144 名前:借猫稼業[] 投稿日:02/01/09 00:23 ID:bkM0YNv2

俺は夜の闇が大好きだった。
暗がりに必ず奴がいたから。
俺は夜の闇が大好きだった。
口を鳴らすと奴が現れ、甘えて擦りついてきたから。
俺は夜の闇が大好きだった。
仕事を終え、疲れているとき、それを癒してくれる奴がいたから。

奴の名前は「マロちゃん」、サバトラのネコ。
奴は同じ社宅に住んでいる先輩のネコだった。
先輩のネコだったが、俺の家族のアイドルでもあった。

夜、俺が仕事を終えて帰宅するとき、奴はたいてい待ち構えていた。
俺の家までついて来て、わが物顔で部屋に上がり込んで餌を食い、
満足するとさっさと自分のねぐらに帰っていった。

奴は本当におっちょこちょいなネコだった。
テーブルの上に飛び上がり、脚を踏み外して転がり落ちるような
野生味が欠けたネコだった。

コーヒー用の小さなカップ入りミルクが好物だと先輩に聞いたとき、
俺は自分で使いもしないミルクを奴の為に買い込んだ。
奴はペロペロとおいしそうにミルクを舐めると、
さも当然という顔をして、颯爽と帰っていった。

そのネコが一昨日、車に轢かれて死んじゃったんだ。

買い物の途中、奴の姿を見てしまった。
ガードレールの下で頭から血を流して倒れていた。
妻はポロポロと涙をこぼしていたが、二歳になる娘は
「死」というものを理解できずにキョトンとしていた。
俺は、起こったことがまったく信じられなかった。
目の前の現実を信じることができなかった。
信じたくなかった。さっきまで信じていなかった。

でも、今日、帰宅途中、奴が轢かれた場所にさしかかったとき、
ふいに涙が込み上がってきた。
歯を食いしばって泣くものかと頑張ったが、ダメだった。
どうしてもダメだった。感情が爆発するのを止められなかった。
夜の闇の中で恥も外聞も捨てて俺は声を殺して大泣きしてしまった。

家に着き、泣いたのを妻にさとられまいとして、
娘と一緒に風呂に飛び込んだ。
なんとか落ち着いてきたとき、娘がこう言った。
「マロちゃん、またミルク飲みに来るかな」
それを聞いた瞬間に、また涙が溢れてきた。

マロちゃん、もういないんだよ。冷蔵庫の中でミルクが待っているというのに。


俺はまだ夜の闇が好きだ。
でも、少しだけ夜の闇が寂しくなった。