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1 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:23:34.30 ID:ncUnF1Hsa.n

別に酒を飲んだりごちそうをたべたりしなくても、
気の合つた人間同士の三十分か一時間の会話の中には、人生の至福がひそむ。
「社交について──世界を旅し、日本を顧みる」より






2 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:24:43.65 ID:ncUnF1Hsa.n

大ていわれわれが醜いと考へるものは、われわれ自身がそれを醜いと考へたい必要から生れたものである。
「手長姫」より

小肥りのした体格、福徳円満の相、かういふ相は人相見の確信とはちがつて、しばしば酷薄な性格の仮面になる。
独逸の或る有名な殺人犯は、また有名な慈善家と同一人であることがわかつて捕へられた。
彼はいつもにこやかな微笑で貧民たちに慕はれてゐた。その貧民の一人を、彼はけちな報復の動機で殺してゐたのである。
彼は殺人と慈善とのこの二つの行為のあひだに、何らの因果をみとめてゐなかつた。
「手長姫」より






3 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:25:22.89 ID:0UGjffWE0.n

それまでにも老師を殺そうという考えは全く浮かばぬではなかったが、
忽ちその無効が知れた。何故ならよし老師を殺しても、あの坊主頭とあの無力の悪とは、
次々と数かぎりなく、闇の地平から現れて来るのがわかっていたからである。
おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。
人間は自然もろもろの属性の一部を受け持ち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、
繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。
そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、
一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、
却って滅びの可能性が漂ってきた。人間のようにモータルなものは根絶することができないのだ。
どうして人はそこに気がつかぬのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。
明治三十年に国宝に指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、
とりかえしのつかない破滅であり、人間の作った美の総量の目方を減らすことである。






4 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:27:07.81 ID:ncUnF1Hsa.n

貼ってくれるとはありがたい
 
 
女はあやふやなものに敏感です。あやふやなものを嗅ぎつけると、すぐバカにしてかかります。
経済的主権のあやふやな、現代の大多数の若い男性は、同時に、その性的主権もあやふやなものと見られつつある。
これこそは男性の危機なのである。
「不道徳教育講座 女から金を搾取すべし」より

私の月並な教訓は、一生大した収入ももてそうもない青年は、経済力のある稼ぎ手の女性と結婚して、
せめて自分の性的主権を、男性的威厳を確保すべきだ、ということです。
「不道徳教育講座 女から金を搾取すべし」より






5 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:28:09.50 ID:ncUnF1Hsa.n

お節介は人生の衛生術の一つです。われわれは時々、人の思惑などかまわず、これを行使する必要がある。
会社の上役は下僚にいろいろと忠告を与え、与えられた方は学校の後輩にいろいろと忠告を与えます。
子供でさえ、よく犬や猫に念入りに忠告しています。
全然むだごとで、何の足しにもならないが、お節介焼きには、一つの長所があって、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、
しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です。
なぜならお節介や忠告は、もっとも不道徳な快楽の一つだからです。
「不道徳教育講座 うんとお節介を焼くべし」より






6 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:28:59.82 ID:ncUnF1Hsa.n

地位を持つた男たちといふものは、少女みたいな感受性を持つてゐる。
いつもでは困るが、一寸(ちょっと)した息抜きに、何でもない男から肩を叩かれると嬉しくなるのだ。
「鍵のかかる部屋」より






7 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:30:00.90 ID:ncUnF1Hsa.n

誰でもなかなか本当の自信などもてるものではない。しかし己惚れなら、気持の持ちよう次第で、今日から持てるのです。
「あたしの鼻はどうしてこう低いんでしょう」と思うより、
「あたしの鼻は何てかわいらしい形をしてるんでしょう。アメリカの美容整形って、みんな高すぎる鼻を削ってるんだってね」
と思うほうがいい。しかしこの己惚れにもやはり他人の御追従が、裏付として必要になり、
他人と社会というものが、われわれの必需品である理由はそこにあります。
「不道徳教育講座 できるだけ己惚れよ」より






8 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:30:49.93 ID:ncUnF1Hsa.n

流行は無邪気なほどよく、「考えない」流行ほど本当の流行なのです。
白痴的、痴呆的流行ほど、あとになって、その時代の、美しい色彩となって残るのである。
「不道徳教育講座 流行に従うべし」より






9 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:31:34.98 ID:ncUnF1Hsa.n

男子高校生は「娘」といふ言葉をきき、その字を見るだけで、胸に甘い疼きを感じる筈だが、
この言葉には、あるあたたかさと匂ひと、親しみやすさと、
MUSUMEといふ音から来る何ともいへない閉鎖的なエロティシズムと、むつちりした感じと、その他もろもろのものがある。
プチブル的臭気のまじつた「お嬢さん」などといふ言葉の比ではない。
「美しい女性はどこにゐる──吉永小百合と『潮騒』」より






