1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/10/28(水) 14:37:37.53 ID:???*.net
【球界ここだけの話】
14年ぶりに開催された神宮での日本シリーズ。スタンドを取材していて、ファンの熱狂を久々に感じると同時に、ある光景を思い出した。
1997年、ヤクルト対西武の日本シリーズ。慶大4年だった高橋由伸(巨人新監督)がスタンドから観戦していた光景だ。
その時点で高橋は、ヤクルトか西武、どちらかのチームに入団するために、日本シリーズを生で見にきたといわれていた。
夏場まではヤクルトで決定とみられていた。6月ごろ、ライトを守っていた稲葉篤紀が、
突然一塁の練習を開始。これは高橋が加入したことも見据えてのものだった。
そして早慶戦の翌日に逆指名会見が設定されていたが、高橋は何も話さず走って報道陣を振り切りバスに乗り込んだ。
翌朝に開かれた逆指名会見の結果は、ご存じのとおり。自分のことさえどうなるかわからない。
世の中にはこんなこともあるのだと思い知らされた瞬間だった。
逆指名会見の結果が入ったあと、球団事務所があった東京・新橋のヤクルト本社隣にある喫茶店に、
片岡取締役スカウトと二人で入ると「自分の進路も自分で決められないなんて…。
慶応大学ではなくて、慶応幼稚舎にでも行ってたんじゃないか」と吐き捨てた。
当時はある球団幹部の話として記事を書いたが、あのときの片岡さんのボー然とした顔は、今でも忘れられない。
その片岡さんは数年後「さすが俺が長嶋2世と惚れ込んだだけの男だよ」と活躍ぶりに目を細めていた。
今でも、高橋がヤクルトに入っていたら、どうなっていたんだろうと考えることがある。
1998年のヤクルトは4位に終わり、野村監督が辞任。直後に阪神の監督に就任した。
もしも高橋がいたら、1年目から4番を打っていた可能性もある。
ヤクルトもAクラスに入って、野村監督は続投。阪神の監督になっていなかったはずだ。
いろんな人の人生が変わっていたはずだ。関係ないが、私の人生も大きく変わっていたと思う。
日本シリーズ第3戦で会った高橋と同年代のあるヤクルトOBは「入るのも、辞めるのも自分で決められないなんて、かわいそうですね」と同情していた。
しかし大巨人の重圧に負けず、レギュラーでプレーできる力があったのだから、巨人入りを勧めた周囲の選択は間違っていなかったと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151028-00000517-sanspo-base
サンケイスポーツ 10月28日(水)13時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151028-00000517-sanspo-base.view-000
巨人の監督に就任した高橋由
5: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/10/28(水) 14:41:15.48 ID:S+oDHuxF0.net
嫁がフジの女子アナになってたな
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クジなんかは完全に運だけど、この場合は環境の問題だし。
たださすがに記事にそんなことは書けないからよく分からん言い回しになってるんだろう。
無論それも妄想ではあるが・・・