大御所漫画家の水木しげる(みずきしげる 本名:武良茂 むらしげる)さんが死去しました。
画像:【水木しげる】
NNN
30日、東京都内の病院で亡くなり、享年93才でした。
死因は「心筋梗塞」と伝えられています。
葬儀・告別式については未定となっています。
水木さんは1922年に大阪市で生まれ、鳥取県境港市で育ちました。
1943年の夜間中学3年生(当時21才)時に召集されたパプアニューギニアのラバウル戦線で、爆撃
を受け、左腕をなくしながら、兵庫県神戸市に復員後、職を転々とし、途中、武蔵野美術学校(現武蔵
野美術大学)に入学しますが、経済的な理由などで中退。
その後、紙芝居作者を経て、1957年に貸本漫画家へ転向。
このときに描かれた「ゲゲゲの鬼太郎」の元となる「墓場鬼太郎」がのちに代表作となります。
のち、漫画雑誌「ガロ」「少年マガジン」などで連載を持ち、「ゲゲゲの鬼太郎」がアニメ化やゲーム化
されるほどの大ヒットとなり、人気漫画家の地位を築きました。
画像:【ゲゲゲの鬼太郎】
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000236.000001719.html
http://www.hamakei.com/headline/5886/
東映
その他の人気作品に「悪魔くん」
「河童の三平」などがあります。
また自身の戦争体験から数々の戦争漫画なども出版。
一貫して戦争の悲惨さを訴え続けました。
1961年に見合い結婚した布枝夫人との間に2女をもうけ、
画像:【水木夫妻】
2010年に放送されたNHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」は、
水木さんの妻が書いた自伝が、
元となっており、大変話題を呼びました。
なお、自身が描いたキャラクターで最も好きなのは「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる”ねずみ男”。
生前のインタビューではこう語っています。
「ねずみ男というのは、何もない、金もないのに、生きていかないといけないという、庶民の代表ですよ。どんな時代にも対応できる。強いと言えば強いんですよ。
これに似た日本人が8割近くいるんじゃないですか」「水木サン(水木は自身をこう呼ぶ)は、ねずみ男風なやり方で大衆の心を奪ったと思うな。
というのは鬼太郎式な強い英雄は昔からいたから。ねずみ男を描いたことで、みんな共鳴したんですよ。私はこれが面白くて、これをいじくりまわしてきた。
愛される、おもしろがらせる、というのはマンガにとっては一番」
自身について
「子泣き爺(じじい)みたいな存在だな。あんまり何もしないのに、何かしたような顔をしている。
10年来、過去の作品をいじくってるだけで、何にもしてないんだから」
と語っています。
(引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151130-00000083-sph-soci)
紫綬褒章(1991年)
日本漫画家協会賞文部大臣賞(1996年)
手塚治虫文化賞特別賞(2003年)
旭日小綬章(2003年)
フランス・アングレーム国際漫画祭最優秀作品賞(2007年)
フランス・アングレーム国際漫画祭遺産賞(2009年)
朝日賞(2009年)
文化功労者(2010年)
私も好きな漫画家さんの一人でした。
代表作をはじめ、多くの著書を読ませていただきました。
水木しげるさんのご冥福をお祈りいたします。