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中世ヨーロッパが暗黒時代じゃなくて暗黒時代が中世ヨーロッパの一部だろ | 不思議.net

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中世ヨーロッパが暗黒時代じゃなくて暗黒時代が中世ヨーロッパの一部だろ

2016年06月10日:23:00

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1: アスペニート 2016/06/10(金) 00:22:16.149 ID:yT/vVYDI0
たしかに
アスペニート(世界史)シリーズ
http://world-fusigi.net/tag/アスペニート
※「アスペニート」とは2chで世界史に詳しい人のコテハンです。

暗黒時代

暗黒時代とは、歴史上のある一定期間、戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代を指す。

ヨーロッパにおいては、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前までの中世を指して暗黒時代とも言われる。ルネサンス初期の人文主義者・ペトラルカが古典古代の失われた時代を "tenebrae"(ラテン語で闇)と呼んだのが「暗黒時代」観の始まりとされ、ルネサンス期の見方では、古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退し、蛮族(主にゲルマン人)の支配する停滞した時代とされていた。また、啓蒙主義の進歩史観のもとでも中世は停滞した時代と考えられてきた。「中世=暗黒時代」という概念は、プロテスタントの歴史家クリストフ・ケラリウスによって提唱された中世という時代区分に端を発し、イギリスの文学者カー(William Paton Ker)が1904年に著した『The Dark Ages』によって一般に広められたものである。

だが、イタリア・ルネサンス以前の時代にも古代文化の復興運動が存在しており、今は「中世ヨーロッパ=暗黒時代(文化的に停滞した時代)」という見方は否定されている。

現在では、1000年頃までの中世初期を暗黒時代と呼ぶことが多いが、それもまた一面的であるとの批判もある。
wiki-暗黒時代-より引用

引用元: 中世ヨーロッパが暗黒時代じゃなくて暗黒時代が中世ヨーロッパの一部だろ







2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:23:14.157 ID:jmVgXN2A0

3: アスペニート 2016/06/10(金) 00:23:58.569 ID:yT/vVYDI0
>>2
中世が暗黒時代だったんじゃなくて暗黒時代が中世にあった

7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:26:33.458 ID:jmVgXN2A0
>>3
すまん
俺はお前の言っていることが理解できないようだ

8: アスペニート 2016/06/10(金) 00:28:50.597 ID:yT/vVYDI0
>>7
中世が 暗黒時代である
↑ではなくて

暗黒時代が 中世に存在した
↑こうだろ
と言っているんだがこれでもわからんならお手上げ

13: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:32:37.014 ID:jmVgXN2A0
>>8
もっと具体的事象をください
頭悪くて申し訳ない

14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:34:54.779 ID:NA9RYnVk0
>>13
中世=暗黒時代
じゃなくて
暗黒時代⊂中世ってことだろ

4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:24:20.157 ID:3J/dBBqg0
Wikipedia読んだら

今は「中世ヨーロッパ=暗黒時代(文化的に停滞した時代)」という見方は否定されている。

だってさ

9: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:29:22.860 ID:3J/dBBqg0
感覚の話で申し訳ないんだけど
>>1の思ってることのほうが一般的な気がする

中世ヨーロッパ=暗黒時代って思ってる人そんないると思わないんだけど

10: アスペニート 2016/06/10(金) 00:31:05.544 ID:yT/vVYDI0
>>9
だといいけど魔女狩りとか戦争とか都市がうんこまみれとか言い出す人は相変わらず多いよ

16: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/06/10(金) 00:36:21.316 ID:DdTMB8b/0
>>10
そうじゃないん?

19: アスペニート 2016/06/10(金) 00:39:56.927 ID:yT/vVYDI0
>>16
まあ中世も戦争はしてるっていうかヨーロッパは最近になるまで万年戦争状態だったけど

魔女狩りも戦争の激化で国土が荒れ果てたのも都市がうんこまみれなのも中世が終わりに近づいた時代から顕著になりはじめて
もっと激しくなったのは近世や近代
中世ではそれらが大したことない期間の方がずっと長い

17: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:36:57.838 ID:3J/dBBqg0
>>10
まあそういう側面があったっていうのが話題になるのは「中世ヨーロッパって華やかな貴族のイメージがあったのに意外!」みたいなところもあるし

12: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:32:20.848 ID:NA9RYnVk0
暗黒時代は中世前期だけで盛期以降は違うと思ってるが合ってる?

