関裕美「その言葉を、胸にしまって」【モバマス】
10年後のお話です
雑踏の中を走る。
せわしなく歩くサラリーマンや学生をかき分け、かするようにぶつかってはすいませんと叫んでも、目線だけは遠い遠いあの背中へ。
悠々とこちらを見下す歩行者信号に心底腹が立つ。
あぁ、こいつさえいなければすぐにでも追いつけただろうに!
『スカウトは新人の仕事だ』
息と一緒にせっぱ詰まった頭で、ふと10年も前、プロデューサーになったばかりで言われた言葉を思い出す。
スカウトには新人のうちにしかない、自分のアイドルを見つけるための、それこそ一目ぼれのような“感性”が必要なのだと。
経験ゼロからのスカウトという、理不尽の塊のような業務を達成したあとに教えられたのは、そんな眉唾のような経験則だった。
そう、どうでもいいんだ。
もうすぐ、もうすぐ、あの人に追いつける。
背格好からしてきっと、20代の半ばだろうか。
顔をしっかり見てもいない、なんら桁違いのオーラをまとっているわけでもない。
後ろ姿も颯爽とはしているが、一度ひとごみに紛れてしまえばもう見分けはつかないだろうし、歩き方だって多少姿勢がきれいに感じるだけだ。
だがそれでも、すれ違った。
あの横断歩道の終わり際、死にたいのかと訴えかける点滅した青の下で。
唯一無二の、俺のアイドルに。
言い知れない運命のようななにかを感じた。
重い革靴にいらいらしながら、大股でさらに3歩前に。
さっき一瞬の自失から復活したときにはもう、道路にさえぎられて車列の壁の向こうに行ってしまっていた。
もう二度と見つけられないかとさえ思った。
そんな俺のアイドルに、もう、声が届く―――
「……? はい?」
振り向いた! 振り向いてもらえた!
落ち着け、落ち着いて腹に力をこめろ。
聞きやすいようにはっきりとした声で、まっすぐ目を見て、さぁ。
「アイドルに……アイドルに興味は……!」
「……あ」
いつもの定型句を、いつもの万倍の気持ちを込めて口にだす。
その顔を見てなお確信する。
くいっときつくひそめられた眉。
こちらを見返す力強い目線。
きっと笑えば誰よりも可憐な口元と頬。
そうだこの人は、この人こそ、俺の――
……あれ? この顔は、まさか―――
「Pさん?」
かたや呆然と、かたや驚きで跳ね上がる語尾の音。
間の抜けた空気のなかで、俺はかつての担当アイドルと二人。
街の合間でポツンと見つめあっていた。
――――――――――
「体が重い……」
ぎしぎしとうなる体の痛みを無視して、事務所へ続く階段を上る。
原因は……筋肉痛だ。
この前の、2日前の全力疾走が今にして、きて、しまった。
……昨日は平気だったから油断してたなぁ。
1日おくれというのが、体だけじゃなく心までいじめに来る。
はっきりいって、つらい……
「せんせぇ! おっはようございまー! ――っよいしょー!」
「お? ……うっしゃあ! こい! 薫! ……ぐふぅ!!」
「え、だ、だいじょうぶ? いま、すっごい声出たよ?」
「お、おおう、大丈夫に決まってるだろ……! おーよしよし! 薫はおっきくなってもかわいいなぁ! よーしよしよしよし!」
「えへへー!」
階段の踊り場で、160cmの無邪気のかたまりがとんできた。
みぞおちにきれいに入ったその頭をかいぐりかいぐりと乱暴に撫でまわす。
……当然、中年の耐久力ではまだ背中とデコの脂汗は引いてくれないが、そんなもんガマンだガマン。
そう、でっかく……でっかくなって……なぁ。
「ぐずっ……」
「あ、せんせぇまた泣いてるのー?」
「あぁ、だって、だって、事務所に来たばかりで、こーんなにちぃちゃかった薫が今じゃ19歳、華の女子大生だもんなぁ。ほんと、大きくなっちゃって……」
「ははは! それ何回目ー? せんせぇ、私が中学あがった時も、高校上がったときも、大学入って何年たっても、ずっとそれ言ってるよね」
「これが言わずにいられるか。ああもう、薫はかわいい! かわいいぞぉ! ほれぐしぐしぐし!」
「うわぁ! 髪の毛ぐしゃぐしゃになるってー!」
つらつらと今日のスケジュールが頭の中を流れていく。
午後のこの子の仕事は、ファッション雑誌の撮影だったか。
その天真爛漫さで、かつてはおじいちゃんおばあちゃんに大人気だった薫も、いまでは最近流行りな元気系女子大学生のファッションリーダーだ。
