- 1: 2016/04/04(月) 15:18:52.77 ID:CAP_USER*.net
- 森本稀哲インタビュー(中編)
その少年は、いつも帽子をかぶっていた。
大会の開会式で脱帽すると、周囲から笑い声が聞こえてきた。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2016/04/03/17/
■前編はこちら>>>
「あっ、ハゲがいるぞ!」
小学生が放った他愛のない一言が、少年に突き刺さる。汎発性円形脱毛症を患った少年は頭髪がすべて抜け落ち、全身の体毛を失っていた。
チームメイトの同級生にからかわれることはなかったが、他チームの選手にとっては「格好のネタ」だったに違いない。だから少年は、普段はなるべく帽子をかぶるようにしていた。
だが、大会が進むにつれて、笑う者はいなくなっていった。少年は圧倒的な力で周囲を黙らせていったからだ。
少年は思った。「なんて気持ちがいいんだ。もっとうまくなりたい!」と。
その少年、森本稀哲の野球人生は「周囲を黙らせる」ことの繰り返しから始まった。
「小学校は荒川区のチームだったんですけど、誰も笑うヤツはいなくなりました。中学は足立区のチームに入ったので、また笑われるようになって、それも1年くらいしたら笑われなくなりました。
高校では、最初は先輩とかから笑われることもあったんですけど、2年くらいからみんな黙るようになりました」
高校3年の夏、森本は東京大会の開会式で選手宣誓の大役を任された。
東京中の球児が畏怖するピンストライプのユニフォームをまとい、学生野球の聖地・神宮球場で胸を張って高らかに宣誓をする。
もちろん、帽子は脱いでいたが、笑う者は誰もいなかった。森本は当時を「心から自信に満ちあふれていたと思います」と振り返る。
プロ入り後に披露した「ピッコロ大魔王」や「ラーメンマン」のコスプレに象徴されるように、明るいキャラクターで知られる森本だが、幼少期は内向的な少年だった。
そんな森本を変えたのが「野球」というスポーツだった。
帝京高校時代の恩師である前田三夫監督はこう証言していた。
「稀哲は1年生の頃なんか、風呂場でも隠れて小さくなっているような感じだったんだけど、野球で自信がついたんだろうな。
3年生になる頃にはいつも堂々とするようになっていましたよ」
帝京には、腕に覚えのあるエリートが集まってくる。入部当初の集まりでは、森本を刺激するような出来事があった。
「僕は軟式で全国大会にも出たことがなくて、『雑草』タイプ。
帝京に来るメンバーは初対面から『オレはオールジャパンの~』とか『軟式の日本チャンピオンで~』とか、お山の大将ばかり(笑)。
でも、野球をやってみたら『絶対に俺、こいつらよりうまいな!』と
。1年生に対して闘志を燃やしていました。まずファーストコンタクトで、すげぇムカついたんで(笑)」
最上級生になると主将としてチームを率いる立場になった。だが、もともと自己主張の激しい選手が多いチーム。
森本は早々に「まとめるのは無理だ」と悟った。そして始めたのは「八方美人作戦」だった。
「自分が核となって、ひとりひとりとコミュニケーションを取っておく。それで自分がいざ、みんなの前で『こうしよう』と言ったときに『うん』と言ってもらえるような状況を作りたかったんです。
そうじゃないと、バラバラになると思ったので。だから、全体に対してというより、個人との関係を大事にしました。要は八方美人ですよね(笑)」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160404-00010003-sportiva-base
webスポルティーバ 4月4日(月)15時5分配信
転載元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1459750732/
- 2: 2016/04/04(月) 15:19:33.79 ID:CAP_USER*.net
- 森本自身は「この経験がプロで生きたかはわからない」と語るが、実際にやっていたことは西武在籍時の「お山の大将」の扱い方と変わらない。
森本は知らず知らずにそのすべを身につけていたのだろう。
個人とのコミュニケーションはどのように取るのかを森本に訊くと、こんな答えが返ってきた。
「まず自分の存在を相手に認めさせることからですね。直接野球の話をしなくてもいいから、まず『自分はこういう人間です』という部分をさらけ出す。
その上で、相手がどういう考えを持っているのかを聞き出します。
そこで向こうが10あるうちの3でも4でも出してくれれば十分。
