元提督「ホームレスになったった」
九月なのだから当然だが、口に出さずにはいられなかった。
高架橋の下だから大丈夫だと思っていたがそんなことは全然ない。アスファルトの地面は冷たいが出入り口に陣取ってるせいで陽射しは容赦なく挿す。数少ない財産の一つのベンチコートを羽織ったままにしているせいで余計に暑い。
もっと中へ行けばいいだけのことだが、動く気力もない。
夜になるとようやく立ち上がりコンビニに行ってウォッカを一瓶買う。明け方くらいまでダラダラと時間をかけて瓶を空け、そこから先は悪夢を見ているのか、起きてるのかよくわからない地獄みたいな時間を過ごし、たぶん夕方頃にようやく意識がはっきりする。
悪夢を見ないように酒を入れるのに全く逆効果だ。でも飲まずにはいられない。
一体いつまでこんなことをしてる? 一週間後には餓死できるか? 馬鹿らしい見立てだ。
女だ。警官じゃなくてよかった。
顔をあげるとこちらを見下ろしていた目つきのきつい女と目があった。頭の左側で結った髪がなんとなく印象的だ。
「見たことあるな」
「私もあなたを何度も見たことがあります。写真でだけど」
しばらく朧げな記憶を手繰っていくと、彼女の顔は見つかった。確か着任式のとき……
「思い出した。確か正規空母の……」
女の目がより攻撃的になったので、思わず口を閉じる。
「街中でそんなことを言うのは控えてもらいたいです」
女はしゃがんで俺と目線を合わせた。何日も風呂に入っていないし酒ばかり飲んでいたせいでひどい臭いを放っているはずだが、眉も動かさない。
「だから話に来たの。海軍の事情でなくて私の事情で海に出てほしいの」
腹立たしさははっきりした怒りに変わっていた。いきなりやってきて自分の事情に巻き込もうとするなんてどうかしている。
「帰ってくれ。そんな話信じられない。早く。警察に泣きつくぞ」
「赤城さんに関係がある」
「今さら何だ。もう終わったことを……」
「赤城さんはまだ生きている」
胸の中で何かが弾けた気がした。女の襟を掴み、引き寄せる。
「その話を俺の前でするな。彼女は沈んだ。はっきり見た。もう終わったことなんだよ」
「勝手にやればいいだろ。俺は二度と海には出たくない」
「赤城さんに対して少しでも責任を感じてるなら来て損はないわ」
驚いた事に俺は揺れている。彼女にもう一度会えるかもしれない? そんな馬鹿な。しかし彼女は海軍の艦娘だ。こんなところまで来て退役した俺をからかいに来たとは思えない。
もっと考えるより前に言葉が出た。
女はやはり表情を変えない。
「加賀です」
「加賀、だな。話を聞くだけだ。それでいいだろう」
「やっぱりその気になると思いました、提督」
昔の肩書きで呼ばれると胸の奥がちくりとする。嫌味なやつだ。
部屋に着くなり俺はベッドに腰掛けようとしたが加賀は首を横に振って椅子を指した。
オリーブドラブのボストンバッグと長い弓袋が壁に立てかけてある。
「艤装を持ち出したのか!?」
「三ヶ月前、哨戒に出た水雷戦隊が房総半島沖で空母棲鬼に遭遇しました。水雷戦隊と、要請を受けて出撃した横須賀鎮守府第二艦隊と交戦した後にこれを退けて姿を消した」
「連合艦隊と同等の戦力と戦って勝ったのか? 空母棲鬼が?」
「艦載機搭載数、火力、制空能力。どれをとっても既存の艦娘の性能をはるかに上回ってるように私には見えました。まぁそんなことは些細なことです。それより大事なのはあれが赤城さんだったということ」
「加賀は件の深海棲艦と実際に交戦したんだな? なんで……その……彼女だと判断した?」
加賀は小さくため息を吐いて続けた。
「私は赤城さんを沈めてあげたいけど、海軍は今の所は捕獲したがってる。艦娘の深海棲艦化の研究に最近お熱みたいだから……あの人が手術台の上でバラバラにされるのは耐えられない……」
俺が海軍にいたころは極秘中の極秘だったというのに。時は移ろう。
ーー赤城。
彼女は俺のせいで沈んだ。彼女は最後まで俺のために行動してくれたのに俺は全部無駄にした。
きっと捕まればろくでもない扱いを受ける。だったらもう一度海の底に帰してやる方がいいのかもしれない。
だけど……
「勝とうなんて思っていません。刺し違えればそれでよし。装備も揃えています」
「できるなら今すぐ原隊に戻るべきだ。彼女を沈めてやりたいなら一人で立ち向かうのではなくて、鎮守府に戻って連合艦隊の編成を提督に進言しろ」
「ここは譲れません。海軍は一度決めればどんな犠牲を払っても絶対に捕獲しようとする」
「ダメだ。無謀すぎる。強行しようというなら警察を呼んでくる」
「別に構いませんけど、今頃私は艤装を無許可で持ち出した脱走兵扱いよ」
文字通り、乗りかかった船だ。
「どんな風に彼女を倒すんだ? 話せよ」
「その前に、身なりを整えて頂きたいです。見るに堪えない」
加賀から渡された金で銭湯へ行き、服を新調したのはなんとなくみっともないような気がしたが他にはどうしようもないからと考えないようにした。
