1: 海江田三郎 ★ 2015/12/08(火) 10:27:18.43 ID:CAP_USER.net
http://toyokeizai.net/articles/-/95085
プロ野球選手は「夢を売る仕事」だといわれる。
少年ファンからはあこがれのまなざしを受け、女性ファンからは嬌声を浴び、破格の報酬を受け取る。
野球をやった経験があれば、誰もが一度はなりたいと願ったことがある職業に違いない。
大企業という安定を捨てて、プロの世界へ
今秋のドラフト会議では、社会人野球チームでHonda(ホンダ)に属する阿部寿樹という内野手が中日ドラゴンズから5位指名を受けた。
あの落合博満GM(ゼネラルマネージャー)が1年以上前から高く評価していたという大型内野手は、契約金5000万円、
年俸1000万円(金額はいずれも推定)の条件で中日と仮契約を結んだ。
プロ野球選手で脚光を浴びることが許されるのは、ほんのひと握りのスターだけだ。プロ野球選手は個人事業主であって収入は安定せず、
2軍選手の年俸は普通のサラリーマンと変わらない
一方、アマチュア最高峰である社会人野球は、ホンダのような大企業がチームを所有していることが多い。
プレーヤー引退後も社員として安定した収入が得られるため、中にはせっかくプロからの誘いがあっても企業チームに残留する道を選ぶ選手もいる
ホンダは言わずとしれた世界的企業。その安定した会社員という地位を捨てて収入が乱高下する個人事業主へ。
さらに、阿部は大卒4年目、2016年には27歳になる「オールド・ルーキー」でもある。ドラフト指名されることは野球人として名誉なことだが、
入団を決断するまでにさまざまな葛藤があってもおかしくない。
阿部のケースを通して、プロ野球選手になることの「夢と現実」を追ってみよう。
「僕は第一にリスクを考える性格なんです」
(中略)
「チームメイトから『メンタルが弱い』と言われまくっていましたから(笑)。チャンスで全然打てないので、印象に残らないヒットが多かったんです」
ホンダでの練習参加、そして社会人野球の道へ
大学4年になり進路を決めなければいけないタイミングで、阿部のもとに社会人の名門・ホンダに練習参加する話が持ち上がった。
当時、ホンダの監督に就任したばかりだった長谷川寿監督は、阿部が練習参加したときのことを鮮明に覚えている。
「フリーバッティングでいきなりレフトの金網にぶち当てて、驚きました。身体能力が高くて肩が強いし、見栄えのいいショート。
即決でした。すぐ『入ってくれ』と言いました」
ホンダからは“プロ待ち”を認めるという話もあった。プロ待ちとは、学生がプロ志望届を提出して、
ドラフト指名がなかった場合でも企業が採用するという約束のこと。それだけホンダが阿部を高く買っていた裏返しでもあるが、
阿部はその申し出を断っている。自分の力がまだプロで通用するとはとても思えず、そもそもホンダでレギュラーになれるかも不安があった。
「ホンダが強いということは僕も知っていましたし、ショートには川戸(洋平)さんという全日本のレギュラーもいましたから。
『試合に出られるかな?』と思っていました」
ホンダ入社後の2年間はまったく鳴かず飛ばずだった。打撃では体が早く開く悪癖があり、バットを何本も折った。
打撃に悩んだ影響は評価の高かった守備にも及び、送球が不安定になる悪循環。入社2年を終えた段階で、阿部はプロへの思いにふたを閉じかける。
「もう無理だろうと思いました。それよりも、社会人であと何年できるだろう。これからどうしていこうという思いのほうが強かったです」
ここで、社会人野球選手の日常についても触れておこう。
一口に「社会人野球」と言っても、野球部員と会社業務のかかわりは企業によって千差万別。
午前中に勤務して午後から練習というチームもあれば、夜までみっちり働いてから練習というチームもある。
ホンダの野球部員は、基本的に午前中は会社に出勤し、午後から練習というケースが多い。
出社する場合、阿部は埼玉県狭山市にあるホンダの製造工場へ行き、車などをつくるラインに入って作業するという。
ただし、野球のハイシーズンは会社に行くことができなくなる。アマチュアといえど、大事な大会前はプロ野球選手に近い環境になるのだ。
長谷川監督によると「シーズンオフは一日勤務する時期もあるので、年間40%は勤務している計算になります」という。
2: 海江田三郎 ★ 2015/12/08(火) 10:27:25.38 ID:CAP_USER.net
