聖「あれだけ愛した野球を捨ててしまうのか?」
俺はじんわりと汗ばむ額を袖で拭い、キャッチャーマスクを被った聖ちゃんを見る。
黒土に向け、ぴんと人差し指が立つ。
サインはストレートだ。
「先輩、ここが踏ん張りところだぞ」
マウンド上にまでそんな発破が聞こえてきそうなほど、彼女は赤い目でキッと見つめてくる。
どくどくと暴れる心臓を落ちつけるために長い息を吐く。
緊張がかすかに解れ、割れんばかりの歓声が耳にまで届いてきた。三回戦だというのに観客のこの熱狂具合はさすが甲子園というべきか。それとも、このシチュエーションゆえか。
3対2。1点リードの9回裏、2死満塁。ボールカウントはツースリー。
そして立ちはだかる打者は、帝王実業高校きっての強打者――友沢亮。
「絶対、打ちとってやる」
何万回と繰り返してきた投球モーション。右腕を大きくしならせ、全ての想いを指先に込めるようにして投げた。
それは野球人生の中で、最高のストレートだったと思う。
けれどその球は、聖ちゃんのミットに収まることはなかった。
キィィ――ン。
白球は、青空まで届くかのようにぐんぐんと伸びていく。
ベンチに下がった先発のみずきちゃんは悲痛な叫び声をあげ、センターの矢部くんは途中で追いかけるのを止めた。
逆転満塁サヨナラホームラン。
友沢はいつもの仏頂面を崩し、小さくガッツポーズ。数万人の喝采を一身に浴びながら、ダイヤモンドをゆっくりと回っていく。
「……ひぐっ……うぐ……うぅぅ……」
ホームベースの奥で、聖ちゃんが両膝をついて泣いていた。
俺も、嗚咽が、我慢できなかった。
『――ショート友沢とる。投げたっ。アウトォォ! 夏の甲子園、優勝はっ、帝王実業高校でぇぇすぅぅぅっ!!』ワーワー
パワプロ「やっぱ優勝は帝王実業か。下馬評通りって感じだな」
みずき「昼間から部室で何やってるかと思ったら。ラジオで甲子園の中継を聞いてたんだ」ガチャ
パワプロ「あっ、みずきちゃん。お疲れ。そこにパワドリあるよ」
みずき「ん。それでどっちが勝ったの?」キュッキュッ
パワプロ「帝王実業。圧倒的な強さだったよ」
みずき「ふーん。ま、わたしたちに勝ったんだもん。当たり前よね」ゴクゴク
みずき「ランニングの後の一杯は格別なのよ」プハー
パワプロ「そういやそうだね。何日も走ってないから、その感覚忘れちゃったよ」
みずき「……ねぇ、パワプロくん」
パワプロ「ん?」
みずき「大会前に言ってた通り、その、本当にさ……」
みずき「野球、辞めちゃうの?」
聖「……先輩、それは本当なのかっ?」
みずき「あ……っ」
聖「どうしてなのだ。甲子園で打たれた、あのホームランのせいか?」カツカツカツ
みずき「ちょっ、聖」
聖「あれだけ愛した野球を捨ててしまうのか?」
みずき「聖!」
聖「答えてくれ、先輩」
パワプロ「……うん、僕は野球を辞めるよ」
聖「……見損なったぞ」ダッダッダッ
みずき「待ってっ……あーもう、こんな時だけ足がすこぶる速いんだから」
みずき「矢部くん、聖を追いかけてー!」
矢部「なんだか良く分からないけど任せろでやんす~!」シュバババッ
パワプロ「……後輩には話してなかったもんな」
みずき「……余計な心配させまいとしたのが裏目に出ちゃったわね」
『タチバナー、ファイ、オー! ファイ、オー!』
パワプロ「やばっ……もう最後のランニングやってるよ」
パワプロ「はやくロッカーの整理しなきゃっと。みずきちゃんと矢部くんはプロ志望届だしてるからまだいいけど、それ以外で終わってないの俺だけだしな」
パワプロ「うわっ、くっせぇっ!」
パワプロ「まぁ、3年間使ってたから当たり前……当たり前だよな、うん」ハナツマミー
パワプロ「えーっと、これはいる。これもいる。ガンダーロボは……いーらない」ポイー
個人ロッカーの奥。そこにあったのは、一枚の紙が挟まれたクリアファイル。
入部当時、監督に書かされた『自分の夢』だ。
パワプロ「プロ野球選手になる、か」
声にだして読んでみると、自分の三年間がありありと脳裏に蘇ってきた。
