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TV番組「ゲームセンターあらし作者は漫画を捨てて成功した」→本人が反論ツイート。その好奇心と情熱の半生はもっとすごかった!
 

TV番組「ゲームセンターあらし作者は漫画を捨てて成功した」→本人が反論ツイート。その好奇心と情熱の半生はもっとすごかった!


 漫画「ゲームセンターあらし」の作者であるすがやみつる氏が自らの半生を語ったツイートが話題となっている。

 きっかけは3月1日に放送された「中居正広のミになる図書館」(テレビ朝日)で、同じく80年代に活躍した「つるピカハゲ丸」作者のむらしんぼ氏と比較され、一方は「漫画にしがみついた負け組」、一方は「漫画を捨てた勝ち組」と紹介されたことだった。

ゲームセンターあらし (1)つるピカ ハゲ丸 1 (てんとう虫コロコロコミックス)
 ※左:ゲームセンターあらし1巻 右:つるピカハゲ丸1巻 (Amazonリンク)


 番組の詳しい内容についてはこちらの記事参照。以下引用。

人気マンガつるピカハゲ丸とゲームセンターあらしの作者、対象的な人生 (マイナビ)
 

 つるピカハゲ丸ののむらしんぼ先生は全盛期に手に入れた家も貯金も家族もすべて失ったと語る。(中略) つるピカハゲ丸の大ヒットでは、アニメ化などで2億円の収入を得た。だが不動産を購入したことが良くなかった。バブルがはじけて不動産価格が大暴落。1995年にはつるピカハゲ丸も連載終了。(中略)そのため生活に困り、仕事場の家賃は325万円分もの滞納を続けていた。また離婚もした。「漫画と心中してください」と言われ妻に去られた。だが漫画に命をかけているという。



 当時、我々ファミコン世代はばりばりの小学生。ハゲ丸とかおぼっちゃまくんとか読みまくったなあ。私は地味にゾンベエとか好きだったけど。まさかつるせこー!の、のむら先生がそんなことになっていたとは……

 ゲームセンターあらしのすがやみつるは、絶頂期に1億円を稼いだものの、少年漫画は3年でやめた。(中略)一気に売れることよりも大人向けのハウツーを書くことを選択。(中略)それがあたって、年収は4,000~5,000万円をキープ。しかし飽きが来て小説家やパソコンの専門書を書くなどしたが、また飽きてやめた。早稲田の修士に通い、経歴を活かして大学教授となった。



 なるほど、一方のすがや先生は漫画にこだわらず、次々とビジネスをかえて成功したわけだ。


 しかし、テレビ番組やそれを伝えるネットメディアを見て違和感をおぼえるファンが続出。そんな状況を「悲しい」となげいたのは、すがや先生本人だった。


 さっそく同氏はツイッター上で「ゲームセンターあらし」をやめた理由や、その後、学習マンガ、小説と活躍の場を移していった経緯をツイート。その好奇心と情熱にあふれた半生に、多くのネットユーザーから称賛の声があがっている。

【本人】すがやみつる先生の人生 (togetter)


 その中で気になったツイートをいくつかピックアップさせて頂きます。

こんにちはマイコン 2―プログラム入門 まんが版 (ワンダーライフコミック)こんにちはマイコン 2―プログラム入門 まんが版 (ワンダーライフコミック)
すがやみつる

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 「ゲームセンターあらし」はゲーム人気に乗った他力本願的な作品と自ら冷静に分析。「学習マンガ」へ目を付けたところはさすがである。しかも子ども向けでなく“大人向け”ってところがポイントだったのではないだろうか。
 しかし当時、書き上げた学習マンガを小学館や講談社に持ち込んでも相手にされなかった。そこでビジネス系出版社であるプレジデント社に持って行ったら「出しましょう」と即決されたんだとか。それからは数々の学習マンガを手がけた。

こんにちわQCサークル―コミック版こんにちわQCサークル―コミック版
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 そして、こちらは『CompuServe徹底活用マニュアル』という本を手掛けたときのエピソード。
CompuServe(コンピュサーブ)徹底活用マニュアル―ビジネスからホビーまで、すぐに役立つ海外情報源 (HBJ integrated libraries)CompuServe(コンピュサーブ)徹底活用マニュアル―ビジネスからホビーまで、すぐに役立つ海外情報源 (HBJ integrated libraries)
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 取材や勉強にそうとう時間と金を費やしていたようだ。しかしすがや氏はパソコン通信を通じて文章を書くたのしさに目覚め、小説を執筆することを決意。あれやこれや四苦八苦の末、デビュー作『漆黒の独立航空隊』を書き上げたんだという。

 その後、何作か小説を出版したが、今度は自らのあふれだす学習意欲がおさえられなくなり大学に入学。現在は大学教員をしているとのこと……


 そんなすがや氏の目まぐるしい仕事ぶりについて、師匠にあたる石ノ森章太郎氏は、以下のように呆れたのだという。

「児童マンガで頂上に近いところまでハシゴを登っていたはずなのに、自分からハシゴを降りて、大人向けマンガのハシゴを登り始めて、そこでも頂上に近づいたと思ったら、また自分からハシゴを降りて……。ふつう、いちど昇ったところから降りるのが怖くてしがみつくものなのに」



 本人が望む、望まないは別として、そんなことはやろうと思ってもできないこと。傍から見たらそれは飽きっぽいということなのかもしれない。しかし彼を突き動かしているのは純粋な知的好奇心のみだったのだろう。

 そして、興味あることには時間も金を惜しまない。私はそれこそ才能なのだと思う。本当に才能がある人間はそれで食っていけるのだ。ファミコンコレクターのはしくれとして、レトロゲーム考古学を研究している私にとっても、先生の姿勢は鏡であり、見習うべきだと痛感するのである。(でも嫁さんが怖い)


 最後に石ノ森先生のありがたいお言葉をどうぞ。



 当ブログも質より量でがんばるぞ!(笑)

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