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うろ覚えでフランク王国の歴史を語るスレ | 不思議.net

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うろ覚えでフランク王国の歴史を語るスレ

2016年05月10日

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コメント( 2 )

1: アスペニート 2016/05/09(月) 22:43:08.280 ID:s99kOqxl0
もともとフランク族はローマ帝国と同盟を結んでて今のベルギーあたりにいた(五世紀くらい)
アスペニート(世界史)シリーズ
http://world-fusigi.net/tag/アスペニート
※「アスペニート」とは2chで世界史に詳しい人のコテハンです。
管理人です!
今回のアスペニートさんは思いつきでスレを立てられたようです。
スレ中にも注意が出てきますが、今回の歴史の話には信憑性が薄いそうです。

ですが個人的にはアスペニートさんの話なのでまったくのデタラメではないと思います。
歴史の話が好きな方には十分楽しめるスレではないでしょうか。

フランク王国

フランク王国は、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。現在のフランス・イタリア北部・ドイツ西部・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・オーストリア及びスロベニアを領土とし、最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域に及ぶ。ゲルマン系フランク人のサリー・フランク族が建てた王国であることからこの名がある。首都は508年にパリに置かれ、カール大帝時代はアーヘンに王宮が置かれてここが事実上の首都となった。
wiki-フランク王国-より引用

ClovisDomain_japref

引用元: うろ覚えでフランク王国の歴史を語るスレ







3: アスペニート 2016/05/09(月) 22:46:48.150 ID:s99kOqxl0
でも西ローマ帝国の滅亡するあたりにフランク族の有力者にクロヴィスってすごいやつがあらわれてガリア(今のフランス)へ侵入
ローマ軍の生き残り政権とか西ゴート王国とかアラマニア王国とかの他のゲルマン人王国を片っ端からボコって
ガリアの大部分を統一した
これが6世紀初頭まで

18: アスペニート 2016/05/09(月) 23:24:48.168 ID:s99kOqxl0
このスレ何も本見たりググったりせず適当に書いてるだけだから信用しちゃダメだぞ

2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/09(月) 22:43:53.311 ID:d5oCu7ce0
そりゃもうフランクフルトよアメリカンドックなんか目じゃねえわ

5: アスペニート 2016/05/09(月) 22:48:40.391 ID:s99kOqxl0
>>2
フランクフルトの直接の語源はドイツの都市のフランクフルトらしいから
だとするとさらに遡ればこの食べ物の名前はもともとはフランク族に由来することになるな

6: アスペニート 2016/05/09(月) 22:54:36.455 ID:s99kOqxl0
書き忘れたけどクロヴィスの時代にフランク族は異教を捨ててキリスト教カトリックに改宗した

建国の英雄クロヴィスが死ぬと王国の領土は四人の息子がいたので四つに分割され長男のテウデリクの元でさらに領土を拡大した
でも三人の息子が次々に死んでその後継者も若死にすると
唯一生き残ったクロタール一世が全領地を短期間ながら再統一した

でもクロタール一世が死ぬとまた領土は四人の息子の間で分割
一人は割りとすぐ死んだので、ネウストリア王国、アウストラシア王国、ブルグント王国の三つの分王国成立した

7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/09(月) 22:54:50.670 ID:xWraoaty0
結局フランク王国の後継者ってドイツなの?フランスなの?イタリアなの?

9: アスペニート 2016/05/09(月) 22:57:13.552 ID:s99kOqxl0
>>7
ドイツもフランスも両方じゃね
イタリアはあまりなさそう

8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/09(月) 22:55:28.851 ID:bX0k4tjZ0
なんで東ローマはイタリア半島を奪還しなかったん?

9: アスペニート 2016/05/09(月) 22:57:13.552 ID:s99kOqxl0
>>8
ユスティニアヌスが東ゴート王国を滅ぼして奪還したよ
でもユスティニアヌスが死ぬと新たな蛮族ランゴバルド族がやってきてほとんどイタリアの領地奪われちゃった

10: アスペニート 2016/05/09(月) 23:01:17.385 ID:s99kOqxl0
ネウストリア王のキルペリヒとアウストラシア王のシギベルトはそれぞれスペインの西ゴート王国から妃を貰っていたのだが
キルペリヒはその妃を殺害して持参金を奪った上に卑しい身分のフレデクンドを王妃するという暴挙に出る

これに対してシギベルトの妃のブルンビルドは殺された姉妹の復讐を要求
こうしてネウストリアとアウストラシアの間に争いが起きてそれにブルグント王国も絡んで血みどろの内乱が起きる

11: アスペニート 2016/05/09(月) 23:07:13.136 ID:s99kOqxl0
シギベルトとキルペリヒは相次いで暗殺者の刃に倒れ
フレデクンドとブルンビルドが幼い息子を擁して争い続けるうちに各地では在地の豪族たちが力を付け始める

この争いは一旦ブルンビルドが勝利を収めるかに見えたものの
その強権的な政治方針に反乱が相次ぎ最終的にはキルペリヒの子のクロタール二世がブルンビルドに対して勝利を収める