15: アスペニート 2016/06/10(金) 00:35:55.496 ID:yT/vVYDI0
>>12
大体はあってると思うけど
前期の中でも割とまともな時期はあるし
後期も見方によってはひどい時代とも言えそうだし結局は何をもって暗黒時代と言うのかって話になりそう

18: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:38:04.793 ID:NA9RYnVk0
中世欧州がローマから受け継いだのって何があるん?
ラテン語にキリスト教に法体系も?

23: アスペニート 2016/06/10(金) 00:43:59.343 ID:yT/vVYDI0
>>18
そうだね
それらがない中世ヨーロッパなんか想像できんし

25: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:46:26.184 ID:NA9RYnVk0
>>23
よく中世がローマの要素を捨て去ったといわれるのは学問や技術といったわかりやすい分野が受け継がれなかったから?

29: アスペニート 2016/06/10(金) 00:51:48.127 ID:yT/vVYDI0
>>25
古代的都市国家的・中央集権的制度を引き継がなかったからじゃない?
学問や技術は別に捨て去ってないと思う

32: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:56:14.779 ID:NA9RYnVk0
>>29
マジで?前期で学問や技術衰退してるように思ってたが
科学分野とか11世紀にイスラムから古代の文献手に入れるまで古代の知識忘れてたようだし

34: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:02:36.795 ID:MGQrRfL10
>>32
初期中世には学問が衰退していたというのは間違ってはいないと思うよ
ただそれはローマ的要素を捨てたということではないよ

35: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:03:18.837 ID:NA9RYnVk0
>>34
確かにそうだな
ローマ時代の学問なんてギリシャからの受け売りだし

36: アスペニート 2016/06/10(金) 01:03:25.663 ID:yT/vVYDI0
>>32
その古代の文献っていうのはことごとくギリシャ語からシリア語を経てアラビア語っていう経路を辿ってたものだよ
ギリシャ語文化は確かに衰退っていうか失われたと言ってもいいと思うけど
それを「ローマの文化」と言ってしまっていいのかどうかは疑問

20: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:40:03.902 ID:rCj3vfgr0
暗黒時代ってローマが衰退していくだけで
イギリスやフランスやドイツなんかのクソ田舎だった国が力つけていってるから
衰退した時代ってイメージはおかしいよな

23: アスペニート 2016/06/10(金) 00:43:59.343 ID:yT/vVYDI0
>>20
まあ南仏や北イタリアは前期は古代より衰退してたかもしれんけどそれも盛期になったら超えたしな

21: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:43:29.139 ID:NA9RYnVk0
聞きたいことが多くて申し訳ないが
西ローマは東ローマにとかげの尻尾切りよろしく捨てられたようだけどいつの間に東西で力関係が逆転してたの?
そりゃずっと前から東方の方が豊かで文化的ではあったが一応都市ローマ有するイタリアも都会的だったわけでしょ?
それが気づいたら新興都市コンスタンティノープルに抜かれてるし

26: アスペニート 2016/06/10(金) 00:49:07.656 ID:yT/vVYDI0
>>21
ローマは古代末期にゴート族やらヴァンダル族やらに略奪するまでは西ローマの首都じゃなくなってからもヨーロッパ随一の都市だったはず
多分政治的に逆転したのが大きくて、三世期の軍人皇帝の時代に元老院があるイタリアを皇帝が嫌ったのがきっかけじゃないかな?
軍人皇帝の時代は敵に勝ち続けることでしか皇帝は権力を維持できなくて
その敵がドナウの戦線のゴート族やアジアのササン朝とか東方に偏ってたからそちらに軍事力が集められた

22: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 00:43:55.637 ID:S2xeEmqH0
ローマ時代だって中央付近は栄えてたけど地方とか大したことなかったろ

28: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/06/10(金) 00:51:07.470 ID:DdTMB8b/0
カール大帝の西ローマ帝国復活とフランク王国ってどう違うのん?