10 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:32:20.47 ID:ncUnF1Hsa.n

外国人の目には、すべて民族的な服装は美しい。しかし美しいのと、便利とは別である。
日本人は、わりに便利といふことに弱い国民である。
服装は強ひられるところに喜びがあるのである。強制されるところに美があるのである。
「若きサムラヒのための精神講話」より

社会全体のテンポが、早く走れる人間におそく走ることを要求し、おそく走る人間に早く走ることを要求してゐるのである。
これが現代日本の社会のひづみの、おそらく根本原因である。
「若きサムラヒのための精神講話」より






11 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:33:07.22 ID:ncUnF1Hsa.n

世間に尽きない誤解は、「殺人そのもの」と、「殺っちまえと叫ぶこと」と、
この二つのものの間に、ただ程度の差しか見ないことで、そこには実は非常な質の相違がある。
私はイギリスで探偵小説や犯罪推理小説がもっともさかんなのを面白い現象だと思いますが、
あの乙に澄ました英国紳士が殺人の描写を読んで夢中になっているところを想像すると、いかにも自然に思える。
英国人は、「殺っちまえと叫ぶ」国民ではあるが、それは虫も殺さぬ常識人であることと少しも矛盾しません。
いちばん沢山実際に人を殺したのは、あの崇高な理想主義者のドイツ人です。
「不道徳教育講座 『殺っちゃえ』と叫ぶべし」より






12 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:33:58.09 ID:ncUnF1Hsa.n

男というものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めていたのだとわかると、一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるという妙なケダモノであります。
男にとって最高の自慢になることは、彼のやさしい心根や、純情や、あるいは才能や、頭脳を愛されたということではなくて、
正にそのものズバリ、彼の肉体を愛されたということなのである。
これは男性の通性であって、高級な知的な男たると、低級な男たるとを問いません。ところが女性は全然ちがうらしい。
彼女たちは、「私」のほうが「私の体」よりも、ずっと高級な、美しい、神聖な存在だと信じているらしい。
だから、この高級で清浄で美しい「私」をさておいて、
それ以下の「私の体」だけを欲望の対象にする所業はゆるせないのである。
これは奇妙な自己矛盾であって、もし女性が自分の肉体を、高級で、美しくて、神聖なものと信じていたら、
それにあこがれる男の欲望をも、高く評価する筈であるが、
多くの淑女は妙に自分の肉体それ自体を神聖で美しいものと感じない傾きがある。
「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より






13 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:34:46.68 ID:ncUnF1Hsa.n

女性が自分の肉体について持っている考えは二重になっており、「私の体は美しいわ」という自信は、ともすると個性とかかわりのない、
「女一般の肉体として優れている」という感じ方にすぐつながるらしい。女性は自分の肉体に、終局的に、個性と主体性を自らみとめない傾向がある。
これが女性が流行に弱い一つの理由でもあります。
とにかく女の人が自分の体に対して抱いている考えは、男とはよほどちがうらしい。
その乳房、そのウェイスト、その脚の魅力は、すべて「女たること」の展覧会みたいなものである。
美しければ美しいほど、彼女はそれを自分個人に属するものと考えず、何かますます普遍的な、女一般に属するものと考える。
この点で、どんなに化粧に身をやつし、どんなに鏡を眺めて暮らしても、女は本質的にナルシスにはならない。
ギリシアのナルシスは男であります。
「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より






14 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:35:52.27 ID:ncUnF1Hsa.n

人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、無知と迷蒙からしか生れないね。
知つてゐてなほ美しいなどといふことは許されない。
「天人五衰」より

日本で「育ちがいい」といふことは、つまり西洋風な生活を体で知つてゐるといふことだけのことなんだからね。
純然たる日本人といふのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだらう。
日本といふ純粋な毒は薄まつて、世界中のどこの国の人の口にも合ふ嗜好品になつたのだ。
「天人五衰」より






15 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:36:38.68 ID:ncUnF1Hsa.n

男と女の一等厄介なちがいは、男にとっては精神と肉体がはっきり区別して意識されているのに、
女にとっては精神と肉体がどこまで行ってもまざり合っていることである。
女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いずれも肉体と不即不離の関係に立つ点で、男の精神とはっきりちがっている。
いや、精神だの肉体だのという区別は、男だけの問題なのであって、女にとっては、それは一つのものなのだ。
だから亭主の純肉体的浮気に、女房がカンカンになって怒るのは尤もであって、女は女の立場から類推する他はないから、
「体だけの浮気だ」などと亭主がいくら弁解しても、逃げ口上にしか思えない。
「不道徳教育講座 いわゆる『よろめき』について」より

