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海外ではこう伝わっている。日本の江戸時代に関する10の史実 : カラパイア

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 インターネットの普及で、海外情報が簡単に手に入るようになったのはいいが、誤った認識がそのまま広がっていったり、広がっていくうちに微妙に歪められたり、誇張されたりと、情報の伝言ゲーム化は日常茶飯事となっている。特に文化や言語が違うと、一旦誤った情報を訂正するのは至難の業だ。

 そういった意味も含めて、今回は日本の江戸時代に関しての海外記事を見ていくことにしよう。

 日本の江戸時代はサムライがいたり、鎖国政策により独自の文化が開かれていたりと、我々日本人はもちろん、海外人にとっても興味のつきない時代である。
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10. 入出国が違法(鎖国)

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 1633年、三代将軍徳川家光は、以降200年にわたって続く鎖国の基礎となる政策を打ち出す。この第一次鎖国令によって、奉書船以外の渡航が禁止された。

 日本を離れた日本人には死刑が科された。また、これを密かに計画する者や海外から帰国した者も死刑の対象となった。

 一見、過酷に思える政策の背景にあったのは、キリスト教宣教師やヨーロッパ貿易商の影響力が国内を不安定するという幕府の懸念だ。1639年には第五次鎖国政策によってポルトガル船の入港も禁止された。

 日本に上陸しようとするポルトガル船は破壊され、乗員も処刑の対象となった。ただし、これはやむを得ない場合の処置であり、ポルトガル船への攻撃は実際には滅多になかった。

 意外なことに、こうした鎖国令にもかかわらず、江戸時代には海外貿易が盛んに行われていた。外国人は入国が禁止されていたが、オランダ、朝鮮王朝、明朝や清朝とは通商関係があったからだ。

 特にオランダはこの貿易から利益を上げており、ペリーによって開国が迫られるまでは、日本に上陸できた唯一の西洋人であった。


9. 男性の平均身長は155cm

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 芸術、文化、商業が隆盛を極めた江戸時代であったが、庶民にとっては大変な時代でもあった。生まれに応じた社会的な身分制度が存在したからだ。

 頂点に立つのは武士であり、以下は農民、職人、商人と続く(士農工商)。そして人口の大半を占める農民は唯一年貢を課される身分であった。

 時代とともに多少の改善が見られたとは言え、一般に農民の暮らしは貧しかった。貧しさゆえに子供の間引きが行われることもあった。貧困者は都市部でも似たようなものである。

 国立科学博物館の調査によれば、江戸時代において日本人成人の平均身長は男性155cm、女性145cmだったという。当時の人骨10,000点の調査からは、大勢が栄養不足だったことが明らかとなっている。また梅毒の痕跡も発見されている。

 また女性は化粧に起因する鉛中毒が多かったようだ。そうした遺体の多くは若者であり、その年代の死亡率が高かったことを示唆している。


8. 人糞は大切な商品

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 江戸時代、畜産業がそれほど盛んではなかったため、肥料となる動物の糞が不足していた。そのため農民は人間の大便を使用しており、夜な夜な農民自身や汲み取り業者が回収していた。

 国中の道には農家や地主によってトイレが設えられていた。大便ほどではないにしても、尿も回収されたという。

 し尿の回収販売は大切な産業であり、これを盗めば投獄されることもあった。汲み取り産業は組織的に行われ、固定された相場が存在し、回収権をめぐって争いが起きた。

 1772年に起きた事件では、大阪ワナタベ村の汲み取り業者に尿の独占的回収権が与えられたことが発端で、他の業者と争いが起き、トイレの破壊活動まで行われたという。

 そしてこの汲み取り業は、江戸時代の日本を当時世界で最も清潔な国にする。ヨーロッパの各都市が、窓から投棄される糞尿で不潔極まりなかったのと対照的である。おかげで江戸時代に不衛生を原因とする疫病が蔓延することはなかった。


7. 春画の大流行

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 江戸時代には春画という木版画が大流行していた。幕府はこれを一応取り締まっていたが、あらゆる身分の男女が楽しんでおり、実効性はほとんどなかったようだ。