今年の頭から親密に付き合ってきたベンチコートとも公園のゴミ箱で涙のお別れをして、ホテルに戻ったときには外はすっかり暗くなっていた。
「別人ね」
「久しぶりに人間に戻った気がするよ」
最初に座った椅子に座る。地図は広げたままだった。房総半島から三浦半島の鼻先にかけて大きな楕円が書き足され、円の中や線上に黒い点が13個記されている。
「三ヶ月前から今週の頭まで、赤城さんの姿はそこで確認されています。横須賀鎮守府と館山の哨戒基地が標的になっているのね。鎮守府はわかるけど館山は……なにか思い当たる?」
「彼女の最後の配属先」
それと俺の、と加える気にはならなかった。それ以上追求せずに向かいに座ったのを見るに、知ってて訊いたのだろうか。どこまでも嫌味なやつだ。
加賀は地図を俺の方に寄せて背もたれに寄りかかった。地図はくれるらしい。
「私は補給も受けられないからあの範囲を闇雲に探し回るようなことはできない。だからあなたに羅針盤を回してほしいの」
俺はようやくこの脱走兵がわざわざ落ちに落ちた俺を探し出したのかやっと理解した。
深海棲艦の持つ技術を利用したと言われているあの装置の中身はブラックボックスで、わかっているのは必ず艦隊を敵の潜む場所に導くということと、羅針盤を起動し操作できるのは適性のある人間だけだということだ。
今日の日本海軍において提督とは羅針盤を回すことのできる人間と言ってもいい。
俺も回せるから海軍に行かされた。それまでは海軍となんて何の縁もなかったのに。
「彼女はこの海域に確実にいるのか?」
「今は何とも。明日一度海へ出て回してみる必要があるわ」
「そうだな。ボートは?」
「お膳立てはとっくにしてあるから。あなたは羅針盤を回せばいいの」
「私はもう寝ます。電気消しといて」
そういうと加賀は座ったままパチリと目を閉じた。一つしかないベッドは譲ってくれるらしい。
コメント一覧
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- 2016年02月13日 22:51
- 3行で
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- 2016年02月13日 23:00
- ホームレスに
なった
った
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- 2016年02月13日 23:00
- いまいち
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- 2016年02月13日 23:01
- あ
か
ぎ
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- 2016年02月13日 23:03
- 神作すぎるな
もっとこんな感じの増えて欲しい
改めて轟沈はいけないと理解した
優しいおまいら、これからも轟沈無しで頼むぜ
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- 2016年02月13日 23:11
- ホームレス
から
職場復帰
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- 2016年02月13日 23:13
- 面白かった。次作に繋げれる終わり方だし、続いて欲しいな
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- 2016年02月13日 23:15
- 赤城さんSSだとよく沈むな…
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- 2016年02月13日 23:40
- 1番最初に手に入れる可能性が高いから運用間違えて沈める印象があるのかな?
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- 2016年02月13日 23:43
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個人的に羅針盤の設定が好きやわぁ。
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- 2016年02月13日 23:45
- だめだ、赤城ネタの作品は何回も読んでるのにまた泣いてしまった。
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- 2016年02月13日 23:52
- 半年くらい鎮守府行ってない俺もニートなんだろうな…
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