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「不自由な12年だった」古舘伊知郎が語った報ステ降板後のリアルな心境: 芸能界の裏の顔

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2015年12月25日

「不自由な12年だった」古舘伊知郎が語った報ステ降板後のリアルな心境

 

来年3月末で報道ステーションを降板することが発表された古舘伊知郎。
その件について取材に応じた古舘伊知郎は「不自由な12年間だった」とリアルな胸の内を切り出した。
古舘伊知郎が語った報ステでの12年間→ ranking




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テレビ朝日系報道番組「報道ステーション」の古舘伊知郎氏は24日、東京都港区の同社で記者団の取材に応じ、来年3月末で番組を降板することについて、「不自由な12年間だった」などと語った。主なやり取りは次の通り。

「1つ、言わせていただきたいのは、1977年、学びやであるテレビ朝日に入れていただき、育てていただき、フリーになってやってきた。『報道ステーション』は2004年からだが、その3年くらい前から、『古舘プロジェクト』の会長と(テレ朝現会長の)早河(洋)さんが会って、『ニュースステーション』の後に(報道番組のキャスターを)やってくれないか、という交渉があったやに聞いている」

「でも、ずっと固辞していた。エンターテインメントという言葉があるが、僕は、テレビというものは僕は『娯楽の箱』だと思っている。スポーツ実況、バラエティーなど、(自分は)娯楽もので行きたいと思っていた。だが、早河さんがうまくて、『(報道番組で)自由に絵を描いて』というんですね。それでコロッとだまされて」

「不自由な12年間だった。言っていっていいことと、いけないこと…大変な綱渡り状態でやってきた。10年を一つの区切りとして、また、別な挑戦をさせていただきたいと、早河さんにお願いした」

「でも、あと2年ということで慰留され、頑張ってきた。今年の夏くらいでしょうか、12年を一つの区切りに、辞めさせていただきたいといって、慰留してくれたのは本当に感謝です」

「でも、堅く、区切りだと思ったので、(テレ朝に)了解していただいた次第です。『卒業』という都合のいい言葉はありますが、もし卒業なら、相当留年しているだろうと。卒業というよりも、辞めたい、と言って辞めるのが正直なところです」
http://www.sanspo.com/geino/news/20151224/geo15122421080033-n2.html


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posted by makoto at 13:00 | Comment(0) | は行の芸能人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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