毎日現場で働いている社員と野球部員の「温度差」が気になってしまうが、ホンダは一般社員と野球部の距離が近い企業だといわれる。
長谷川監督が明かす。
「野球部員でも、いずれ野球を引退したときのために現場のことがわかっていないといけません。配属先の業務を手伝ったり、
従業員のみなさんに仕事を教えてもらったりすることで人脈をつくり、野球部のファンを増やしていく。
現場の社員に『野球部の応援に行こう!』と思ってもらえたら、いい相乗効果になります」
入社3年目。ついに、努力が実を結ぶ
阿部も「部署の方は温かく見守ってくれます」と現場との良好な関係について語っていた。阿部は結果を出せなかった
最初の2年間で、近い将来に社業に専念するイメージを持ち始め、「どの部署に配属希望を出そうか?」ということまで具体的に考えていた。
運命が大きく変わったのは入社3年目のことだ。それまでにチームのベテラン・多幡雄一に弟子入りし、
毎日自主練習を共にするようになっていたのだが、その努力が実を結んだ。
「多幡さんから『お前は右方向のほうがいい打球が行く』と言われて、ボールを引きつけて強く叩く練習を繰り返していました。
そうすると、右方向に強い打球が打てるようになってきて、体が早く開くクセも目立たなくなったんです」
一時的に不安定になっていた遊撃守備も、外野や打撃投手を経験して腕を強く振る感覚、リリース感覚を取り戻すことができた。
「なにごとも自信がない」というネガティブ思考の阿部だが、大学時代にはスイングのしすぎで肋骨を疲労骨折したほどの努力家でもある。
野球人生最大のピンチでも、自信がないからこそ猛練習で補うことができた。
そして社会人4年目となった今年、阿部のもとにはプロ球団からの調査書が届いた。長谷川監督はプロ志望の選手に対して、こんな話をするという。
「一般サラリーマンの生涯賃金を3億円としよう。もしプロで同じ額を稼ごうと思っても、10年間続けて3000万。
税金で半分取られることも計算したら6000万ないと負け。プロの平均在籍年数は9年、引退年齢は29歳、平均年俸は3800万。
1億円プレーヤーになっているのはほんのひと握りだよ。それでもプロに行きたいか?」
長谷川監督はかつてホンダ野球部で活躍した後、エリートサラリーマンとして社業でも活躍した。
自ら海外駐在の希望を出してアメリカ・オハイオ州で部品調達の業務に従事し、帰国後は管理職として大きな
プロジェクトのリーダーを任されたこともある。
「社業に専念し始めた頃は、右も左もわからない状態で夜の海に飛び込むような戸惑いがありました。
でも、野球も社業も一生懸命やることは同じ。ボールが部品に変わるだけで、一生懸命やっていれば周りが助けてくれるものです」
会社員としてのやりがい、喜びも知る長谷川監督だが、かつては自身もプロからの誘いを受けて「自分の実力では無理」と断った過去がある。
今でも「社会人に残っておいてよかった」と後悔はまったくないという。
夢と現実、部員の選択は
夢を追うか、現実に生きるか。しかし、長谷川監督がいくらプロ球界の厳しさを説明しても、ほとんどの部員は「夢」を取るという。
それはまた、阿部も同じだった。
「リスクを回避してばかりいた僕でも、子供の頃から『プロになりたい』という一本の芯がずっとありました。ほかの芯は折れてもいいから、
この芯だけはリスクを考えずに追いたい。大卒4年目の僕を評価してくれる球団があるということ自体、ありがたいことです。
人生は1度きりなので、プロに行かないで後悔するより、行って後悔したいんです」
長谷川監督もまた、「プロに行きたい」という選手の心情は理解している。
「厳しい世界ですが、最終的に決断するのは選手です。それに、ホンダという会社自体、夢を語ることで大きくなった企業ですから。
野球部もそういうスタンスです」
夢を追い、26歳になる年に、ようやく扉をこじ開けた阿部寿樹。あこがれの世界に一歩踏み出す前の心境を聞いても、
「不安のほうが大きいですけど、やってみなければ何もわからない」と相変わらず威勢のいい言葉は聞かれない。
それでも、「不安だからこそ、練習ができますね?」と聞くと、阿部はニコッと笑って、こう言い切った。
「練習できなくなるときは、僕の野球が終わるときです。腹をくくってやります!」
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かなりエリートな部類