子供の頃って、空に浮かぶ雲が色々なものに見えましたよね。
甘い甘いわたあめ、空を駆けるはたらくくるま、表情を綻ばせたどうぶつたち。
多分そんな感じに見えてたはずです。
そんな幼少期から20年ほど経過した現在。
空を仰いだところで、純粋な好奇心なんて生まれません。
無駄な知識に海馬を圧迫され愚鈍になった脳神経を通して見える世界が、始まりも終わりもなく病的に広がっているだけです。
あんなに夢を投影できた水蒸気の集まりも、もはや酷く歪な形に見えてしまいます。
大人には雲がこう見える
少し前に、現在の自分には雲がどんな風に見えるのか気になって久しぶりに上を向いてみました。
もちろん、今だって空を見上げれば色んな形の雲がありますが、
こんな雲も、もうあれにしか見えません。
①永遠に炊かれることがない生米
これまでも、そしてこれからも炊かれずに終わる生米に見えます。
食されず、育った意味も見い出せず、今もどこかを転がっていながら誰からも探されない運命です。
こちらのもわもわっとした雲も。
②この先もずっと領土争いが絶えない地域
血を見るために戦をする、そんな永遠に領土争いが絶えない地域に見えます。
各国の王は幾百年に渡る戦乱の中で、人間を心身ともに蹂躙する快感に憑りつかれています。来る日も来る日も敵兵の血を美酒の如く飲み干すだけで、全土統一など既に思考の彼方です。
こちらの薄く小さな雲も。
③人生を通して「上手くいった」という経験がなく死んだ人間の魂
「上手くいった」「真摯な努力が実を結んだ」「自分で考えた工夫が周囲に何らかの良い影響を及ぼした」という経験を一度もせずに、寿命で死んだ人間の魂に見えます。
彼らにとって80年を超える年月はあまりにも長く、ほとんどが同じことの繰り返しばかりで何も甲斐がありませんでした。
住宅街の雲も。