毎日一緒にいるわけですから。最初はみんなに3ずつ振りまいておいて、次は5になって、時には7いってみたり……。もちろん、僕のなかの感覚ですけどね(笑)」
森本は1998年秋のドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けてプロ入りした。
プロ2年目から一軍で出場するなど、早くから頭角を現したものの、しばらくはレギュラーに定着できなかった。
そうした時間が長く続いたからだろう。森本は次第に周囲に心を閉ざすようになり、
コーチからのアドバイスを素直に受け入れられない時期もあったという。
「言われた通りに打っても打てなかったし、自分でも『そんな打ち方をしたくない』と思っていて、やっぱり結果が出ない。
いつしか、指摘を受けるたびに『またその話?』とうんざりするようになってしまいました」
今では考えられないことだが、チーム内の先輩をも煩わしく感じ、関係を持つことを避けていたこともあったという。
そんな状況に陥っていた2004年、「あの男」がファイターズにやってくる。
「なんで新庄を獲るんだよ!」
メジャーリーグで3年間プレーしていた新庄剛志が日本球界に復帰することになり、日本ハムと契約を結んだ。
日本ハムは前年には坪井智哉を交換トレードで獲得しており、森本にとっては2年続けて同じ外野手の強敵が入団したことになる。
当初、新庄に対しては「敵意」しかなかった。
「あとで新庄さんに言われましたよ。『お前は酷かった』って(笑)。
何を言っても、『フーン』って態度で。よほどツンツンしていたんでしょうね」
新庄と仲良くなれたきっかけが何だったかを、森本はいまだに覚えていない。
ただ、ロッカーが隣で、同じメーカーの用具を使っていたことから話が弾み、守備についてアドバイスをもらえるようになったという記憶は残っている。
ある日のロッカーで、森本は新庄とこんな会話をした。
「新庄さん、遠征先では何してるんですか?」
「メシ食いに行くよ」
「そうなんですか。一緒に行きたかったなぁ」
「……なんでお前、言ってこないの? お前から言ってこいよ」
「いいんですか?」
そして次の機会に、森本は思い切って新庄を食事に誘ってみた。新庄はその誘いを快諾して、食事の席でこんな話をしてくれた。
「お前もそのうちわかると思うけど、後輩から声を掛けられるのって嬉しいから。
そもそもなんでオレから声を掛けなきゃならねぇんだよ。お前が行きたいなら、お前が声掛けてこいよ」
森本は「なるほど」と思いながら、新庄に言われたことをそのまま自身の後輩に言ってみた。
「お前から誘って来いよ」と。そして実際に「食事に連れていってください」と後輩から言われてみて、確かに嬉しさを感じたのだった。 - 4: 2016/04/04(月) 15:20:21.00 ID:CAP_USER*.net
- 「それからですね。上の人たちにも平気で『お願いします』と言えるようになって、コミュニケーションが取れるようになったのは。
今にして思えば、なんであんなに上の人たちにツンツンしてたのか、自分でもわからないんですけどね(笑)」
新庄とのかかわりを通して徐々に変わり始めた森本だったが、さらに翌2005年も次なる強敵が現れた。森本は内心、こう叫んでいたという。
「なんで稲葉を獲るんだよ!」
フリーエージェント宣言をしてメジャー移籍を目指したものの、オファーがなかった稲葉篤紀が、日本ハムと契約を結んだのだ。
社交性を取り戻していた森本だったが、稲葉に対しては「ツンツンしていました」と笑う。
だが、森本が稲葉の野球に対する姿勢に感銘を受けるまで、時間はかからなかった。
森本は「稲葉さんのプレースタイルはチームを変えた」と断言する。
「ミスをしたり、凡退した後の切り替えがうまいんです。ベースランニングも攻守交替もいつも全力で走るし、練習もすごくする。
『なんで獲るんだよ』なんて思ってごめんなさい……って感じでした(笑)」
そして2006年には、坪井が故障したこともあり、森本は年間通してレフトの定位置を獲得する。レフト・森本、センター・新庄、ライト・稲葉の鉄壁の外野陣は他球団の脅威になった。
「あの頃は、試合前から『今日は勝ったな』と思えるくらい、チームがひとつになっていることを肌で感じていました。
相手は硬くなっているのに、こっちは『いつも通りいくぞ~!』という感じで。
2006年から2007年の2年間は、ずっと『ゾーン』に入っていたような気がします。過ぎてしまえば、ほんの一瞬の出来事みたいでした」
2006年に日本一、2007年にはリーグ連覇。栄光が続いた後、森本にとっては試練の年が続いた。
2008年からなんと3年連続で死球を受け、指を骨折するという不運があったのだ。