こうして分裂した王国は再びクロタール二世の元で再統一された

12: アスペニート 2016/05/09(月) 23:10:52.001 ID:s99kOqxl0
しかしこの間に地方の勢力の台頭は著しくアウストラシアの豪族は独自の王を戴くことをクロタール二世に要求
クロタール二世の幼い息子のダゴベルト一世をアウストラシア王につけたが
実権は宮宰の大ピピンやメッツ大司教のアルヌルフらに握られていた

彼らの子孫が後にカロリング朝を開くこおになる

13: アスペニート 2016/05/09(月) 23:15:43.487 ID:s99kOqxl0
成長したダゴベルト一世の治世までは国王が実権を握っていたものの
その死後は幼王が立ったこともあって各地の権力はそれぞれの「宮宰」と呼ばれる大臣に奪われてしまう

特にアウストラシアでは大ピピンの息子で宮宰になったグリモアルドが自分も息子を王に付けようとクーデターを起こすまでになる
この企ては失敗してグリモアルドは処刑されたが
大ピピンの娘とメッツ司教アルヌルフの息子の間に生まれた中ピピンが実権を握ってその野望を引き継いだ

19: アスペニート 2016/05/09(月) 23:27:19.540 ID:s99kOqxl0
中ピピンはネウストリアやブルグント王国の宮宰を破って全フランク王国単独の宮宰となる
この中ピピンの庶子がカールマルテルで、彼は兄たちを退けて実権を握るともはや完全に国王のように振る舞い
お飾りの王が死没しても新しい王を立てずに平然としていた

この時代にイベリア半島のイスラーム勢力が南仏に侵入してきて
有名なトゥール・ポワティエ間の戦いが起こりカールマルテルが勝利した

20: アスペニート 2016/05/09(月) 23:29:49.720 ID:s99kOqxl0
カールマルテルが没すると息子の少ピピンが後を継ぎ、ローマ教皇からのお墨付きを得てついにクロヴィスの子孫から王位を奪って自ら国王に即位する
こうしてメロヴィング朝からカロリング朝へと王朝交代

21: アスペニート 2016/05/09(月) 23:35:35.921 ID:s99kOqxl0
小ピピンの息子にはカールとカールマンがいて領土は二つに分けられたが
兄弟の間で戦争が起きそうになった時に都合よくカールマンが没したのでカールが単独の王になった

カールは先祖の代からの伝統の征服戦争をさらに積極的に進め、
北イタリアのランゴバルド王国、異教徒のザクセン人国家などを併合してフランク王国の領土はここに最大化した

それまで法的には東ローマ皇帝の家来とされていたローマ教皇は
カールを後ろ盾として東ローマの影響力から逃れようと動き、西暦800年にはカールのローマ皇帝戴冠が実現した

23: アスペニート 2016/05/09(月) 23:48:27.931 ID:s99kOqxl0
このあとカール大帝が死んでルイ敬虔帝が単独相続するけど
無茶な領土分割をしたせいで長子の優越権が怪しくなって王国から格上げしたフランク帝国はバラバラに

長男=イタリアとドイツとフランスの間(ロートリンゲン)
次男=ドイツ
三男=フランス
という風になったけど長男の息子の国はロートリンゲンは意地悪な叔父たちの食い物にされて消滅
イタリアもドイツとフランスの奪い合い

22: アスペニート 2016/05/09(月) 23:40:14.541 ID:s99kOqxl0
飽きた

24: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/09(月) 23:59:27.803 ID:g56UYSS10
それじゃあつぎは俺がこの前の時代の古代ゲルマンをうろ覚えで語ろうか

25: アスペニート 2016/05/10(火) 00:00:18.985 ID:k20qLX/20
まかせた

26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:09:00.427 ID:8HKMEgPa0
まず俗にいう「ゲルマン民族」の本格成立は紀元前5世紀ごろ
北部ドイツのヤストルフ文化圏にてゲルマン祖語が成立したところからとされている
このゲルマン祖語は多文化圏への浸透能力がけっこうたかく
前2世紀ごろまでにかけて東では半分プロトスラブ系なポメラニア文化などがゲルマン語し
西・南でもケルト系のラテーヌ文化と接触してそこでも文化融合してのゲルマン語化がすすむ

27: アスペニート 2016/05/10(火) 00:11:20.734 ID:k20qLX/20
古代すげー

33: アスペニート 2016/05/10(火) 00:18:26.664 ID:k20qLX/20
ちなみに「カール」という名前はアングロサクソン語で自由な農民を言う「ケオルル」という語と関係があるらしく
この事からもカロリング家はイングランドとかの北方との交易と深く結びついて力を蓄えた一族あるらしい

34: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:18:29.755 ID:8HKMEgPa0
そんで前3世紀ごろには西はライン河の東岸 南はドナウ上流部 東はポーランド全域にまでゲルマン圏が拡大する
ただしこの全てが「ゲルマン人」と言えるかどうかは今日でも議論があり
たとえばポーランド南部のプシェヴォルスク文化圏(のちのヴァンダル族)などはスラヴ系ともいわれ
エルベ~ドナウ上流にひろがったスエビ圏はラテーヌの影響も強いため半分ケルト系じゃねとも言われてたり

35: アスペニート 2016/05/10(火) 00:20:13.028 ID:k20qLX/20
スエビとかボイイとかよくわからん

37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:35:15.689 ID:8HKMEgPa0
>>35
「スエビ」ってのは諸説あるけど
スエビ族という一つの部族社会が存在したわけではなく
だいたいはエルベ地域に居住した「ヘルミノネス(IrminonesあるいはHerminones)」というグループを指すみたい
日本語のニュアンスでは「スエビ族」ではなく「スエビ人」と言うのがより正確かも
ボイイはラテーヌ・ケルト系の部族

