【ガルパンSS】西絹代(30)「恋って、したことないんだよなぁ」
- 2016年06月03日 23:40
- SS、ガールズ&パンツァー
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世間並みに言って、夫は誠実な人だった。私もまた、この何年間か世間並みに誠実な妻を務めた。子どもも二人いる。一人は小学校へ入学したばかりだが、もうほとんど手のかからない良い子だ。もう一人は、今、幼稚園へ通っている。上の子と比べると少々落ち着きのないわんぱくものだが、食べてしまいたいほど可愛い息子だ。
学生時代、男性と交際する機会はないでもなかった(実際、恋人のいる同級生は多かった)が、私はなんとなく、そういうものから距離をおいてしまった。それは、恋愛という不純なものへの恥じらいからで――もっとも私は恋愛に対して少女らしい憧れを抱いてもいたが――当時はそれよりも戦車のことで頭がいっぱいだったのだ。いや、そう言い聞かせていたのかしらん……。
思わずため息をつくと、居間の時計が鳴った。子どもを迎えに行く時間だ。私は簡単に身づくろいをして、車へ乗りこんだ。私の家には車が三台ある。
エンジンの震えはまるで物足りない。公道を走るのは、退屈だった。また、ため息が漏れる。
「もっと、なにかあったんじゃないか?」
バックミラー越しに自問するが、答えは出ない。
いつもの息子は、私を見つけるやいなや腕の中に飛び込んでくるのだが、今日はなかなか帰ってこなかった。どうしたことだろうと、親子の群れの中で立ちすくんでいると、やっと息子が園内から出てきた。彼は女の子と手を繋いで歩いていた。
男性は女の子の父親だった。
私は息子を、彼は息女を、それぞれ抱きかかえて、簡単に挨拶をした。
「ませたものですね」
「ええ、ウチの子どもが……」
自己紹介、というよりも、子どものことを紹介して、その日は別れた。彼の息女の名前や、私の息子の名前を知り合っただけで、互いのことはなにも知らずにいた。
彼の息女と、私の息子は、順調な交際を続けているようだった。息子は少しだらしないとこもあったのだが、この頃はきちっと制服を着こなしてから登園するようになった。夕方になって迎えに行くと、恋人の手を取って門まで帰ってくる。彼ら二人の仲が良くなるにつれ、自然、女の子の親と話す機会が増えた。
「よければ私の家で預かりましょうか?」
我ながら思い切ったことを言ったと思う。彼は「いえ、ご心配には及びません」と慇懃に断ったものの、しかしやはり息女を一人で留守番させるのは不安らしく、三度目の申し出には首を縦に振った。
私の夫は先も書いた通り誠実な人だった。事情を説明すると、息女を預かることに何の異議も唱えなかったばかりか、まるで自分の娘のように息女を可愛がった。
それが変わったのは、ずいぶん経ってからのことだ。
季節は夏、バーベキューに誘われた。私は一も二もなく了承したが、夫は仕事があり参加できなかったため、私と下の息子、彼と彼の息女の四人でのバーベキューになった。彼の運転する車で河原へと出かけた。他人の運転する車に、なんとなく戦車道に躍起になっていた頃を思い出した。
目的地へ着いてからも、それは大して変わらなかった。
ところで、私はバーベキューは初めてだった。肉を焼く行事だということは知っていたが、具体的になにをどうすればいいか、まったくわからなかった。食材はすでに調理済みで、あとは焼くだけのものが用意されていたため、私はただ馬鹿みたいに突っ立っている他になかった。一方、彼は手際良く鉄板や炭を準備した。私の夫はこうしたことに非常に疎いので――今だからこう形容できるが――少しばかりときめいたのだった。
「いつも、ありがとうございます。本当に、助かっています」
「気にしないでください」と私は答えた。「夫も、もう一人子どもができたようだと、喜んでいますから」
彼は寂しそうに笑って「そうですか」と言った。私は、しまった、と思った。
「私個人はさっぱりしたものなんですけどもね、娘のことを考えると」
彼は頭を掻くと息女のほうへ目をやり、寂しそうな表情を固めてしまった。
「やはり、妻に戻ってきてもらったら、と考えずにいられないんですよ」
私は不意に、私と彼が一緒に暮らしている様子を思い浮かべた。下の子は、彼の息女と仲良しだ。上の子もきっと仲良くできるだろう。子ども三人と、私と彼との――悪くない。
「今でも、奥様のことは?」
「いえ……」
彼は自嘲気味に笑った。私はつい、ほっとため息をついた。
いや、と目を伏せる。なにを考えているのだ。
それから訊きたいことはフツフツと湧いてきたが、息子が勢い余って川に飛び込んだために機会は絶たれてしまった。叱る私をニコニコと見やる彼に、なにか胸の熱くなる想いがした。
それ以来、ぼんやりすることが多くなった。家事はいつも通りにこなしていたから夫に訝られることもなかったけれど、そのことが却って私を苛立たせた。
朝起きて、朝食を作り、家族を起こして、子どもを送り届け、家事をして……ぼんやりしているうちに幼稚園へ子どもを迎えに行く時間が来る。すると、私の心は華やぐ。
「こんにちは」と、私は彼に挨拶をした。
「やあ、こんにちは。今日は、預かっていただかなくても平気です」
いや、今だって――指先を震わせるも、すぐに目を伏せた。出会うのが遅すぎた。私は夫を愛してはいないけれど、それでも夫は誠実な私の夫で、私もまた誠実な妻だった。
そして彼は? シングルファーザーという立場に置かれているのを、単に同情しただけなのだ。
Pity is akin to love.
可哀想だた惚れたって事よ。
しばらくして、彼の息女が門から出てくると、一目散に父親に抱きついた。
はて、と私は思った。息子の姿がない。身を乗り出して見ると、息子は少し離れたところに仏頂面で立ち止まっていた。
「どうした?」
息子の傍へ歩み寄り、目線を合わせ、笑いかけても、息子はぎゅっと口を結んだままだった。
訊くと、息子はこっくりと頷いた。
「あんなに仲が良かったじゃないか」
私は息子を抱き上げて門を出た。そして、同じように息女を抱いていた彼へ別れの挨拶をすると、そそくさと家に帰った。
その夜、ずいぶん久しぶりに夫から求められた。セ○クスの回数はもともと多くなかった。お互いに淡白な性分で、今では月に一回あれば多いほうだ。私から求めたことは一度もないが、夫から求められたときは断らなかった。しかし、今夜は身体を離し、私は夫に背を向けてしまった。夫が小声で謝るのへ曖昧に返事をしたが、むしろ、私の身体は火照りさえ覚えていた。しかし、この火照りは夫のためではなく、別の男のためであった。微かに浮かぶ罪悪感を見たくなくて、私は目をつむった。