1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/04/27(水) 07:17:51.45 ID:CAP_USER9.net
神宮球場はレフトスタンドから赤く埋まる。数え切れないほどの背番号「25」のレプリカユニホームを身にまとったファン。
初回二死から4番に入っていた新井に打席がめぐってくると、ビジターであることを忘れ去るほどの地鳴りのような大歓声が球場全体を包む。
「プレッシャーはない。普段通り」と言い続けたきた新井も、ネクストバッターズサークルから打席に向かう途中で「すごい声援に緊張した」という。
力む。結果は、ショートフライ。4月26日。1999本で迎えたヤクルト戦の第一打席である。
第2打席の前にサプライズが起きる。エルドレッド、鈴木、堂林の3連発。
ベンチで新井は何度も右手を突き上げて雄たけびを上げていた。「勝ち試合で決めたい」。最年長新井の思いは、確かに伝わっていた。
前祝いとも言える祝砲に背中を押される。3回、先頭の丸が内外野の間にポトリと落とすラッキーなヒットで
一気に二塁を陥れると、打席に向かう新井に緒方監督と石井打撃コーチが「普通に打てよ」と声をかけた。
「あれで楽になった」
新井は、ヤクルトの先発、成瀬善久(30)のインローのスライダーをレフト線に引っ張った。
ライナー性の打球がワンバウンド、ツーバウンドでフェンスにぶつかった。
タイムリー二塁打。「チームのみんながチャンスを作ってくれた。感謝したい」。
二塁ベース上で、花束と2000本安打のボードを受け取った。新井は、丁寧に全方位に頭を下げた。
スタンドには、「努力の2000本」という垂れ幕が掲げられていた。
1998年のドラフト6位入団。6位以降の選手の名球界入りは、7位の福本豊氏以来、2人目である。
実は、コネ入団だった。
駒大時代に、日米野球で活躍、東都で打点王、ベストナインを獲得したが、どの球団の獲得リストにも新井の名前はなかった。
それでもプロを夢見る新井の思いを知る知人が松田オーナーに直談判し、
新井自身も、駒大の先輩である野村謙二郎氏の自宅を訪れ、バットスイングを見てもらい“推薦”を願った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000001-wordleafs-base
THE PAGE 4月27日(水)7時0分配信
2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/04/27(水) 07:18:54.62 ID:CAP_USER9.net
チームには、ヘッドコーチとして、もう一人の駒大の大物先輩である大下剛氏がいたたため、
大下氏にもすがり、あらゆる方面から最終決定権を持つ松田オーナーへの推挙を受けたが、
オーナーが現場のスカウトの意見を聞いたところ、「身体強く、バッティングは当たれば面白いが、肩がまるっきり弱くてプロでは守るところがありません」
という評価だったという。
それでも松田オーナーは、地元広島出身で選手でもあり、大下氏、野村氏の意見と「当たれば面白い」の長所だけを信じて駄目元で新井獲得の号令を出した。
キャンプでは大卒で即戦力のはずが、まるっきりバットにボールが当たらない。
「マイナスからのスタートでした」
当時の監督だった達川光男氏は「5年でいなくなるだろう」という印象を持った。
間抜けなボーンヘッドもやらかしていた。
中日戦で満塁で一塁ゴロでアウトカウントを間違い、一塁コーチにボールを渡し、その隙に走者が帰ったこともあった。
見当違いのボールを追いかけてこともある。
不器用であるのだが、ここから新井のひたむきな努力が始まるのである。
キャンプでもっともユニホームが泥だらけになり、手の豆を潰して誰よりもバットを振った。
逆に達川氏は、「こんなに練習するやつがいるのか」と驚いたという。
目の前に最高の教科書があった。アニキこと金本知憲の存在である。
新井は言う。
「いろんな人に支えられ助けられここまでこれた。おかげさまなんです。選手としてプロの姿を間近に見て、大きな影響を受け、世話になったのが金本さんと黒田さんです。
金本さんには叱咤激励されながら、恐れないことを学びました。
黒田さんには、チームのためにひたむきに生きる、本当のプロの姿を教えていただきました」
公私にわたって世話になった金本には、その背中で、休まず試合に出続けることの大切さを教えられ、
広島のジム「アスリート」でのトレーニングに誘われ、技術以上に重要な基礎体力、パワーを培う。
侍ジャパンの4番として出場した2008年の北京五輪。実は、新井は腰を骨折していた。
しかし新井は、そのことを誰にも言わずにプレーを続けていた。
チームのスコアラーだった三宅博は、大会が終わりに近づいた頃、チームのドクターに「MRIを見ると骨に異常が出ています」と告げられ、初めて重症だったことを知る。
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FA当時を心境を真剣に思い出すと、腹が立つ(笑)
個人的に真に許すには、このまま活躍して優勝するしかないなぁ