36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:25:28.780 ID:8HKMEgPa0
そんなこんなでゲルマン圏はすくすく育っていくも次第にいくつかの問題がでてくる
まず人口増加これは説明不要
そしてもう一つはバルト海の度重なる気候変動
このころはちょうどプチ変動期で海岸が前後しまくりで荒ぶっていたという考古学的な結果がでてる
かのローマを震撼させたキンブリ族もユトランド半島の故地を捨てた理由は
居住地が高潮で破壊されたためと伝わってる
これらが組み合わさりついにゲルマン人たちはいわゆる「ゲルマニア」という地域の外へと本格進出し始める

38: アスペニート 2016/05/10(火) 00:35:18.352 ID:k20qLX/20
なんか海岸線の上昇で住むとこなくなって移住みたいな話あったよね

39: アスペニート 2016/05/10(火) 00:42:53.483 ID:k20qLX/20
大変興味深いですね

40: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:48:03.456 ID:8HKMEgPa0
そんで前2世紀ごろからごりごりと進出していく
やはりラテーヌ圏が豊かに見えたのか特に西向きの動きがはげしかったとされている
ライン全域で西岸へと断続的な干渉そして隙あらば移住をこころみ
また下流域ではその影響でガリア人のゲルマン化(ベルガエ族)という現象も起こる
こうしたゲルマン勢力の圧迫はガリア社会にも多大な影響を及ぼしたとされている
たとえば城塞都市の原型「オッピドゥム」がちょうどこの時期に急速な増加・巨大化をみせたり
(そのうちドナウ上流域のは直後に使用されなくなる おそらくマルコマンニやクアディなどによって征服されたから)

こうした流れの中でも有名なのはやはりキンブリ・テウトニ族
前100年ごろにユトランドの故地を捨てた彼らはまずは南東に突きすすみパンノニアなどを攻撃するも
「やっぱ西がいい!」と転進してガリアを縦横無尽にヒャッハー
最終的には壊滅するものの一時はローマをも潰しかねないほどの勢いだった

41: アスペニート 2016/05/10(火) 00:54:04.684 ID:k20qLX/20
ケルト人の都市ってすごそうで気になる

42: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 00:55:45.073 ID:8HKMEgPa0
しかしそんな躍進期も南からローマが進出してきたことによって終わってしまう
その流れを決定付けたのは二つ
まずは前述のキンブリ・テウトニ族の大敗
そして二つ目はカエサルによるガリア征服
このガリアへの影響力をめぐってアリオウィストゥスを代表とするスエビ系ゲルマンが
カエサルと衝突するもあえなく敗北
この時期を境にしてゲルマン人による西方拡大はストップしてしまう
そして彼らにとっての苦難の時代がはじまる

43: アスペニート 2016/05/10(火) 01:02:37.963 ID:k20qLX/20
ゲルマン冬の時代

44: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:03:46.222 ID:8HKMEgPa0
このローマによって進出が止められたというのは
人口増大がつづくゲルマン世界において多大なる災難となる

現代人視点だと「人口少ないんだから土地なんて腐るほど余ってるだろ」と思うかもしれないけど
まず前述の安定しない気候という環境要因のほか
畜産・農耕ができる土地が少ないという地理的要因や
部族領の周辺に広大な無人地帯を設けたがるなどのゲルマン文化的要因がかさなり
ゲルマン世界は徐々に部族間の緊張がたかまっていく

46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:17:37.399 ID:8HKMEgPa0
そして更なる災難がつづく
前1世紀末に今度はローマがゲルマニアへ進出を開始
大ドルススに率いられたローマ軍は電撃的な侵攻をおこない
数度の遠征でライン・ウェーザー河から一気にエルベ西岸まで蹂躙
もちろんゲルマン側も何度か反撃に出たものの
ローマ軍は毎回のようにこの動きを察知して防御陣地を整えてこれを迎え撃ったため惨敗の連続
(ヒャッハーなゲルマン人でも防御側になるとすごく脆い)

そんなこんなでドイツ北部・中部はあらかた征服され
残すは南部のドナウ上流域(マルコマンニ・クアディ族)に
もちろんローマはこれを残すつもりはなくこれも征服~しようとしたものの
ゲルマン人にとっては幸運なことに
その直前にローマ支配化のイリュリアで大規模な反乱が発生する

48: アスペニート 2016/05/10(火) 01:26:38.901 ID:k20qLX/20
ローマ軍つよい

49: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:29:47.892 ID:8HKMEgPa0
当時総司令官だったティベリウスはすぐにマルコマンニ族と講和を結び
イリュリア反乱の鎮圧にとりかかる

このときこのローマ軍のなかにアルミニウスって若い高級将校がいた
彼はライン~ウェーザー域にいたケルスキ族長の息子で
ローマお得意の「征服民の首脳部をローマに組みこんでしまえ」政策の典型例
また単に族長の息子だからってだけで高い地位を与えられたのではなく
正統ローマ人に当てはめても異例の速度で昇進していることから
かなり有能な逸材で帝国上層部からも期待されていたらしい

