夕美「スーツケース」
関連記事:まゆ「夜は、忙しい」ヨエコさんの曲で、歌詞の中に「スーツケース」が入る曲は一つしかないと思いますが、知っている方も知らない方も楽しんでいただけたらと思います。
・アイドルがP以外の人間と恋愛関係になる描写あり
駅前では、つがいの文鳥のように仲むつまじく寄り添う男女がベンチに座っている。
一方では、今にも男の人に殴りかかろうと、大声で怒鳴り散らす女性の姿。
見るに堪えず視線をそらすと、季節外れの瞳がこちらを睨みつけていた。
こんなところに花屋なんてできたんだ……と、入口の前までやってきたところで、中で暇をしていたのだろうか、男性店員がドアを開けて話しかけてきた。
「あ、いえ……少し、見てただけです。珍しい花が売っているな、と思って」
そう言って、私は先程からこちらを睨みつけている瞳を見つめ返した。
「ああ、ジャノメエリカね。売れ残っちゃってさ。やっぱり、不気味だからかな」
薄紫色の花弁の中から、特徴的な黒い葯が顔を覗かせている。
だけど今の私は、エリカの花言葉のもう一つの側面を知っている分、複雑な気分になってしまった。
そんな私を知ってか知らずか、店員さんは花苗を一つ手に取って目の前に差し出した。
「一本どう? 安くしておくよ。エリカの中では、育てやすい種類だと思うんだけど」
「……一度、枯らしてしまった事があるんです。だから、ごめんなさい」
時計を見ると、あの人との待ち合わせの時間。店員さんに、軽くお辞儀をしてから、私は待ち合わせの花壇に向かった。
蛇の目は、いつまでも、私の背中を睨みつけていた。
「ごめん。荷物整理に手間取って。待ったか?」
「……ううん。待ってないよっ」
色とりどりのパンジーが咲き誇る花壇の前で待つこと数分、新調したスーツに身を包んだPさんがやってきた。携帯電話をポシェットにしまう。
彼が片手に持った今にもはち切れそうなスーツケースは、ガラガラとわずらわしい音を立てて近づいてくる。
それだけ、今回の移動は長距離になるという事だろう。
「それじゃ、歩こっか」
Pさんの左手を取り、ゆっくりと歩き出す。
最初は戸惑っていた様子の彼も、私が数歩踏み出したのを確認すると早足で横に並んだ。
周りから見たら、私たちはどう見えているんだろう。
恋人だろうか、それとも仲のいい兄妹?
元プロデューサーさんと、その元担当アイドルだなんて思いもしないよね。
途中で何回か私から話しかけたり、あの人から話しかけられたりもしたけど、全て人々の喧噪に吸い込まれた。
ようやく落ち着いて話せるようになったのは、駅前の並木道を抜けた当たり。
その頃には私もPさんも、疲れて足元がふらふらになっていた。
「少し休まないか?この近くで、コーヒーでも飲んでさ」
「うん、そうしよっか……」
周りを見回してみると、こじんまりとした喫茶店が並木道の外れでひっそりと営業していた。
名前は、「Yellow Tulip」。
赤でもなく、白でもなく、黄色のチューリップという店名は、私の目を引いた。
「さぁ……? あんまり混んでなさそうだし、ここで休憩しよう」
「うん。そうしよっか」
ドアを開けば、カウベルと香ばしいバターの香りや甘いミートソースの香りが優しく私たちを出迎えてくれた。
Pさんが言っていた通り、店内には数人の客がいるだけで、ゆったりとしたバックグラウンドミュージックがはっきりと聞こえてくる。
カウンターでは白髪交じりな初老の男性が、コーヒーカップを丁寧に磨いていた。
何より、各テーブルの中央や、カウンターの端に置かれた花瓶。
そこには店名にもなっている、黄色いチューリップが活けてあった。
男性はこちらに気づくと手を止め、笑みを浮かべながらしゃがれた声で私たちを促した。
その声に導かれるまま、私たちは窓際の二番目のテーブルに向き合って座る。
「それにしても人、多かったな。一番の見ごろだとニュースでも言っていたし、休日だから仕方ないけれどさ」
「そうだね……」
曖昧な返事をしながらも、私はメニューを支える彼の左手から目が離せなくなってしまっていた。
いつか向かい合わないといけないと目をそらしていたのに、面と向かえば目が離せなくなるなんておかしな話だ。
だから、今まで手を握って見ないようにしていたのに。
それを遮るように、私は両手で握ったメニューで顔を覆った。
