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1 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 18:46:07.56

ノーベル文学賞取れたのは翻訳家のおかげ!という奴もいるが
万延元年のフットボールで史上最年少の谷崎賞とってる事実を忘れてはいけないのでは?
そもそもいいものじゃないと翻訳しないのではないか?
というわけで大江健三郎の文章・文体について語りましょう






18 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 11:42:56.91

>>1
ノーベル賞関係無しに大江は偉大な作家だし
ノーベル賞ももちろん翻訳しだいで取れるようなチョロイ賞ではないだろう
(というかこんなことをいう奴は翻訳が何だと思ってんだ???)
大江を頭ごなしに否定したい連中が適当なことをいっているのを真にうけなさんな






3 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 18:53:54.46

読点の使い方が特殊






4 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 18:57:29.08

大江姉
基本的に、難解な文章使うのはいいんだけど、それが大江の文学的主題とどう関わってくるのかわからん
三島だったら、硬質で入り組んだ文章が彼自身の思う日本的な美と通底してた
安部の場合、あの事実しか述べていかないような文体が、荒野っちゅうか荒涼とした戦争文学やらシュールレアリズム風の文学によくマッチしてたと思う

でも大江は、結局のところフランス哲学・文学のマネじゃない?
元ネタのサルトルも難解なポストモダンも、ひどくセンセーショナルな潰れ方をしたし、それは正当だったと思うぞ

抽象的で記号化された登場人物はいいんだが、記号学を扱うフランス系学者にありがちな難解な文章を俺は評価できん
難解であるべき必然的な理由といわれた文学の相対性は、結局何も生み出さなかったし、必然的ですらなかったようにすら思える

そんで代わりに、自分の障害を背負った息子について書いた文章は、難解さが薄れて、はじめて意味ある、真に迫る文章だと思った
でもそれ以外は、基本的に上に書いたような理由で支持できん






11 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 07:26:48.89

>>4
安部には納得
三島については意味不明
日本的美とはなんぞや三島は文章はどちらかというと洋文だとおもわれる

フランス哲学の真似を小説でやるというのも完全に意味不明

自分の息子を背負ってかいた、新しい人よ眼ざめよ、は大江史上
最高の難読文体なわけだが

事実に沿ってしゃべっているとは思われない






5 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 20:04:22.75

そのくせ文章の書き方指南みたいなことやってなかったか?






6 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 20:12:38.92

意図的ににやってるんじゃなかったっけ






12 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 07:31:04.33

>>6
意図的にやっているのは

以下本人がインタビューでいっていたが(大意)

正確に伝わることを意図して推敲を重ねまくって文章をつくっている
ただそうやって出来上がった文章で中身が伝わるかというとそうでもなかったw

と大江特有の冗談を交えていっている






8 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/10(木) 22:54:54.11

翻訳文みたいなんだよね






9 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 03:12:05.59

海外の大学で日本文学を教えてる日本人教授達は日常的に英語で文章を
書いてる訳だが、概して彼等の書く日本語は驚く程、「日本的」なんだが。
主語は明解でないしねw
大江の文章は擬似翻訳文と言って良いかもしれない。






13 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 07:42:38.77

言い忘れたあと一つ
俗見のフランス文学に影響受けた〜という話以上に大江が本質的に影響を受けた
フォークナーは悪文でしられている(確か一文の英単語数最大が彼だったかと)
つまり悪文がどうのこうのというのは文学に興味ない界隈でしか通じない悪口でしょう






30 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 14:22:39.13

大江なんてシーラカンスみたいなものでしょ
それでも読まれるのかな






31 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 14:27:08.71

はまるやつはとことんはまるイメージ
多感な時期に読ませちゃダメな作家だな






32 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 15:49:10.02

政治主張はともかく小説は過小評価だと思う






34 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 16:23:36.76

夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚を求めて、辛い夢の気分の残っている意識を手探りする。
内臓を燃え上がらせて嚥下されるウィスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。
力をうしなった指を閉じる。そして、躰のあらゆる場所で、肉と骨のそれぞれの重みが区別して自覚され、しかもその自覚が鈍い痛みにかわってゆくのを、明るみにむかっていやいやながらあとずさりに進んで行く意識が認める。
そのような、躰の各部分において鈍く痛み、連続性の感じられない重い肉体を、僕自身があきらめの感情において再び引きうける。
それがいったいどのようなものの、どのようなときの姿勢であるか思いだすことを、あきらかに自分の望まない、そう言う姿勢で、手足をねじまげて僕は眠っていたのである。






35 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 16:32:05.62

ええやん






36 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 16:45:57.22

悪文と名文は紙一重






37 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 16:54:31.64

万延元年を書ききらなかったら大江はあそこで終わっていたよ
このジャイアントステップがあって真の大作家になった






38 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 17:34:55.48

大江こそ戦後文学のエースだって風潮も昔はあった
安部や三島なんてのは後塵拝すレベルで






39 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 17:50:05.21

そういう意味の戦後文学に大江をくくれるの?
三島は実際に、安部も作家として70年代にはもう死んでたわけで






40 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 17:57:44.99

安部は箱男で全部出し尽くした感が…






42 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 18:22:16.27

26でセブンティーン書いたのはすごいと思う






46 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/11(金) 20:34:35.18

当時目新しい文体だったのは確か






49 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 06:20:46.15

最近飼育読んだけど完成度高杉
そら芥川賞とるわ!