その才能を生かして彼はローマ軍事の何もかもを吸収
戦歴はすこし前のパンノニア征服戦争からで
このイリュリア反乱当時(AD6年ごろ)はすでに歴戦指揮官だったとされる

50: アスペニート 2016/05/10(火) 01:30:28.026 ID:k20qLX/20
アルミニウスのカッコよさは異常

51: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:35:52.926 ID:8HKMEgPa0
このアルミニウスも当初はティベリウス指揮下として反乱鎮圧に赴いたものの
一年ほどでゲルマニア方面への異動を命じられる
当時のゲルマニアは「属州化」の真っ最中で
アルミニウスは有力なケルスキ族らとの調整担当・参謀役として向かわされたらしい
前7年ごろのこと

この辺で諸説はあるものの
アルミニウスはこのころすでにゲルマニア反乱を決意していたという見方が強い
おそらくパンノニア征服行やイリュリアでの惨い反乱鎮圧を目の当たりにして
「ローマ人」になるのを辞めてしまったとも
日本では塩婆も同様の見方をしている

52: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:36:38.846 ID:8HKMEgPa0
まちごうた
アルミニウスのゲルマニア行きは前7年じゃなくAD7年な

53: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:43:50.453 ID:8HKMEgPa0
そして運命のAD9年
「ある部族が反乱起こしそうなんでちょっと来てくれませんかね~」という
友好部族の要望をうけて総督ウァルスが2万5千ほどのローマ軍を率いてゲルマニア深部へ

このウァルスさんはガチ武闘派な大ドルススやティベリウスとは違い
現地体制作りが得意な属州化のために配属された人
そうした戦争経験不足がたたってか
彼はゲルマン人たちからの情報を特に疑うこともなく
「本拠地に軍つれてきゃおとなしくなるだろ」と舐めた姿勢で特に警戒もしかずにダラダラと進軍
そこでアルミニウスの罠にハマる

54: アスペニート 2016/05/10(火) 01:47:29.383 ID:k20qLX/20
ついに来たか

55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 01:53:51.342 ID:8HKMEgPa0
AD9年 トイトブルクの戦い
wikipediaとかにもわりと詳しい記事があるんであるんでここでは省略(めんどう)
ひとつ強調するとすれば
アルミニウスは「徹底してゲリラ戦をおこなった」という点
ローマ軍人としてその能力を完璧に理解していた彼は
正面衝突ではまずローマ軍には勝てないと認識していた

そんなこんなでウァルス軍は「消滅」する
その負けっぷりはローマ人にとってはまさにトラウマもんだったらしく
これに動員されていた17、18、19軍団は二度と再編されることがなく欠番となってしまったり
アウグストゥス帝の「俺の軍団かえせー」も有名

そのようにして侵略の仕返しは成功したものの「アルミニウス戦争」の本番はここから
ローマ側はブチ切れモードとなりゲルマンの苦難はつづく

56: アスペニート 2016/05/10(火) 02:02:11.611 ID:k20qLX/20
ローマ人キレすぎ

57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:02:49.656 ID:8HKMEgPa0
つづいてゲルマニア方面の総司令官についたのはゲルマニクスさん
かつてゲルマニア征服を行なった大ドルススの息子で
親父譲りの活力にあふれた若き猛将
ライン沿いの軍団が反乱起こしかけたりとしばし騒動があったものの
AD14年(あるいは15?)ごろからゲルマニクスの指揮下のもとゲルマニアの「反乱鎮圧」を開始する

58: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:07:14.523 ID:8HKMEgPa0
このゲルマニクス
まだまだ若くて未熟(衝動的とも)なところがあったものの
前任のウァルスとは異なったガチガチの武闘派であり中々の軍才も有していた
また他にも特筆すべきは統率能力が高かったことと
兵たちから絶大な人気があったこと
そのおかげでゲルマニクス軍は異常なくらいに士気が高かった

これはアルミニウスにとって禿げあがるぐらいの悩みのタネだった
つまりゲルマニクス軍はウァルス軍とはちがって指揮系統の崩壊・無秩序な敗走が起こりにくく
トイトブルクのような完勝が難しいのは明らかだった

59: アスペニート 2016/05/10(火) 02:15:11.143 ID:k20qLX/20
ローマ軍うぜえ

60: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:18:26.578 ID:8HKMEgPa0
アルミニウスの毛髪を脅かすことは他にもあった
まずは南部の親分格であるマルコマンニ族やクアディ族が協力を拒否したこと
このせいでアルミニウスが当初予定していた戦力の半分になってしまったとも言われてる

そうして参じた双方の戦力は
ゲルマニクス側はライン全域の5万を動員し
一方アルミニウス側はたくさんの部族が連合を組んでほぼ同数の5万かやや下回るくらいとされている
ただし表面上では戦力は拮抗しているように見えるもの中身が別物

ローマ側は組織化されたプロ軍人たちで固めているのにたいして
アルミニウス側は各部族からの寄せあつめの戦士団
これだけのゲルマン戦士が集まったのはおそらくキンブリ・テウトニ以来の史上二度目で
また長い侵略行でまとまりと強化したキンテウたちとは違って
アルミニウス陣営は集まったばかりで足並みバラバラ

