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国連「バーチャルな子供を性的搾取する表現の主要製造国」と日本を認定。そこに扉を開けた「風と木の詩」:ザイーガ

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国連「バーチャルな子供を性的搾取する表現の主要製造国」と日本を認定。そこに扉を開けた「風と木の詩」

2016.3.17 09:00 動画ハプニング・衝撃 # コメント(-)

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 竹宮惠子先生の「風と木の詩」と言えばもう女性的にバイブル化していると思います。私もその一人ですが、この作品が日本に押された烙印に風穴を開けるかもしれないのだそうです。

 国連はこのところ、暴力的なポルノ表現や児童ポルノを含むと日本の漫画を問題視してきました。女子差別撤廃委員会の報告書は、「日本ではポルノ、ビデオゲーム、漫画などアニメが、女性や少女への性的暴力を推進している」と指摘。国連特別報告者は日本を「バーチャルな子供を性的搾取する表現の主要製造国」との烙印を押しました。
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 日本の漫画を取り巻くこうした状況の中、漫画界の代表的作家のひとりで、漫画における性表現のパイオニアのひとりでもある竹宮惠子さんがBBCの取材でこう語ったそうです。

 1976年、小学館の少女漫画誌に週刊連載が開始された「風と木の詩」は、あらゆるタブーを正面から取り上げ、次々と打ち破っていきました。

 「当時は世界、世間そのものが大きく開こうとしていた時期でした。自由への謳歌というものがすごくあった時期です。なので、たとえば愛することに壁はないんだという、それが対象が女性だろうと男性だろうと老人だろうと、とても若い人であろうと、そこに愛というものが育ちうるということを描きたかった」と竹宮さんは創作の動機を振り返ります。

 1970年代初めまで、日本の少女漫画は主に普通の女の子の恋愛や家族の話、日常のときめきや悩みが主なテーマでした。愛し合う大人同士の口づけ場面でさえ、過激とみなされた時代です。

 そうした中で、竹宮さんをはじめ後に「24年組」と呼ばれる1949年〜50年生まれの作家たちが、少女漫画の地平を押し広げる。ヘッセ、ブラム・ストーカー、スタンダール、デュマ、ドストエフスキーなどの西洋の作家たちに強く影響を受け、愛と憎、生と死といった普遍的テーマを取り上げ、文学として批評に値する漫画作品を次々と発表していきました。

 とはいえ当時の少女漫画には、あからさまな性描写などないに等しい時代、何年もかかって編集者に連載を認めてもらったのです。

 「セックス場面で始まる、まして男同士というだけで、編集者はノーという。そして当時、編集者は中年の男性が多いわけで、当然拒否です。とても分からないし、自分が分からないものを発表させるわけにはいかないというのが基本でした」

 そこで竹宮さんは、まず別の連載を成功させて人気作家としての地位を確立し、リスクをとるだけの価値が自分にはあると編集者を説得することにしました。自分が思い描く作品にするため、自分自身の知識や技術を増やす必要もあったそうです。

 「発言力を高めて、描けるようにした。『風と木の詩』を描く権利を、獲得しなくてはならなかった」

 物語の着想から実際の連載開始まで、実に6年かかったそうです。

 1970年代後半の少女漫画というと、熱心な固定読者はいるものの、少年漫画と比べれば部数も少ないニッチな市場です。インターネットなど遠い未来の時代で、少女たちはジルベールとセルジュの物語を親や教師に知られずに楽しむことができました。と同時に、そこに描かれる少年同士の性描写も、親たちに知られずに済んだのです。描写は決して露骨でも扇情的でもありませんが、作品には性行為だけでなく、強姦や近親相姦も出てきます。わずか9歳の男の子が被害に遭う場面もあります。

 自分の挑戦によって、日本の漫画における性表現の「扉を私の作品が開いたのは事実だと思います」と竹宮さんは認めます。そして、以前はないに等しかったものが今や、女性や子供の福祉を脅かしかねないと国連がみなすものにまで発展してきました。

 日本政府が2004年に「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」を改正した際、漫画など絵に描かれる児童も規制の対象にすべきという意見が持ち上がり、漫画の性的表現と表現の自由をめぐる議論が噴出しました。

 この6年後に東京都が提案した「青少年の健全な育成に関する条例」の改正案が「非実在青少年」の性描写を規制対象に含めた際には、京都精華大学の漫画学部長だった竹宮さん(現在は学長)が多くの漫画家と共にこれに強く反対しました。このような内容は表現の自由の制限につながり、自分の「風と木の詩」も丸ごと規制されてしまうだろうと竹宮さんは批判したのです。

 「非実在青少年」を対象にした規制は改正案から削除されたましたが、対立軸は鮮明になり、対立の構図は今も続いています。

 一方で、漫画などフィクションにおける性暴力の表現は犯罪を助長するので、その規制は被害者になりやすい児童や女性を保護すると考える人たちもいます。もう一方には、表現の自由に対する国家権力の過剰な介入に反対する人たちがいます。特に後者は、漫画などフィクションの性的表現が犯罪を助長するという考えには統計的な裏付けがないし、日本の刑法はすでに露骨な性器の描写など「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、 又は公然と陳列」することを禁止しているのだからと指摘します。

 国連人権理事会から「児童売買、児童買春及び児童ポルノ」 に関する特別報告者に任命されているマオド・ド・ブーア=ブキッキオさんは3月、人権理事会に提出した報告書で、日本を「漫画、アニメ、コンピューターグラフィック、ビデオ、オンラインゲームなどに極端な児童ポルノの描写を含む、バーチャルな子供を性的搾取する表現の主要製造国」と呼んだ2014年の米国務省報告を引用しました。

