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ココイチ創業者、株売却で220億円の利益 孤児院、極貧生活から異端経営者への軌跡 | ビジネスジャーナル
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ココイチ創業者、株売却で220億円の利益 孤児院、極貧生活から異端経営者への軌跡

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「カレーハウスCoCo壱番屋」の店舗(「Wikipedia」より/Corpse Reviver)
 「ココイチ」の愛称で知られる「カレーハウスCoCo壱番屋」を運営する壱番屋は、食品大手のハウス食品グループ本社の子会社になる。壱番屋創業者は宗次徳二氏と妻・直美氏。TOB(株式公開買い付け)に応じる宗次夫妻は単純計算で220億円のキャッシュを手にすることなる。

 宗次氏は、「ベンチャー通信」(イシン/2006年4月号)で自身の壮絶な人生を回想している。戸籍上は1948年10月14日、石川県生まれとされるが、両親が誰なのかわからない。兵庫県尼崎市の孤児院に預けられ、3歳の時に宗次福松・清子夫妻の養子となる。養父は競輪やパチンコのギャンブルが好きで働かず、15歳まで生活保護を受ける生活だった。家賃を払えないため廃屋を転々とした。

 愛想をつかして養母は失踪。養父と2人、ろうそくの明かりで雑草を抜いて食べて飢えをしのいだ。近所の暖かな食卓がうらやましくて、食卓を覗く日々だった。煮干しがご馳走だったという。千円札は見たこともなかった。パチンコ店でこぼれ玉やシケモク(煙草の吸殻)を集めて生計を助けた。吸殻を拾わなかったりすると、養父から全裸にされ箒で殴られる虐待を受けた。

 15歳の時、養父が胃がんで亡くなり、養母と同居するようになる。こうした少年時代について、宗次氏はベンチャー通信の中で「15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした」と回想している。

 宗次少年は朝5時半の始発電車に乗り、登校前に同級生の父が経営する豆腐屋でアルバイトをして、学費や生活費を稼いだ。1967年3月、愛知県立小牧高校商業科を卒業し、不動産会社の八洲開発に就職した。70年に大和ハウス工業名古屋支店に転職、同僚の直美氏と知り合う。この出会いが宗次氏の人生を決定づけた。

 直美氏も家族に恵まれない境遇だった。50年4月18日、愛知県に生まれた。10歳の時に父親が亡くなり、それから家族離れ離れの生活を送った。高校卒業後に大和ハウス工業に入社。そこで出会った宗次氏と結婚した。

ココイチ誕生


 2人は結婚を機に独立。73年、自宅に不動産仲介の岩倉沿線土地の看板を掲げた。しかし、不動産仲介ではメシが食えない。現金収入を得るため、直美氏と相談し74年に喫茶店「バッカス」を開業した。オープン初日に、喫茶店が天職であると直感。不動産仲介の仕事はやめた。バッカスの一番人気メニューは、直美の手作りのカレーだったことから、カレー専門店を開くことを思いつく。78年、愛知県西枇杷町(現清須市)に「CoCo壱番屋」1号店を開いた。