女性がよく知らなければならないことは、嫉妬においても、女の嫉妬と男の嫉妬は完全にちがうということです。
女の嫉妬は、さっき述べたあの同じ根、あの深い宿命の形式から出ています。
しかし男の嫉妬は、それとはちがって、御当人の意識している以上に、社会的性質のものなのです。
虚栄心、自尊心、男性たることの対社会的プライド、 
男性としての能力に関する自負、……こういうものはみんな社会的性質を帯びていて、
これがみんな根こそぎにされた悩みが、男の嫉妬を形づくります。
男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。
そう説明すると、「お前はまだ人生経験が足りない」と言いかえす人があるだろうが、
私もすぐ、「お前さんは自己分析が足りない」と言いかえしてやります。
「不道徳教育講座 いわゆる『よろめき』について」より






16 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:37:47.10 ID:ncUnF1Hsa.n

われわれは死者のことをなるたけ早く忘れたいのです。
憎まれ嫌われていた死者のことほど早く忘れたいのです。
そのためにはほめるに限る。ですから死者に対する賞賛には、何か冷酷な非人間的なものがあります。
死者に対する悪口は、これに反して、いかにも人間的です。
悪口は死者の思い出を、いつまでも生きている人間の間に温めておくからです。
ですから私は死んだら、私の敵が集まって呑んでる席へ行って、みんなの会話をききたいと思う。
「全くいい気味だ。あのいけ図々しいキザな奴がいなくなって、空気までキレイになった」
「本当だよ。あんな阿呆に、よく永いこと世間がだまされていたもんだ」
「あいつはバカの上に大ウソツキで、あいつと五分も話してるとヘドが出そうだった」
こんなことを言っている連中の頭を、幽霊の私はやさしく撫でてやるでしょう。
私はどうしても、ピンシャン生きているうちに私が言われていたのと同じ言葉を、死後もきいていたい。
それこそは人間の言葉だからです。
「不道徳教育講座 死後に悪口を言うべし」より






17 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:38:48.85 ID:ncUnF1Hsa.n

私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知つた。何ら発展しないこと、これが重要だ。
音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるやうに!)
決して発展しないといふこと以上に純粋なことがあるだらうか。
「蘭陵王」より






18 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:39:36.01 ID:ncUnF1Hsa.n

想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝をたのしみます。
そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、磨き立ててぴかぴかに光った。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。
薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。 
「サド侯爵夫人」より






19 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:40:22.10 ID:ncUnF1Hsa.n

やたらに人に弱味をさらけ出す人間のことを私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
それは社会的無礼であって、われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所をみとめるのに、
人も同じように弱いということを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。
そればかりではありません。どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、
あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。
というのは、どんな人間でも、その真実の姿などというものは、不気味で、愛することの決してできないものだからです。
これにはおそらく、ほとんど一つの例外もありません。
どんな無邪気な美しい少女でも、その中にひそんでいる人間の真実の相を見たら、愛することなんかできなくなる。
「不道徳教育講座 告白するなかれ」より

幸福でありすぎるか、不幸でありすぎるときに、ともすると告白病がわれわれをとらえます。
そのときこそ辛抱が肝腎です。身上相談というやつは、誰しも笑って読むのですから。
「不道徳教育講座 告白するなかれ」より






20 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:41:04.99 ID:ncUnF1Hsa.n

「外国のように夫婦そろってどこへでも出かけてたのしむ姿は、夫が妻をいたわる姿は、何と美しいことでしょう。それなのに日本では……」
「外国では、あの慣習に困り切っている。イギリスには、女人禁制のクラブが発達し、ブラジルには、女人禁制の島まであって、
 そこで男たちは女のお喋りをのがれて、のびのびと釣をしている。どこへでも夫婦同伴だから、女房も亭主も、
 たびたび相手の一寸(ちょっと)した精神的浮気まで目撃しなければならん。(中略)
 スペインや日本のような古風ゆかしき国で、女房を家にとじこめて、亭主ばかり外出するのは、まことに当を得た美風である。
 これがお互いに倦怠期防止策になるし、家へかえれば亭主も一層やさしくなる。人前では女房を叱るが、二人きりの時はいたわる。
 偽善というものが少しもない。大体、男女というものは、色事以外は、別種類の動物であって、興味の持ち方から何からちがうし、
 トコトンまでわかり合うというわけには行かないのであるから、どこへも男女同伴夫婦同伴などというのは、人間心理をわきまえぬ野蛮人の風習である」
………………。かくの如く、日本がいいという点を並べ立てれば、日本がわるいという点と、丁度同点になるに決まっています。
日本は日本であって、何ということはありません。ゲーテはドイツ人の悪口を言いつづけながら、国民的文豪になりました。
ただゲーテは、ちゃんと、「ドイツ人は悪い」とか「ドイツは悪い」とか、名ざしで堂々と非難しました。
よく日本の悪口を言うときのように、「どこかの国では」などと、女性的アテコスリの言辞なんか弄しませんでした。
ゲーテは全く偉かった。そこへ行くと日本人は。……(?)
「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より