パワプロ「生徒会に交渉して、部員集めて、練習設備を買って貰ったりして」
パワプロ「聖ちゃんが入部してくれたときは嬉しかったなぁ」
パワプロ「みずきちゃんにはダーリンなんか呼ばれちゃったし……嘘の婚約者役だけど」
パワプロ「ま、念願の甲子園にも出れたし。ほんと、ここで野球をやって良かった」
パワプロ「良かった……」ウルウル
パワプロ「」グスン
パワプロ「うわああああああ!!」
聖「なーーー!」
パワプロ「び、びっくりしたぁ」
聖「こ、こちらこそ、いきなり叫ばれて驚いたぞ」
パワプロ「そ、それでどうしたの、聖ちゃん。クールダウンは?」ナミダフキフキー
聖「先に済ませてきた。その……さっきのことを、謝ろうと思ってだな」
パワプロ「相変わらず律儀だね、聖ちゃんは。頭をあげてよ」
聖「しかし……」
パワプロ「いいから。それに、野球を辞めるのは本当のことだから」
聖「……先輩」アタマアゲー
聖「良ければ教えて欲しい。なんで野球を辞めるのかを」
パワプロ「……うん、分かった」
聖「グラウンド……?」
パワプロ「うん。先行ってて、俺も用意するからさ」
聖「む、分かった」
困惑する聖ちゃんを余所に、僕はロッカーからグローブを取りだす。
毎日、欠かさずにグリスを塗って手入れしていたそれは、使い込まれてはいるものの決してボロくはない。
パワプロ「お前ともこれでお別れだな」
労うような手つきで革の表面を撫ると、また目尻にうっすらと涙が溜まってきた。
パワプロ「あーくそ。なんか今日は涙もろいなぁ」フキフキ
俺はグローブを左手に嵌め、白球を手に持ち、歩きだす。
人生で、最後の投球をするために。
グラウンドより少し高いこの場所の景色は、たった何日振りかだったけど、ひどく懐かしいように思えた。
パワプロ「聖ちゃん、座ってくれる?」
聖「キャッチボールはいいのか?」
パワプロ「問題ないよ。しても同じだから」
聖「?」
聖ちゃんは首をかしげながら、ホームプレートの奥に腰を下ろした。
ミットを構える。
マウンドから本塁までは18・44メートル。
以前は慣れ親しんでいたけれど、今は果てしなく遠く感じてしまう、そんな距離。
聖「いいぞ。いつでも来い」
何万回と繰り返してきた投球モーション。右腕を大きくしならせ、指先に力を込める。
聖「な……っ!」
しかし、放たれた白球は聖ちゃんには届かず、互いの中間でバウンドした。
聖「どうしたんだ、先輩。らしくないぞ」
聖ちゃんは白球を拾いあげ、キュッキュッと磨いてから投げ返してくれた。
俺はそれを黙って受け取り、再びマウンドを踏みしめる。
だけど、結果は同じだ。
ボールは聖ちゃんにまで届かない。
聖「先輩。私は冗談はあまり好きじゃ――」
聖「……先輩?」
それは、僕がうずくまっているからだろう。
たった2球投げただけだというのに、滝のように流れる汗は疲労によるものではなく、肩に走る激痛によるものだ。
聖「先輩!」ダッダッダッ
聖ちゃんはマウンドに駆け寄り、心配そうな顔で俺を見つめてくる。
聖「もしかして、先輩は……」
パワプロ「……うん。大会前に怪我をしちゃって」
パワプロ「痛み止めを打って、だましだまし投げてたんだけど。昨日、病院でさ。ボールを投げるのはもう無理だって言わ
コメント一覧
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- 2016年02月05日 23:58
- 聖ちゃんのミット目がけてストレートをズドン!!
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- 2016年02月05日 23:58
- いいSSだぁ…(恍惚)
ポケ13の麻美を思いだす
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- 2016年02月05日 23:59
- ヒジリザワショウノスケダーかと思った
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