31: アスペニート 2016/06/10(金) 00:55:25.647 ID:yT/vVYDI0
>>28
フランク王国が頑張ってたらいつの間にか(西)ローマ帝国になってた
でもローマ帝国になったからと言ってフランク王国であることを辞めたわけではない

具体的には
フランク王国…ゲルマン人の政治制度に根ざす国。つまり起源は部族の長
ローマ帝国…(キリスト教的)ローマ人の政治制度に根ざす国。つまり起源はキリスト教世界の主

39: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/06/10(金) 01:04:46.517 ID:DdTMB8b/0
>>31
なんかわかったようなわからんような。

42: アスペニート 2016/06/10(金) 01:11:12.658 ID:yT/vVYDI0
>>39
古代末期のローマ皇帝はキリスト教的観念と結びついてたのよね(元々のキリスト教にはそんな観念なかったけどww)
それはどういうもんか大雑把に説明すると

世界=キリスト教とそれ以外に地域に分かれる。そしていつか終わるもの。
ローマ皇帝=神に選ばれた現世の最高権力者。世界の終わりが来るまで全キリスト教世界を統治する権利と義務がある。

カールの戴冠によってこの「ローマ皇帝」が旧来の東ローマ別名ビザンツ皇帝と
(西・後の神聖)ローマ帝国と二つ出現したことになる
これによってカトリック世界と正教世界が対等になったとも言えるし「西欧世界」の誕生とも言える
対してフランク王っていうのはただの部族の長が育ったものだから逆立ちしてもこんな観念は付与されない

37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:04:00.293 ID:HlIelLAU0
西洋の自然学は基本的に修道士たちが担ってきたもの
いわゆる中世でもそれは同じで、むしろ彼らは非常に自然学的知識に優れていたからね
ただ宗教改革や啓蒙主義をきっかけにして、現在のような合理的客観的な科学に変わってったってのは間違いじゃない

41: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:09:46.004 ID:HlIelLAU0
そのへんの市民が科学やるようになるのはルネサンスより後だからな
アラビア半島を経由して入ってきた文献も訳して使ってた母体は修道会だし
いわゆる中世と近世以降の学問態度の違いって、一番大きいのはやっぱりインフラ面じゃないか
学術雑誌とか出来て学者同士の相互交流ができるようになるのも17世紀以降

45: アスペニート 2016/06/10(金) 01:13:44.463 ID:yT/vVYDI0
>>41
そう思うとイタリアってすげー
ローマが滅んでもやっぱり地力は失われてないわ

46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:16:41.170 ID:HlIelLAU0
>>45
学者同士の相互交流って言ったけど、アカデミーを先駆的に作ったのもローマ市なんだよな
デッラ・ポルタやガリレオとかも参加してたリンチェイ・アカデミーとか
セルバンテスも当時のイタリア見聞して、本当にすごい先進的な土地だって言ってるから間違いない

43: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:11:47.885 ID:NA9RYnVk0
ローマが滅んだあとなんで諸侯による群雄割拠になってしまったん?
一応○○族の族長とかってその集団を従えてたわけでしょう?
それが国作った途端に貴族なんかの権力が大きくて王様の好きにできないとかばっかで

50: アスペニート 2016/06/10(金) 01:19:43.009 ID:yT/vVYDI0
>>43
一応古代末期に各地にできたゲルマン人王国の国王はそれなりに専制君主的に振る舞ってはいたように思う
でも王権の根拠が薄弱だったりして権力争いが日常茶飯事だった
それでもカール大帝みたいな有能と幸運を兼ね備えた君主が大帝国を作るところまではいったよ

でもその後のフランク王国がコケまくって封建社会へ

53: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:24:22.670 ID:NA9RYnVk0
>>50
王権の根拠が薄弱ってことは大移動の時から貴族層的なポジションがいた?
ローマはゲルマンのこと蛮族呼ばわりしてたがある程度の社会があったってこと?