21 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:41:51.49 ID:ncUnF1Hsa.n

遊び、娯楽、といふものは、むやみと新らしい刺戟を求めることでもなく、
阿片常習者のやうな中毒症状を呈することでもなく、お金を湯水のやうに使ふことでもなく、
日なたぼつこでも、昼寝でも、昼飯でも、散歩でも、現在自分のやつてゐることを最高に享楽する精神であり才能であらう。(中略)
プロ野球見物と庭の水まきと、どつちが現在の自分にとつてもつともたのしいか、といふことに、
自分の本当の判断を働らかすことが、遊び上手の秘訣であらう。
世間の流行におくれまいとか、話題をのがさぬやうにとか、「お隣りが行くから家も」とか、
「人が面白いと言つたから」とか、……さういふ理由で遊びを追求するのは、
人のための遊びであつて、自分のための娯楽ではないのである。
「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より






22 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:42:40.50 ID:ncUnF1Hsa.n

西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。
その上、生活における様式の統一といふことを重んじる。
手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風にデザインしなければならん。
コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用なことは、西洋人にはできない。(中略) 
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。
これが日本式ゼイタクであり、西洋へのあこがれといふダンディズムである。
裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的であるといふことが、どうしてもわからないのである。
「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より






23 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:43:26.66 ID:ncUnF1Hsa.n

皿の外へ飛び出した少年のカツレツを、笑うことのできなかった老貴族たちは、不幸な人たちでした。
彼らは生まれつきのしつけと、エチケット的教養で、人間自然の心を抑えつけてしまったのです。
冬、凍った路上で見事にころぶ人だとか、風のひどい日に、自分の帽子をけんめいに追いかけてゆく人だとか、
そういう気の毒な人たちを笑う気持が、われわれの心を世界に結びつけます。
世界を結ぶ環は、人類愛なんぞではなくって、むしろ無邪気な嘲りの哄笑だと私は思います。
「不道徳教育講座 人の失敗を笑うべし」より

戦時中の日本の女性で、アメリカの俘虜を見て、「お可哀想に!」と言ったので、問題を起した事件があったが、
私はこういう、嘲笑を欠いたセンチメンタルな同情と、好戦主義とは、紙一重だと思います。嘲ることができないので、人は戦うのです。
嘲られていちいち決闘していた西洋中世の武士たちは、やっぱり、野蛮人の一種であったと思われる。
ギリシアの喜劇、アリストファネスの「雲」では、ソクラテスがめちゃくちゃに劇画化されているが、ソクラテス自身も多分観衆の間にまじって、
自分の漫画が舞台の上に動いているのを、ゲラゲラ笑いながら見ていたらしい。ソクラテスは、自分の失敗を笑われるという快楽を知っていたらしいのです。
これは正(まさ)しく賢人の快楽で、このごろのインテリのように、無学と思われることを死ぬほど恥かしがる、みみっちい自尊心なんか持っていませんでした。
「不道徳教育講座 人の失敗を笑うべし」より






24 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:44:10.89 ID:ncUnF1Hsa.n

英語で一番好きな言葉は何かときかれたら、私は、それはフー・ノウズだと答えましょう。すなわち、Who knows? であります。
何でもない言葉だが、こいつはちょっと訳しにくい。直訳すれば、「誰が知ろう」ということになるが、それでは何の面白味もない。
この言葉の裏にはどうやら、「天知る。地知る。我知る」というニュアンスがあるのです。その上での「フー・ノウズ」なのであります。
たとえば子供が、両親の顔を見計らって、踏み台に乗って、茶ダンスの上のお菓子の箱の蓋をあけ、一つ失敬する。
あとはそしらぬ顔をして、内心呟くには、「フー・ノウズ」
これが正にこの言葉の味わいで、たった今台所からお魚を一枚失敬した猫が、沿岸の日向へ来て、何喰わぬ顔で、お化粧をしていたりする。
この何喰わぬ顔というやつが、「フー・ノウズ」なのであります。
亭主が会社の宴会といつわって、タイピストと温泉マークへしけ込み、適当な時刻に悠然と奥方のもとへ御帰館になり、
「全く男の附合の煩わしさには閉口だよ」などとのたまう。これがすなわち、「フー・ノウズ」であります。
「不道徳教育講座 フー・ノウズ」より






