1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/04/03(日) 12:16:44.13 ID:CAP_USER*.net
異動や転勤など、4月にかけては付き合う相手が変わる時期。「あの人とは合わないかも」「あの上司は苦手で…」などと、人間関係に不安を抱いている人も多いのでは?
そんな皆さんは、元プロ野球選手の小田幸平氏の言葉に耳を傾けてみてはどうだろう。
このほど「心を軽くする超戦略的『人間関係』論」(KKベストセラーズ)を著した小田氏は万年補欠でありながら人間関係作りのうまさで、
17年間プロ野球選手で生き抜いた。有名選手とのエピソードも交えつつ、コツを挙げてもらった。
【3回ルール】人間関係を築く上でのモットーは「第三者の意見は聞かない」「とりあえず飛び込んで行って自分で判断する」ということです。
どんなに近寄りがたい人でも、壁を取っ払って、飛び込んでみると、実は面倒見のいい、情の厚い人間だった…ということが少なくありません。
おそらく多くの人は最初の印象で苦手意識を持ったり、肌が合わないと思い込み、その人を避けるようになってしまうのでは?
そんな人にオススメしたいのが「3回ルール」です。
ボクはいい人間関係を作る上で、3回会うことが必要だと考えていました。
1回目はじっくり話を聞く、2回目は自分から話す。そして3回目はノープラン。
1回目、2回目を踏まえてお互い話したいことを話す。ここまでくればいい人間関係を作れたも同然です。
もちろん、1回目、2回目で「この人は無理」となることもあるでしょう。
でも、自ら飛び込むことで苦手意識を持っていた人との距離がぐっと縮まることだってあるのです。
【みんなに好かれなくていい】
人間関係で重視しているのが「50:50ルール」です。
例えば、自分のことを好いてくれる人間が50人、嫌っている人間が50人いたら、前者を重視し、嫌っている人間のことは意識しないようにします。
その上で、アンチの人間を減らしていく努力をする――これが基本的な考え方です。
自分を好いてくれる人で、アンチな人間とつながりがある人がいれば、その人を使ってアンチの人間と話す機会を作ってもらうのもいいでしょう。
ドラゴンズ時代でいえば、ボクは当初、井端弘和さんといい関係を作れませんでした。
でも、仲のいいメンバーを介して一緒に話す機会に恵まれ、その後はことあるごとに井端さんに話しかけるようになったのです。
「こんなにしゃべる人だったとは…」とびっくりするほど印象が変わったものです。
【断れない先輩はいい先輩ではない】
おそらく読者の中には先輩の飲みの誘いを断れずに、ストレスをためてしまっている方もいるでしょう。
実は巨人入団時、ボクもそうでした。
ところが、そういう関係は実は違う、そう教えてくれたのがあの清原和博さんです。
「お前が行きたくない時は断ってもいいんだぞ。
小田が断って『もういいわ』ってヘソを曲げるのは本当の先輩じゃない」
この言葉はボクがその後、人間関係を築く上で大きな影響を与えてくれました。
清原さんが逮捕されたのは残念でなりませんが、ボクは清原さんに受けた恩は忘れません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160403-00000006-tospoweb-base
東スポWeb 4月3日(日)10時9分配信
2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/04/03(日) 12:17:49.78 ID:CAP_USER*.net
【観察する】
キャッチャーというポジションは、仕事柄ピッチャーや打者の心理を読む、という必要に駆られます。
そこでボクがよくやっていたのが雑踏トレーニングです。
これは例えば電車の中で乗客を観察し、どんな職業なのか、どんなポジションにいるのか…など服装や髪形、時計などを見て推理するのです。
もちろん、答えなんて分かりません。でもこうした習慣をつけておくだけで、初対面の人間に対してもサッと対応ができたりします。
見るだけではなく「聞き耳を立てる」ということも重要です。何げない会話に大切な情報が入っていることが少なくありません。
中日に入団した直後のことです。
和田一浩さんに野球の話を聞きたいと思ったボクはロッカールームでよくゴルフの話をしているのに気づきました。
ちょうど和田さんとゴルフコンペを回ることになっていたので、以前のゴルフコンペの情報を頭に叩き込んで
「あの人前回7位でしたけど、うまいんですか?」なんて話を振ると「なんでそこまで知ってるの?」と驚き、それだけで話が盛り上がりました。
それから、和田さんとは非常にいい関係を作ることができました。これも日頃の観察力のたまものです。
【ここぞという時は…】
ボクはプロ野球生活17年でストレスを感じたことはありませんでした。
それは、いい人間関係を築いてきたおかげかもしれませんが、それだけではありません。
ボクはため込まない性格で、ここぞという時ははっきり物事を言うのです。
2006年に巨人から中日に移籍した直後のことです。
中日が用意した背番号が「98」と知り、「ブルペンキャッチャーの番号やないか!」と憤慨したボクは、
落合監督のところに乗り込み「ボクは裏方さんですか?」と切り出しました。
クビを覚悟していましたが、落合監督は背番号「40」を用意してくれたのです。
この時の行動自体は冷や汗もので、とても他人には勧められません。
でも、ストレスをためないためには「これ以上は譲れない」という自分なりの線引きはしておく。
そして言うべきことを言う。この2点が重要です。
【常に一番を目指す】
ボクは17年間補欠のキャッチャーでした。でも、一度でも「2番手でいい」と思ったことはありません。
そういう意識でいたら、いい人間関係は作れません。
「チームの力になりたい」と努力を積み重ねることで、自然と周囲も認めてくれるのです。
ボクが清原さん、桑田真澄さん、山本昌さんといった一流選手にかわいがられたのは、そういう努力のたまものだと自負しています。
☆おだ・こうへい=1977年3月15日、兵庫県高砂市生まれ。兵庫・市川高校卒業後、三菱重工神戸でプレー。
97年、巨人から4位指名を受け入団。2005年オフ、中日ドラゴンズに移籍。
15年1月26日に引退を発表した。17年間の通算成績は打率1割9分7厘、本塁打2本。現在は評論家として活躍中。
-スポンサード リンク-
|
|
|
清原や昌とかの次元から見れば高校の控えもプロの控えも同じよ