さらに集結したはいいものの指揮系統はゲルマン式で
ローマ軍とは違って上位から下位への絶対的指揮権限もないという有様だった
たとえばアルミニウスが指示してもその戦士団は「断る権利」があったという状況
ローマ軍で育ったアルミニウスにとってはこの辺はかなりイライラしたかと

61: アスペニート 2016/05/10(火) 02:25:19.255 ID:k20qLX/20
蛮族で何が悪いー

62: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:25:42.531 ID:8HKMEgPa0
しかしアルミニウスにも支えてくれる連中がいた
まず同胞のケルスキ戦士団はどんな指示でも勇猛果敢にこなしてくれる連中
(族長ファミリーの内輪もめでたまに悶着あったらしいけど)

そしてなんと言っても素晴らしいのはローマ軍時代のゲルマン同胞たち
アルミニウスと同じようにローマ軍で訓練をつんだ元補助兵たちが
それなりの数参じてくれたらしい
アルミニウスはこの者たちを各戦士団にふりわけてなんとかゲルマン軍の指揮系統を固めていく
(ただしこれはマイナスもあったらしい 彼の「ローマ軍」的なやりかたがゲルマン陣営内で嫌われていく)

しかしこれでもやっぱりローマ軍と真っ向対決するのは困難と彼は認識
そこでのちのソ連を髣髴とさせるような血も涙もない戦術を選ぶことになる

63: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:34:50.813 ID:8HKMEgPa0
彼が対ゲルマニクス戦でとったのは
味方の戦士団をエサとしてローマ軍の正面に向かわせ
ローマ軍がこれに食いついているところでその側面や背後を精鋭で奇襲
そしてローマ軍が転回して反撃にでるまえにサッと撤退~を繰り返すこと
これは「負けることなくローマ軍を100%確実に消耗させる」唯一とも言える作戦だったものの
エサとなる戦士団はほぼ間違いなく壊滅するという代償があった
これもまたゲルマン陣営内でアルミニウスへの反感が蓄積されていく理由

64: アスペニート 2016/05/10(火) 02:36:31.056 ID:k20qLX/20
アルミニウスすげー

65: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:45:05.289 ID:8HKMEgPa0
そうした肉を切らせて骨を断つ戦法でアルミニウスは消耗戦を展開
一方でゲルマニクス側も決して崩壊はせず戦況は一進一退

そしてAD16年 
ゲルマニクスのほうもアルミニウスの潰し方を色々と考えて
ついに全軍を動員しての大規模進撃を開始する
その作戦は現在のミンデンあたりからウェーザー川を渡り
ケルスキ族ほか同盟部族の家族などがあつまった避難地を強襲するというもの
おそらくさすがのアルミニウスでもそこを捨て駒にはできんだろうと考えてのもの
中枢部にせまり無理やりローマお得意の正面衝突に引き込もうという魂胆

66: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:53:42.021 ID:8HKMEgPa0
もちろんアルミニウスもその動きを事前に察知してしっかりお出迎え
まずローマ軍先陣がウェーザー川をわたり橋頭堡の砦をつくりはじめたところで
森から一斉に伏兵をはなって強襲
ローマ軍が隊列や防御砦を整えさせるヒマはあたえず
小部隊同士の泥沼乱闘戦にもちこんでいく
しかしやはりローマ軍はしぶとく
体制を整えた彼らによってしだいにゲルマン側の損害が増大
アルミニウスは後方のIdistavisoの盆地に軍を撤退させる
これで緒戦が終了
ローマ軍はウェーザーを渡りきりIdistavisoの入り口に防御陣地を速やかに設営

67: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 02:59:51.843 ID:8HKMEgPa0
このIdistavisoの東側には例の避難地があり
ゲルマン側はもう後がない状況だった
ローマ軍が前進してきた場合それを止めるには正面衝突しかなく
そして敗れたら連合は崩壊し各部族がそれぞれ降伏するのも明らか
それどころか戦闘前からすでに崩壊寸前だったらしく
このときすでに一部の部族がローマ陣営に使者を送って事前交渉をはじめていたという説もあるほど

しかしそんな絶体絶命でもアルミニウスは己のやり方を貫きとおす

68: アスペニート 2016/05/10(火) 03:02:16.190 ID:k20qLX/20
かつてVIPでここまで深くゲルマニア戦役が語られたことがあっただろうか

69: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/05/10(火) 03:12:07.117 ID:ouzYEA4C0
しんせいろーまー

71: アスペニート 2016/05/10(火) 03:14:10.680 ID:k20qLX/20
>>69
日本の教科書的な本では神聖ローマ帝国はオットー一世からとなってる謎
じゃあ神聖ローマ皇帝のカール一世って誰やねんと

70: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:12:17.943 ID:8HKMEgPa0
いよいよローマ軍が陣地からでて
会戦陣形をしきながらIdistavisoの盆地を西からブルドーザーのように前進
ゲルマン側もそれを迎え撃つため可能なかぎりの戦力を正面に布陣
そしてとうとうゲルマニクスの目論見どおり真っ向からの会戦がはじまる

と思いきやそこでまたアルミニウスが一計
彼はゲルマン本隊には加わっておらず
ケルスキ戦士団ら精鋭とともに南側のけわしい丘に待機
そんでローマ軍とゲルマン本隊が激突してしばらくたってから出撃
もう勝ち気分になりつつあったローマ軍の横っ腹へと一気に突撃
崩壊しかかっていた本隊もそれを見て士気を回復させ最後の力をふりしぼって踏みとどまり
そしてさすがのローマ軍もこれには動揺してもうハチャメチャの大乱戦へ

