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第一次世界大戦および第二次世界大戦の両大戦において戦場となった東ヨーロッパ地域ではドイツ軍が侵攻を繰り返し激戦が繰り広げられた。これらは東部戦線と呼ばれている。第一次世界大戦ではドイツ軍が勝利したが、第二次世界大戦では旧ソ連軍の激しい抵抗を受け、これがのちの独ソ戦へとつながる。
今でも戦場となった地域にはおびただしい数の武器や兵器が眠っており、その全体数すら把握できていないという。これらの埋葬品はそのほんの一部である。
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第二次世界大戦中に起きた東ヨーロッパを舞台とする東部戦線において、ドイツ軍は旧ソビエト連邦(以下ソ連軍)の赤軍に圧倒的な痛手を負わせた。だがソ連軍は前線を後退させながらも、再度攻撃の準備を試みていた。
これが「独ソ戦」の始まりとなる。これは1941年から1945年にかけてドイツを中心とする枢軸各国とソビエト連邦との間で戦われた戦争である。
大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソビエト連邦であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、ナポレオン・ボナパルトに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争と呼称。一方、ドイツ側では主に東部戦線と表現している。
双方に大きな損失をもたらした史上最も大規模な戦いであったと言えよう。そして結果的にこの戦いによりナチスドイツのその後の運命が大きく変わってしまう事となったのであった。
この戦いの大部分は戦略的ミス、大虐殺、そして人々の苦悩が伴う戦いであった。その規模はそれまでの歴史上、類を見ない物だったと言う。
当時のドイツとソビエト連邦はお互いに違う理念を抱きながらも、第一次世界大戦の結末に同じ様な不満を持っていた。
ソビエト連邦は第一次世界大戦終結後のブレスト・リトフスク条約の下、東ヨーロッパの都市の多くを失う事となり、ソビエト連邦に変わりドイツがポーランド、リトアニア、エストニア、ラトビア、フィンランドと言った都市を支配下に置いた。
その後ドイツはパリ講和条約の下、武装・動員解除の動きを見せ、ロシアはボリシェヴィキ政権への不満から白軍との2年に亘る長い内戦へと足を踏み入れる事となる。
ソビエト連邦の歴史的登場はその後4年も先になるので、ロシア人の幹部はソビエト連邦軍には存在しないのだ。
独ソ不可進条約は1939年8月に終結され、その裏では秘密議定書が終結されていた。その議定書は主に領土問題において、ドイツとソビエト連邦が第一次世界大戦以前に保持していたヨーロッパの国々を分割しようという合意であった。
フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニアはソビエト連邦の支配下に戻り、ポーランドとローマニアは両国で分割するのが目的であったのだ。
1939年8月11日、アドルフ・ヒトラーは国際連盟のヤーコプ・ジェイコブ・ブルクハルト長官に「ソビエト連邦を侵略する」事を伝え、「私がこれからとる行動は全てロシアに対して行う物である。もし西が私の行動を理解できない程盲目ならば、私はソビエト連邦と何らかの協定を結ぶつもりだ。西を薙ぎ払った後、ソビエト連邦に私の軍を引き連れて侵略するつもりでいる」と綴っている。
その文章にはアドルフ・ヒトラーが第一次世界大戦時のように国が飢えぬように、今度こそウクライナを手中に収める意気込みも書かれていた。
ドイツのソ連への攻撃は戦史史上最も大規模な奇襲であったと言える。しかし、現在の歴史評論家によれば、ロシア側にしてみればドイツ軍の奇襲は「然程驚きでもなかったのではないか」という説が浮上している。
ソビエト連邦とナチスドイツは1939年に不可侵条約を結んでいるとはいえ、多くの人間がアドルフ・ヒトラーはいつ時かロシア(ソビエト連邦)を攻撃するだろうと睨んでいたからだ。
当のアドルフ・ヒトラーは自身が行った行動を自伝において「生存圏の確保が目的であり、ヨーロッパ東部、特にロシア側の確保は必要であった」と説明している。
アドルフ・ヒトラーはこの頃よりドイツの未来像を着々と形にし、ドイツ人(アーリア人)を「最高の人種」として崇め、その他の人種(特にシベリア人)を奴隷層にする予定だったという。
ヒトラーは1917年初頭、ロシア人を下等人種として扱っていた。これはボルシェヴィキ政権がユダヤ人を擁護し、高く評価し、スラヴ系の人々の上に置いていたからである。
ヒムラーなどの政治家たちはこの戦いをソビエト連邦とナチスドイツのユダヤ系ボルシェヴィキの間に起きた戦争だと語っている。ドイツ国防軍はとにかく「ユダヤ系ボルシェヴィキ」を半人間とし、射殺を命じた。
二つの軍は1939年、ポーランドで戦いを始める。
