1: casillas ★@\(^o^)/ 2015/11/22(日) 00:23:34.05 ID:???*.net
▪︎ 第1回日米野球に17歳で参加した沢村
野茂英雄の渡米以来多くの日本人投手がメジャーリーグの舞台で活躍、近年は前田健太や大谷翔平といった日本トップレベルの投手がアメリカの注目を集めるのはもはや当然のことになってきている。
しかし華々しい活躍の一方で「パイオニア」野茂の挑戦、そして最初のメジャーリーガー村上雅則の登場より遥か昔に
一人の日本人投手が全米に衝撃を与えたことはだんだんと日本人の記憶から薄れてしまっているのではないだろうか。
MLB公式サイト『MLB.com』内の「Cut4」は「日本の高校生が居並ぶルース、ゲーリック、フォックスを三振にとった時のことを覚えているか?」と題して
81年前の今日(現地時間、日本時間21日)、1934年日米野球での沢村栄治の活躍を紹介している。
1931年に開催された第1回日米野球の成功を受け、読売新聞社の社長・正力松太郎は34年に第2回日米野球を開催。
日本のファンの念願叶い、初来日となったベーブ・ルースを筆頭にルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、チャーリー・ゲーリンジャーら将来の殿堂入り選手たちを通算3731勝の大監督コニー・マックが率いる豪華メンバーが来日した。
They won most of the games by a large margin, but on Nov. 20, during a 1-0 affair, a 17-year-old pitcher by the name of Eiji Sawamura did something most people can only dream about in their backyards as a kid.
彼らはほとんどの試合に大差で勝利したが、11月20日の試合だけは1-0と僅差の勝利だった。17歳の投手、沢村栄治はほとんどの人々が裏庭で子どもの頃に夢見ているだけだったことをやってのけたのだ。
▪︎ スター集団のアメリカ打線から9奪三振
まだ日本とアメリカの野球のレベルが天と地ほども離れていたこの時代、16試合行ったこの年の日米野球ではアメリカが16勝0敗と全勝。
11月20以外の15試合でアメリカの総得点が180点だったのに対し日本は36得点しか取れなかったことからもそのレベルの差が垣間見える。
そんなアメリカ圧倒的優勢の状況だっただけに、第9戦で沢村が見せた快投はより人々の記憶に残るものになった。
剛速球と懸河ドロップと称された落ちるカーブを武器に6回まで米打線をルースのヒット1本のみに封じ込めた。
7回にゲーリックにホームランを浴び1点を失ったものの、失点はそれだけ。
味方打線が封じ込められ白星こそつかなかったが、8回完投し被安打はわずか5本、9つの三振を奪う見事なピッチングだった。
The high schooler entered the game in the fourth inning and struck out nine American batters including Charlie Gehringer, Ruth, Gehrig and Foxx in succession.
Manager Connie Mack attempted to sign Sawamura after the game, but he refused and joined up with the Tokyo Giants as part of Japan's first professional league
(a league inspired in part by the '34 games and the teenager's performance).
その高校生はアメリカ打線からゲーリンジャー、ルース、ゲーリック、フォックスの4者連続を含む9つの三振を奪った。コミー・マック監督は試合後に沢村と契約しようとしたものの彼は拒否し、
日本最初のプロリーグのチームの一つである東京ジャイアンツへと加わった。日本のリーグの発足は34年の日米野球、そして沢村の好投の影響を受けてできたものだ。
2: casillas ★@\(^o^)/ 2015/11/22(日) 00:24:37.96 ID:???*.net
▪︎ 17歳の快投で、たちまちアメリカでは人気投手に
沢村が4者連続三振を奪った4打者はいずれもMLB史上に残る大打者たち。彼ら4人の通算安打は合計11079本、通算本塁打は1925本に達する。
「いつの日か彼らを三振に取ってみたい」当時の全米野球少年の夢を遥か遠い国の17歳が達成してしまったのだ。
その時にアメリカ人の受けた衝撃を考えればマックの反応も当然のものだろう。
この試合の結果、沢村の活躍は同行の特派員によってすぐに本国に打電され、
以降「スクールボーイ」沢村はアメリカでも高い人気を博するようになった。アメリカ遠征の際には沢村が自分の名前を書くのに飽きるほど多くの人が彼のサインを求めたという。
記事では他にも沢村がプロ入り後に日本史上初を含む3度のノーヒットノーランを達成したこと、第二次世界大戦で帰らぬ人となったこと、現在日本ではその年最高の投手に贈られる賞に沢村の名が冠されていることなどが紹介されている。
81年前のこの日は日本人が野球で初めてアメリカに驚きを与えた日といってもいいだろう。
沢村の活躍がなければ日本のプロ野球も今ほどの発展はなかったかもしれない。先人の偉業に敬意を表して、この活躍を語り継がれていくことを望みたい。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151121-00010002-baseballc-base&p=3
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阪神通算最多勝利233勝の記録を持つ大エース
しかも大卒社会人でプロ入団が28歳というからすごい