 春画は本に綴じられることもあり、一般的な本よりもよく売れた。作成は匿名であったが、葛飾北斎、喜多川歌麿など、当代随一の浮世絵師たちの誰もが春画を手がけている。その題材はソフトなものから、みだらなもの、同性愛、エキゾチックな外国人との逢瀬、触手モノの先駆けのような作品まで多種多様である。

 外国人との接触の機会も増えだした1859年、横浜を訪れたフランシス・ホールというアメリカ人は、訪問先の主人が自慢げに見せてくれた春画のコレクションにショックを受けたという。彼の日記には、「おびただしい本が、恥知らずにも展示されている」と書かれている。

 春画は日本が近代化と西洋化を進める過程で廃れていったが、最近になって再評価されるようになってきた。


6. 俳句コンテストが一種の賭け事として人気

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 五、七、五でなる世界的に有名な定型詩である俳句の源流は、俳諧という集団文芸にある。俳句とは違い、俳諧は本格的な芸術というよりはずっと手軽な余興であった。

 俳諧の最初の句を発句というが、俳句はこれを単独での鑑賞に耐える自立性の高い作品にしたものだ。松尾芭蕉のような俳人は俳句を芸術の域にまで高めた一方、多くの人々は室内ゲームとして熱中していた。

 俳諧が貴族階級や職業詩人以外にも広まり、やがて農民や町人にも嗜まれるようになると、前句付けという一種の賭け事興行が行われるようになる。これが大人気で、作品を募集すると、田舎の村々から数百点、ときには数千点もの作品が応募された。17世紀後半になされた京都でのある公募には1万点以上の作品が寄せられたという。

 俳人や上流階級の人間以外にも、様々な者が前句付けの公募に送る作品作りに励んでいたようで、ある俳人の日記には、女性や子供、果ては山賊まで俳諧を嗜むようになったと非難する口調で綴られている。

 こうした風潮には松尾芭蕉も感心していなかったようで、参加者を詩の世界を勘違いした者と批判している。


5. 離婚は日常茶飯事

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 日本の他の時代とは異なり、江戸時代の離婚率は高かった。地域によってはなんと4割が離婚していたというのだ。離婚のすべてが届けられていたわけではないことを考えると、実際にはもっと高かった可能性もある。

 離婚を言い渡せるのは夫であったが、妻の両親にその力があることもあった。

 儒教的な伝統では、夫が妻に離婚を言い渡していいのは、舅に従わない、無子、いん乱、嫉妬、悪疾、多言、窃盗のいずれかの事由がある場合であり、これを七去という。しかし多くの場合、夫は特に落ち度もないのに妻と別れていたようだ。

 離婚を望む夫は、妻に三行半という離縁状を突きつければいい。夫が妻の財産や持参金を返還する限りは、特に支障なく進んだようだ。
 
 19世後半まで離婚率は高いままだった。ところが、日本が近代化と西洋化を突き進むにつれて、離婚率は低下する。この2つは一般的に離婚率を上げる要素であるのに不思議なことだ。


4. 隠れキリシタンの存在

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 日本のキリスト教徒は人口の1%未満であり、中国や韓国のような他の東アジア諸国と比べるとかなり少ない。しかし、16世紀中頃に初めて宣教師がやってきたときは、布教についてはかなり楽観視されていた。

 16世紀末期には、農民や大名らが改宗し、30万人ものキリスト教徒がいたという。しかし信徒が増加すると、幕府はこれを問題視しはじめる。彼らは迫害され、改宗を迫られ、処刑や磔に遭うこともあった。

 これによって不満を募らせた農民のキリスト教徒が島原の乱を起こし、キリスト教は完全に禁止されてしまう。

 しかし当時いた大勢のキリスト教徒は改宗することなく、地下に潜り、密かに信仰を持ち続けることを選んだ。それから200年、彼らは人里離れた場所や島などに住み着き、洗礼を受け、クリスマスを祝い、意味など知る由もないラテン語の祈りを捧げて生きた。