こうして本隊崩壊・避難地までローマ軍がぶち抜くという可能性も高かった捨身の大博打はなんとか成功
乱戦はその日いっぱい続いたとされマジで血みどろの戦いだったらしい
アルミニウス自身も満身創痍の血まみれになりつつもなんとか脱出したというほど
そんで双方とも甚大な損害をだして撤退
ローマ軍は防御陣地にひきゲルマン軍も避難地へ
これで第二戦が終わる

72: アスペニート 2016/05/10(火) 03:17:25.520 ID:k20qLX/20
この時代のゲルマニア戦役あつい

73: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:22:05.622 ID:8HKMEgPa0
中枢の避難地を叩くことに失敗したゲルマニクスは矛先を変えることにする
次の氷壁はIdistavisoの北 ウェーザー川沿いにあるアングリヴァリ族の避難地
そこはゲルマン世界では珍しく数キロにもわたる防壁が東西に続いていて谷間を封鎖していたところ

まさにゲルマン人にとっては難攻不落の存在であるものの
逆に城攻めもまた得意なローマ軍からすれば
神出鬼没なアルミニウス兵よりもそこから動かない「防壁」のほうがよっぽど攻めやすい思えたらしい
さらにIdistavisoの戦いでさすがのゲルマニクス軍も士気ががた落ちしたため
ゲルマニクスは軍を励ますためにもどうにか勝利を欲しがったという一面もある

そんでローマ軍は陣地をでて北へ
しかしその動きもまたアルミニウスに先読みされていた

74: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:22:30.323 ID:8HKMEgPa0
×氷壁
○標的

76: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:33:03.456 ID:8HKMEgPa0
毎度のごとくアルミニウスは見事にローマ軍の動きを予測して
アングリヴァリの防壁に兵を配置させ
さらにおなじみの伏兵も東の森に忍ばせていた
とはいえ状況はIdistaviso戦と同じくここも抜かれたらアウトといういまだ絶体絶命だった

防壁を攻めはじめたローマ軍とそれに奇襲をかける伏兵とでふたたび大乱闘
ここでも前回と同じように双方殺戮パーティ
しかしゲルマニクスもなかなか優秀で同じ失敗は二度は繰り返さなかった
ローマ軍はしっかりと陣形をしきなおして応戦し
そして今度は防壁が突破されアルミニウス隊もついに敗れ
ゲルマン側が総崩れになってしまう

ただしローマ軍もやっぱり被害は甚大で
防壁突破ではしゃぐことはなく
まるで敗北したかのようにゆっくりと防御陣地に撤退していったらしい

77: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:41:02.027 ID:8HKMEgPa0
この時点でもうアルミニウス側は大規模な反撃は不可能になってしまい
いまローマ軍にIdistaviso方面に攻め込まれたら避難地が焼かれてしまうのは確実

しかしローマ軍側もあまりの損害の多さに作戦能力や士気が潰えてしまっていた
戦闘継続するといえば反乱が起こりかねないほどの状況だったので
ゲルマニクスもとうとう撤退を決断する

そうしてローマ軍は結果としては戦闘で勝ったにもかかわらずまるで敗残兵のように引き
アルミニウス軍は敵の撃退に成功したにもかかわらず損害が大きすぎて連合は分裂寸前という
双方にとって暗い終わり方となった

78: アスペニート 2016/05/10(火) 03:42:16.659 ID:k20qLX/20
消耗戦やな

79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:44:13.121 ID:h+N/7R3EK
ゲルマニア報復戦争記述の際には
タキトゥスのゲルマニクスに対する呼称が"カエサル"なんだよな
他の箇所ではほとんどゲルマニクス呼びで、ティベリウスもカエサルと呼ばれてないのに
このあたりの意図が気になる

83: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:08:49.167 ID:8HKMEgPa0
>>79
アルミニウスとの戦いは全ローマの威信をかけた雪辱戦であるというタキトゥスの想いかなとか
そこからゲルマニア攻め=ローマの全威信を背負う=帝位に相応しいという隠喩かなとか
帝位後継者という意味だけじゃなく
「ユリウス・カエサルがはじめたゲルマニア攻勢を引きつぐ」という意味も重ねて

80: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 03:53:31.402 ID:8HKMEgPa0
その後ローマ側では
ゲルマニクスがアルミニウスへの報復とゲルマニアの「奪還」を望んでいたものの
帝位についたティベリウスがゲルマニアの「放棄」を決定して「戦は正式な終わりを迎えることになる
プンプンしていたゲルマニクスは東方最高司令官の位であるシリア総督へと「栄転」させられた

一方のアルミニウスはなんとか体勢を建てなおすと
対ローマの協力を拒んだマルコマンニ族領へと報復侵攻を開始する
これは各部族へ「マルコマンニが協力しなかったからあんな泥沼の戦いになったんだぞ!」というアピールに加えて
個人的にも激怒していたからとも言われてる

