101 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:10 ID:LBrT0mrK [1/4]
もう5年も前の梅雨時だったが、親父方の爺さんが入院した
親父からもう駄目かもしれないという電話が来た
爺さんは元々、裕福な家の生まれで学校の先生だったそうだ
それが戦後、家族を食わせるために天秤棒一本から店を興し、東海圏一円に顧客を得るに至っていた
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は親父を憎んで、家を飛び出し広島県内で働いて居た
なんで親父を憎んでいたかなんていうのはあまり話したい事じゃないが、美人局に引っ掛かったり、
親の義務を放棄して宗教に入れ込んだり、嘘や虚言を病的な程に言い、約束は守らない、自分の都合の悪い事は本当に忘れる、
そのくせ他人への貸しはいつまでも覚えていて2倍にも3倍にもして返す事を要求するような親父だったからだ
-続く-
102 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:11 ID:LBrT0mrK [2/4]
とはいえそんな事はどうでもいい
その親父を甘やかした末にあそこまで助長させたとはいえ、俺には爺さんに返さなきゃならない恩が在る
俺が高校の時、親父は宗教に入れ込んで大金を貢いでいた
揚句の果てには俺の学費まで惜しむようになって、俺が高校入学の条件として飲んだ
「(別居中の)父親の元から学校に通う」を守っているにもかかわらず「来学期の学費を払わない」と言い始めた事があった
俺は学校の教師が「高校中退は中卒にも劣る」という言葉を信じていたので、将来を悲観した
毎日気違いじみた親父の我侭に振りまわされていた俺は精神的に追い詰められて自殺未遂までした
それでも親父は自分の勝手を優先した
そのとき、学費を肩代わりしてくれたのが爺さんだった
俺はその御蔭も在って高校を卒業し、工場勤めとは言え安定した職にも付いた
その後、溜めた金で少しでも親父から遠ざかるために広島に職を求めて故郷を後にして
警備員や設備工事を経て、東京で情報処理関係の業界にかろうじて潜り込む事も出来た
多くの人に学んだ、多くの事を見た、沢山本も読んだ
それもこれも爺さんがあの時、高校へ行く学資を出してくれたればこその事だ
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は新幹線に乗って10年ぶりに故郷に戻った
103 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:12 ID:LBrT0mrK [3/4]
爺さんは親父が手配した(藪医者が多いと噂も在る)総合病院の一室に居た
もう、意識もほとんどはっきりしていないと付き添い婦から聞いた
緑内障で数年前からかなり視力も落ちていると聞いていた
それでも俺は爺さんの手をとって声をかけた
爺さんは薄く目をあけて俺を見た
何か言おうとしているが、痰が絡んでゴロゴロとだけしか声が出なかった
それでも俺は自分の名前を言って、俺が見舞いに来た事を知って欲しかった
爺さんが両目を潤ませて何かを言おうとしていたが、やはりゴロゴロという音しか出なかった
爺さんの手は冷たかった
俺の親父という手の掛かる馬鹿息子のせいで、いつも忙しく働いていて、
親父に自分の店を商わせてはいたが、経理などは自分でやり続け、
若い頃からの一番の趣味だった油絵も出来ず、せめて画家になる夢を俺の親父に託したものの、親父のいいかげんな性格から実現せず、
結局60を過ぎた頃にやっと趣味を再開できるだけのささやかな余暇を得ていた爺さん
その爺さんの、絵筆を握るのが唯一の楽しみだった爺さんの手が力なく冷たかった
104 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:12 ID:LBrT0mrK [4/4]
俺は泣いた
爺さんに受けた恩を返せない自分の不甲斐なさが悔しかった
泣きながら爺さんの冷たい手をさすり続けた
爺さんは安心したように寝てしまった
付き添い婦が連絡したのか、親父が来た
親父は相変わらずの気違い振りを発揮して「意識がはっきりしないからマッサージしてやるんだ」と言い出して寝ている爺さんの眉間をもみ始めた
もちろん、その行為に医学的正当性など在るはずも無い
揉むのなら、手をマッサージしてやれ…そうすれば冷えた手が少しは温もるし、なにより指の感覚点は眉間の皮膚にある感覚点よりよっぽど密集しているから脳に強い影響を与えるだろうよ
俺は親父に対する軽蔑とこの6階の病室の窓から投げ出したいという劫火のように激しい怒りを押さえながら病室を去った
それから一ヶ月後、爺さんは逝った
葬式には爺さんの得意先・取引先・世話になった人・世話をしてくれた人、多くの人が来た
改めて爺さんの偉さを思い知った
まだ俺は爺さんに受けた恩を返すことが出来ない
社会に還元できる力も無い
