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アンブロワーズ・パレ(1510年 - 1590年12月20日)という人物がいた。彼は軍医としてフランス軍に従軍したのち、フランス王室の公式外科医となった。
彼の残した功績は大きく、外科治療の変革を起こした人物としても有名である。パレの整骨術に関する著書はオランダ語訳を経て日本に渡り、日本の外科医療に多大な影響を与えた。
そんなパレの残した偉業と、その後の義肢の歴史をひも解いていこう。
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1537年、この年パレは新しい治療方法を発見した。当時は銃創の治療には煮えたぎった油を傷口に注ぐという焼灼止血法が一般的であったが、油を使い切ってしまったパレは代わりに軟膏(卵白とテレピン油、ワセリンなどと伝えられるが詳細は不明)を用い治療を行なったを使用して治療したという。
その効果は絶大で、焼灼止血法を超え主流となった。また、血管を直接糸で知って止血する血管結紮法をあみだし、外科手術に大進歩をもたらした。さらには、初期の皮弁切断術も生み出し、手術中の皮膚や筋肉を救った。
彼は25冊の本を書き、その主題は薬や産科から自然史や悪魔研究まで広範囲に及んだ。パレを特に有名たらしめたのは人工装具の発明である。
パレが発明した『レ・プチ・ロレイン』は留め金やスプリングで出来た機械の手でフランス軍のキャプテンが戦闘で着用していた。『ニーロッキングとサスペンションハーネス』という膝上の人工装置は現在でも重宝されている。
さらに驚くことに、彼は人工鼻まで開発していたのだ。
パレは身分の低い床屋医者(床屋の生業とともに、外科処置を行う)出身であり、直接創傷に触れ治療をする現在でいう外科医であった。当時は医者は内科医を指し床屋医者は一段劣ると考えられていた。だが数々の功績が認められ、外科技術の発展に大きく寄与したのである。
パレは「優しい外科医」とも言われていた。その理由として焼灼止血法のような侵襲性の高い治療法から侵襲性の低い治療法に切り替えたこと、患者一人一人に対して愛護的な態度で接したことにある。病床にあったシャルル9世は、パレに「哀れな患者よりもっと良い手当をしてくれ」と言ったそうだが、パレは「それはできません。すべての病み人に国王と同じ手当をしているからです」と答えたという逸話が残っている。また。「我包帯す、神、癒し賜う」という有名な言葉を残した。
パレの功績により、その後ヨーロッパにおける人工装具の技術は更なる進化を遂げていった。その後の人工装具の歴史を見ていこう。
1696年
オランダ人外科医のピエター・アドリアンズーン・ヴェルドゥイン(1625ー1700年)は世界初となる膝の動きを制限しない膝下用の義足を開発した。そして世界でも最初の部類に入る「本物の皮弁切断術」を行った。
1718年
1718年、フランスの外科医であるジャン=ルイ・プティ(1674ー1750年)は、切断術中や切断後に出血をより効果的な方法で制御することができる止血帯を開発した。
1862年
グラス・ブライの『ニュー・アンド・インポータント・インベンション(new and important invention)』は1859年から1862年までの定期刊行物で宣伝広告をだしていた。象牙で作った球体がゴム製のソケットに置かれている“ボールとソケット足首”は機動性を大幅に改善した」と書かれている。
彼はその義足を南北戦争中に宣伝したが、アメリカ政府は傷ついた兵士達に提供するには高額過ぎると言い、代わりに政府が提供する義肢とブライが作成した高性能モデルの差額を払うと申し出たそうだ。
1885/1889年
ヘンリー・ヘザー・ビッグ は1885年、ロンドンで『人工肢と切断術(Artificial Limbs and Amputations)』を発刊した。それはクリミア戦争が終わったほぼ13年後だった。私たちの図書館には1889年編集版がある。ビッグはネットリーの王立病院での貴重な体験をイラストにしている。
1906−1926年
ニューヨークにある「エー・エー・マークス(A.A.Marks)」は定期的に『人工肢のマニュアル(A Manual of Artificial Limbs)』を出版していた。ニューヨーク医学アカデミー図書館には1906年から1926年に出版された7冊がある。
