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ストーンヘンジの石柱は中古品だった? 採石場所と時期を特定、ストーンヘンジ建設までに400年のずれ | 不思議.net

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ストーンヘンジの石柱は中古品だった? 採石場所と時期を特定、ストーンヘンジ建設までに400年のずれ

2015年12月12日

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ストーンヘンジ


1: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:15:08.39 ID:CAP_USER.net

ストーンヘンジの石柱は中古品だった? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/120900356/
 英国イングランド南部で、巨大な石柱が列をなすストーンヘンジ。先ごろ、この巨石をどのように切り出し、運んだかという謎の解明につながる新発見があった。
(参考記事:「沈黙の巨石 ストーンヘンジの謎」)

 英国の考古学者チームが2015年12月7日に発表したところによると、5000年ほど前にストーンヘンジの建設に使われた特徴的な「ブルーストーン」は、英国ウェールズにある新石器時代の採石場2カ所で切り出された数々の証拠を発見したという。

 かつてストーンヘンジに立っていたと推定される約80個のブルーストーンのうち、現在残っているのは43個だ。ブルーストーンはストーンヘンジの内側に馬蹄形に配置され、外側をそれよりもはるかに巨大な砂岩(サーセン石)の柱にぐるりと囲まれている。研究者らは採石場から発掘された遺物を精査し、先史時代の人々がブルーストーンを切り出した時期とその方法を特定した。

 採石場は、ストーンヘンジから陸路で北西およそ290キロにあるウェールズ、ペンブルックシャー北部のプレセリ山地にある。ブルーストーンの重さは1~2トン、高さは最大で2.4メートルほどだ。(参考記事:「ストーンヘンジの原点 最果ての巨石文明」)

 これらの採石場で見つかる火山岩や火成岩の特徴は、ストーンヘンジの内側に馬蹄形に並べられているブルーストーンと、ぴたりと一致する。地質学者によると、採石場一帯はブリテン諸島の中で唯一まだら模様のドレライト(粗粒玄武岩)が見つかる場所で、ストーンヘンジのブルーストーンにも多く用いられているという。

 採石場では、石器や土台、木炭、焼けたクリの実の他、採石場からの出口だったらしい道などが見つかっている。「ブルーストーンのおおよその産出地は以前からわかっていましたが、今回の発見の素晴らしい点は、実際の採石場が特定できたことです」。プロジェクトの統括者で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のマイク・パーカー・ピアソン氏はそう語る。「ここには土台、傾斜路、荷の積み降ろし区画など、広大な施設が築かれていました。露頭のくぼみには、木製のくさびを打ち込んだ跡も確認できます」

 木炭と焼けたクリの実から放射性炭素年代測定を行ったところ、新石器時代に当たる5200~5400年前に、この採石場で人の活動があったことが明らかになった。
一方、ストーンヘンジが建てられたのは、5000年前よりは後のことと考えられている。これらを考え合わせると、一つの疑問がわいてくる。切り出された石は400年もの間、いったいどこにあったのだろう。(参考記事:「ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡」)

「これはとても興味をそそられる問題です。新石器時代の人々が500年近くかけて石をストーンヘンジまで引きずっていった可能性もなくはありませんが、あまり現実味がありません。むしろ、石はまずどこか採石場の近くにあるモニュメントで使用され、のちにそれが解体されたときに、ストーンヘンジのあるウィルトシャーへ運ばれたと考えるほうが妥当でしょう」とパーカー・ピアソン氏は言う。彼のチームは、2016年の調査でその「近場のモニュメント」の場所を特定し、どんなものだったのか解明することを目指している。






2: もろ禿HINE! ★@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:15:36.42 ID:CAP_USER.net

切り出してから400年間、巨石はどこに?

採石場周辺には自然に形成された柱状の岩があり、石切り作業に従事した先史時代の人々はいくらか楽ができただろうと考えられている。「彼らは石柱同士の間に走っているひびに木のくさびを打ち込みさえすれば、あとは雨で木が膨張して、石柱を1本ずつ切り離してくれるのを待てばよかったのです」と、英サウサンプトン大学のジョシュ・ポラード博士は言う。「切り離された石柱は次に、土と石でできた土台まで下ろされます。この『荷の積み降ろし区画』から先は、採石場の外へと続く通路に沿って引きずられていくわけです」(参考記事:「ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘」)

 最終的には、80個のブルーストーンがストーンヘンジまで運ばれた。2トンの石柱を距離にして300キロ近く移動させるのはかなりの大仕事だが、インドでは同程度の大きさの石を、木を格子状に組んだ道具を使って、わずか60人ほどで運んでいたことがわかっている。

 石を採石場から運び出すのは、力と器用さの両方が必要とされる作業だ。出口に続く通路(幅わずか1.8メートル)は狭すぎて、木材を敷いた上に石を載せて転がす方法は使えない。考古学者らは、古代の人々が縄、てこ、支点を利用して石を木製のそりに乗せ、それを山裾まで引っ張るか、滑らせたかしたのだろうと考えている。「この作業には二つのチームが必要です。一方のチームが坂の上で縄を引っ張りながらゆっくりとそりを下ろし、もう一方が1メートルほど下で待機して、それを受け取るのです」とパーカー・ピアソン氏は言う。

