749 名前:名無しさん@恐縮です 本日のレス 投稿日:2005/12/24(土) 03:44:16 jZVO86x20

昭和50年。

家に一台しかなかったテレビには
当然僕ら兄弟のチャンネル権など無かった。
仕事から帰った父がニッカボッカのままテレビの前に座り込み、
ビールの栓を開けながら肴のイカを僕らに一切れずつくれたりしたものだった。

小さな工務店を経営する父は
その日の巨人軍の勝敗によって気分が変わる、
典型的な東京生まれの巨人ファンだった。
負けそうになると決まってとたんに機嫌が悪くなって
テレビを消して悪態をついていた。
そういった日はもうテレビをつけることは許されないので、
僕ら兄弟は「野球中継なんてなくなれば良いのに。」などと言いながら
好きでもない巨人を応援し続けたのだった。

そんな父が死んだのは急だった。
昼休みに先生から呼び出されると、僕ら兄弟だけが突然家に帰された。
家に着くと泣きじゃくる母の変わりに、工務店の従業員に父が現場で転落したことを聞かされた。

仏壇の父の遺影の前には毎日ビールが供えられた。
母は酒を一切飲まない。父しか飲まなかったビール。
父しか楽しみにしていなかった野球中継。
父だけが愛した巨人軍。
僕ら兄弟はどちらからとも無く、この頃から進んで野球中継を見るようになった。
僕らは当然巨人軍に声援を送った。
そして僕は父の遺影の前でこう誓うのだった。
「僕が大人になって子供ができても、子供と一緒にずっとテレビで巨人戦を観るからね。」