56: アスペニート 2016/06/10(金) 01:28:34.972 ID:yT/vVYDI0
>>53
ゲルマン人社会には貴族も一応の王家とみなされる一族もいたよ
でも大移動の時は民族の危機だから「軍隊王」って言って戦争に際して有能なリーダーであることが王の必須の資格だった
負けが続けば即王位を降ろされるような不安定な状態
で、そんな状態のまま定住したもんだから王が死ぬたびに俺が強い俺が強いって言うやつが出てきて王権が安定しない

60: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:30:34.286 ID:NA9RYnVk0
>>56
そういや東ゴート王国の時点で割とそこらへんgdgdだったな

48: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:17:07.076 ID:Nx7GTSMQ0
暗黒時代ってまずは資料的な話でしょ
古代より中世のが資料少ない地域とかあんの?
ブリテンとかゲルマニアなんてローマ時代から噂半分の僻地でしょ

54: アスペニート 2016/06/10(金) 01:25:16.323 ID:yT/vVYDI0
>>48
確かにどこも中世の方が資料多いだろうしそういう意味の暗黒時代では全然ないだろうね

51: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:20:46.281 ID:HlIelLAU0
中世から近世近代にかけて西洋で科学的方法論が醸成されてった歴史、
大昔やったはずなんだが全然覚えてないや。勉強しなおさなきゃ

52: アスペニート 2016/06/10(金) 01:24:04.038 ID:yT/vVYDI0
カール大帝を理解するには前提条件を押さえとかないとダメか

古代末期のローマ皇帝「俺は全キリスト教世界の支配者だ!」

東ローマ皇帝「西ローマ帝国は滅亡してもうちは残ったから東ローマ皇帝が全キリスト教世界の支配者だ!」

ローマ教皇「本当は宗教面では皇帝よりもワシの方が偉いと思う。だから東ローマ皇帝うぜえ」

ローマ教皇「東ローマと縁を切るために強そうなカールってやつを勝手に皇帝にしたるわ」

55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:28:31.188 ID:dRCiuSLi0
楽しそうな古代~中世歴史スレなのに出遅れちった

57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:29:29.671 ID:NA9RYnVk0
農村やイングランド、ドイツみたいな古代だと僻地だった場所が中世では発達したけどイタリアや地中海沿いの都市はどうだったの?

61: アスペニート 2016/06/10(金) 01:32:10.960 ID:yT/vVYDI0
>>57
中世前期に規模縮小するが都市としての機能は消滅はせず盛期になると繁栄を取り戻すみたいな感じじゃね?

63: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:33:55.368 ID:MGQrRfL10
>>57
当然イタリアもノルマンやサラセン人の侵入が終わってからは発達するよ
ただ北ヨーロッパのよくある城壁に囲まれた中世都市とは違った形態の都市国家が発展していったよ

58: アスペニート 2016/06/10(金) 01:29:44.538 ID:yT/vVYDI0
つまりスティリコに二度も完膚なきまでに叩きのめされても王であり続けたアラリック一世が最強ってことだ!

62: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:33:33.944 ID:NA9RYnVk0
>>58
アラリック1世は他の王と何が違ったの?

65: アスペニート 2016/06/10(金) 01:35:42.477 ID:yT/vVYDI0
>>62
わかんねw
戦いには負けてもリーダーシップがすごかったんかねぇ

59: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:30:13.901 ID:dRCiuSLi0
あの時代の王権の安定には宗教的権威が必要不可欠だけども
ゲルマン王権はキリスト教化するまでそうした権威が欠如していたからすっごく不安定

64: アスペニート 2016/06/10(金) 01:35:11.605 ID:yT/vVYDI0
スレタイの中世の暗黒時代というのに相応しいのはフランク王国の崩壊時期じゃないかと思う
分裂分裂してるとこに異民族がきてボッコボコ

そしてもっとローカルな権力による防衛戦力が必要になり集村化も進む
封建領主のできあがり!

69: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:45:40.435 ID:NA9RYnVk0
>>64
下の2行の流れがよくわからんから詳しく頼む
王による軍ではなく諸侯による軍でなきゃいかん理由とは?

71: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:51:16.281 ID:MGQrRfL10
>>69
海賊や山賊の集団みたいなのが小船に乗ってちょくちょく襲ってくるのに対して中央集権化されてもいない国王が対処できるわけないしそんな軍隊はいない

74: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:55:05.595 ID:NA9RYnVk0
>>71
なんかずっと気になってたんだがじゃあ王ってなんなの?
土着の軍隊持つ貴族の方が色々できるしその貴族に物事を強制できない王の存在意義って?