 採石場の作業員の食事は肉が中心だったと考えられるが、周辺の土壌は酸性度が高く、骨や角などは一切残っていない。見つかるものといえば焼きグリの残骸くらいだが、これは新石器時代には重要な食料であった。パーカー・ピアソン氏は、少なくとも25人が石切りの作業に従事しており、近くにあった居住地から毎日徒歩で通っていたのだろうと考えている。

 来年行われる調査で、ブルーストーンが最初に使われていた近場のモニュメントが発見されれば、ストーンヘンジを造ったのはウェールズから移住した人々という可能性も出てくる。近場のモニュメントの目的と機能を探っていくなかで、先史時代の英国の文化においてストーンヘンジが果たした役割という長年の謎も解明されるかもしれない。本調査は、ナショナル ジオグラフィックの科学調査支援プロジェクトとして実施された。

4: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:20:29.17 ID:2WYs+iWO.net
運ぶ強い意志を感じた

6: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:27:33.22 ID:+3Us+1Xl.net
>サーセン石

フヒヒwwサーセンww

7: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:33:05.06 ID:D9Q1TcDj.net
今と同じで修復したんでしょ。
それくらい臨機応変にもの見たかを変えようよ

10: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:42:38.10 ID:GE2Pmq9F.net
ネッシーを創りだした国だぞ

22: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 13:32:47.18 ID:43v3WHWQ.net
>>10
ミステリーサークルもw
まあ、茶目っ気だけでは石を切り出すモチベーションにはならないだろうな、たぶん…

11: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 08:53:11.05 ID:ppTLrdf+.net
もうイギリス人は信じれない

29: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 19:28:37.47 ID:/XLklEVk.net
1

2

3

4

5

6

7

8

9
1885年に撮られたという写真(影がおかしいとの意見も)

10
1927年に撮られたという写真 石の形、場所が違う?

11
1910~1920ごろ?

13: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 09:29:19.64 ID:o2L/1Fsr.net
ストーンヘンジの頃のイギリス人と、今のイギリス人は全く違う人種

14: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 09:30:35.18 ID:VqN5evyo.net
ケルト系とアングロサクソン系は全く違うな

18: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 10:30:02.41 ID:WNseG2Vk.net
400年って誤差じゃないの

28: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 19:12:09.46 ID:MGV5X9yh.net
日本人が裸でドングリ食ってた頃か

30: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 23:30:00.68 ID:9MT3lkjR.net
ストーンヘンジは建設が始まってから現在見られる形になるまで1000年以上かかってるので、その間によそのストーンサークルなどから石を持ってきたというのは有り得る話。
巨石遺跡が多いフランスのブルターニュ地方にも新石器時代の巨大なモノリスを数十年後か数百年後に引き倒して墓室の天井を覆うのに再利用した墳墓があるし。

31: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 02:14:52.18 ID:FxykztuD.net
現代の古民家の大黒柱を有難かって使うようなことなんだろうな

32: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 02:34:31.85 ID:DZj5kjNA.net
ミステリーサークル → 農民の嘘でした

ネッシー → ネス湖の宣伝でした

ストーンヘンジ →(       )

33: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 02:51:56.52 ID:C+gl+Tvg.net
どこぞのイギリス人が死ぬ間際に、実はアレはわしが作ったんじゃとか告白しだす

36: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 10:26:33.02 ID:JThLNcMQ.net
新しく城建てるのに廃城の石垣や果ては墓石やなんかも使ってるんだし

37: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 12:13:19.57 ID:j7HCe/Y9.net
不合理をあえてさせるのが時の権力者ってやつでしょ。

38: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 13:03:05.84 ID:1NoPnjG1.net
>>37
焼き栗と肉で常時数十人を動員できる権力、
と言うか、社会システム確立していたことになるよね。
たいして余剰が期待できるとは思えないが
栗の当たり年だけ建築、とかしてたのかね?

39: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/11(金) 14:43:33.93 ID:RzTq4V2+.net
>>38
遺跡の種類や規模の変遷から新石器時代から青銅器時代にかけてののブリテンはいくつかの集落からなる共同体から首長を中心とした部族社会へと変化していったと言われてる。
さらにストーンヘンジの近辺の墳墓からはブリテンではなくヨーロッパ中央部で生まれ育ったと思われる人物の遺骨が見つかっているので、古代ヨーロッパの人や物の流れはかなり広い範囲に渡っていたとも言われてる。
新石器時代には麦の耕作や豚や牛の飼育も始まっていたからクリは重要な食物だったけれどもそれに依存していたわけではないだろう。
家畜は充分な試料を確保できない冬ごとに繁殖用を残して屠殺しその肉を饗宴で消費したり分配したりしていたようなので、それを基本に地位の違いや作業の指図を行う首長的な存在が生まれていたのかも。

40: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/12(土) 10:05:05.33 ID:7IRFVDb9.net
中古とか言うと安っぽくなっちゃうだろ
リサイクルと言えw

43: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/12(土) 10:54:48.02 ID:VBFqgBCx.net
切り出してすぐの石より風雨に晒されて
苔でも生えてるような方が霊験がありそうだもんな

20: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 13:15:51.80 ID:xv6Sf7Sj.net
謎がまた一つ増えてわくわくするな

引用元: 【考古学】ストーンヘンジの石柱は中古品だった? 採石場所と時期を特定、ストーンヘンジ建設までに400年のずれ



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