58 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 11:30:22.56

>>49じゃないけど初期の短編の完成度はやばい
若い読者はたいてい初期の怨念塗りこめたような作風から入るのが多い気がする
そのあとの全体小説とか小説の技法とかいろんな変遷を経て60年近く小説書き続けていていまだになんか野蛮な小説書いてる






53 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 09:32:27.68

「懐かしい年への手紙」がやはり一番大きな達成でしょう
内容(一連の谷間の森シリーズ)としても形式(擬似私小説)としても
作者の追及してきたことが大作として結実した






54 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 11:02:43.07

>>53
風景描写が消えたときの作品だったっけか
やっぱり細かいところで海外の作家と同じように形式の実験もやりまくってるんだよな
モディアノの自分が生まれる前の私小説にも名指しはあるけど描写は徹底的に避けられたりしてていわゆる日本の私小説からほど遠かったりする






55 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 11:07:31.24

>>54
違う風景描写が滅茶苦茶ある作品
谷間の森の村にアボリジニの言うエターナルドリームタイムをみるという作品で
美しい村の風景描写がないと作品が成立しない






56 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 11:12:36.39

>>55
風景描写なくなったのは五年後の『燃えあがる緑の木』三部作だったな
すまんすまん
時と年を二重あわせにしたイメージの作品でここから風景描写をなくして批判されまくってでも蓮貫とかがほめてたんだった
90年代以降のほうが好きなんだけど、80年代の総決算という意味で確かにでかい小説だと思う






61 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/12(土) 12:57:15.81

>>56
描写がどうだったか不明だけどあれは第三部にはいらないとお話として面白くならないから
バチバチの大江ファン以外辛抱強くそこまで読まないから批判されて当然だとおもう
自分は好きだけどね






92 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 16:25:08.39

いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機をあたえられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもち
こみうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊
性を克服することは出来ぬであろう、ということにほかならないが、あらためていうまでもなくそれは、いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的
な条件もなしに、作家が現実生活に鼻をつきつけねばならぬ時のことを考えるまでもなく、本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、すべて
の作家がみずからに課すべき問いかけであるように思われるのである。(大江健三郎『職業としての作家』)






93 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 16:26:12.48

大江健三郎「壊れ物としての人間」


「フォークナーの活字のむこうの暗闇をうずめている、情熱の極点にむかったまことに不毛きわまる
パセティックな自己燃焼をはかるところの、いずれも不撓不屈な人間たちを、ぼくはくりかえし経験
しようとしはじめるのである。ヨクナパトファ・サーガの、奇妙な情熱にとりつかれているおのおのの生
および死を鋭く発見するひとたちのむらがりにむかって僕は入りこんでいく」






94 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 16:56:20.92

ええなあ






95 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 17:18:54.65

悪文ですな・・・






97 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 17:38:11.21

初期小説読む限り相当暗い青春送ったんだろうなと






98 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 17:56:09.83

同じポスト・フォークナーでノーベル賞作家のクロード・シモンと比べると面白い
破格の文体や旺盛な実験精神などと作風は遠くないのに主義主張は正反対






115 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/13(日) 22:01:02.02

>>98
仲悪かったな






120 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 01:26:12.23

一般の評価とか、賞とか政治発言とかは置いといて、その後の日本の作家への影響なら同時代の作家とは比べものにならないでしょ。
中上健次、村上龍は明らかに影響受けてるし、
村上春樹は万延元年のフットボールのパロディで当時芥川賞選考委員だった大江に芥川賞候補作として作品が上がってる。(作品名は忘れた)そして落とされてる。
プルーストだって、後の世代の作家たちが自分の口から「俺はプルーストの影響を受けてる」ってみんな言うもんだから評価が上がって今じゃ20世紀最重要人物じゃん?
個人的にはなぜかよく比べられる安部公房より全然好きだな。






121 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 02:02:53.89

>>120
村上春樹の1973年のピーンボールは結構面白いよ
パロディでは全くないと思うけれど






122 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 03:37:47.30

>>120
そもそも安部公房がおれはよくわからん
砂の女と中上健次の千年の愉楽を同時期に読んだが圧倒的に中上が上だと感じた
これならカフカやゴーゴリ読むよという感じで
まあ安部公房ほとんど読んでないおれが言うのもなんだが






123 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 03:59:30.70

安部と比べられてるのは多分ノーベル文学賞関係かと
当時の委員長が生きてたら安部だったかもね〜とかいって
んで作品も貶めたい大江嫌いが旗印に掲げてる
安部が生きてたら大江なんて取れてない!とかいって(安部が悪いとは言ってない、悪しからず)






124 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 04:22:14.29

>>123
安部公房がとってた可能性が高いのは事実だし、取ってたら10年くらいは日本人がなくなる可能性が高いのも事実ではある
でもなんか大江が取れてないって言ってるやつは小説読まずに言ってる
安部は安倍で戯曲の方とかも評価されててイヨネスコとかハロルド=ピンター路線での受賞だったと思う

大江健三郎の受賞講演でも安部公房が長生きしていれば受賞していただろうとして、二十世紀最大の作家としてカフカ・フォークナーと並ぶ評価与えてる
対談とか読んでるとすさまじく頭がよくて海外の文学渉猟してるしやっぱりでかい作家だったと思う
三島と大江が西欧だとすると安部は東欧のイメージが強い






128 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/14(月) 07:44:43.83

>>124
いや受賞の数年前から今の村上みたいに、「今年こそこそ大江か」
みたいに大江宅にマスコミおしかける年中行事があったぞ
だから俺はその段階で大江はノーベル賞なのか、と理解していた

2chで安部が生きていたら確実安部だった、大江の話なんか全くきかなかった
とニュースの板なんかで大声で叫ばれてるから、自分の記憶おかしいんかな?と
図書館で受賞当時の噂の真相(笑)借りてきて確認したらやっぱり自分の記憶がただしかった






250 名前: 吾輩は名無しである 投稿日:2015/12/16(水) 00:09:59.76

大江作品が好きなやつは大友作品も好きだと思う
作風の話ね






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