75: アスペニート 2016/06/10(金) 01:58:23.134 ID:yT/vVYDI0
>>74
なかなか難しいしつもんだけど
民族大移動みたいな全人民が結集して事に当たらなければいけない際の代表者とか
古代では祭祀の長としての役割があったとかいろいろありそう

76: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:01:39.432 ID:NA9RYnVk0
>>75
そこ理解できればもっとすんなり中世の状況が呑み込めそうなんだよなぁ

78: アスペニート 2016/06/10(金) 02:13:30.243 ID:yT/vVYDI0
>>76
カロリング朝フランクの崩壊期(9世紀)ほど外敵の侵入が激しくなかったのと
もっと前はそもそも貧乏すぎてローカルごとで防衛戦力を結成することができなかった(つまり地方が弱すぎた)とかあるんじゃないかな
実際封建制度の全盛期の中世盛期は農業革命とか言われるような時代だし

79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:19:33.912 ID:NA9RYnVk0
>>78
農業革命が諸侯の権力を増やしたんだね

73: アスペニート 2016/06/10(金) 01:54:34.277 ID:yT/vVYDI0
>>69
それまでの(フランク系の)王様=守る範囲が超広い
カロリング朝のフランク王国の分裂期にも肥満王ことカール三世が全フランク王国を短期間統一したことがあった
しかし彼はパリを攻囲しているヴァイキングを撃退しようとせず金を握らせて他の地方へ去るをことを許した
これに怒ったフランスの人々はカール三世を廃位して、ヴァイキングと戦っていた在地のパリ伯ウードを王に推戴した
これがカペー朝フランス王国の最初の王になる

封建時代の王様は王といえども諸侯の第一人者に過ぎないとの言があるように
王様自体が封建領主の一人で持ってる土地も昔より狭い
それゆえに領主たちの権力が相対的に大きくて王様が好き勝手できない事態に

68: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:45:17.518 ID:dRCiuSLi0
一般的に「ヨーロッパの暗黒時代」とは
古典古代(ギリシア・ローマ時代)の繁栄に対比させて「停滞の時代」をさす表現だけども
そうすると「暗黒時代」とよぶにもっともふさわしいのは
ローマの産業圏が崩壊した4~6世紀でありそれ以降は回復にむかっていったから
中世で本当の意味で「暗黒時代」と呼べるのはほんの最初期だけという

70: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:49:06.388 ID:Nx7GTSMQ0
>>68
最初期の民族大移動と別にバイキング大暴れとかもあったけど
あれは暗黒時代に入らないの?

72: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 01:53:24.501 ID:dRCiuSLi0
>>70
それらももちろん苦難であるのは変わりないから学者でも暗黒時代と表現している人もよくいる
ただし西ヨーロッパの産業は全体として7世紀以降は緩やかに回復していったから
「ローマ滅亡後の停滞」という本来の意味では含まれない

73: アスペニート 2016/06/10(金) 01:54:34.277 ID:yT/vVYDI0
>>68
確かにそうかも

77: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:11:03.242 ID:dRCiuSLi0
中世以前のヨーロッパにおける「王」の原型は
本質的には部族連合における最高軍事指導者であり代表者という立場だと思う
ようは部族長たちが「認める」リーダー

またこの地域時代の「権力」についても
必ずしも王や部族長などの個人単位にあつまったわけじゃなく
貴族集会や祭祀らが立法・行政・司法の権限を有していた場合もある

79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:19:33.912 ID:NA9RYnVk0
>>77
一応まとめ役がいないと困るから王立てときますね、でも俺らの権力は手放さないよって感じか

82: アスペニート 2016/06/10(金) 02:25:01.043 ID:yT/vVYDI0
>>77
ゲルマンの王権は本来そういうかなり限定されたものだったにも関わらず
なぜ古代末期のゲルマン人王国の君主がしばしば専制的に見えるのかというと
ゲルマン人貴族以外に在地のローマ系住民の中から選ばれた官僚層がいたからだと思う
彼らは王の恩顧だけしか自分の権力を保証するものがなかったから王の一存で恣意的に廃されたみたい

80: アスペニート 2016/06/10(金) 02:21:01.942 ID:yT/vVYDI0
カール大帝とかの時代は
ネウストリアとアキテーヌとか、上ブルグントと下ブルグントとか、(北)イタリアとか、アウストラシアとバイエルンとか、アレマニアとか
そういう大きなブロックごとの地域同士の有力者の対立はあった
それらをすべて己一身にまとめ上げたのがカール大帝