そんな短絡的な理由があげられるのは
この後はまるで別人のようにグダグダになるから
対ローマ戦でみせたキッレキレっぷりが欠片もなくなってしまう
勇んでマルコマンニの本拠ボヘミアへと踏み込んだものの
そこは要害の地でアルミニウスは兵力も兵糧も作戦も圧倒的にたりず無残な失敗
ローマ軍で覚えたことを全部忘れて「蛮族」に戻ったかのように

81: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:01:58.972 ID:8HKMEgPa0
そのようにして彼の武功も滞ったあたりで
ローマ軍人風の傲慢なふるまいや捨て駒戦術などで溜まってきていた反感もついに大爆発
今まで協力していた各部族がこぞって離反して
中にはローマと同盟を結んだり連合してアルミニウスを排除しようとしたりで
彼の勢力は一気に崩壊する
そうして同じゲルマン部族相手の戦いで負傷し
それが癒えずにAD21年ごろにあっけなく死んだといわれてる

82: アスペニート 2016/05/10(火) 04:04:21.856 ID:k20qLX/20
アルミンの凋落っぷりに何があったのか

84: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:17:00.099 ID:8HKMEgPa0
こうした誰にとっても災難に思える戦役でもいくつかはやっぱ得をした勢力があった
それがマルコマンニ(とクアディ)

マルコマンニたちはこのアルミニウス戦争のあいだ
戦乱に加わりたくないという小部族たちをそれぞれ従属化にし
またローマ~アルミニウス陣営双方に情報を流し
時には裏交渉の仲介役などもおこない
その勢力を維持しつづけた

そしてかつてローマが予定していたマルコマンニ征服作戦もウヤムヤになり
戦後アルミニウスが倒れてからは
周辺部族たちをまとめローマとも莫大な交易を行なうようになり
西方ゲルマンでトップクラスの強部族となっていく

86: アスペニート 2016/05/10(火) 04:19:53.280 ID:k20qLX/20
みんな詳しいなぁ

89: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:36:48.712 ID:8HKMEgPa0
そのあと半世紀ほどはローマとゲルマンの大規模衝突は起こらなくなる
(一応キウィリスの反乱がおこったものの)
ただしゲルマン世界は決して安泰とはいえず
むしろ着実に人口が増え部族間の緊張はじわじわと増しつづけていった

そして新たな流れがはじまる
まずはドイツ~ポーランドのバルト沿岸部から
ここはいわゆる気候変動の最前線なうえ
かつスカンディナヴィア圏からとも移住・略奪パラダイスでもっとも混迷した地域
そんな中で各部族たちが生き残るために合体し大部族を形成しはじめる
たとえばポーランド北部ではかのゴート族など

90: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:46:56.519 ID:8HKMEgPa0
さらに1世紀後半からはこうした流れをローマ側が南から促進することにもなった
ドミティアヌス帝の時代になると
彼の命令によりライン沿いはいっせいに攻勢に転じ
カッティ族領などにローマ軍が略奪侵攻を敢行する
これはライン~ウェーザー一帯部族のガス抜き目的があったとされてる
いわゆる予防攻撃
ただしこのイジメがこの領域の大部族化を促進させることになる

さらにドミティアヌスはシュヴァルツヴァルト地域を一気にローマ領として
そこからゲルマン部族の追いだし作戦も敢行
これでゲルマン世界南部も混乱が高まったほか
難民ラッシュをうけた東隣のマルコマンニ族が激怒する

91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:54:05.292 ID:8HKMEgPa0
マルコマンニはすぐには動かなかった
まともにやりあえば勝ち目はないともわかっていたから

ただしAD86年からはじまったローマ対ダキアの戦争がその状況をかえる
ここでドミティアヌス帝が軍才がない者を最高指揮官にするという大ポカをする
結果的に親衛隊と軍団ひとつが丸ごと消滅するという大敗を喫してしまう
(ちなみにこの時きえた第5軍団も再編されることなく永久欠番となる)

92: アスペニート 2016/05/10(火) 04:55:08.963 ID:k20qLX/20
ローマ軍団よく消えてる

93: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 04:59:31.741 ID:8HKMEgPa0
そのあとドミティアヌスは反省して歴戦の将を任命し
ダキア戦線は持ちなおされ今度はダキア側をジワジワ追いこみ始める
でもそんないいところのAD88年で上ゲルマニアの総督が反乱を起こすという事件が発生
ローマはすぐにダキア側と講和を結ぶと(劣勢だったダキアはこの講和に大喜び)すぐに反乱鎮圧へ
ただしその反乱は勝手に自壊していてわざわざ兵を送り込むほどでもなかった
なんて胸をなでおろしていたらここでマルコマンニ(とクアディ)がいきなり動きだす

94: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:03:24.783 ID:8HKMEgPa0
もともとダキア側から
マルコマンニとクアディは「ローマ潰そうぜ」と同盟の打診をうけていたものの
両部族はこれを拒絶していたらしい
というのも当時のダキアはデケバルス王のもと急速に拡大しつつあり
東ではパンノニア平原まで勢力圏を拡大してきていたから

このパンノニア平原には当時イロイロあってサルマタイ系イアジェゲス族が住んでいて
北方のクアディとすごく仲良しだった
そんでクアディはマルコマンニとすごく仲良しだったんで
この両部族はダキアに対して「同盟とかふざけんな死ね」と突き返していたらしい