25 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:44:57.40 ID:ncUnF1Hsa.n

子供の遊びは無目的、それでいて真剣そのものでしょう。
夕方、御飯になって遊びと別れるときの、あの辛さ、ああいう辛さがなかったら、文学はビジネスにすぎなくなる。
御飯は生活です。誰でも御飯はたべなくちゃならない。
しかし「御飯ですよ」と呼ばれるまで、御飯の時間を忘れていられるような真剣な遊びを毎日みつけなくてはね。
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より






26 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:45:45.92 ID:ncUnF1Hsa.n

はつきりいつてしまふと、学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。(中略)
先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろつてゐて、かういふ先生は学生たちとよくウマが合ふ。
「をはりの美学 学校のをはり」より

本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだつたんだ」と気がつくことです。
学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、
「大学をでたから私はインテリだ」と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、
したがつて彼または彼女にとつて、学校は一向に終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。
「をはりの美学 学校のをはり」より






27 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:46:39.33 ID:ncUnF1Hsa.n

人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。
三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味ですが、
同時に、小説家のほうが読者より人生をよく知っていて、人に道標を与えることができる、などというのも完全な迷信です。
小説家自身が人生にアップアップしているのであって、それから木片につかまって、一息ついている姿が、すなわち彼の小説を書いている姿です。
「不道徳教育講座 小説家を尊敬するなかれ」より






28 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:47:22.81 ID:ncUnF1Hsa.n

どうも、日本人が見かけばかり国際的になつて、外人と平気で友だち附合をし、時には英語で喧嘩もし、
外人に対して卑屈にならず、日本人に対して傲慢にもならず、……という風に、
近ごろの若い人ほどそうなってゆきますが、それで立派な日本人ができつつあるかというと、そうもいえないのです。
卑屈な日本人のほうがずっと勉強家で、ずっと立派な業績を残したとあっては、私は「オー・イエス」でも何でもいいじゃないか、という気になります。
勉強して、立派な業績を残せば、外人がどう思ったって、相客の若造がどう思ったって、そんなことはとるに足らぬことではないでしょうか。
「不道徳教育講座 オー・イエス」より






29 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:48:15.11 ID:ncUnF1Hsa.n

少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。
見るか見ぬかの一瞬のうちの変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。
それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。
彼は太陽の本質を見たと思つた。……しばらくはいたるところに、太陽の白い残影を見た。
叢にも。木立のかげにも。目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。
そして、目に一度宿つたのちは、そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
「剣」より






30 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:49:04.22 ID:ncUnF1Hsa.n

芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸ふことはできない。
四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。
「文学座の諸君への『公開状』──『喜びの琴』の上演拒否について」より






31 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:49:46.27 ID:ncUnF1Hsa.n

フランス語の単語を五千知っているのと、胸囲が一米十センチあるのと、どっちが立派なことかというと、甲乙がつけにくいというのが私の考えだが、
世間はもちろん単語五千のほうへ軍配をあげます。世間の女房というものもそうだ。
「うちの主人も今度課長になりまして」とか、「宅も自動車を買ったものですから」とか、くだらない自慢ばかりしている。
「主人の胸囲は一米十センチございますのよ」とか、「主人の上膊は三十八センチですのよ」とか自慢しているのをきいたことがない。
こういうことは、女性の大きなまちがいで、男性は女性の好むところに従って行動しようとするものですから、
胸囲を十センチふやす手間を惜しんで、課長になったり、自動車を買ったりすることばかりに熱中する。
その結果女性は、一人の完全な男を失うのです。男の肉体ははかないものである。
一文にもならないし、社会的に無価値で、誰にもかえりみられず、孤独で、
……せいぜいボディ・ビルのコンテストへ出て、人に面白がられるぐらいのことしかできない。
現代社会では、筋肉というものは哀れな、道化たるものにすぎない。だからこそ、私は筋肉に精を出しているのであります。
「不道徳教育講座 肉体のはかなさ」より






32 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:50:32.12 ID:ncUnF1Hsa.n

人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいえない。
駅の前の待ち人たちは、欠乏による幸福という人間の姿を、一等よくあらわしているといえましょう。
「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より






33 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:51:15.20 ID:ncUnF1Hsa.n

傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子(くさりかたびら)を織るものだ。
そして往々この鎖帷子が自分の肌を傷つけてしまふ。しかしこんな傷を他人に見せてはならぬ。
君が見せようと思ふその瞬間に、他人は君のことを「不敵」と呼んでまさに讃(ほ)めようとしてゐるところかもしれないのだ。
「小説家の休暇」より