 こうした隠れキリシタンは江戸時代末期には3万人ほど生き残っており、再び訪れた西洋の宣教師たちを驚かせたという。


3. 合法だが過酷な売春

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 現在の日本において、売春は違法とされているが、1956年まで長きにわたって合法とされていた時代があった。江戸時代初期から大都市では、幕府によって遊女が遊郭に集められていたのだ。

 秩序と風紀を守るために、遊郭には数多くの掟があった。各遊郭は高い壁に囲まれ、堀の前にあるただ1つの門からしか入ることができない。そこを訪れる客にも従うべき行動や服装に関する掟があった。また一般女性がここに足を踏み入れることは禁じられ、反対に遊女がそこから抜けることも非常に困難であった。

 現代的な視点からは、江戸時代の売春はむしろ性的な奴隷であるといえよう。貧しい農民は借金の返済あるいは新たな借り入れのために娘を売っていた。遊郭側は女性や家族に厳しい契約とかわし、実質的に遊女が抜けられないようにしていた。
 
 また地位の低い遊女の労働条件も過酷であった。適切な医療機関など利用できるはずもなく、性病が蔓延した。遊女たちは自殺や堕胎による合併症によって若死にするのが常であった。


2. 心中物が自殺を促す

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 遊郭のお得意様は商人や武士だった。当時の身分制度において最下層とされていた商人であるが、実際には非常に豊かであり、その資金力で大きな影響力を発揮していた。

 そのような中には時折、遊女に惚れ込み、身受けを望む者もいた。しかし高額な身代金を支払える者は少なく、そうした客をつなぎとめるための手練手管として、遊女が体の一部を切り落とすこともあった。髪を切ったり、爪をはいだり、さらには指まで切り落としたりして、それを最大限の誠意として客に与えたのである。

 しかし体の切断は儒教においては禁忌である。そこで遊女はまだ客を取らない妹分の振袖新造の爪を切ったり、死体から指を手に入れて、自分のものと見せかけるようになった。

 こうした愛の形はやがて心中へと発展する。おそらくは18世紀の天災や貧困によって誇張されていると思われるが、大勢の愛に狂った男が遊女と心中したという。

 これは一般大衆の関心を引きつけ、やがて心中を題材とした舞台が公演される。特に有名なのは近松門左衛門で、『曽根先心中』以降、多くの連作が作られた。

 やがて心中は社会問題となり、幕府は心中物はおろか、心中で亡くなった男女の葬式まで禁止するようになる。また生き残った者は刑罰が科され、相手を殺害していた場合は殺人罪が問われた。


1. 非常なる法制度

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 盗人の手を切り落としたり、殺人者の首をはねたりするのは、同時代においては標準的なことかもしれないが、江戸幕府の犯罪に対する態度は実に厳格だ。

 例えば、盗難被害を報告しないことは、盗難を犯すのと同様に違法だった。盗人への流刑や死罪があったが、後の時代には額に入墨を入られるようにもなった。

 また裸にされ、3日間公衆の面前で座り続ける刑罰もあった。死罪は最も重大な犯罪にのみ適用されたが、処刑後に磔や晒し首になることもあった。なお切腹が許されたのは武士だけである。

 さらに当時の社会制度を維持するために、農民は移動の自由が大きく制限されていた。彼らが別の村へ移動できたのは、送り状という証書がある場合のみである。また彼らは着るものも決められ、苗字を名乗ることも許されなかった。武士を敬わなければならず、不敬のかどでいきなり切り捨てられることもあった。

 面白いのが田舎で行われた入れ札という制度で、放火や窃盗の犯人が見つからないとき、投票によって真犯人を決めるというものだ。このとき犯人とされた人物を弁護した者も同罪となり投獄された。

 落書起請という匿名の告発状を神社に落として、犯人を決める風習もあった。役人の汚職の告発などに一役買ったようだ。

via:10 Bizarre And Fascinating Facts About Life In Old Japan・translated hiroching / edited by parumo
注:以上の文章は、海外サイトに掲載されていた英文を抄訳したものですが、元記事の情報が古かったり、誤りが含まれている場合があります。特に海外情報は歪められたり、誇張して広まってしまうことが多いので、もし、誤りを発見した場合には、コメント欄で指摘していただければ幸いです。確認次第、記事の追記・補足・修正をいたします。