「あたしは……あたしも、一緒ので大丈夫」
店員さんを呼んで、Pさんが「コーヒー2つ」と頼んだところで、私はメニューを置いて外を眺め始めた。
ガラスを一枚隔てて向こう側では、幸せそうな人々が楽しそうに笑って、通り過ぎていく。
会話がないなとPさんを見れば、彼もまた向こう側を見ているようだった。
この幸せそうな人々を見て、一体どんな事を思っているのだろう。
「お待たせしました。コーヒー二つです」
私のコーヒーからは、カラメルのような甘い香りが白い湯気と共に漂っている。
対するPさんのコーヒーは、重厚でこうばしい香りを発散させていた。
彼もコーヒーが私のものと違うという事に気づいたらしく、首をかしげながらカウンターに声をかけた。
「申し訳ない。常連だとばかり思っていた」
そう言って深々と頭を下げる店員さん。
聞けば、この店の「コーヒー」は、常連さんの中では「お任せの豆で1杯頼む」という意味合いなんだそうだ。
メニューを見て見ると、確かに、その中に「コーヒー」の文字はなく、各コーヒー豆の名前が羅列されているだけ。
なので、私たちにも非があるとお互いに謝る事で、この話は終わった。
そう言ってコーヒーを一口すするPさん。
私も角砂糖を一つ落としてから、控えめにカップに口をつけると、強い甘みが口の中いっぱいに広がった。
あまりコーヒーが得意でない私でも、これはとても飲みやすい。
おかげで気持ちが落ち着き、彼の顔を見て話せるようになった。
「……なんだか、久しぶりだね。こうやって二人で、喫茶店で話すのって」
「そうだな……事務所が大きくなってからは、喫茶店で打ち合わせする事もなかったからな」
事務所の中では、Pさん以外のプロデューサーさんがバタバタ忙しそうにしていて、落ち着いて打ち合わせをできないからと、よく事務所近くの喫茶店に誘ってくれたものだ。
その頃は、彼と同じコーヒーを頼んで、苦い思いをする時もあった。
「……アイドル辞めてから何か、変わった事はあったか?」
少し話しづらそうに、Pさんは切りだした。
きっと、負い目を感じているのだろう。私がアイドルを辞めるきっかけになったのが、彼の退社であるから。
「ううん。普通の、女の子として生きてるよ。たまに気づかれて、サインをねだられる事とかはあるけれど」
だから私は、冗談のように軽く告げた。
コーヒーを一口すする。口の中に広がる甘みは、安心感を与えてくれた。
「そっか」、と。そっけないながらも、安心したような口調でPさんはコーヒーをぐいと飲み干した。
Pさんは会計を済ませるため、スーツケースを引いて先にレジへと向かっている。
椅子を引いて立ちあがろうとした時、カップの奥底に、何か文字が刻まれている事に気がついた。
「No regrets!」
驚いてPさんの会計をしている店員さんを見て見ると、こちらに気づいて彼はしわだらけの顔で笑った。
あの人は、この言葉の通りに生きてきたのだろうか。
いいや、きっと違うだろう。だって、この店の名前は黄色のチューリップなのだから。
「夕美、行こうか」
「う、うん」
通りすがり、店員さんに一礼して外へ。
その時、視線が下を向き、自然に彼の左手が目に入ってきてしまう。
カウベルが背中を押すように響き、Pさんを追ってに私は早足で歩きだした。
一つ買い物をするだけでも、一人かそうでないかで時間の過ぎ方は全然違って。
私がいいなと思った服と、Pさんがそう思った服が実は一緒で、お互いに笑いあったりもした。
気がつけば辺りは夕暮れ色。私たちは、駅に向かって歩いていた。
駅までの道を桃色に染め上げる花びらが、ひらひらと一つ、私の肩に乗る。
「……やっぱ、このまま終わるのは嫌、だな」
繋いでいた右手を離し、Pさんに呟く。
突然離された手を所在なさげに少し動かし、彼はゆっくりと振りむいた。
コメント一覧
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- 2016年03月31日 22:34
- 注意書き読まずに読み進めてキレるやつ多そうだなぁ
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- 2016年03月31日 23:02
- まぁPが選んだ娘がいるってのは、選ばれなかった娘がいるってことだしね