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こちらはコメントにて当サイトに直接投稿いただきました記事です
【名無しの鬼女】 さんありがとうございます!

[投稿日時] 2016年03月03日 16:53○
■体験談

もう十年以上前の事だし、思い出すたびに色々モヤモヤしてしまう話。

 私が高校三年生の頃だった。副担任が産休に入るために代わりにやってきた教師がSだった。当時28歳くらいだったと思う。背が高くて色白でメガネの、真面目そうな(現にかなり真面目だった)印象だった。副担任は担任がいない時にHRに来るくらいで、私たちの教科担当に当たっていたわけでも部活顧問だったわけでもなかったので、その時は特にあまりどうということは無かった。
 二年生になって、私が所属していた写真部の前顧問が定年退職したのを機にSが新しい顧問になった。とはいえ、写真はほぼやったことがなく、カメラの使い方もいまいち怪しい感じだったのだけれど、生真面目だったSは独学で勉強して短期間でかなり私たちと話せるようになってきた。そのころからSとはよく話すようになっていった。





 
 ある日、私はファンである写真家が個展をやるというので休みの日に一人で見に行った。そこにSもいた。聞けば、部活のためにいろいろ勉強しておきたいと思ってこうやって個展を見て回っていたんだと。この人の取る写真は透明感があって良いよね、と言われ、そうそう!そうなんです!と盛り上がり、気づけば一緒に個展を見て回っていた。

 帰りには会場の中にあった小さい喫茶スペースで一緒に缶ジュースを飲みながらけっこう長い時間話していた。
 学校で見るSはどちらかと言えばあまり話す方じゃない(部活では必要なことだけ話す感じ)のに、こんなにしゃべる人だったんだなぁ。こんなに笑う人だったんだなぁ。と、気づけばSに惹かれている自分がいた。
 
 とはいえ相手は教師。写真の事しかしゃべって無かったけれど、彼女いるかもしれないし、相手にしてもらえないんじゃないかとひたすらもんもんとする日々が続いた。
 仮に付き合えたとしてもばれたらとんでもないことになるのも怖かった。
 臆病だった。部活では普通に振る舞えたけれど、たった1回一緒に過ごしただけで意識してもらえてるわけもないし。当時は携帯電話がまだあまり普及してない頃だったので、(画面に色がつき始めの頃)連絡手段といえば電話か手紙とハードルが高かった。
 私の周りでは次々友人が彼氏をつくっていた。「あんたもつくりなよ」と言われたが、「そのうちねー」と流すのがせいいっぱいだった。
 このまま黙ったまま卒業してしまおうか。告白して振られたら部活に来づらいし。そう思い、卒業まで思いを伝えることはなかった。

 卒業式から2日たったころ。家に電話がかかってきた。
 弟が取り、「姉ちゃん、何か学校から電話」というので取ったらSだった。
部活で取った写真を渡し忘れたので、明日か明後日来られないかという。
 もうSに会うことはないだろな、と思っていただけに驚いたけれど、翌日行くことにした。
 
 そうして部室でSに告白された。ずっと見ていた。卒業するまで待っていた。付き合ってほしい、と。
 泣きながらOKした。
 
 しかし、間もなくSは、同じ県内の、車で3時間離れた場所に転勤になってしまった。「大丈夫、休みの日とか会えるから。ね」と言われた。寂しかったが仕方がなかった。私は地元の大学に進んだので、中距離恋愛でしばらく頑張ることになった。
 メールは毎日だった。でも、一日1通、多くて2通。電話はほぼ無かった。
 会えるのは月1~2回。誰かの個展がある日にそこに行き、帰りは喫茶店に行き、家まで送ってもらって帰る。この繰り返しだった。
でも、Sに会えるのが嬉しくて、寂しいけれど、我慢した。それが二年くらい続いた。

 大学の友達には、「あんたそれ、付き合ってるって言えないんじゃない?」
「どっか別なとこ行きたいっていいなよ」「お泊りしたいとかさ」と散々に言われた。
 全く言わなかったわけじゃない。何度か言った。でもそのたび、「また今度ね」と言われるばかりだった。
 クリスマスもほぼ会えなかった。誕生日、私はバイト代を貯めて買った鞄をプレゼントしたのだけれど、私の誕生日の時は誕生日カード1枚だった。(しかも、書店とかで売ってるのを買ってきて中身一切書かずまっさらなまま)
 「いやいやいや、ありえないし!」「そいつ女いんじゃね?」「やめなよ」
 至極まっとうな意見だったと思う。でもあのころの私は、ずっと思い続けてきた初恋を終わらせたくなかった。だから私さえ我慢すればいいんだと言い聞かせてしまった。典型的デモデモダッテ女だ。
 