われわれが文明の利便として電気洗濯機を利用することと、水爆を設計した精神とは無縁ではない。
「小説家の休暇」より

典型的な青年は、青春の犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。
生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。
貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。
「小説家の休暇」より






34 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:51:59.12 ID:ncUnF1Hsa.n

悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて?
幸福な人には景色なんか要らないんです。
「鹿鳴館」より

政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。
この世を動かしてゐる百千百万の憎悪の歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ。
愛情なんぞに比べれば、憎悪のはうがずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。
「鹿鳴館」より






35 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:52:42.17 ID:ncUnF1Hsa.n

友人がプラスティックの入れ歯を五本も入れたと言って自慢して、やたらに歯をむき出してみせる。
「何がいいんだろう」「まるで白いタイルだね」「そのタイルに富士山の絵でも描いたらどうだ」などと、われわれは悪口を言います。
──それで思い出すのは、ニューヨークで会ったフランク・シナトラの従弟という青年が、怪我でグニャグニャになってしまった鼻梁を立て直すために、
ラス・ヴェガスへ行って整形手術をして、そこでプラスティックの鼻柱を入れてもらう、と自慢していたことです。
人間はどうしてこんなことを自慢するのでしょうか?
見場のよくなったことは確かでしょうが、プラスティックは死んだ物質で、もはやわれわれの生体の一部ではありません。
ところがよく考えてみると、われわれの自慢するものは、たいてい死んだ物質であって、本当の生体の一部ではない。
お金持が自分のもっているお金を自慢する。大邸宅を自慢する。一九六ニ年型の新車を自慢する。
もっとささやかなところでも、カフス・ボタンの自慢をする。スイス製の腕時計の自慢をする。
……これはみんな要するに、「死んだ物質」の自慢をしているのです。そしてそれらの「死んだ物質」が、それを持っている人間を、
持たない人間より立派に、見場がよく見せる点では、プラスティックの歯と同じことです。
「不道徳教育講座 プラスティックの歯」より






37 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:54:17.95 ID:ncUnF1Hsa.n

人生のいちばんはじめから、人間はずいぶんいろんなものを諦らめる。
生れて来て何を最初に教はるつて、それは「諦らめる」ことよ。
そのうちに大人になつて不幸を幸福だと思ふやうになつたり、何も希まないやうになつてしまふ。
「夜の向日葵」より

幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。
「夜の向日葵」より






38 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:55:01.16 ID:ncUnF1Hsa.n

何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。
明日にのこつてゐる繕ひものとか、明日立つことになつてゐる旅行の切符とか、明日飲むことにしてある罎ののこりの僅かな酒とか、
さういふものを人は明日のために喜捨する。そして夜明けを迎へることを許される。
「愛の渇き」より

生れのよい人間は滅多に風流なんぞ染つたりはせぬものだ。
「愛の渇き」より

人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、
生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。
「愛の渇き」より






39 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:55:45.98 ID:ncUnF1Hsa.n

「大内先生を想ふ」
ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。
ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。
それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。
平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文






40 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:56:28.76 ID:ncUnF1Hsa.n

「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞えた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文






41 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:57:21.46 ID:ncUnF1Hsa.n

私はテレヴィジョンでごく若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、
日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しにされてもよく、
それによつて世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、
これがそのまま、戦時中の一億玉砕思想に直結することに興味を抱いた。
一億玉砕思想は、目に見えぬ文化、国の魂、その精神的価値を守るためなら、保持者自身が全滅し、
又、目に見える文化のすべてが破壊されてもよい、といふ思想である。
戦時中の現象は、あたかも陰画と陽画のやうに、戦後思想へ伝承されてゐる。
このやうな逆文化主義は、前にも言つたやうに、戦後の文化主義と表裏一体であり、
文化といふもののパラドックスを交互に証明してゐるのである。
「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より






42 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:58:05.57 ID:ncUnF1Hsa.n

われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、
平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。
われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、
肉体の死ぬことばかり恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。
しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、
この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。
「革命哲学としての陽明学」より






43 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:58:52.76 ID:ncUnF1Hsa.n

私が一番好きな話は、多少ファナティックな話になるけれども、
満州でロシア軍が入ってきたときに──私はそれを実際にいた人から聞いたのでありますが──
在留邦人が一ヵ所に集められて、いよいよこれから武装解除というような形になってしまって、
大部分の軍人はおとなしく武器を引き渡そうとした。その時一人の中尉がやにわに日本刀を抜いて、
何万、何十万というロシア軍の中へ一人でワーッといって斬り込んで行って、たちまち殴り殺されたという話であります。
私は、言論と日本刀というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。
一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、そういうものを暴力という。
つまり一人の日本刀の言論だ。
「国家革新の原理──学生とのティーチ・イン」より






