪ね、久しぶりに会った卯月は、最初は何も変わっていないように見えた。
むしろ前よりも明るく笑っているようにも感じた。
私たちは何から話せばいいか分からず、とりあえずその時の私たちの近況を報告した。
卯月は、すごいです、とか、そうなんですか、と笑顔で相槌を打ちながら、
なんだか久しぶりに会えた嬉しさを噛み締めているようにも見えて、
私はつい、彼女がすっかり回復しているものだと思い込んで、謝罪の言葉も忘れて
「もう一度NGをやり直そう」
と言った。
すると卯月は顔に微笑を貼り付けたまま私の方を見た。
私は思わずその瞳を見つめ返してぎょっとした。
卯月の目は笑っていなかった。
そして次第に彼女の顔からみるみる表情が溶けていき、「あ、」とか「う、」とか断片的な言葉を発して、
まるで電池が切れたみたいにぐったりとうつむいて止まってしまった。
未央がぎくりとして「大丈夫?」と声をかけたけれど、その時にはすでに卯月の視界に私たちは入っていなかった。
口元だけがパクパクと動いていて、私には彼女が「頑張ります」と言おうとして苦しんでいるように見えた。
卯月はその呪いのような言葉すら発せられず、無表情で、まるで人形のように力なく座ったまま、私たちの目の前で孤立していた。
地獄のような光景だった。
私は謝らなければと思った。
けれど卯月のそんな姿を見てしまうと、恐怖で何も言えなくなってしまった。
私の横で、未央もまた同じようにかける言葉を失って茫然としていた。
私たちはどうすることもできず、1人の心を閉ざした人間を目の前にして、
ただ時間が過ぎるのを耐えていた。
しばらく経って、未央が思い出したように立ち上がり、
卯月の両親を呼びに行った。
私は、卯月の姿をまともに見ていられず目を逸らしていた自分に気がついた。
部屋に呼ばれた卯月の母親は、申し訳なさそうに「来てくれてありがとう」と言った。
私と未央は帰る前にもう一度卯月に声をかけようとしたけれど、
卯月は私たちが帰ろうとしていることにも気付いていないように、
あるいは最初から私たちの存在を認識していなかったように、
ただ虚ろに床を見つめていた。
その去り際に見た人形のようなものが、私が最後に見た卯月の姿だった……。
…………。
○ ○ ○
あれからもう3ヶ月が過ぎようとしている。
私はそれっきり卯月に会うことはなかったし、会う勇気も無かった。
卯月の近況を知ることができるのは、今でも卯月のところへ頻繁に訪れている未央からの報告のおかげだ。
あの痛々しい亡霊のような彼女の影は未だに私の記憶に根を張っていて、
どんなにそれを振り払おうと思っても、かえって私の後悔と焦燥の傷をえぐるように広げて行き、
またそうした苦痛や悲しみに暮れていると、不意に、昔の彼女の笑う映像が強烈に蘇ったりする。
そのたびに、私は心臓が締め付けられるような思いがした。
そんな風に自分を責めながら、そうすることであたかも自分自身の罪を許しでもするかのように
何をしようともしない毎日を過ごしている私を、未央は心配しているようだった。
未央は私を元気付けようと思って舞台に誘ってくれたのだろうか。
今の私には未央の優しさはひとつの支えにもなっていたけれど、同時に、
新しい道へ真っ直ぐ進んでいく彼女のその眩しいほどの明るさと、
そして私にはできなかった卯月への献身と罪滅ぼしを一挙に背負っているのを知ってしまうと、
私の中にもう1つ別の暗い感情が湧いてきてしまうのだった。
それはきっと嫉妬のようなもので、結局、卯月も未央も、私には過ぎた友人だった…………。
――それからまた日が経って、私は未央の舞台を観に行った。
舞台に立っていたのは、当たり前だけれど、アイドルではなく役者としての未央の姿だった。
そして未央は、私が思い描いていたようなステージの主役ではなく、彼女の本来の性格とは正反対にあるような
静かで感情の起伏のない脇役を、目立たないながらも見事に演じきっていた。
未央がどういう成り行きで、そして未央がその役をどんな気持ちで演じているのか私には計り知れなかったけれど、
そうして舞台の上でただひたむきに動き、また急に立ち止まって一つ二つ台詞を言っては、
いかにもそうしているのが自然な風に表情を押し殺したりしている彼女を見ていると、
私はそれが本当に彼女が心の底に抱えている何か後ろ
コメント一覧
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- 2015年09月30日 22:40
- 渋谷凛の憂鬱
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- 2015年09月30日 22:52
- 少女よ、これが絶望だ。
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- 2015年09月30日 22:56
- もうやめましょうアポリア…NGに希望など無いのです…
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- 2015年09月30日 22:56
- 長い言い訳だな・・・
ムカっ腹しか立たん
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- 2015年09月30日 23:14
- これは蒼歴史ですねぇ…、間違いない
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- 2015年09月30日 23:17
- 卯月はこういう壊れ方はせんだろ。
万一ここで自らの笑顔の価値に気付けずアイドルを諦めることになろうとも
若干の寂しさを含むようになったその笑顔はきっとどこかの誰かを惹き付ける。
卯月をいい女たらしめるための挫折に過ぎないだろう。
こういう壊れ方をしかねなかったのは7話の未央で
今取り返しの着かない壊れ方をしかねないのは凛だろう。
アイドルとしての卯月を潰した罪から逃げることを凛は決して許さないだろうから。
仇討ちと言わんばかりにトップアイドルにまで駆け上がるだろうけど
薬に走るか男に走るか学会に走るか、そういう壊れ方をしそう。
22話のアレは、上から目線に手を差し延べたように見えてその実、助けを求める凛の悲鳴だよ。
あ、SSは面白かったです。
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- 2015年09月30日 23:17
- アンブラルデッキ使いの少年「卯月さんが早く元気になってまたアイドルとして頑張れるように、良かれと思ってNGの皆さんが活躍していた時の映像が入ったBDを持ってきましたよ!!」
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- 2015年09月30日 23:19
- うーん。
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- 2015年09月30日 23:20
- キュ○べえ「渋谷凛、ボクと契約して魔法少女になってよ!」
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- 2015年09月30日 23:24
- 止めろォ! こんなのアイドルじゃない!
アイドルは……皆を笑顔に……
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- 2015年09月30日 23:50
- ドン〇サウザンド「我が卯月の心を書き換えたのだ…」
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- 2015年09月30日 23:53
- 大江健三郎とか好きそう
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- 2015年09月30日 23:53
- キモイルカ「凛、卯月、ちゃんみお、ワクワクを思い出すんだ。バックダンサーとして初めてステージに上がった、あのときのワクワクを」
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- 2015年09月30日 23:54
- 大江健三郎とか好きそう
違和感あったけど惹きこまれた
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- 2015年09月30日 23:58
- 鬱村さんは99だけでいいって……
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- 2015年10月01日 00:00
- 卯月は『なにを』見ていたんだろう。
未央「ダメだよしぶりん…」←手に持った物を振り上げながら
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