96: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:08:49.244 ID:8HKMEgPa0
そうした状況でなんでここで両部族が動きだしたかというと
まず東からゴリゴリしていたダキアが大人しくなったこと
そしてダキア戦序盤の負けっぷりや反乱騒動などでローマがグダっているように見えたため
それらに直前のシュヴァルツヴァルト併合騒動の怒りが加わったことらしい

そんでAD90年ごろ
マルコマンニ・クアディの戦士団がノリクムやパンノニアのローマ軍防衛線を強襲
一部では突破し近隣の集落も荒らしまわったりしちゃう

97: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:18:36.187 ID:8HKMEgPa0
しかしやっぱりローマは強かったことにくわえ
運が悪いことにそのとき上ゲルマニア総督についていたのはあの若きトラヤヌスさん
前述の反乱のさいにいち早く駆けつけた彼はそのまま後任の総督となっていた
彼はすぐに軍団を出陣させると西からオラオラと圧力をかけ
マルコマンニに従属しているスエビ系の小部族たちを蹴散らしていく
この動きにマルコ・クアディ両部族ともすぐに襲撃をやめて撤退するものの
トラヤヌスの執拗な攻撃はAD96年ごろまで続いたとされている
これでさらにゲルマン世界にストレスが加わったのは言わずもがな

そしてこのトラヤヌスが帝位について
ローマ史上最大の対外侵攻「ダキア抹殺さくせん」を終わらせたころ
バルト沿岸部~ポーランドでは次の動きがはじまる
それは部族の大移動

98: アスペニート 2016/05/10(火) 05:18:43.309 ID:k20qLX/20
マンコマンニ戦役

99: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:25:19.126 ID:8HKMEgPa0
混乱と密集に耐えかねてとうとう一斉に移動を開始
この辺からゴート族がわさわさと南下
すこし前に形成されたばかりの「ヴァンダル」という大集団も南下
中部ではスエビ系セムノネス族が南下をはじめたり(彼らはすこし後にアレマンニ族を形成する)
ただしのちのローマ世界を蹂躙した「ゲルマン民族大移動時代」とはことなり
このときの民族移動の向きはみんなローマを避けてる
というのもこの時代のローマはまだ困難な壁であり
むしろそのローマの圧力から逃げようとする向きもあったから
たとえばゴートもヴァンダルもまっすぐ南のローマ圏に進むのではなく
南東のウクライナ方面へと向いていたり

100: アスペニート 2016/05/10(火) 05:27:40.160 ID:k20qLX/20
ゴート戦争

102: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:35:53.119 ID:8HKMEgPa0
とはいえ東ゲルマニアのゴート・ヴァンダルなどとはことなり
中部や西部ではほとんど逃げ場がない環境でますます「爆弾」状態になりつつあった
さらに緊張を加速させたのはまたもやローマとマルコマンニとクアディの御三方

ローマはAD90年代は彼らと戦ってたくせに
戦争が終わるやすぐに交易を開始しなんと大量の武具もガバガバ輸出しちゃう
そしてマンコ・クアディはそれを北のゲルマン世界にガバガバ輸出しはじめる
ローマ製のノリクム鋼を使った高品質武器はそりゃあもう大人気で
柄や鞘をゲルマン風に加工したグラディウスやスパタが
一触即発なゲルマン世界にどんどんと広がりだす
そんでとうぜんながら戦士階級の割合が飛躍的に増加してますます部族間闘争が激しくなる

そしてAD160年代
マルクス・アウレリウス帝の時代
パルティア遠征で持ち帰った疫病で
古参兵が大量死したこともあって一時的にローマの防衛体制が弱まったとき
古代ゲルマン史上最大の戦役が開幕する

103: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:37:38.979 ID:8HKMEgPa0
そろそろベッドが俺を呼んでいる
第一部完ということで

104: アスペニート 2016/05/10(火) 05:39:06.864 ID:k20qLX/20
おつかれ
第一部から単独でスレ立てする価値あるなこりゃ

105: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:42:23.721 ID:8HKMEgPa0
軽く読みなおして見ると文体がガバガバでひどい
思いつきでやるもんじゃないな
次やるとしたらちゃんと書き溜めておかなきゃ

106: アスペニート 2016/05/10(火) 05:45:51.335 ID:k20qLX/20
こんなに興味深い話なのに俺以外ほとんど誰も来てないというかなしさ

107: アスペニート 2016/05/10(火) 05:48:45.994 ID:k20qLX/20
まあromってる人もいたとは思うが

108: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/05/10(火) 05:50:51.079 ID:8HKMEgPa0
やっぱなんといってもアルミニウスはカッコいい
身を削るような戦いっぷりも戦後の落ち目っぷりもいかにも人間の英雄らしくて好き

109: アスペニート 2016/05/10(火) 05:54:14.965 ID:k20qLX/20
たしかに
多少話盛ってアルミニウス一代記スレみたいなの立てたら盛り上がりそう






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うろ覚えでフランク王国の歴史を語るスレ

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コメント

1  不思議な名無しさん :2016年05月10日 22:14 ID:oQuhNRcv0*この発言に返信
ランク王国かと思って開いたら全然違った
2  不思議な名無しさん :2016年05月10日 22:51 ID:Xn0bt47t0*この発言に返信
ランク王国ってまだ放送してるんだな。

 
 

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