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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 20:50
  • ID:GLiGboWK0 #

入れ札って初めて知った。ガチ人狼かよ

2

2. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 20:55
  • ID:W70LRfYI0 #

まあこんなところだろうな、と思う。

3

3. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 20:56
  • ID:SLM.P2gS0 #

海外で伝えられた情報ということであれば、特に間違いであっても問題はないかと。
一応、明確な間違いとしては、オランダ人だけが日本に上陸できた唯一の西洋人という話については正確ではなく、蝦夷地の開発の際、南下するロシアとの国境線を明確にさせるため何度となく上陸や話し合いが行われています。

4

4. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:01
  • ID:hWk66vlG0 #

吉原の遊女は廓から出られないけど、島原は許可かなんかあればお出掛け出来たんじゃなかったっけ?

5

5. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:02
  • ID:NzyBdHzL0 #

記述がおかしいというよりも
これらの習慣に"異様”とタイトルつける欧米人に
自国の歴史を勉強しなおして来いと言いたいねw

6

6. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:03
  • ID:NzyBdHzL0 #

>>1

クジによる犯人選びは洋の東西を問わずどこでもやってる
神明裁判の中ではおとなしい方だよ

7

7. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:12
  • ID:TfolusFY0 #

昔から貿易なくしては日本経済は成り立たなかった。
昔からくみ取り業はあった。

昔から農民は移住が許されなかった。(今の中国がそれ)
こういう歴史の勉強おもしろいですね。

8

8. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:18
  • ID:JxcUJhjy0 #

春画

昔からアニメ系(マンガ?)には強かったんだなw

9

9.

  • 2016年03月22日 21:18
  • ID:3V54UNzR0 #
10

10. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:20
  • ID:RYxABoG00 #

ザビエルがフサフサだったと知って、教科書の落書きも間違いじゃなかったんだ!と。
(ギャラクシーリーゼントだけどね)
あ、おでこの入れ墨、犬 とか・・・こわっ。

11

11. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:22
  • ID:bar4EGQ10 #

どんな酷刑に見えても当時としてはそれなりの必然性が
あったんだと思うけどね。外国ではどうのこうのよりも
日本人、外国人を問わず、現在の価値基準で残酷だ
異様だと言うのがナンセンスだと思うよ。

12

12. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:24
  • ID:y1.K44WD0 #

大都市の話でしょ
農村はどうだったのか?

13

13.

  • 2016年03月22日 21:28
  • ID:zleRuo2R0 #
14

14. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:29
  • ID:2C4ZSHvx0 #

魂魄が腹にあると信じられ、死に際に腹を裂かないと死後もこの世を彷徨うと考えられていた。
つまり、切腹は生まれ変わる転生を望める行為であり、武士の理想の死に方だった。

15

15. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:29
  • ID:n5TkEw.u0 #

なんだろう、間違ってない、けっして間違ってはいないけど僕の知ってる近世日本とも少し違う

16

16. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:31
  • ID:.GuT.gBN0 #

トイレに関しては日本は現代でも特殊な国だったりする
排便後の肛門洗浄は、紙や砂などを使用する乾式と水を利用する湿式とに二分されている
世界中のあらゆる文化圏において、肛門の洗浄方法は多少の変化はあっても中世以降の風習が現代でも受け継がれているのが現状
日本はその唯一の例外で、ウォシュレットの普及によって乾式から湿式(厳密には乾式と湿式の併用)に移行した

17

17. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:31
  • ID:T52CxKkB0 #

投票で犯人だなんてひどすぎる。

18

18.

  • 2016年03月22日 21:32
  • ID:pKQTs14x0 #
19

19.

  • 2016年03月22日 21:32
  • ID:T5OwIElb0 #
20

20.

  • 2016年03月22日 21:33
  • ID:T5OwIElb0 #
21

21. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:34
  • ID:Fx.TFfAG0 #

一応調べてるようだけど、表層的なところを撫でて終わってる感じ。こっちにしたって中世ヨーロッパでは風呂に入らないのが健康の秘訣とされていたと聞いてうへぇと思ったりするわけだし、異文化の本当ところを理解するのは難しいって事じゃないかな。

22

22.