地方の経済力的にそれ以上細かくなると雑魚過ぎたんじゃねーかなと思うのです

84: アスペニート 2016/06/10(金) 02:27:03.945 ID:yT/vVYDI0
あと教会がモラルを強制できてなかったからというのも大きいか

85: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:31:41.622 ID:NA9RYnVk0
寝る前に最後に質問
アレク図書館破壊してる一方古代の文献を保存した教会、結局何がしたいの?

86: アスペニート 2016/06/10(金) 02:37:59.575 ID:yT/vVYDI0
多分教会を担ってた層が違うんじゃね?
アレクサンドリア図書館を破壊したのはどういう人たちかよく知らないけど
教会が文献を保存したのは教会指導者の起源がセナトール貴族だからっていうのがありそう
彼らはローマ帝国の立派な貴族だし高級官僚だし
生きてるラテン語が失われつつありゲルマン人と同居せざるを得なくなった時代に
自分たちのアイデンティティたるラテン語の文献焼いたり捨てたりするはずがないと思う

88: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:43:16.214 ID:NA9RYnVk0
>>86
教会の指導者層ってローマ貴族層だったのか初めて知った
とするとアレク図書館焼いたキュリロスってのは貴族出身ではなかったからローマの文化にそう馴染みがなかったんかな

90: アスペニート 2016/06/10(金) 02:47:19.241 ID:yT/vVYDI0
>>88
コンスタンティヌス大帝がイタリアの保守勢力に対抗して皇帝権力の周りに集めた新興貴族をセナトール貴族っていうんだけど
彼らは都市部で影響力を強めていたキリスト教会のポストを押さえて教会がますます行政機関を代行するようになったのよ

87: アスペニート 2016/06/10(金) 02:41:34.532 ID:yT/vVYDI0
セナトール貴族出身のトゥール司教グレゴリウスの書いた本読んだけど
彼は自分の王がゲルマン人だってことを受け入れてるけどはっきり自分たち旧ローマ系住民とは別の人種だと認識してる
彼らはゲルマン人に時々呆れる一方自分がラテン系住民であることにプライド持ってるよ

当時のアレクサンドリアにはそんな事情もなかったよね

91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:50:27.515 ID:NA9RYnVk0
ああ、新興の貴族なのか
塩婆の本もう一度読み直さないといかんなこりゃ多分書いてあったはずだし
古くからの貴族は滅んだんかな?

94: アスペニート 2016/06/10(金) 02:52:56.038 ID:yT/vVYDI0
他は知らないけどイタリアでは生き残ってたとか見たような?
なんか古代ローマのうんたら家に連なる都市貴族が~とか読んだ気がするぞ

95: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 02:56:34.284 ID:NA9RYnVk0
一応残ってたんだ
ローマ略奪での元老院議員拉致やらゴート戦争でのイタリア没落でてっきり滅んじゃったのかと

96: アスペニート 2016/06/10(金) 02:58:47.511 ID:yT/vVYDI0
箔つけるためにフカしてるだけかもしれないけどな!

97: アスペニート 2016/06/10(金) 03:00:54.614 ID:yT/vVYDI0
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765066.html
>ピエールレオーニ家は根っからのローマっ子で、その起源は「 gens Anicia 」と呼ばれる共和政あるいは帝政ローマのアニキウス家という貴族までさかのぼるんだそうです。

こういうのはあった
俺がなんかの本で読んだのはなんていう家のことか全然思い出せんけど

100: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/10(金) 03:04:23.532 ID:NA9RYnVk0
そういやハプスブルクもユリウス一門の末裔自称してたな
家系図なんてまともに残らない時代だろうしどこまで信用できるかな感はあるな

なんか俺ばっか質問しちゃって悪かったがありがとう

101: アスペニート 2016/06/10(金) 03:05:32.893 ID:yT/vVYDI0
いや、自分でも他人に説明するためにいろいろ考えて楽しかった
またねー






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中世ヨーロッパが暗黒時代じゃなくて暗黒時代が中世ヨーロッパの一部だろ

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