 大学を卒業し、社会人になった頃、一緒に泊まりに行こう、と誘いがあった。嬉しくて舞い上がってしまった。
 今では信じられないかもしれないが、今までSとの体の関係は一切なかった。キスどまりだったから、もしかして先に進めるのかも!と下着を買いに走った。わくわくしながら当日を迎えた。
 
場所はSのアパート。Sの住んでいる地元で、写真好きたちが自分たちの写真を持ち寄って展覧会をするというのに、Sも参加していたのだ。それを見て、スーパーで買い出しして、部屋に行った。
 部屋はほぼ物がなかった。何をどうすればこうなるのかというくらい。けれどカメラだけは3~4台、フィルム、レンズなどがけっこうあって、Sがすっかり写真好きになったんだと分かった。
 「いやー、写真を始めてから、地元の写真サークルとかでいろんな人と知り合いになってね、休みの日とか一緒に撮りに行くんだよ。すごく楽しいんだ」
 Sは笑っていた。
 私と会うより、その人たちの方が大事なんだ、という言葉を飲みこんでしまった。
 そして・・その夜は、何もなく終わった。
 
 Sは私の事は本気ではないんだ。私は段々疲れを感じてきていた。いや、ずっと溜まっていた疲れがここにきてごまかしきれなくなってきたのだろう。
 そうした矢先にプロポーズされた。指輪も渡された。
 私はここでまた浮かれてしまった。先の未来をちゃんと考えてくれていたんだと分かって嬉しかった。結納の日取りの相談もあった。

けれど、勢いはそこまでで、また個展、喫茶店、家の繰り返しの日々が再び始まった。
 婚約は一応しているけれど、このまま結婚していいものかと悩む自分がいた。気持ちを話しても「大丈夫、今予定を組んでるから。後で話すよ、何も心配いらないからね」と言うばかりだった。
 
 このころから、友達や同僚に「どうしたの、無表情で」と言われることが多くなった。笑っているつもりなのに、顔は無表情。食欲も落ち、会えない休日は家に引きこもるようになってしまっていた。
 結婚が決まって幸せなんだ、これ以上何がある、と自分に言い聞かせながら。

 ある日、幼馴染のA子が家に遊びに来ることがあった。A子は結婚していて、飛行機の距離に住んでいたのだけれど、たまたま旦那さんの都合で地元に帰ってきたのだという。
 久しぶりに会って開口一番、「あんた・・ダメじゃない!」と言われて泣かれた。いきなり泣き出されてビックリした。とりあえず部屋に上がってもらった。

A子いわく、今にも死にそうな顔をしていた、と。
 「結婚が決まったっていうから、もっと幸せそうな顔してると思ったのに!」「どういう事なの!」と泣きながら言われ、気づけば私も泣きながら事情をとつとつと語っていた。
 「あんたバカでしょう!何よ、プレゼントがカード一枚なんてふざけてるわよ!喫茶店は奢ってくれるのかもしれないけど、そんなのありえない。私が許せないのは、Sってやつがあんたをこんな顔にしといて平気なところよ。バカじゃないの、目をさましなさいよ、あんた全然幸せそうじゃないじゃない!」
 泣きながら、肩を揺さぶられながら言われて、ようやく目が覚めた。
 
 その日のうちに、A子立ち合いのもと別れの電話をした。Sは最初は驚いていたけれど、「あと少し我慢してくれれば一緒になれたのに。我慢できないようなら先は無いよね。」とあっさり、それっきりだった。

 泣いた。わあわあ泣いた。そんな私に、A子は「五年もよく頑張ったね。でももう、我慢する必要ないんだよ。あんたまだ23じゃん。これからだよ~」と一緒に泣いてくれた。A子が帰ってからもしばらく泣いた。でも、それも二日くらいのことだった。悲しいというより、「すっきりした」という自分がいた。
それから数年後、中学の同級生と再会、お付き合いしたのち結婚した。今では子供も二人いる。
 今の旦那と付き合ってからは驚くことばかりだった。
 行きたいという場所に連れて行ってくれる、何が食べたいか聞いてくれる、私が好きそうなものの情報を集めて、話してくれる。プレゼントがカード1枚じゃない。
 あの時あのまま結婚していたらどうなったのかと、考えただけでぞっとする。
 Sのその後は一切知らない。
 周りの友人の意見に一切耳を貸さずに自分で自分の首を絞めていたバカな私の目を覚まさせてくれたA子とは、今も家族ぐるみで付き合いが続いている。


 長い上に乱文すみません。以上です。
 


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