  • 2016年03月22日 21:39
  • ID:T5OwIElb0 #
23

23.

  • 2016年03月22日 21:39
  • ID:T5OwIElb0 #
24

24.

  • 2016年03月22日 21:39
  • ID:7oxp36.V0 #
25

25.

  • 2016年03月22日 21:41
  • ID:T5OwIElb0 #
26

26. カモノハシ

  • 2016年03月22日 21:43
  • ID:TrkT9r6T0 #

入れ札酷すぎ笑った
俺みたいなコミュ障はどれだけの罪を負う必要があるんだ

27

27. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:49
  • ID:OgkEx.eZ0 #

とんでも日本歴史が出てくるかと思いきや
だいたい合ってて驚いた

28

28. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:50
  • ID:JGbmynHl0 #

江戸時代には醤油が海外に輸出されていて、
中国のものより上質だと評価されていた。
ルイ14世の食卓にものぼったという。

らしいよ。

29

29.

  • 2016年03月22日 21:56
  • ID:TVhGer1t0 #
30

30. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 21:57
  • ID:aoda8YQV0 #

面白い。

小便大便が貴重だったから、清潔が保てたんだ。知らなかった。別に日本人は清潔感があったわけではないんだな。

31

31.

  • 2016年03月22日 22:03
  • ID:T5OwIElb0 #
32

32.

  • 2016年03月22日 22:11
  • ID:T5OwIElb0 #
33

33. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:18
  • ID:x6MIqJul0 #

武士の「無礼討ち(切り捨て御免)」は、殆ど無かっただろ
切り捨てたあとは奉行所への報告義務があったし
正当な理由があったと判断されなかったら、切腹しなきゃいけなかった
自分の命をかけてまでやろうとは思わないからな

人口比でいっても武士は少数派だし、多数派の連中を本気で怒らせたら大変
武士のメンツを守る為の建前みたいなものだろう

34

34.

  • 2016年03月22日 22:20
  • ID:T6iD1cfN0 #
35

35. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:28
  • ID:QSOzga.20 #

くじによる犯人捜しは「タイムスクープハンター」でもやってたな。

36

36. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:33
  • ID:kyiBRYtg0 #

ちかえもん、面白かったなあ。

37

37. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:35
  • ID:2qX.WQp80 #

遊郭あたりの話怖いわ
化けて出る女の幽霊てぜってーこいつらだわ

38

38.

  • 2016年03月22日 22:36
  • ID:nQW7ZHof0 #
39

39. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:36
  • ID:98nlztNP0 #

以前友人と江戸時代へ行けるなら行きたいよな?って質問に
それは場所にもよるんじゃないですかね?って応えてお互い妙に納得した。

コレ見たら江戸でもかなり生活大変だったろうなと思う。
でも池波正太郎の作品に触れるとそうでもないんじゃないかって思う不思議。

40

40. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:40
  • ID:k.K1oXdZ0 #

※3
蝦夷地を日本とカウントするかどうかだね。
当時はまだ無主の地(実際にはアイヌたちの土地だったが)というべきかな。

41

41. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:45
  • ID:oGJ6go.p0 #

※26
今のアメリカの裁判がこんな感じだよ。
なんとなく周囲と馴染まないコミュ障っぽい人を適当に容疑者にして取り調べて物的証拠がなくても怪しければ起訴する。
で、素人(陪審員)が多数決で有罪か無罪か決める。
金のある人は優秀な弁護士を雇って被告に有利な陪審員を集められるから無罪、貧乏なコミュ障は有罪。

42

42. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:46
  • ID:NzyBdHzL0 #

※30

古来から日本は不浄を嫌う民族なのだよ。それが信仰や生活に根付いている
まあ清水が豊富で亜熱帯に近い風土に起因するものだろうけどね。
狭い島国にこの人口密度で、伝染病により死滅しなかったのはある意味すごい
また江戸の町は当時世界最大規模の上水道を備えていたわけで、くみ取りで清潔が保てた
というのはこの記事書いた外人の知識がなさすぎ。

43

43.

  • 2016年03月22日 22:51
  • ID:KwFpu..K0 #
44

44.

