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かつてアメリカには太っていることを謳歌する結社があった。「ファットマンズクラブ」の歴史 : カラパイア

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 その時代によって理想的な体型は変遷しているが、19世紀の終わりから20世紀初頭、アメリカでは太ったことを謳歌する結社「ファットマンズクラブ」が人気を博していたという。

 1903年、バーモント州ウェルズリバーの陽気な居酒屋に、のちにアメリカでもっとも流行ったファットマンズクラブがオープンした。

 「俺たちはデブだが、それを徹底的に謳歌する!」というのが、彼らのスローガンで、「気立ては良いが喧嘩はできない、走れない」というのがモットーだ。

 会員になるには、体重が少なくとも200ポンド(90キロ)はなくてはならず、入会金1ドルが必要で、秘密の握手法とパスワードを覚えなくてはならない。年2回の会合はお腹に食べ物をたらふく詰め込むのが目的だ。
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The Fat Men's Club Annual Outing (1924)

 1904年のボストングローブ紙の記事は、この年2回の会合をおもしろおかしく紹介している。

 この村は今夜、丸々とせり出した腹と二重顎の面々でいっぱいだ。ヘールズタバーンでニューイングランドのファットマンズクラブの会合が開かれるのだ。痩せて骨ばった地元民たちは、列車が到着するたびに現われる、恰幅が良く色艶のいい顔をした男たちを羨望の眼差しで見つめていた。

 19世紀から20世紀にかけてのファットマンズクラブは、見るからに豊かさがにじみ出ている丸々とした体型を華々しく謳歌していた、過ぎ去りし時代の象徴だった。社会的な関心や人類学的な産物としても、寿ぐ価値のある対象として肥満を社会が容認していた、最後の時代の名残だった。

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 計量は競争イベントのひとつで、ニューヨークタイムズの1885年からの記事は、体重計に乗ったときのメンバーのがっかりした様子を伝えている。

 ジョージ・カップは、『俺は300ポンド(136キロ)以上増えてるに違いない』と自慢していたが、どっこい243ポンド(110キロ)止まりだったので、それはそれはがっかりしていた。友人たちは彼は悲しみのあまり、夕方までに少なくとも20ポンド(9キロ)以上痩せるだろうと思った。

 イギリスのスウォンジー大学の歴史家ダリル・リーウォーシーは、ファットマンズクラブは東海岸だけの現象ではなかったという。ネバダ州、ユタ州、テネシー州でも同じようにデブを誇りにする場があった。

 クラブはなんの心配もせずに食べる喜びを礼賛し、自分の腹回りを自慢する場所というだけでなく、本質的に交流会なのだという。メンフィスのファットマンズ・ベースボールクラブには、加入委員会があり、審判者や司祭やラビまでちゃんといた。19世紀後半に、人民主義者の民主党員ウィリアム・ジェニングス・ブライアンがマサチューセッツのコンコードにあるファットマンズクラブに行って、自分の大統領選への出馬支援を大々的にうったえこともある。

 ファットマンズクラブの最盛期

 ライターのポリー・タフレートの記録によると、最盛期、ニューイングランドのファットマンズクラブには1万人の会員がいたという。男たちは朝食をたっぷり腹におさめた後で外へ出て、馬跳び、幅跳び、徒競走などオリンピック並の競技会を和気あいあいと行って、男らしい強さを見せつけながら汗をかいたという。こうした運動は、夕方の次の豪勢な食事のために、またお腹をすかせる準備でもある。夕食もまた半端ない量なのだから。

 メニューは9品。オイスターの前菜、クリームチキンスープ、茹でたマダイ、ビーフのヒレ肉マッシュルーム添え、ローストチキン、子豚のロースト、シュリンプサラダ、ブランデーソースがけフルーツプティング、チーズとアイスクリームにコーヒーとシガー。こうした夕べの宴は、ウィットと皮肉と大きな笑いの絶えないにぎやかなものだったらしい。

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 異様なほどでっぷり太った体型は、美や富のしるしとしては決して褒められたものではない。やはり彼らもまたあざけりの対象であった。「ひえ〜、あのお腹、見てごらんよ。あの下に入れば雨に濡れないよ」と子どもにからかわれたりすることもあった。

 ファットマンズクラブは、ヨーロッパにも存在したが、やはりアメリカが一番盛んだった。1897年にフランスにLes Cents Kilos(100キロたち)というクラブができたが、流行らなかった。1932年には、セルビア、ベオグラードに同様のクラブができた。イギリスのファットマンズクラブは、ちょっと変則的で、必要体重に満たない会員は、罰金を払わなくてはならず、それがチャリティに寄付される仕組みになっていた。

理想的な体型の変遷

 歴史を通してみると、理想的な体型に対する考え方はさまざまに変遷してきた。かつて太った体型は富や地位と結びつけられ、貧乏人ほど食料が足りず、痩せて身長も低いと見られていた。権力や富や地位はできれば欲しい魅力だ。その人の体が聖堂だとすると、聖堂が大きくて立派なほど、見る人の目には重要だと映る。だから太って体格がいい人のほうがどうしても魅力的で、重要な人物のように思えてしまうのだ。

 しかし、産業革命がわたしたちの働き方や食生活を変え、デブや健康に対する見方も変わり始めた。肉体労働を必要としない仕事をもつ人が増え、近代農耕法が出現したことによって、食料の供給がより確実になった。大多数を占める中流階級にとって、激しい変動が始まったのだ。つまり、一部の金持ちだけでなく、普通の人たちも労せずして確実に食料を確保することができるようになったわけだ。

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 ある意味、ファットマンズクラブは、肥満を礼賛する最後の浮かれ騒ぎだったと言えよう。1910年頃、健康や長寿のためには、太っているより痩せているほうが一般的に好ましいと医者や保険会社が言い出して、それがトレンドになっていった。

 太っていることはもはや喜ぶべきことではなくなったのだ。ファットマンズクラブの会員数もウエスト回りと同様、徐々に減り始めた。1924年のニューイングランドのファットマンズクラブの会合に出席したのは、わずか38人で、誰も200ポンド(90キロ)の基準を満たしていなかったという。

 今日、体型のイメージは新たな局面を迎えている。ツイギーのような小枝のように骨ばった体型のブームは去り、丸みを帯びたもっと現実的な体の線が注目されるようになった。バービー人形もそうした体型になってきている。痩せすぎたモデルを起用しているファッションブランドは、不健康な体型を推奨しているとして非難されている。

 とは言え、ファットマンズクラブが再び注目されることはありそうにない。現代に受け入れられる体型のトレンドは、太り過ぎず、痩せすぎず、ごく普通に健康的なゴルディロックス(童話に出てくる女の子の名前。中庸のほどよい状態のことをさす)的なものへと向かっているのかもしれない。

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via:npr.・translated konohazuku / edited by parumo

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