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最後に残るのは、優れた物語を語ること。「インサイド・ヘッド」ロニー・デル・カーメン監督インタビュー : ギズモード・ジャパン

最後に残るのは、優れた物語を語ること。「インサイド・ヘッド」ロニー・デル・カーメン監督インタビュー

2016.01.14 22:00
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初の長編フルCG映画となった「トイ・ストーリー」以来、ピクサー・アニメーション・スタジオは「ファインディング・ニモ」や「ウォーリー」など、最先端のテクノロジーを取り入れながら作品を発表してきました。

その多くにストーリーアーティストとして関わってきたRonnie del Carmen(ロニー・デル・カーメン)さん。昨年11月に神戸で開かれたCG技術の学会SIGGRAPHアジアのチェアーをつとめ、開会のキーノートでは自ら描いたアニメーションを披露しながら、共同監督をつとめた「インサイド・ヘッド」の脚本作りや、いかに物語を大切にしているかを語りました。


Inside Out (2015)


常に人の心を動かす物語と温かなキャラクターを生み続けるロニーさん。彼にとってCG、テクノロジーとはどういう存在なんでしょうか?


心に残る物語を語り続けよう


ギズモード(以下、ギズ) CG技術の限界や制限こそがおもちゃを主人公にする「トイ・ストーリー」という素晴らしい作品を生み出したとジョン・ラセターがMediumの記事で語りました。ピクサーの中で、テクノロジーと物語はどういうふうに影響しあってきたのでしょうか?

Ronnie Del Carmen(以下、Ronnie) もし(技術的な)制限がなかったら、おもちゃに命を吹き込んでストーリーを語る必要はありませんでしたからね。その意味では、制限はクリエイティビティにとってはすばらしいものです。

最近は洗練されている髪の毛のアニメーションも、昔はヘルメットのようでした(笑) キャラクターが髪の毛を動かすと「衝突が起きている!」と思ったりね。洋服も同じです。だからこそスパンデックスを着たスーパーヒーローの映画を作るのがいいわけです。


Toy Story (1995)


Ronnie もちろん今でも制限がなくなったわけではありませんが、ジョン・ラセターが「トイ・ストーリー」で直面したものとは比べものになりません。今回のSIGGRAPHアジアからもわかるとおり、たくさんの研究者たちがそういった問題に取り組んでいます。「これまで1週間かかっていた作業がたったの1時間で!」とかね。これは喜ばしいことですし、いつかそういった問題はすべて解決されるでしょう。

そこで最後に残るのは優れた物語を語ることでしょうね。どんな進歩が達成されていったとしても、変わらないチャレンジとしてあり続けるはずです。

これはほとんどの人にあてはまるんじゃないかと思うのですが、みなさんが1つの映画を見終えたとき、心に残るのはそこにある物語のはずです。

もちろん「あのシーンはとても美しかったし洗練されていたよね」なんて話すことだってありますが、人々にとってより意味があるのは、物語がどんなふうにわたしたちの感情を動かしたのかという点だと思います。映画を観て驚いたり、幸せになったり、悲しい気持ちになったりした。こういった感情こそが、映画についての記憶としてもっとも強く残っていくでしょう。

テクノロジーが進歩して生まれる新しいツールや可能性を使って何ができるかを探っていくことは、ピクサーで私たちがやろうとしていることです。ただし、物語がリードしている状態でないといけません。物語を語るために新しいテクノロジーを利用するんです。


テクノロジーは人間に命を吹き込むか?


ギズ SIGGRAPHアジアでは、人間をCGで本物のように描写表現しようとする研究もたくさんありましたよね。こういったチャレンジは、アニメーション制作にあたって重要な動きであるとお考えですか?


SIGGRAPHアジア2015では、布や人体、液体の動きを表現する技術も数多く発表された


Ronnie 本物のように自然な人間を作り出そうとするのは、もちろん意義のある試みだと思います。

人々がCGのリアルな人間を「気味が悪い」と感じる理由は、CGの人間が奇妙な動きやふるまいをするからでしょう。本来ではありえない動きをする人間には共感しにくいはずです。なんだか不自然に見える、それだけで怖く思ったり疑うようになります。

これは物語を語るうえではマイナスに作用します。人間をキャラクターとして設定するときは、観る側に共感してもらおうとしているわけですからね。人間のキャラクターが何に悩んでいるのか、どういった経験をくぐり抜けていくのか、そこでどういった挑戦が生まれるのか。その前にキャラクターに対して「気味が悪い」と感じてしまったら、物語を語るときに何の役にも立ちません。


Inside Out (2015) 主人公ライリーの頭のなかに住む感情・ヨロコビ(Joy)


Ronnie わたしたちが描いた「頭の中の世界」と「ライリーが生きている世界」は互いに関連しあっています。ライリーがアニメっぽく表現されているからこそ、感情たちとライリーがひとつの同じ世界に属しているように感じるのです。感情の中の世界で起こった出来事が、外の世界に影響して現れてくることに観客は疑問を感じません。

でももしライリーの世界がすべてライブアクションで描かれたとしましょう…。おそらく頭の中、感情たちの世界があまりにもアニメっぽくみえてしまうでしょう。そうなると物語に真剣に向き合うことができないかもしれませんね。


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Ronnie アニメらしくシンプルに表現されたキャラクターに感情を吹き込むことは可能だと私たちは考えています。リアルなキャラクターを作らなくとも、人々の感情を動かす映画を作ることができたのですから。

もちろんいつか誰かがリアルな人間ですばらしい物語を完成させるでしょう。そのために進歩していく余地はたくさんあると思います。いつかあまりにもリアルになったら、「いっそ本物の俳優を使えばいいのでは?」なんてことになるかもしれませんね。とても興味深いことです。わたしたちが直面している難問ですね。

とはいえ先ほどもいったとおり、問題となるのは物語です。優れた物語をどう紡いでいくのかという点でしょうね。

ギズ たとえば小説のような物語を書くために開発されたロボットなどもいるわけですが、そういった試みはどう思いますか?

Ronnie 人工知能それ自体は、素晴らしいものでしょう。ただクリエイティビティという点ではまだまだ足りない気もしますね。もちろんクリエイティビティを備えたプログラムが開発されて進歩していくのでしょうが…。

わたしがもっと恐れているのは、彼らが人間に仕えるのをやめることですね。彼らは不死身で、どこにだって自由にいくことができます。「ぼくたちに命令するだけの人間はいらないからいなくなってしまえばいい」なんて思い始めたらどうしようとかね(笑)


***


ストーリーをつくる立場から、ピクサーのテクノロジー観について話してくれたロニーさん。

人工知能が進歩することについて「そのころにはぼくらは生きていないかもしれないね(笑)」と言いながらも、「もし彼らが人間に仕えるのをやめてしまったら…」と物語で答えてくださったのが印象的でした。



ロニーさんの人柄そのもののような、キャラクターへの愛情あふれるアートワークはウェブサイトから見ることができます!


source: SIGGRAPH Asia 2015

(取材/Mukai Haruka、撮影・執筆/斎藤真琴)

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