  • 2016年03月22日 22:52
  • ID:gzKceFlI0 #
45

45.

  • 2016年03月22日 22:53
  • ID:FZZb3A3.0 #
46

46. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:54
  • ID:rWmXrK5I0 #

キリスト教の迫害は奴隷と硝石なしには語れない
貿易のためにキリスト教徒になる
他国の人を攫う→売って硝石を買う→軍備拡張
これじゃ秀吉も怒りますわ

47

47. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:58
  • ID:wxPUYzHY0 #

投票するだけ魔女裁判より遥かに民主的だな

48

48. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 22:59
  • ID:OZ4shOsA0 #

農民の移動は制限はされていたが、お伊勢参りに講を募って村の代表で送り出したり
三男坊とかは江戸大坂に奉公に出したりと無いわけではなかった
街道と宿場も主に参勤交代のために整備されていたし
人の移動はなかなか多かった

49

49. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:02
  • ID:FZZb3A3.0 #

・「切り捨て御免」と認定された成功例は江戸では1件も無かった
・遊郭の遊女は27歳を過ぎると「年増」として引退できたorさせられた
・一方、三味線や歌を担当する芸技は主婦が吉原へ通勤して勤めるケースもあった
・戦線までの日本人の体格が小さいのは食べる物からの栄養失調でなく寄生虫(ぎょう虫等)が原因
・冷害などの飢饉が無ければ地方の農民の生活は貧しくはなかった

だいたいそんなもんか

50

50. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:06
  • ID:Sx.BQtAD0 #

※30
貴重なのもあるが、清潔感も同時にあった。
糞尿を肥料として使うようになる結構前から日本には便所があった。
(公家などはオマルを用いた)

あまり関係ないが江戸時代は歯磨きが大流行した。
白い歯は江戸っ子の粋だったらしい。

51

51. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:27
  • ID:R85d9KsV0 #

米21 江戸時代も長くて初期と後期では全然違ったみたい
後期は切り捨てもほとんどなかったらしいけど初期はヤクザみたいなもんで辻斬りもよくあった模様

52

52. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:31
  • ID:mKPXzisF0 #

江戸時代(といっても長いけど)は外国人どころか一般的な現代日本人が思うより色々なことが合理的でドライでフリーダムだった
おおらかだった性に対する考え方が屈折しちゃったのも、夫婦関係や家父長制の弊害とかも、現代日本で問題とされてることって実はこの後の明治時代に西洋化の過程で固まったものが多いんだよなあ

そういう「日本の伝統的な考え方では〜」とか言われてるけど実はそんなに古くないってことが結構ある

53

53. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:33
  • ID:.Wz1AHkU0 #

士農工商という序列・身分制度がどーたらと小学校で習った世代だけど、どうやらそうじゃなかったとわかってきたとかなんとかで今は教えてないらしい。

そういうような事柄はほかにもあるわけで、数年おきに「お前に教えたウソ知識」みたいな冊子が送られてきて衝撃を受けながら読むとか、もっと周知をはかる仕組みにならんもんかな。

54

54. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:41
  • ID:jENzuWMl0 #

三下り半(三行半)は、嫁が亭主に無理矢理書かせたのも結構多いそうだ。

55

55. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:41
  • ID:ounex.hI0 #

※26
こうやって和を乱す人(自分が気に入らない人)を消していくんだな。
監視社会だわ。

56

56. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:42
  • ID:YCt9l.vF0 #

>これによって不満を募らせた農民のキリスト教徒が島原の乱を起こし

これは異議あり、当時の島原は藩主が暗君暴君の類で年貢が九公一民であり、さらに囲炉裏銭や窓銭のようなとんでもない苛斂誅求に苦しめられておりもはや反乱しか道が無かったのだ

57

57. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:44
  • ID:mIS5DN730 #

普通のことは記録に残らないんだよね
逆に言うとその当時でもニュースになることが記録に残る

58

58. 匿名処理班

  • 2016年03月22日 23:46
  • ID:ounex.hI0 #

士農工商は身分の順番ではなく、ただ語呂がよかっただけって話を聞いたことあるな。

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