 この「バーチャルな子供」、つまり「非実在青少年」の表現が実際の人権を侵害しているのかどうかが、まさにこの問題の根本です。国連などが批判する漫画やアニメ、ゲームの多くは、竹宮作品のように高い文学性を志すものではなく、ひたすら扇情的なだけだと批判されています。そしてたとえフィクションだろうと、そのようなものは規制されるべきだと考える人は少なくありません。

 ブーア=ブキッキオさんは報告書でこう続ける。「特別報告者は、表現の自由と児童の権利の間に、適正なバランスを確保する重要性を認識している。ただし、大きな利益を上げる強力なビジネスのために、児童の権利が犠牲にされてはならない。国際的な人権慣習や基準に照らせば、その子供が実在だろうがバーチャルだろうが、子供をポルノ的に表現したものは児童ポルノに相当する」。

 国連の批判的姿勢に、漫画研究者の藤本由香里・明治大学教授は異を唱えます。日本の女子学生の援助交際について挙げた数字をめぐりブーア=ブキッキオさんが、外務省の抗議の後に「公式な数値を受領したことはない」と認めたなどの展開を懸念する藤本教授は、「『マンガやゲームにおける性暴力表現を禁止せよ』と言えば、欧米諸国においては「男性主体の性表現に対するNO」を意味するだろうが、日本ではかなり事情が違う」と指摘します。
 
 「日本では女性が主体となった性表現が、男性向けのそれと同じくらい発展していることが、他国とは大きく違う特徴だ。その中には当然、『性暴力』表現も含まれる。即ち、日本において『性暴力』表現を禁止することは、これまで営々と築かれてきた女性たちによるオールタナティブな性表現に対してもNOを突きつけることになるのだ。表現を『禁止』することによっては現実は変わらない。むしろ『性は危険でもありうる』ことを伝えることこそが現実を変えると信じて女性作家たちは表現してきた。その営為を止めてはならない。国連は、表現を問題にすれば、『現実の問題を解決する』ことをかえって阻害することを認識すべきだ」

 これに対して少女漫画家の真崎春望さんは、自分や周りでそのような自主規制や萎縮の傾向は感じないと話します。むしろ「何でも自由に表現したいなら、個人的なアートとして地下でやればいい。しかし漫画には常に読者がいる。作家はそこの誰に向けて何を描いているのか、意識すべき。国連に言われるからとかの問題ではなく、作家の良心と創造性の問題だ」という意見です。

 一方で、日本社会が長年、絵の中の性表現について実際に自主規制してきた具体的な前例はあります。浮世絵の春画です。

 日本美術に詳しい作家・編集者の橋本麻里さんは、「ロンドンをはじめ欧米で大規模な展示が成功して初めて、日本でも初の大々的な春画展が2015年に開かれることになった」と指摘します。

 橋本さんによると、春画では夫婦の房事の横に子供が描かれていることが少なくない。当時としては当たり前の家庭生活の一コマだったからです。しかし現代の倫理観に照らして、各地での展示会ではそれとなく外されているそうです。

 「表現を創りだす側、表現を研究し紹介する側が、その行為を自ら規制しなくてはならないと萎縮するような事態は、文化の成熟を阻害します」と橋本さんは懸念します。

 「実在の児童に対する性的搾取、性的虐待についてはもちろん、許されるものではありません。大前提として、そうした事態を解決するための取り組みには、今後いっそう注力していくべきだと考えています。しかしそれが『児童ポルノを含む漫画を禁止すべき』かどうかという、非実在の児童をめぐる表現の問題となった場合、責任ある判断のできる年齢に達した成人で、かつその表現を許容する人の間でのみ流通するのであれば、一律に禁止すべき理由はない、と考えます。表現について、一定のゾーニングや年齢制限などを社会的合意の下に明文化して課し、その枠の中で自由に表現することを許容する国であってほしいと、願っています」

 この問題について、日本では意見が割れています。

 表現の自由保護を何より重視する人もいます。優れた作品と、下品でわいせつなものに過ぎないと思うものとの間に、線を引く人もいます。特に関心のない人たちもいます。国民的合意はできていないのが状況です。

 意見が割れる理由のひとつに、欧米と日本の微妙な感覚の差があるかもしれません。日本では人気商品から人気音楽に至るまで、「かわいい」の価値観が大衆文化に浸透しています。このため幼い子供の姿の描写について、日本人は欧米人のようには神経質ではないのだという見方もできるかもしれません。

 物語を伝えるために、なぜ9歳の幼い少年に対する性暴力など、読んでいて辛い描写が必要だったのか。竹宮さんは「現実にそういうことが起きるから。隠したところでなくならない。そういうことがあると認めざるを得ないのだと、伝えたいから。そして暴力を受けた少年たちの力強さを描きたかった。性暴力を受けても、乗り越えていく人がいるということを知ってほしかった」と説明しました。

 1970年代後半、子供の強姦被害や近親相姦被害の話題が主なメディアで公然と語られることはほとんどありませんでした。まして、少女漫画では。そんな中で竹宮さんは、父親に強姦されたことがあるという読者の手紙を受け取ったそうです。

 「実際にそういう目に遭っている人が、私の漫画を読んで自分だけではないんだと、自分は独りではないと知り、この作品が私を救ってくれると書いてきた」と竹宮さんは語ります。

 このファンレターの内容が本当かどうかは定かではありません。しかし、人間の本能を否定することは決して答えにならないと竹宮さんは確信しているそうです。

 「パンドラの箱を私が開けたのかもしれない。けれども箱を開けなくては、希望の光は出てこられなかったのです」

via:yahoo

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