故障の影響もあって打撃不振に陥り、糸井嘉男ら若手の台頭もあった。それでも森本は、当時を「ツイてる」と総括する。
「苦しい時期を味わえたことは、勉強になりました。『野球がしたい!』と心から思えましたから。
ファームで苦しんでいるときは、いつも前を向いて練習していた稲葉さんの姿が浮かびました。
あの時期は自分にとってすごくプラスになったし、成長できたと思います」
それからDeNA、西武での5年間を経て、森本はユニフォームを脱いだ。
2015年9月27日に行なわれた森本の引退セレモニーでは、稲葉が花束贈呈に現れ、新庄からはメッセージが贈られるサプライズもあった。
「稲葉さんが来てくれて嬉しかったですね。新庄さんだって、(球団関係者が)メッセージをもらうのによく連絡が取れたなと思いますよ」
そう言って、森本は無邪気に笑った。17年間の現役生活を終え、現在は解説者として新たな野球人生をスタートさせている。
かつて、いつも帽子をかぶっていた少年は、今もプライベートで帽子が手放せないという。
それは、帽子をかぶっていないと常に「森本だ!」と声を掛けられるほどの存在になってしまったからなのだ。
(つづく) - 5: 2016/04/04(月) 15:20:48.73 ID:HHKgOt610.net
- ハゲなの病気だったのか。
- 6: 2016/04/04(月) 15:21:32.60 ID:KVedmjsG0.net
- 病気の禿げは治療すべき
- 8: 2016/04/04(月) 15:22:14.19 ID:Ud0mc89W0.net
- 野球の実力で黙らせるでいいの?
野球を通じて心から理解しあえる仲間が増えたとかのが美談になると思うよ - 22: 2016/04/04(月) 15:29:40.40 ID:aK50QQvj0.net
- >>8
? - 48: 2016/04/04(月) 15:57:02.36 ID:hA+jnzgh0.net
- >>8
お前はお手て繋いでお友達と横並び
ゴールテープは「いっせーのーせっ!」で同時に切ればいいよ
そういう人生が似合ってる - 10: 2016/04/04(月) 15:23:05.53 ID:hwHCY1IB0.net
- 苦労してたんだな。
- 12: 2016/04/04(月) 15:24:16.32 ID:ldzEs8B00.net
- まあ ハゲって呼ばれてたんだろな
- 17: 2016/04/04(月) 15:26:47.84 ID:q2ClfnmE0.net
- 小学生は残酷だから平気で言葉のビーンボールを投げてくるよな
- 20: 2016/04/04(月) 15:28:08.74 ID:njDDyYo70.net
- 俺の幼稚園の時に塾に同じ病気の子がいて
そいつのあだ名はハゲつるぽっぽだったわ - 21: 2016/04/04(月) 15:28:25.22 ID:UlzhsSr30.net
- 取り柄のないハゲは笑われ続けるしかないと
- 36: 2016/04/04(月) 15:50:03.91 ID:ldzEs8B00.net
- >>21
- 28: 2016/04/04(月) 15:34:05.73 ID:IRsFoj3j0.net
- ただのスキンヘッドかと思ってた・・・
- 30: 2016/04/04(月) 15:35:28.95 ID:MHdNdPJk0.net
- 正直成績だけ見たら
通算8億 最高1億3000万 実働17年だから平均5000万とは信じられん 外野手だからなおさら - 34: 2016/04/04(月) 15:38:57.73 ID:/JoKvjXI0.net
- >>30
実働は長いから選手層の厚みで貢献してるけど、やっぱり打率が・・・ - 37: 2016/04/04(月) 15:51:18.48 ID:PXUGhoiwO.net
- >>30
インコース打てない
変化球に弱い - 44: 2016/04/04(月) 15:55:32.94 ID:PXUGhoiwO.net
- この人は腕が長い
だからインコースが打てなかった - 40: 2016/04/04(月) 15:53:09.16 ID:7d/4euVD0.net
- また髪の話・・・
- 38: 2016/04/04(月) 15:51:36.67 ID:ewLEtbzP0.net
- 高校の時に同じように髪がないヤツがいた
しかも、頭にアザがあって小太り
ついたあだ名がゴルビー
でも苛められることもなく溶け込んでたな
朝なんて、ペレストロイカー!つって教室入ってくるし - 55: 2016/04/04(月) 16:01:28.12 ID:YqjTMtNlO.net
- >>38
ネタだよね?