各巻には少しだけ違いがあるが、その最大の違いは遅版には第一次世界大戦の退役軍人に関する記載があることだろう。このマニュアルの目的は、その人物の日課やキャリアを通して装置の価値を顧客に説得させることであった。(たとえマジックショーでのパフォーマンスであっても)
1945年
アタ・トーマスは米シカゴ大学医学部の 整形外科の准教授だった。チェスター・C・ハッダーンは、アメリカの義肢装具作成基金の会長だった。2人が共同で執筆したのが1945年に出版された『切断術プロテーゼ(Amputation Prosthesis)』である。
これは第一次、第二次世界大戦に大きく影響された書物で、彼らは第一章に「かつて切断術は人命救助の唯一の手段として考えられていたが、現代は年間を通して行われており、役に立つ補綴(義足・義歯・人工骨頭など)を役に立たたない醜くい、または救いようもない奇形肢に代替えする意図的な試みが何百回も行われている」と締めくくっている。
1954年
1945年、米国学術研究会議は人工装置委員会を設置した。これは後の人工義肢諮問委員会である。委員会は『人間の肢とその代用品(Human Limbs and their Substitutes )』を1954年に出版し、電子腕や膝を安定させる新しい方法や吸引ソケットの進歩などを記載している。
1962年
ウィリアム・A・トスバーグが1962年に出版した『上部または下部の義肢(Upper and Lower Limb Prostheses )』では、義肢で使われている素材が簡潔に紹介されている。第二次世界大戦後はプラスチックが主流であった。その時代はまた プロフェッショナル認定や義肢装具士のための教育プログラムも栄えた。
via:nyamcenterforhistory/ translated melondeau / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
あっパレな人だったんだねぇ
2. 匿名処理班
もし華岡 青洲の麻酔技術が1804年よりも前にヨーロッパへ
伝わったら人工装具の形も変わり、肉切り屋と言われた戦時の
切断も相当減っただろうな
3. 匿名処理班
パレさん未来から来たの?ってくらい先進的過ぎる。1500年代って日本は種子島伝来した頃でしょ?
4. 匿名処理班
この時代に80まで長生きしたことが
この人の医師としての信念や知識は
間違っていなかったという最大の証拠だね。
今の時代にも通用する偉大な基礎の
研究をありがとうございます。
5. 匿名処理班
2192年、技術長、真田志郎は自らの義手・義足に仕組んだ爆薬により搭乗艦の危機を救う
その後、軍隊ではこのタイプが主流となるが、すぐに再生四肢の発展で廃れる
これが人造装具の最終型でもある
6. 匿名処理班
「ロイド眼鏡」でおなじみの喜劇俳優ハロルド・ロイドも、
撮影中の事故で右手の親指と人差し指を無くし、
以後は義指を着けていたのだそうですね
(高い時計台から時計の針に掴まってぶら下がる有名なスタントシーンの時も、
右手は3本指+義指で掴まっていたとか)
7. 匿名処理班
素晴らしいまとめありがとうございます
史料として裏付けされたものがあると一層妄想力が刺激されます
8. 匿名処理班
争いがなければ人は傷つかないのかもしれないが
技術の進化も遅延する。
人が便利になる術を、ほどほどで満足できれば
人は楽園に住むことが出来るのかもしれない。
などと考えながら、先人の知恵と行動力に感謝します。
9. 匿名処理班
サムネ画像の親指のはらぺこあおむし的なものが気になるwww
10.
11. 匿名処理班
大東亜戦争にて敵砲弾の破片で左手の親指以外の指を失った方がいらっしゃいまして、その方がよく
「いやあ、左手で本当に良かった。しかも親指が残ったなんて幸運以外の何物でも無いね」と言っています。
なるほど、確かに親指が無いと物も掴めませんからね…
「しっかしまあ、最近の義指って良く出来てるね。豆が
ホレ、簡単に摘まめるんだよ」と、ハンデなど微塵も感じていない程。
技術力が有る装具界も、この記事にある医師達が居たからこそなんだな、って感じました。