44 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/16(火) 23:59:51.42 ID:ncUnF1Hsa.n

人間の野心といふものは衆にぬきん出ようとする欲望だが、
幸福といふものは皆と同じになりたいといふ欲求だ。
「クロスワード・パズル」より






45 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:00:58.79 ID:1y+ww1Kxa.n

男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
「第一の性」より

変はり者と思想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。
どちらも、説明のつかないものに対して、第三者からはどう見ても無意味なものに対して、頑固に忠実にありつづける。
「第一の性」より






46 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:01:47.75 ID:1y+ww1Kxa.n

あふれるばかりの精力を事業や理想の実現に向けてゐる肥つた醜い男などは何といふ滑稽な代物でだらう。
みすぼらしい風采の世界的学者などは何といふ珍物であらう。
仕事に熱中してゐる男は美しく見えるとよく云はれるが、もともと美しくもない男が仕事に熱中したつて何になるだらう。
「美徳のよろめき」より

女に友情がないといふのは嘘であつて、女は恋愛のやうに、友情をもひた隠しにしてしまふのである。
その結果、女の友情は必ず共犯関係をひそめてゐる。
「美徳のよろめき」より






47 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:02:39.01 ID:1y+ww1Kxa.n

世の中にいつも裸な真実ばかり求めて生きてゐる人間は、害して鈍感な人間である。
「私のきらひな人」より

親しいからと云つて、言つてはならない言葉といふものがあるものだが、
お節介な人間は、善意の仮面の下に、かういふタブーを平気で犯す。
「私のきらひな人」より






48 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:04:54.71 ID:1y+ww1Kxa.n

小説家における人間的なものは、細菌学者における細菌に似てゐる。
感染しないやうに、ピンセットで扱はねばならぬ。言葉といふピンセットで。
……しかし本当に細菌の秘密を知るには、いつかそれに感染しなければならぬのかもしれないのだ。
そして私は感染を、つまり幸福になることを、怖れた。
「施餓鬼舟」より






49 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:06:34.80 ID:1y+ww1Kxa.n

人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく見える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、
一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払ふにすぎない。
かうした人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。
なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶然事のはうに、あらはに印されてゐるのだから。
恋し合つてゐる者同士は、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。それだけならふしぎもないが、憎み合つてゐて、
お互ひに避けたいと思つてゐる同士も、よく偶然に会ふ羽目になるものだ。
この二例を人間の論理で統一すると、愛憎いづれにしろ、関心を持つてゐる人間同士は否応なしに偶然に会ふといふことになる。
人間の論理はそれ以上は進まない。
「美しい星」より






50 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:07:31.05 ID:1y+ww1Kxa.n

いくら人間が群をなして集まつても、宇宙法則の中で『生命』といふものが例外的なものにすぎないといふ
無意識の孤独感は拭はれず、人間はとりわけ物に、無機物き執着します。
金貨と宝石とは人間の生命と生活に対する一等冷淡な対立物であるにもかかはらず、さういふ物質をとらへて、
人間的色彩をこれに加へ、人間的臭気をこれに与へることに人々は熱中して来ました。
そのうちに人間は物に馴れ親しみ、物の運動と秩序のなかに、人間の本質をみつけ出すやうにさへなつたのです。
そして有機物にすら、生きて動いてゐる猫にすら、人間の惹き起す事件にすら、
いや、人間そのものにすら、物の属性を与へなくては安心できぬやうになつた。
物の属性を即座に与へることが事物に完結性の外観をもたらし、人間が恒久性の観念と故意をごつちやにしてゐる『幸福』の外観をもたらすからです。
「美しい星」より






51 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:08:43.42 ID:1y+ww1Kxa.n

思想といふものは、古からうが、新らしからうが、所詮は人間の持物で、
その思想にふさはしい器となる人物は、とにかく魅力を持ちつづける。
「憂楽帳 思想の容器」より






52 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:10:38.29 ID:1y+ww1Kxa.n

われわれが美しいと思ふものには、みんな危険な性質がある。
温和な、やさしい、典雅な美しさに満足してゐられればそれに越したことはないのだが、
それで満足してゐるやうな人は、どこか落伍者的素質をもつてゐるといつていい。
「美しきもの」より






53 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:11:50.77 ID:1y+ww1Kxa.n

人生では知らないことだけが役に立つので、知つてしまつたことは役にも立たない。
「裸体と衣装」より

子供たちの目はまだ見ぬ世界への夢に輝いてゐる。
この子供たちこそ世界を所有してゐるので、世界旅行は世界を喪失することだ。
尤も、生きるといふことがそもそも人生をなしくづしに喪失してゆくことなのであるから、人間の行為と所有とは永遠に対立してゐる。
「裸体と衣装」より