その揚句に失職した
そんな自分自信がもどかしく思う
#感傷的になりすぎて長文になってすまん
もう5年も前の梅雨時だったが、親父方の爺さんが入院した
親父からもう駄目かもしれないという電話が来た
爺さんは元々、裕福な家の生まれで学校の先生だったそうだ
それが戦後、家族を食わせるために天秤棒一本から店を興し、東海圏一円に顧客を得るに至っていた
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は親父を憎んで、家を飛び出し広島県内で働いて居た
なんで親父を憎んでいたかなんていうのはあまり話したい事じゃないが、美人局に引っ掛かったり、
親の義務を放棄して宗教に入れ込んだり、嘘や虚言を病的な程に言い、約束は守らない、自分の都合の悪い事は本当に忘れる、
そのくせ他人への貸しはいつまでも覚えていて2倍にも3倍にもして返す事を要求するような親父だったからだ
-続く-
102 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:11 ID:LBrT0mrK [2/4]
とはいえそんな事はどうでもいい
その親父を甘やかした末にあそこまで助長させたとはいえ、俺には爺さんに返さなきゃならない恩が在る
俺が高校の時、親父は宗教に入れ込んで大金を貢いでいた
揚句の果てには俺の学費まで惜しむようになって、俺が高校入学の条件として飲んだ
「(別居中の)父親の元から学校に通う」を守っているにもかかわらず「来学期の学費を払わない」と言い始めた事があった
俺は学校の教師が「高校中退は中卒にも劣る」という言葉を信じていたので、将来を悲観した
毎日気違いじみた親父の我侭に振りまわされていた俺は精神的に追い詰められて自殺未遂までした
それでも親父は自分の勝手を優先した
そのとき、学費を肩代わりしてくれたのが爺さんだった
俺はその御蔭も在って高校を卒業し、工場勤めとは言え安定した職にも付いた
その後、溜めた金で少しでも親父から遠ざかるために広島に職を求めて故郷を後にして
警備員や設備工事を経て、東京で情報処理関係の業界にかろうじて潜り込む事も出来た
多くの人に学んだ、多くの事を見た、沢山本も読んだ
それもこれも爺さんがあの時、高校へ行く学資を出してくれたればこその事だ
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は新幹線に乗って10年ぶりに故郷に戻った
103 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:12 ID:LBrT0mrK [3/4]
爺さんは親父が手配した(藪医者が多いと噂も在る)総合病院の一室に居た
もう、意識もほとんどはっきりしていないと付き添い婦から聞いた
緑内障で数年前からかなり視力も落ちていると聞いていた
それでも俺は爺さんの手をとって声をかけた
爺さんは薄く目をあけて俺を見た
何か言おうとしているが、痰が絡んでゴロゴロとだけしか声が出なかった
それでも俺は自分の名前を言って、俺が見舞いに来た事を知って欲しかった
爺さんが両目を潤ませて何かを言おうとしていたが、やはりゴロゴロという音しか出なかった
爺さんの手は冷たかった
俺の親父という手の掛かる馬鹿息子のせいで、いつも忙しく働いていて、
親父に自分の店を商わせてはいたが、経理などは自分でやり続け、
若い頃からの一番の趣味だった油絵も出来ず、せめて画家になる夢を俺の親父に託したものの、親父のいいかげんな性格から実現せず、
結局60を過ぎた頃にやっと趣味を再開できるだけのささやかな余暇を得ていた爺さん
その爺さんの、絵筆を握るのが唯一の楽しみだった爺さんの手が力なく冷たかった
104 名前:無職の名無し[] 投稿日:02/08/14(水) 21:12 ID:LBrT0mrK [4/4]
俺は泣いた
爺さんに受けた恩を返せない自分の不甲斐なさが悔しかった
泣きながら爺さんの冷たい手をさすり続けた
爺さんは安心したように寝てしまった
付き添い婦が連絡したのか、親父が来た
親父は相変わらずの気違い振りを発揮して「意識がはっきりしないからマッサージしてやるんだ」と言い出して寝ている爺さんの眉間をもみ始めた
もちろん、その行為に医学的正当性など在るはずも無い
揉むのなら、手をマッサージしてやれ…そうすれば冷えた手が少しは温もるし、なにより指の感覚点は眉間の皮膚にある感覚点よりよっぽど密集しているから脳に強い影響を与えるだろうよ
俺は親父に対する軽蔑とこの6階の病室の窓から投げ出したいという劫火のように激しい怒りを押さえながら病室を去った
それから一ヶ月後、爺さんは逝った
葬式には爺さんの得意先・取引先・世話になった人・世話をしてくれた人、多くの人が来た
改めて爺さんの偉さを思い知った
まだ俺は爺さんに受けた恩を返すことが出来ない
社会に還元できる力も無い
その揚句に失職した
そんな自分自信がもどかしく思う
#感傷的になりすぎて長文になってすまん