あんなにヤバい酒を飲んだのは、
生まれて初めてだった。
何て名前の酒だったのかは覚えていない。

その酒を二回目に一気した瞬間に、僕の記憶は飛んだ。

意識を取り戻した時、僕はトイレの中で吐きまくっていた。

このトイレは一体、どこのトイレなんだろう？

何一つ思い出せなかった。

しばらくしてそこが女子トイレの中だと気付き、急いでトイレから出た。

トイレを出ると、そこはネットカフェの店内だった。

僕が居たのは、入った覚えの無いネットカフェのトイレの中だった。

そのネットカフェから外に出ると、そこは難波の繁華街だった。

相変わらず、
難波の街の空気は、
腐り切っていた。

酒を飲み過ぎて、
ずっと手が震えていて、
頭は酸素の海の中で、
溺れているみたいな感じがした。

昨日の事を必死で思い出そうとする。

知り合いに無理矢理、
オカマバーに連れて行かれた所までは、覚えている。

そのオカマバーの店内は、
映画『時計じかけのオレンジ』で、アレックス達がたまり場にしている、コロバミルクバーみたいな感じだった。

そのオカマバーに入ると、
Dカップの女装した関口メンディーみたいなオカマが僕達の席に着き、
「胸を触ってー」と言ってきたので2人で触った。

その胸は、ラグビーボールみたいに硬かった。


深夜12時になると、ステージでショーが始まる。

キラキラとしたドレスを着たオカマ達がダンスを踊り出す。

それが終わると、コントが始まった。

それはアナと雪の女王をモチーフにしたコントだった。

エルサの格好をしたオカマが、もう一人のオカマに、「アナルに挿れさせてくれ」とひたすら頼み続けるという、『アナルと雪の女王』というコントだった。

こんな酷いコントをやって、ディズニーに訴えられないのか、心配になった。

それから再び、ダンスが始まり、その後、またコントが始まった。

そのコントも、ここに書けないくらい酷い内容だった。

それからも、そのショーは何だかんだで、40分も続いた。まるで拷問みたいだった。

しかし、その店に居た酔っ払い達には、大ウケだった。

笑いにはその場に応じた、最大公約数の笑いがある。

僕が目撃したのは、オカマバーにおける最大公約数の笑いだった。

そのオカマバーには、本当に綺麗なニューハーフ達がたくさん居た。

性別という枠をぶっ壊して、
美しさを獲得したその姿を見て、
想像を絶する努力と、
圧倒的な凄みを感じた。

僕は、
この世には2種類の人間がいると思っている。

生まれた時に決定されたもので、
そのまま生きて死ぬ人間と、
決定されたものを覆させて生きる人間だ。

僕はそのオカマバーで、
覆させた人間をたくさん見て、
心を何度もしばき回され、
圧倒的に負けていると思った。

僕が思う人間の価値は、
人間からはみ出した回数で決まると思っている。
そして僕は、その回数で圧倒的に負けていた。

僕が人間である事をはみ出したのは、人生でたった一度だけしか無かった。

僕が人間をはみ出した時、
怪物が生まれた瞬間。


西暦は2007年。
僕の年齢は19歳だった。

一日に出すボケのノルマを、
ボケるスピードの向上と共にどんどん増やしていき、
100個だったボケ数のノルマを、
500個に増やした。

初めてケータイ大喜利で、
僕のネタが読まれたのはそんな時だった。

僕は嬉しさの余り、
家を飛び出し、
真夜中の街を走りながら、
生まれて初めて、
この世界と繋がれたような感覚を味わった。

しかし、そこからまた半年間、
読まれない日々が続いた。

読まれなかったという現実を突き付けられるたびに、「お前なんか全然面白く無いから、今すぐにお笑いから足を洗え」と言われているような感覚になった。

その状況を変えたくて、
一日に出すボケ数のノルマを、
500個から1000個に増やした。

自分で自分を少しずつ、
破壊しているような感じがした。

起きている間は、
何処に居ても大喜利をしていた。

バイトに向かう電車の中。
バイトの休憩中。
帰りの電車の中。
バイト中も、バレないように、大喜利をやっていた。
たまにバレて、怒られたりした。

とにかく全部の隙間を、
大喜利で埋めた。
そしたら、二度目の歓喜の瞬間がやって来た。

「こんな所で止まってたまるか！」と思った。

僕はもっと、
加速したかった。

僕は当時、
21歳で死ぬつもりで生きていた。
だから、アルバイトという行為を、
ただの時間の空費だと感じるようになった。

全ての時間を大喜利に費やしたいと思うようになり、
そのままバイトを辞め、
僕は無職になった。

こうして、全ての時間を、大喜利に費やせる状況を作り出した僕は、
一日に出すボケ数のノルマを1000個から2000個に増やした。