フィンランドがソビエト連邦との共闘を断ると、ソビエト連邦はすぐさまフィンランドに攻撃をしかけた。これが1939年11月30日から1940年3月13日まで続いた「冬戦争」である。戦いの結果、フィンランドは国としての威厳を持ち続ける事は出来たが、その国の一部をソビエト連邦に渡す形となった。1940年6月、ソビエト連邦はハーグ条約を無視し、バルトの島国三つを占領する。
独ソ不可侵条約によりソビエト連邦はバルト海と並びに、ルーマニア北部と北東部を支配下にする事が可能となった。これに対してヒトラーは独ソ不可侵条約に違反するものだと非難した。
ヒトラーはこの戦争を後に「撲滅戦争」と呼んでおり、この戦争がいかに人種間の戦争であったかがうかがえる発言である。
この頃「ジェネラルプラン・Ost」という作戦が存在していた事が後になって分かっている。この作戦はソビエト連邦軍とヨーロッパ中心部の人々をシベリア西部に送り出す物で、この作戦の意図は「人々の支配・奴隷化」だったと言う。ドイツ軍はこれにより人種の統一化を図ろうとしていたようである。この頃時を同じくして行われたユダヤ系の人々への攻撃が行われているのだ。
1941年、ドイツ軍がキエフの戦いに勝利すると、ヒトラーはソビエト連邦が弱体化していると読み取り、ソビエト連邦への進軍を命ずる事となる。
1941年10月3日、アドルフ・ヒトラーは「私達はただ扉を蹴ってやればいいだけだ、そうすれば中から腐った体制が零れ落ちてくるだろう」と言ったそうだ。
この事からドイツ軍は武器の製造に消極的になり、長期的な戦争の準備を怠ったのである。しかしその後の1943年に起こったスターリングラード攻防戦において、その怠慢が災いとなりソビエト連邦に決定的な優位を持たせてしまう事になる。
ドイツの第4・6SS装甲軍がスターリングラードへと攻め込む内に、両側の都市がソビエト連邦の支配下に落ちたのである。そして1942年11月、この二つの都市からソビエト連邦は反撃を開始するのだ。
オペレーション・ウラヌス(天王星作戦)は11月19日に始まり、ルーマニアの前線をソビエト連邦の二つの軍隊が押し倒し、カラチまで前線を上げて行った。これにより11月23日、30万の兵士が彼らの包囲網に落ちたのだ。
ちなみに同時期にソビエト連邦軍は天王星作戦と時を同じくして、火星作戦と名付けたドイツのルジェフ付近に対する攻勢作戦を立案し、実行したがドイツ軍の軍事的勝利によりソビエト連邦は大きな痛手を負う事となった。
ソビエト連邦の天王星作戦においてドイツ軍はすぐさまロシア側に戻り、スターリングラード奪還を試みたが、全ての進撃準備が整うのは11月12日の事で、その頃には第6SS装甲軍は既に食糧難に陥っていた。
その後にドイツ軍が行った「冬の嵐作戦」は、スターリングラードに捕らわれたドイツ軍を救い出すための作戦だった。ドイツ軍はSS軍3部隊をコテリニコブからカサイ川へと向けたが、スターリングラードを前にして倒れる事となった。12月16日にはドイツ軍は最後の希望として、背後のイタリア軍を退ける事でスターリングラードを奇襲する事を考えたのである。
しかしその作戦の最中に大きな痛手を負ったドイツ軍は撤退を余儀なくされ、ヒトラーはここでやっとA軍集団に撤退を命じるのであった。ドイツは状態を維持する事が困難になり、ルジェフから撤退し、ウクライナで戦況を立て直そうという魂胆であったという。
1943年1月31日、元々30万人居たうちの生き残った9万人の第6SS武装軍が降伏し、その頃にはハンガリーの第二軍は既に壊滅していた。
ソビエト連邦はスターリングラードを手中に収めたあと、スターリングラードから西に500キロメートル進み、1943年2月8日にクルスク、1943年2月16日にハルキウを奪還した。
スターリングラードを手中に収められなかったヒトラーはグデーリアンを陸軍参謀総長に任命し、SS装甲軍の総指揮を任命した。この頃にはヒトラーは全ての攻撃に対して消極的で、クルスクに進行する事も恐れていたという。
こうして、独ソ戦の2転、3転する戦いはソビエト連邦の大敗から始まり、最終的な逆転へと進んで行ったのである。今でもこういった戦いの爪痕として、遺物が幾つか発見されているのだ。
via:cracktwo・translated riki7119 / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
ソ連領だし遺骨も戻ってないだろうな可哀想に
2. 匿名処理班
六枚目の砲身の折れた戦車ってもしかして「IS-1」なのかな?IS-2にしては砲が細いような?
3. 匿名処理班
トカレフ・M1940セミオートマチックとかちょっと珍しい小銃の写真が混じってますね。しかし、迫撃砲弾や砲弾の雷管や火薬は外したあとなのかな?
4.
5. 匿名処理班
形あるものは皆崩れ
消えて無くなるんだな
6. 匿名処理班
アインシュタインは第4次世界大戦は石と棍棒で行われると冗談めかした予言をしたけど、そのときこれらが掘り起こされればオーパーツってレベルじゃないな。