からからと笑いながらこちらを見上げる、すっかり大人びた顔。
その顔にまだ幼かった頃のひまわりのような笑顔が重なってみえた。
いかん、また目頭が……
「ああ、まったく、ほんと、本当によくこんなにまっすぐ育ってくれてなぁ」
「あ、ちょ、ちょっとせんせぇ……」
「一時期ぐれちゃったときはマジでへこんだもんなぁ……あのころは……」
「や、やっぱりまたその話! もういいでしょそれは! いつまで覚えてるの! 忘れてよー!」
「だって、なぁ……」
「だってもなにもないよ! うう、14歳の私めぇ……」
あんなに素直でいい子だった薫が。
わざわざ学校まで迎えに来なくていいから! とか。
レッスンを見るときの目がえっち! とか。
恥ずかしいからプロデューサー近づかないで! とか……
もう目に入れても痛くないくらいかわいがっていた子の思春期に俺は、それはもうぼっこぼこにされたわけだ。
「うーん……? 事務所の居心地がいいからかな? あとそれに……」
「それに?」
「せんせぇ相手ならまぁいっかな、って!」
「……ほほう、そうかそうか! まったく愛いやつめ!」
「わー♪」
大人をたぶらかすのがうまいんだからこいつめ。
そんなうれしい悲鳴を上げながら今日も思う存分かわいがる。
人が通れば邪魔になるし、なによりそう。
今日はとても、大切な約束があるのだから。
「あ、そうだせんせぇ!」
「おー? どうした薫!」
「今日ね、裕美ちゃん! 裕美ちゃんが来てるんだよ! すっごい久しぶりに!」
「……あぁ、知ってるよ」
「え? そうなの?」
びっくりさせようと思ったのにー。
薫のニコニコと不満げな声を聴きながら。
俺はきゅっと、ゆるくなったネクタイをしめなおそうとし……
ネクタイピンが引っかかった。
笑うんじゃない。薫。
――――――――
「おっす裕美。久しぶり……でもないか」
「久しぶり、でいいんじゃないかな?」
「はは、それもそうか」
応接間の真ん中で、数年ぶりかに会う裕美がソファに座っていた。
いや、正確にはおとといの勘違いスカウトからだから2日ぶりなんだが。
裕美のお許しがあるなら久しぶりと言い切ったって神様も許してくれるだろう。
よっと、対面に腰掛ける。
このソファはすごい。
大事な商談などで利用する部屋なのに、ふかふかですわり心地が良すぎていつも気がそぞろになる。
正直に言えば苦手なんだが、さすが、あのちひろさんが奮発しただけはある。
「いや、こうして遊びに来てくれただけでもうれしいさ」
「うん、私も。 ……あれ? そういえば薫ちゃんは?」
「薫なら、お茶入れてきまー! って給湯室にとんでったよ」
「きまー……ふふ、そっか、薫ちゃんは変わらないね。昔からずっと、元気いっぱいで、かわいいな」
「そうだろう、そうだろう!」
「なんでPさんが自慢げなの?」
「そりゃあ自慢だからな! 俺のアイドルはみんな俺の自慢のアイドルだ! もちろん裕美もな!」
「そっか、ふふふ」
「……ははは」
なんとも上品にわらう裕美。
会うのは彼女の高校卒業、イコールでアイドルの引退の時が最後だから、ひいふうみいと6年ぶり。
うすく引かれたアイラインのせいだろうか。
睨んでいるようだと評判だったその表情が、今日は意思を感じさせながらも柔らかい。
なによりその表情と立ち振る舞いは、どこか余裕のようなものがある。
「Pさんが来るまでに何人かとお話しできたけど、みんな、変わらないね」
「確かにそうかもなぁ、ここに残ってる子たちはみんな、タッパばっかり大きくなっちゃって中身はそのまんまだもんで」
「そういうPさんも、今でもみんなにあまあまみたいだね」
「かわいいアイドルを甘やかして何が悪い! 裕美も久しぶりに甘やかしてやろうか?」
「そう。そういうところね」
「……お、おう」
どうにも調子が狂う。
おどけて見せてもにっこりとかわされて……
昔、裕美と話していたころはこんな風ではなかったはずなんだが…
むしろ自分でスカウトした初めての担当アイドルだった分、ほかの子にも増してでれっでれに甘やかしていたし、裕美も嬉しいとか、恥ずかしいとか、何とは言わず強い反応を返してくれた、はず。
コメント一覧
スポンサードリンク
ウイークリーランキング
最新記事
アンテナサイト
新着コメント
LINE読者登録QRコード
スポンサードリンク
なぜか10年後には引退してそうなイメージあるわ