朝から晩まで、机にかじりついて、ノート一冊を一日で使い切るくらい大喜利をした。

とにかく、もっともっと加速したかった。

誰よりも濃く、
光の速さで生きて、
一瞬で消えて行きたかった。

だけど、そんな気持ちとは裏腹に、いつもボケ数が1500個を超えたあたりで、誰かに殴られているみたいに、頭がガンガンして、死にたい気分になった。

加速したい気持ちに、脳と身体が全然ついて来れていなかった。

それでも、ノルマの2000に到達するまで、僕は絶対に、全力疾走をやめなかった。

三段に昇格した頃、大喜利は、さらに加速度を増していき、その頃には5秒に1個ペースで、ボケが出せるようになっていた。

僕はすぐに、四段に昇格した。

布団の上に倒れ込む。

その頃いつも、毎朝目が覚めると、頭がキャラメルの塊になったみたいに、ぼーっとしていた。

そうなると、いつも僕は、壁に自分の頭をガンガン打ち付けて、そうすれば大喜利が出来る脳の状態に、すぐに戻るような気がして、しばらくの間、ひたすら壁に頭を打ち付けていた。

僕はその瞬間、
間違いなく一人の人間として死んだ。

それが、
僕が人間をはみ出した瞬間であり、
怪物が生まれた瞬間でもあった。


五段に昇格した頃、母から、こんな話を聞かされた。

僕が無職である事を、皆が陰で悪く言っていたらしい。

聞いた瞬間、僕はキレて「直接、オレに言わんで良かったな！もし直接、オレに言ってたら、全員殺してたわ！」と言って、家の壁が凹むまで、何度もそこを殴った。

母は僕に「普通の人はアンタのやってる事なんか理解でけへんって！」と言った。

普通の人になんか、
理解されなくてもいい。

理解はしなくてもいいから、
邪魔だけはされたくない。

僕は、
誰よりも濃く、
光の速さで生きて、
一瞬で消えて行こうとしているんだ。

僕は当時、
21歳で死ぬつもりで生きていた。
21歳まで残り2年しか無い。
普通の人間と一緒にするな。
残された時間は60年じゃない。
わずか2年だ。
そのつもりで全力疾走してやる。


僕はその頃にはもう、完全に自分が、人間じゃなくなったような気がしていた。

ただボケをひたすら生産する、
工場になったような感覚だった。

自分はただの工場で、毎日ボケを、大量生産するためだけに存在しているような感じがした。

六段に昇格した頃、自分の思い出や記憶が、どんどん抜け落ちていってるような気がしてならなかった。

ついさっきあった事も、僕は思い出す事が出来なくなっていた。

頭の中をいくら探し回っても、そこには、お笑いに関するデータしかない。

とうとう僕の脳は、何かを考えようとしても、ボケしか思いつかない脳になってしまった。

七段になる頃には、大喜利をしている時にしか、生きているって感じがしなくなっていた。

今ではそれをしていないと、気持ち悪くて落ち着かない。

もしかしたら僕はもう、完全にどっかが、壊れてしまったのかもしれないと、その時に思った。

20歳になった頃、僕はようやく全てを捨ててまで切望した、レジェンドになった。

なった瞬間は、嬉しいというより、安堵したという感じだった。

もっと嬉しいかと思っていたけど、「何だこんなもんか」と思った。

なりたかった自分に、なれたはずなのに、一生懸命努力して、目標を達成したはずなのに、何故だか分からないけど、大事な何かを失くしたみたいに、虚しくて仕方が無かった。


僕は、その直後に吉本の劇場作家になった。21歳だった。


「お前、今まで吉本に入って来た構成作家の中で、一番イカレてるな」

これは、吉本の劇場に入ったばかりの頃に、あるベテラン漫才師が僕に言った言葉だ。

その時に僕は、「お笑いなんて物自体、イカレてる人間がやるものじゃないのか？」と思った。


「頭がおかしい」という言葉がある。

一般社会では、
悪口だけど、
お笑いの世界において、
それは最高の褒め言葉だ。

お笑いをやるという事は、
「頭がおかしい」と言われる事を、目指すという事だ。

お笑いに狂う事は、
どんどん普通の人間から、
解離していく行為で、
お笑いをやっている以上は、
普通である事は許されない。

頭がおかしいくらいに、
笑いに狂う事こそが正義だと、
僕は信じて疑わなかった。

ある日、いつものように劇場に居たら、謎のオッサンが突然、話しかけて来た。


「この劇場の劇場作家の中では、
お前が一番才能あるわ」

そう言って、謎のオッサンは去っていった。


すぐに血相を変えた先輩の構成作家が、僕の方へと駆け寄ってきた。

「お前、今、あの人と、何か話してたやろ？」

「えっ？」
話してたけど、なんだよ、その圧は？と思った。

「何の話しててん？」

「よう分からん感じでした。知らんオッサンに、急に話しかけられたんで」

「お前アホか！あの人、凄い人やねんぞ」