54 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:12:39.67 ID:1y+ww1Kxa.n

男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。
「虚栄について」より






55 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:13:36.60 ID:1y+ww1Kxa.n

無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。
無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。
近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
「川端康成氏再説」より






56 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:14:24.90 ID:1y+ww1Kxa.n

ちやうど年寄りの盆栽趣味のやうに、美といふものは洗練されるにつれて、一種の畸型を求めるやうになる。
「反貞女大学」より






57 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:15:23.63 ID:1y+ww1Kxa.n

自分の最初の判断、最初のねがひごと、そいつがいちばん正しいつてね。
なまじ大人になつていろいろひねくりまはして考へると、却つて判断をあやまるもんだ。
婿えらびをする能力といふものは、もしかしたら、三十五歳の女より、十六歳の少女のはうが、ずつと豊富にもつてゐるのかもしれないんだぜ。
「恋の都」より






58 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:16:22.31 ID:1y+ww1Kxa.n

愛するといふことにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。
男は愛することにおいて、無器用で、下手で、見当外れで、無神経、蛙が陸を走るやうに無恰好である。
どうしても「愛する」コツといふものがわからないし、要するに、どうしていいかわからないのである。先天的に「愛の劣等生」なのである。
そこへ行くと、女性は先天的に愛の天才である。どんなに愚かな身勝手な愛し方をする女でも、そこには何か有無を言わせぬ力がある。
男の「有無を言わせぬ力」といふのは多くは暴力だが、女の場合は純粋な精神力である。
どんなに金目当ての、不純な愛し方をしてゐる女でも、愛するといふことだけに女の精神力がひらめき出る。
非常に美しい若い女が、大金持の老人の恋人になつてゐるとき、人は打算的な愛だと推測したがるが、それはまちがつてゐる。
打算をとほしてさへ、愛の専門家は愛を紡ぎ出すことができるのだ。
「愛するといふこと」より






59 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:17:21.88 ID:1y+ww1Kxa.n

処女だけに似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。
それは成熟した女の淫蕩とはことかはり、微風のやうに人を酔はせる。
それは可愛らしい悪趣味の一種である。
たとへば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。
「仮面の告白」より






60 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:18:15.64 ID:1y+ww1Kxa.n

女は決して征服されない。決して!
男が女に対する崇敬の念から凌辱を敢てする場合がままあるやうに、
この上ない侮蔑の証しとして、女が男に身を任す場合もあるのだ。
「禁色」より






61 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:19:03.10 ID:1y+ww1Kxa.n

人間の弱さは強さと同一のものであり、美点は欠点の別な側面だといふ考へに達するためには、年をとらなければならない。
「青の時代」より

感動すまいとする分析家は、感動以上の誤りを犯す場合がままある。
「青の時代」より






62 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:21:43.05 ID:1y+ww1Kxa.n

何かを拒絶することは又、その拒絶のはうへ向つて自分がいくらか譲歩することでもある。
譲歩が自尊心にほんのりとした淋しさを齎(もた)らすのは当然だらう。
「天人五衰」より

この世に一つ幸福があれば必ずそれに対応する不幸が一つある筈だ。
「天人五衰」より






63 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:23:14.48 ID:1y+ww1Kxa.n

この世には幸福の特権がないやうに、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もゐません。
あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。
もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかつたり、特別に悪(わる)だつたり、
さういふことがあれば、自然が見のがしにしておきません。
「天人五衰」より

老いは正(まさ)しく精神と肉体の双方の病気だつたが、老い自体が不治の病だといふことは、
人間存在自体が不治の病だといふに等しく、しかもそれは何ら存在論的な病ではなくて、
われわれの肉体そのものが病であり、潜在的な死なのであつた。
衰へることが病であれば、衰へることの根本原因である肉体こそ病だつた。
肉体の本質は滅びに在り、肉体が時間の中に置かれてゐることは、衰亡の証明、滅びの証明に使はれてゐるこに他ならなかつた。
「天人五衰」より






64 名前: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 投稿日:2016/02/17(水) 00:24:35.69 ID:1y+ww1Kxa.n

忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に差し上げたい一心で握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。
その結果、もし陛下が御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、
あるひは、「こんな不味いものを喰へるか」と仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことがあつた場合も、
顔に飯粒をつけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。
又もし、陛下が御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、ありがたく腹を切らねばなりません。
何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は万死に値ひするからです。
では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに置いたらどうなりませうか。
飯はやがて腐るに決まつてゐます。
これも忠義ではありませうが、私はこれを勇なき忠義と呼びます。
勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に作つた握り飯を献上することであります。
「奔馬」より






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