もしそれが本当ならゴルビー、ゴルビーとあだ名を付けた奴共にセンスあり過ぎるわw - 72: 2016/04/04(月) 16:17:06.63 ID:8/CbCuUh0.net
- >>38
俺は、そいつが好きになった。 - 50: 2016/04/04(月) 15:57:34.99 ID:k44cuFRg0.net
- 引退試合よかったな
- 81: 2016/04/04(月) 17:10:38.86 ID:VDN6KGbO0.net
- ひちょりの最終打席の動画は何度見ても泣けるわ
https://youtu.be/aFeZJNTEChY - 82: 2016/04/04(月) 17:24:02.02 ID:9Fkqy1V00.net
- 嫁さん超美人だよな
- 62: 2016/04/04(月) 16:07:53.34 ID:btJ0vOk3O.net
- ひちょりはスポーツは何やってもそれなりに結果出したろうなあ
- 59: 2016/04/04(月) 16:05:19.70 ID:gELKuNH80.net
- チョリさんは、身体能力ずば抜けてたからねえ
- 35: 2016/04/04(月) 15:49:46.03 ID:npgXx0Qp0.net
- すごい身体能力だったよね。
体は大きいし、走っても速い。肩も強く。
野球選手としては申し分のないものを持っていた。
プロとしてはもっと活躍できたかもしれない。
国籍は多分向こうだろうが、そんなことはどうでもいいほどの
ナイスガイだよ、森本は。 - 79: 2016/04/04(月) 17:09:14.28 ID:id58qt060.net
- 最近、解説やってるんだけど上手いんだよな
- 76: 2016/04/04(月) 16:39:47.97 ID:M1RpITS/0.net
- 剃ってたんじゃないんだ
- 77: 2016/04/04(月) 16:51:20.07 ID:Mks4G1kA0.net
- 病気だったのか
でも足もつるつるとか羨ましい - 74: 2016/04/04(月) 16:19:09.94 ID:sm1Nycum0.net
- 稀哲は子供のとき病気でハゲだったけど、
今はそのときのことを忘れないようにスキンヘッドにしてるんじゃなかったか? - 85: 2016/04/04(月) 17:30:15.85 ID:AjV9HJXk0.net
- 父親は在日だけど母親は日本人だよね
新庄になろうとして空回りしてる感はあったけど嫌いじゃなかった
死球による骨折がなかったらもっと活躍できただろうな - 86: 2016/04/04(月) 17:30:41.06 ID:JMJ9+tQZ0.net
- 自信や何か誇れるものがあるとコンプレックスなんか消し飛んでしまうんだよな
それくらい根拠のある自信っていうのは強い
スポーツ・勉強・仕事なんでもいいから精いっぱい努力するって大事だわ
- 1001: オススメ記事一覧 2038/01/19(火) 03:14:07.00 ID:GeiNonOtb0.net